2018年10月08日

豊橋空襲

 川端氏は昭和20年6月19日夜、乗務中に豊橋空襲を経験している。
 それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
 その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。 

 戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。
NHKTV 昨年、それを聞いた川端氏が証言して決着が付いたのだそうである。乗務員は時刻を正確に認識している。当時の時刻表も見せて貰った。確かに11時52分着、55分発である。定時到着であったそうであるから、爆撃開始は11時55分前後である。これはNHKで放映された。
 川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。

満州国皇帝溥儀乗用列車運転速度曲線 さらに珍しいものを見せて戴いた。満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀が日本に来た時の、御召し列車の運行計画表である。実際に予行演習で走ってみて、その結果も書き込んである。その機関士であった人から貰ったものということだ。満州国の国旗もあったそうだが、それは畏れ多くて貰わなかったそうだが、あれば貴重なものである。満州国の国旗は黄色を基調としている。その国旗と日の丸を交差して機関車前方に付けたのだそうだ。


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