2018年10月02日

続々 217列車

 機関助士の水谷久(ひさし)氏の家は養老方面にあった。桑名方面は水没しているので、名古屋、大垣廻りしか帰れないだろうと思った。3日目になっても見込みがないので、線路伝いに歩いて帰ることにした。10 kmほどを3時間以上掛けて歩いて、名古屋機関区に戻ったら大変な騒ぎであった。沢山の人が被災した。勤務中に妻子4人全員を失った機関士もいた。

 放置された客車には、家を失った人たちがたくさん住み着いた。この写真では周りの水は無くなっているが、堤防閉め切り工事が完成して排水が完了し、すべての陸地が姿を現したのは、2か月半後の事である。国鉄関西線は2か月運休し、その間に近鉄は突貫工事で狭軌を標準軌に敷き替えた。
 奇しくも9月26日は近鉄の標準軌化に備えた新しい木曽、揖斐長良橋の完工式典の日であった。式典の途中でテントが飛びそうになったらしい。このあたりのことは、youtubeで記録映画が見られる。
 筆者の学校は水没したので、1月まで学校に行かなくて済んだ。

Engineer Takashi Fukui 2 福井機関士は、国鉄総裁から人名救助で表彰され、のちに内閣総理大臣表彰も受けた。
「あの場面に居たら、誰でもそうする。そうする以外ないのだ。大したことではない。」
とは言うが、300人の命を救った判断は的確であった。蟹江駅付近は3 m以上の水深になった。そのまま停車していたら、多数の犠牲者が出たであろうことは間違いない。そもそも、八田で運転を打ち切っていれば、問題は無かったはずだ。鉄橋から列車が吹き落とされた可能性はあったが、そのことは不問にされた。

 先行列車のC55は桑名の手前の富田という駅で足止めを喰らった。デッキまで流木に囲まれて止まっている写真を見たことがある。
 桑名駅が水没から脱したのちは、桑名に名古屋機関区の支区が置かれ、亀山、四日市方面からの列車は、桑名どまりであった。旅客は近鉄養老線経由で大垣方面に行った。
 急行「大和」は運休、急行「伊勢」は草津線経由となった。C55、C57、D51などは、転車台がないのでバック運転で列車を牽引した。筆者は、蒸気機関車がテンダを先にして運転しているのを見て驚いた。

 中学校の体育倉庫には遺体が並べられ、校庭でガソリンをまいて荼毘に付した。茨城の伯父が、はるばる3日も掛けて、養老線経由で大量の衣類、食料を担いで見舞いに来てくれた。

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