2017年03月11日

Kimpei Sofue’s life  (6)

 次に、私の友人であるUnion Pacific鉄道の機関士Tom Harveyに会いに行った。トムはBig Boy、Challengerおよび4-8-4を運転したのだ。 Cheyenneの機関庫に行って、保存機となっているそれらを見せてもらった。祖父江氏はビッグボーイに強い興味を示した。彼はすでに1000輌近く、その模型を作っていたのだが、それらをはるかに凌ぐSuper Big Boyを作ってみたかった。そこでDenverのForny Museumに行って、写真を撮った。その頃は、機関車に登って上から写真を撮ることが許されていたので、すべての蓋を開けて内部を撮ることができた。

 1987年に、あるスポンサーが現れた。その人は株を売買していた。スーパー・ビッグボーイ を発注したのだ。ところが、彼は総費用の半分を払ったところで倒産してしまったのだ。祖父江氏は経済的に多大な被害を受けたが、30輌を完成させた。

 1990年になると、アメリカの輸入業者は日本からの輸入をやめてしまった。祖父江氏は、いよいよ窮地に追い詰められた。私は彼を助けるため、日本国内の裕福な友人を紹介すると、1番ゲージのドイツの機関車の手作りをすることになった。製品はぞくぞくするほど素晴らしい出来であった。たいていは3輌、時に5輌、10輌という生産であった。しかし彼は幸せではなかった。

 彼はOゲージを作りたかった。彼曰く、「Oゲージは正しいサイズだ。1番ゲージは大き過ぎて、片手で持つには大きすぎる。 HOはメカニズムを楽しむには小さ過ぎる。」

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