2017年03月07日

Kimpei Sofue’s life  (4)

 祖父江氏は1985年までアメリカに行ったことが無かった。日本とアメリカの経済の関係が変化し始めたころで、為替レートが日本からの輸出に不利な状態になった。アメリカの輸入業者は、日本から韓国へと切替え始めた。
 そこで、私は祖父江氏をアメリカに連れて行き、友人らに会わせた。アメリカの模型人は誰も、この小さな男が14,000輌もの機関車を作ったとは知らなかった。

 Bill Wolfer氏はとても驚き、話は尽きなかった。彼はPomonaの競馬場にあるOスケールのレイアウトを見せに連れていってくれた。そこにはビッグボーイ 、UP9000, SP5000などの本物もあった。祖父江氏はSP5000の模型を作ったことがあった。本物を見ての感想は、「俺の作ったのと同じだ。よく出来てた。これを見て安心したよ。」であった。彼は自分の作ったものが実物通りであったことを知って、とても喜んだ。マックス・グレイはこの機関車の図面を用意できなかったのだ。20枚ほどの写真と諸元だけしか寄こさなかったのだ。祖父江氏はそれらの資料から作らねばならないので、1月ほど死に物狂いで取り組んだ。彼の作った機関車の中で、最も難しいものであったそうだ。
 
 次にテキサス州サン・アントニオのLorell Joiner氏に会った。彼は祖父江氏に会って、とても感銘を受けたようだ。日本に帰らず、ここに居てくれと言った。家と日本食のコックを用意してくれると言うのだ。
 ジョイナ氏は、模型会社を立ち上げるつもりだった。私も残して、通訳と経営をさせようとした。3人で長い時間話したが、結局我々はその話をお断りした。もし残ってジョイナ氏の下で仕事をしていれば、おそらく模型界はかなり変わった姿になっていただろうと思う。

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