2016年07月15日

TMS195号

TMS195 もう50年以上も経ったのだ。TMS195号(1964年)のミキスト欄にはかなりすごいことが書いてある。筆者の持っている一番古いTMSが186号であるが、それ以前のTMSで、NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)の記事はよく見ていた。だからクラブに入会しようと思っていたのだが、突然TMSでのNMRCの記事が全く無くなってしまった。解散したのではないかと思ったぐらいだ。
 しばらく経って、椙山氏のお宅でNMRCの会長だった荒井友光氏を紹介され、直ちに誌友となり、正会員になった。NMRCが無事に存続していたことは、筆者には驚きであった。
 
mixt195 そのミキストにはNMRCの悪口が40行くらい書いてある。今だったら、名誉棄損で直ちに裁判沙汰になるような内容である。個人名も明記するなど、とても信じられない記事だ。剛氏と山崎氏は「ケンカ友達」だったのだが、副会長の加藤氏はそうではなかった。TMS憎し、でそれは加藤氏が編集長だったYard誌に表れている。
 これがきっかけで、NMRCはTMSと絶縁した。剛氏はそれまで極めて頻繁に紙面に登場していたが、全く影を潜めた状態が、400号まで続いた。ざっと16年間の冷戦状態であった。剛氏は東京勤務の時代もあったのだが、TMSとは接触しなかった。
 剛氏は仲直りが必要だと考えたのだが、副会長氏は強硬で実現しなかったようだ。
 この状態に心を痛めたのは井上豊氏で、東京方面に引っ越されたこともあって、頻繁にTMSとは接触し、仲裁を試みた。360号(’78年)あたりから、かなり頻繁にアメリカ型蒸気機関車の記事を発表している。古橋正三氏はギヤード・ロコの記事をかなりの数投稿したし、また、荒井友光氏も395号でトラス橋の記事を書いた。荒井氏は上京の際山崎氏に会い、400号までに関係の修復をすることを約束させた。
 その年のNMRC新年会で、山崎氏は来名し、「また仲良くやろう」と全会員を前に、伊藤 剛氏と握手をした。その後名古屋特集が出たのは、筆者の解釈では、いわゆる手打ちではないかと思っている。あの内容を訂正もせず放置したのは良くなかったからだ。


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コメント一覧

1. Posted by 春岡電鉄   2016年07月15日 10:57
山崎主筆の変節をTMS553号から読み取れます。ミキストでは、「固定レイアウトの夢を捨てて、フロアーレイアウトへたどりつく道が残されるだけであろう」と記し、車輌模型が現実であることを認められたようですね。
同号で、加藤清氏のED19製作記事を掲載し、「全自作の労作!」と副題まで付けて称賛されています。

2. Posted by dda40x   2016年07月21日 07:00
山崎氏の「変節」はたくさんあります。あちこちの掲示板で話題になっています。
彼自身、理想主義で始めたものの、模型業界の代弁者という側面を持つようになると、理想主義は押しのけられます。時々理想主義者の側面が出てきたりして、彼自身悩んでいたところがあります。
ともかく、地方の一クラブの会報記事を、実名で非難して全国にばらまいたというのは、日本の模型史上稀な出来事で、決して褒められた話ではありません。

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