2014年08月10日

続々 吉岡精一氏の死去

 Low-D車輪の開発も、吉岡氏の助言に負うところが大きい。
 当初、出来の悪いプラスティック製のRP25車輪をステンレス製に置き換えようということになって、筆者が図面を描き、旋盤屋に1000軸ほど発注した。それを見本として送ったところ、逆鱗に触れた。
 
 「RP25が正しいと思っていたら、それは大間違いだよ。正しい知識を身につけるまで、車輪の発注をするべきでない。」
 それ以降、ナダルの式の勉強をさせられ、MRの記事の間違いを教えられた。フランジ角を何度にするか決めるのに半年ほどかかった。摩擦係数の小さい材料を用いた車輪は模型では有利であることも、その時認識できた。
 フランジウェイの寸法や、チェックゲージの決定に、さらに半年くらい掛かった。その間に来た手紙が、たちまち10 cmほども溜まった。当時、返事を書く暇がないほど忙しかったので、電話で返答した。
 手紙でないと叱られるかと思ったら、逆に褒められ、「君は偉いよ。全ての手紙を読んで、必要な返答を寄こしている。電話も掛けて来ない奴が大半なんだから…」
「先例に捉われず、全てを洗い直し、最高のものを作る」ということを繰り返し言われて、かなりの重圧であった。 図面はこの間に20回ほど往復した。

 そして、ついにLow-D車輪発注の承認が得られて、工場に注文した。図面は全てに吉岡氏の手が入っていて、それを見た工場の人が言った。
「こんな図面は初めて見ました。全ての点に座標が入っています。これを手で計算するのは大変だったでしょうね。おかげで入力は楽ですよ。」

 その後、CNC旋盤の入力の仕方が分かり、簡略化した図面になった。
 Low-Dの性能を測定するのは難航し、たくさんつないだ状態でカーヴを通し、その抵抗の変化を測定した。それはかなり大雑把な実験であったが、吉岡氏は大変満足そうであった。
 「車輪の抵抗なんてのは、1輌では分からないし、分かる必要もないんだ。たくさんつないでどうなったかが大事なんだよ。」

 その後のLow-D車輪の売れ行きにはいつも目を配って戴き、3万軸を越えたという報告をすると、大変御満足そうであった。Low-Dの設計をご自分でされる代わりに、筆者に設計をさせ、それを監修されたことになる。きっと御自身でされた方が早く出来たはずだと思うが、「良いチャンスだからこいつに勉強させてやろう」というお気持ちがあったのだろう。

 氏は筆者のことを管理型模型人と名付けられたが、吉岡氏はどの様な分類になるのであろうか。
 多分、監督型模型人というのが適当ではないかと思う。

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コメント一覧

1. Posted by コン   2014年08月10日 19:55
もし「鉄道模型学」という学問があれば、吉岡氏は間違いなく教授クラスですね。コンの愚鈍な頭ではナダルの式もおぼろげにしか理解出来ず、フランジ角の決め方もわかりません。模型理論の第一人者であったと思います。そういう意味では「学究型模型人」はいかがでしょうか?dd40xさんもこちらに近いかと・・・。
2. Posted by dda40x   2014年08月11日 11:26
 私は実験助手兼使い走り程度です。
 吉岡氏には叱咤激励されてLow-Dを設計しましたパーソナル・コンピュータの無い時代の話ですから、最初はどうなるものやら見当もつかない状態での出発でした。完成時の氏の言葉はたった一言、「美しい!」でした。
 実物理論だけではなく、模型としての理論が確立されているところが、吉岡氏のすごいところであったと思います。しかもそれを全て実際に作って確認しているというのは、常人の及ぶところではありません。
 学究型模型人は他にもいらっしゃると思います。学究実践指導型模型人ではないかと思い始めました。

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