2014年06月18日

懐かしい線路

old track とても懐かしい線路が里帰りした。高校生の時のものであるから、60年代の作品である。3線式から、ガラレイルの2線式に移行して運転していた時の話だ。
 あるとき、模型屋で出会った人(多分当時20代)が、
「うちの線路を譲ってあげる。ポイントも2つ付いている。真鍮レイルだから立派だよ。」
と、言う。その人はHOに移行したので不要となったものだ。

 早速荷台の大きな自転車に乗って取りに行った。価格は忘れもしない五千円であった。当時の五千円は高校生には大金で、青い五百円札10枚を持って行ったことを覚えている。真鍮ムクのレイルが、1本85円の時代で、合板、枕木、ジョイナ、犬釘、塗料の材料費程度で売ってくれたことになる。

outer rail shifted 8畳間にぴったり入る大きさの円形で、退避線があり、それは円の内側にあった。早速電車を走らせたが調子が悪い。
 電車は近鉄の2200である。これもある人が車体キットを1500円で譲ってくれたものである。ひどいキットで、大半を捨てて作り直した。おかげで糸鋸工作がうまくなった。その2200は関西のN氏に譲り渡し、最近のTMSに紹介されていた。

 具合が悪かった原因は軌間である。31 mmしかない。ひどい話で、作った人は線路ゲージが32 mmであることを知らなかったのだ。手持ちの車輌をゲージにして車輪ゲージにぴったりの線路を作ったのだ。おそらく、うまく走らなかったはずだ。それで嫌になって筆者に売ったのだろう。

 レイルはほとんど新品で、カーヴ・ポイントは美しく作られていた。早速、片方のレイルを外して、ジグで押えながら 1 mm ほど外にずらした。それから数年、その線路は頻繁に使用したが、20年以上倉庫に仕舞われたままになっていた。

superelevation 10年ほど前、H氏がお座敷運転に使える線路を探しているとのことで、その線路を譲り渡した。40年前の価格で、である。
 H氏は、カントを付けるために、片側のレイルの下に1 mmゴム板を貼って、持ち上げた。ポイント部は本線側だけを持ち上げたようだ。その後、H氏はフレクシブル・トラックを使った線路に移行し、半分くらいの線路は合板だけ利用したりして、残りは放置されていた。

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