2013年12月18日

続々々々々々 Lucin Cutoff

Lucin_Aerialb 木橋ができたとき、湖の真ん中には信号所を置き、名前も Midlake と付けられた。当初は、橋の建設のためのキャンプであった。信号所のプラットフォーム(床版)の大きさは36 m × 72 m 程もあった。単線の本線はここで3線になり、側線もあった。建物は信号所、保線小屋、倉庫、職員の宿舎、人夫たちの宿泊施設があった。

Lucin Cutoff drawing 00004v  店も郵便局も警察もなかった。食料品、新聞、郵便はOgdenからの汽車で届けられた。職員の子供の学校や病院もOgdenまで行かなければならなかった。
  Midlakeは1945年まで45年間機能し続けたが、腕木信号機を廃止し、CTC方式を採用してその歴史を終えた。当時の電信係は3人で、全て女性であった。戦争中であったからそれは当然であったろう。

 建物は全て取り外されて、プロモントリィ半島の先端のキャンプに移され、保線作業の宿泊所になった。
 Midlakeは遠足の場としても人気があった。「汽車に乗って海に行く」と銘打って、遊びに行ける場所であった。そこで降りて、1、2時間を過ごし、帰りの汽車を待つわけである。どこにも行けないので、すぐ飽きてしまっただろうが、この企画は、随分人気があったようだ。

 ここまでの話は、筆者自身が多くの人に聞いたことをもとにしている。その主たる部分はDon Strack氏の談話である。 図面や写真はアメリカの国会図書館からお借りしている。

追記 Youtubeに参考になる記録映画がUPされた。(2017.10.2記)

 

コメント一覧

1. Posted by YUUNO   2013年12月20日 01:52
「36m×72m程」というのは、何の大きさでしょうか?
2. Posted by dda40x   2013年12月20日 09:33
信号所の載っているプラットフォーム(床版)の大きさです。その前後には3線の線路がありますから、10m幅程度です。
本文を修正しました。

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