2013年12月12日

続々々 Lucin Cutoff

Lucin Cutoff library 1869年4月28日の大陸横断鉄道開通から35年以上使われたPromontoryを通過する本線は、かなり長期間、木橋の不通時に備えて温存された。
 しかし、橋の信頼性が確立された1933年には、放棄された。そこにあった駅、補給設備、保線のための設備は全て撤去され、砂漠に戻った。ただ、沿線の牧畜業者のために、水を運ぶ列車が月に2回程度運行されたのだそうだ。そこでは羊を飼っていた。保線されていない線路だから、かなりの悪路であったことが想像される。
 勾配は急で、貨車を6輌しか牽けなかったという。

 鉄道会社は完全に廃線にしたかったのだが、建設当時に国との契約で得た沿線の権利を失う可能性があって、なかなかそれもできなかったが、1942年に戦争が激しくなり、鉄を供出する必要もあって、完全に線路がめくり取られた。大陸横断鉄道敷設時には、建設促進のため、敷いた線路の両側10マイル(16 km)が鉄道会社のものになるという、今では信じられないような条件が提示されていた。

edu 戦後、橋はメンテナンス費用がかさみ、それでも橋の安定性が失われつつあった。より安全なcauseway(築堤)方式、またはコンクリート橋への移行が望まれた。
 湖の底には泥が10mほど堆積しているので、ただ岩石を投げ込んだだけでは意味がない。浚渫作業が必要であって、それを請け負ったのがMorrison-Knudsenであった。この会社は現在では機関車を作っているが、創業からしばらくはアイダホ州を中心に土木建築を請け負っていた。モリソン氏はコンクリートの専門家だったらしい。
 
 築堤が建設され始めた頃、木橋が火事になって、180mほど焼失した。その復旧工事をしたのもこの会社である。水面下の燃え残った部分に継ぎ足して、仮の鉄橋を掛けて復旧した。それを短期間にやってのけたので、名を挙げた。Pentrexから、その時の動画が発売されている。

 火事の原因はhot box(軸箱の過熱)であった。油切れで焼けたぼろきれが軸箱から落下したのだ。

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