2012年10月17日
FEF3

レイアウトを持つようになると、ある時代のある地域に走っていた機関車以外、興味が薄れて行く。レイアウトの設定から縁遠い車輌は段々と出番が少なくなり、陳列ケースの中に入ったまま出て来ない。
4-6-6-4チャレンジャも好きで5輌持っている。Big Boyは2輌しかない。あと同時代のマウンテン、パシフィックやミカドなどを何輌かずつ持っている。
思えば安くなったものだ。筆者の最初の4-8-4は800ドルほどもした。308円/$の時代だからかなり高価なものだ。収入の少ない時代に、生活費を節約して購入した。それを完全にばらして何度も作り替えた。その後祖父江氏と知り合って、その機関車は彼の工場へ何往復かしている。アメリカにも数往復したように思う。
その後、この機種を見かけるたびに、適価だと思えば、迷わず購入した。


キャブの屋根の曲がり、ショックで分解したパイロット、そして多少凹んだ砂箱の所為で、こんな価格でも誰も応札しなかった。最低価格での落札である。
もうすでにアメリカ人は、ハンダ付けをしなければならない修理品には手を出さなくなったのだ。パイロットを留めていたネジは、剪断力を受けて切れる寸前だった。
筆者はパイロットの予備を持っていたし、キャブのスペアもある。砂箱も多分持っているが、うまく下から叩き出せば、やすって直せる範囲にある。こういうときは板が厚いと削り代があって助かる。祖父江製作所製だから、板が厚い。
テキサスに滞在中、この機関車が届いた。デニスは、「妥当な値段だ。」と言う。「値切ればもう少し負けたかも知れないな。日本製の機関車の真価を知るものが減ってきたからね。」
この機関車は異常に重かった。そのせいでパイロットが壊れたのかもしれない。錘を鉛で鋳造して、ボイラの中にきっちり詰まるように旋盤で挽いてある。それを取り出している時に、デニスは「オッ、これは当たりだぜ。Jerry Whiteのドライヴが入っている。」と言った。この件については、いずれ項を改めて紹介する予定だ。
