2011年07月31日

続々 ロクロ作業

 ロクロ屋さんは家内工業である。職業訓練を受けた人はまずいなかった。全て、見よう見まねで行われていた。中学を出たばかりの小僧の仕事は油注し(さし)である。
 前回の穴に油を注す仕事である。二人の作業者の間に居て両方の工具に油を注す。うっかりすると焼き付くので、親方に怒鳴られながら油を注していたのを見たことがある。2,3年経つとハシを持たせてもらえる。はじめは切断ばかりやらされているが、そのうち、段付けやネジ立てをさせてもらえるようになり、何年か経つとのれん分けしてもらったようだ。

 筆者が子供のころ(昭和30年代)見たのは水道部品を作っているところで、いわゆるコマ(水を止める部品)を作っていた。ブラスの丸棒を銜えて、段削り、タップ立て、切断を繰り返していた。材料の8割は切り粉になる。凄まじい勢いでダライ粉が溜まった。それをリヤカーで運んでいた。ダライ粉には他のものが混じらないように注意していた。持って行く前には、磁石で鉄粉が入っていないか調べていた。

 大量生産品には、比較的まともなバイトを使っていたが、少量品は刃先をハンダ付けしたものであった。少し削って刃先の様子を確認してハンダ付けの位置をずらす。極めて怪しい方法であるが、それでも100個や200個は問題なく削れる。

 この方法は筆者も使っている。ハイス製の突っ切りバイトが折れたものを捨てるのはもったいないので、S45Cのキィ材の切れ端にハンダ付けして使う。相手が快削材であるから問題なく削れるし、もし剥がれても、下に落ちるので危険ではない(剥がれたことは今のところない)。
 彼らはハイス(高速度鋼)など使っていなかったと思う。色から考えると今でいうSK2あたりだ。ノミやカンナの刃を作る材料である。グラインダなどというものはなく、手で砥石を使って研いでいた。
 少し規模の大きいところは工場の片隅にコークス炉があって、フイゴを使い、鋼を赤めて簡易鍛冶屋をやっていた。それくらいの規模になるとグラインダを持っていた。

 ロクロ屋の機械は全て手作りで、既製品というものはなかったように思う。工場によって全く違うものを使っていた。根本的には廻る材料があって、それに食いつくハシがあれば仕事ができるということになる。この仕事が世の中から消えてしまったのは昭和40年くらいではないかと思う。いくつかの町工場は老齢化で廃業し、残りは旋盤を買って近代産業へと成長した。

コメント一覧

1. Posted by 鹿ヶ谷   2011年07月31日 09:21
当時はこんなもので作っていたんですか?個人の道楽でもはるかにいい機械が持てる今とは隔世の感がありますね。
このロクロ+ハシは趣味での少数量産(変な言い方ですが)にはいい方法だと思います。産業としてはもう価値がないでしょうが、趣味の工作としては貴重なヒントが得られるのではないでしょうか。
2. Posted by harashima   2011年07月31日 11:57
学生のとき工作室の旋盤で四苦八苦していると、そこに助手の先生が入ってきました。
私の工作を見かねたのか、傍にあった鉄の角材を手に取るとグラインダで削り始めました。
「ここの角度はこのくらい」などと言いながら、時々水に漬けると素手なのにジュッと湯気が立ちます。
出来あがったバイトを取り付けると、真鍮丸棒から綺麗な切粉が舞い上がりました。
出来合い製品を買うものだと思っていた私は目を丸くして見ておりました。
3. Posted by Brass_solder   2011年07月31日 13:35
家の前を旋盤屑を山盛り積んだトレーラーが時折通ります。
車体に片仮名で書かれた社名らしき文字を最初は「コダイラ」だと思っていたのですが、ある日「ダライコ」であることに気付きました。
以来どういう意味なのか?日本語なのか?さえ判らずにいましたが、この記事を拝読して氷解いたしました。
4. Posted by dda40x   2011年07月31日 14:12
 コメントありがとうございます。

 この「ハシ」はボックスツールの刃が動く部分を握りで動かすヒントを与えてくれます。バーサインが出ないよう刃物がスライドするようにすれば済むことのようです。
 丸棒は快削材なので、刃先角を90度にすると食い込むこともなく削れます。切り粉はパラパラと落ちますから気持ちの良いものですね。
 ダライ粉はドイツ語から来たようです。旋盤はドイツ語でダライバンに近い音です。それがダライ盤になり、その切り粉はダライ粉になったそうです。

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