2010年03月23日

続々 Chicago O Scale Meet

Clinic 4時少し前になると、館内放送で「午前中に行われた低抵抗車輪のクリニックは、過去のクリニックの中で最高の講演であったという評判です。再度の講演を行いますので聞きにいらしてください。」と伝えてくれた。
 これには少々驚いた。主催者が、クリニックの内容を主観的な表現を交えて伝達しているのである。

 二回目の講演では、より深く興味のある人たちが来ていて、自由闊達な意見交換が行われた。非常に良い雰囲気であった。他のクリニックをのぞいてみると、車体の外見上の改良とか、DCCの可能性というような、すでに何度も扱われている内容であった。鉄道模型の本質を突いたクリニックはこれが初めてだという評価を得た。

「雑誌に発表すべきだ。」と主催者側が言う。出版社を紹介するから会えと勧められた。実はModel Railroaderの副編集長のAndy Sperandeo氏には以前から連絡してあったので、会う日取りを決めているところであった。滞在中に連絡があり、シカゴを離れる前日にミルウォーキィで会った。
 クリニックでの講演をPower Pointを使って再現したところ、「大変面白い。すぐに原稿をまとめてくれ。」ということであった。
 25年前に祖父江欣平氏と訪ねたことをよく覚えていて、最近亡くなったことを伝えた。彼の功績の一部を話し、祖父江氏がいなければMax Grayが日本に来ることがなかったかもしれないこと、3条ウォームのギヤボックスの量産により、その後1000輌以上の機関車が "Free to Roll”になったことを話した。

 それも原稿にまとめてくれということになり、近日中には原稿を完成させることになった。

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