2009年10月29日

続々 祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 2007年撮影 祖父江氏は実物のことを実によく知っていた。それもそのはず、もともと機関車や艦船の部品を作る工場(東京機器工業、のちのトキコ)に仕上げ工として勤務していことがあるのだ。
 祖父江氏の工房には国鉄の蒸気機関車についていた速度計がある。時計仕掛けになっていて、カチンカチンとある速度で針の示度が下がる。下から軸を回すとそれが針の示度を上げる方向に働く。二つが釣り合えば速度を指示することになる。
「これも俺が組み立てたんだよ。何回かばらして、組み直してあるよ。部品も作り替えたしね。中身は新品さ。」

 先日訪ねた時、「最近働けねえんだよ。朝飯を食うと眠くて寝てしまう。起きると11時だから、1時間しか仕事が出来ねえ。昼飯を食うとまた眠くて寝ると4時だろ。また1時間働いたらもう夕飯だ。この間までは1日8時間仕事をしてたのにね。」と、おっしゃっていた。
 85歳を過ぎても現役であった。かくありたいものだ。

 まだ、あれも作らなきゃならない、これをしなければならないとおっしゃっていた。
「最後にNYCのナイアガラの完全な模型を作る。これは誰にも売らない。棺桶に入れるんだ。」とおっしゃっていたが、図面と一部の部品だけで終わってしまった。


 古今東西の模型を分析し展開する能力は、単なる模型屋とはまったく異なる。工学的な素養があるからこその仕事なのである。
 長年のお付き合いの間に、筆者のアイデアもいくつか製品に組み込まれた。筆者の夢を叶えてくれる"神の手”を持った方であった。

 祖父江氏がいなければ、日本の模型界いや世界の模型界はかなり異なるものになっていたであろうことは想像に難くない。

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コメント一覧

1. Posted by harashima   2012年08月08日 20:14
トキコは私が最初に勤めた会社です。
戦中はゼロ戦のキャブレターを作ったのだと聞かされましたが、鋳物工場は公害問題で東北に移ったのです。
川崎の工場は町工場を集めたような風情で、確かにJRの部品も受注していました。
私は電子工場勤務だったので、大型工作機械にはついぞ触れることはありませんでした。
2. Posted by dda40x   2012年08月09日 07:46
そうでしたか。
トキコはガソリン流量計などでは大きなシェアを持った会社ですね。計器をつくるノウハウを持っているので、速度計を作るのは得意分野だったのでしょう。

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