2009年03月12日
続 Boxcar Ken's Daylight Passenger Car
ドアの横の小さい四角は荷物用のエレベータのドアである。このドアから入れたスーツケースなどは、電動で巻き上げられ、上に上がって、3段の棚になる。
1930年代後半の製造であるが、エアコンがついている。動力はプロパンガスを燃料とするガスエンジンである。コーチ(普通車)といえども空調がついて固定窓であり、男性用、女性用の化粧室がある。
片方の車体はラジオアンテナがついている。車内にはスピーカが付いて、走行中、放送を流していた。今の感覚では、うるさいのではないかと思うが、当時は画期的なアイデアだったらしい。
車体の床下にぶら下がるのは水タンクで、その大きさには驚く。2トン以上入るようだ。走行時間は10時間程度である。大きな化粧室(各四畳半間程度)が2つもあるからであろう。
連接車を模型化するとき、連結部の剛性確保には悩む。この模型の連結部は鋼板で出来ていて、片方を台車の付いた部分に上からはめ込むようにしている。ねじりについてはまったく考慮していない。穴のわずかのガタだけで逃げている。本物は球面継手を使用している。
コメント一覧
1. Posted by 読者 2009年03月12日 21:17

2. Posted by dda40x 2009年03月13日 21:49
当時は道路事情がよくなく、サンフランシスコ−ロスアンジェルス間は、海沿いの道と内陸の道どちらも速度を出せませんでした。
1960年ころ、高速道路のI-5が完成するまで鉄道は優位でした。速達性、安全性、快適さ、いずれの点でも勝っていたのです。
夜行寝台特急のLarkは毎晩満席だったそうです。乗客はStandard石油の社員が大半であったと言います(Lou Cross氏談)。SPはスタンダード石油と深い関係にあったそうです。
その後、飛行機が頻繁に飛ぶようになると、1時間で行けるようになり、旅客列車は無用のものになってしまいました。当時PSWという航空会社があり、これは私も何度も乗りましたが、自由席で機内で切符を買うようになっていました。
1960年ころ、高速道路のI-5が完成するまで鉄道は優位でした。速達性、安全性、快適さ、いずれの点でも勝っていたのです。
夜行寝台特急のLarkは毎晩満席だったそうです。乗客はStandard石油の社員が大半であったと言います(Lou Cross氏談)。SPはスタンダード石油と深い関係にあったそうです。
その後、飛行機が頻繁に飛ぶようになると、1時間で行けるようになり、旅客列車は無用のものになってしまいました。当時PSWという航空会社があり、これは私も何度も乗りましたが、自由席で機内で切符を買うようになっていました。
3. Posted by 読者 2009年03月16日 12:57
