2009年02月20日

雑誌の存在価値

 雑誌は何のためにあるのかが問われている。最近はテレビ、新聞の存在価値まで怪しくなったという説もある。
 インターネットが世の中に現れたとき、今後はこうなるかも…と思ったことが、本当にそうなりつつある。マスメディアは、その存在価値が揺らいでいるのだ。

 いわゆるマスメディアには巨大な力があった。それは編集権である。このニュースはボツ、あるいはこのニュースは大きく扱おう、という判断が編集長に集中していた。
 したがって、新聞によって取り上げ方が大きく異なった。意図的に何かを伏せることも不可能ではなかった。

 インターネットの普及で「誰でも編集長」「誰でも報道記者」の時代になった。ありとあらゆる不祥事が公表される。しかし、いまだに不祥事は金、権力でねじ伏せられると思っている経営者が居て、時々槍玉にあがっている。時代錯誤の人たちはまだ多い。

 趣味界も同じだ。誰でも発表できる。もちろん玉石混交だ。それを判断するのは読者である。Web上に流されている情報はピンからキリまである。
 どう考えてもこの人はパラノイアではないかという記事もある。そのうち読者も気が付くから放置しておけば良いのに、そこを突っ込むからトラブルが起こる。

 Web上には、すばらしい記事も多い。雑誌に発表されていないのはなぜか。すでに雑誌は見放されているからである、と考えるのは私だけだろうか。メディアの価値にしがみついている人は雑誌に投稿するだろう。あるいは取材に応じるだろう。しかし採り上げ方は向こう次第だ。価値を理解できない編集者に切り刻まれるなら、自分で発表してしまおうと考えるのは当然だ。一度でもそういうことを経験していれば、雑誌社の能力の限界がよく分かる。

 ジャーナリストは、とにかく博識でなければならない。何でも知っていなければならないのだ。この趣味界の雑誌だけでなく、新聞を読んでいると、最近はその前提が大きく変化していることがよく分かる。

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コメント一覧

1. Posted by 読者   2009年03月18日 07:15
5 ネットの普及によりようやく雑誌に掲載されないようなマイナーな分野の情報も共有できるようになったと思います。

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