2008年11月24日

続 椙山 満氏の思い出

 椙山氏の名前は初期のTMSによく出てくる。伊藤剛氏と共によく紹介されている。TMS主催のコンテストを、意味のないものと批判された後はあまりTMSにはそのお名前が載ることはなかった。
 どちらかと言うと、現在のコンテストは記事の題材集めに近いもので、それを当時から見抜いていらしたことは特筆すべきことである。

 氏のポリシィは明確であった。「楽しまねばならぬ。楽しくなければ趣味ではない。楽しむ時は仲間がいるともっと楽しい。仲間を広げよう」である。

 そのとおりなのだが、それを身を以って実現された方は少ない。医者として地域の医療に貢献しつつ、献身的に奉仕活動をされ、友人を家に招いて楽しく遊ぶ。一体いつ寝るのであろうと不思議であった。

 一月に1本くらいのペースで新作映画を作られた時期もあった。伺うと、16mmフィルムがたくさんぶら下げてあり、編集作業の真っ最中であった。順につないで、テープレコーダと連動させるとトーキィになる。それを磁気再生が出来るように外注し、映写会を開く。当時としては高価なズームレンズを使用しているが、決してズーミングをされない方であった。遠くから走ってくる車輌をズーミングしていつも同じ大きさに撮ることを極端に嫌われた。「人間の目にはそういう見え方はしない。」ということだ。「ズームは画像の大きさを調節するものである。」からだ。
 パニング(カメラを列車の走行方向に廻す事)も、してはいけないことのひとつであった。「列車は通り過ぎるものである。」のだ。

 自動車で列車を追跡することはお好きであった。蒸気機関車のロッドの動きを丹念に撮られた。 機関区での人の動きを撮った作品もあった。

 その後、アメリカの映画をテープやDVDで簡単に買えるようになって、60年代の映画を見ることがある。その撮り方が椙山氏の撮り方に似ているのは興味深い。  

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