2008年11月22日

椙山 満氏の思い出

 椙山氏の存在は東海地方の模型人の中では、大変大きな存在であった。毎週土曜日には、各地から来客があリ、紹介して戴いた。

 どなたもその規模、質の高さに感銘を受けた。車輌のコレクションも立派であったが、出来合いの車輌を切り継いで、面白い車輌群を作られた。その発想が極めて独創的で、筆者の後々の模型製作に大きなヒントを戴いた。

中学生のときに封切られた「大平原」Union Pacificに夢中になり、連続45回見たとのことである。全てのせりふを暗記されていたのには驚く。この映画が椙山氏をアメリカ型鉄道模型の世界に引き込んだ。それに登場する4-4-0をOスケールで2輌自作された。
 4-4-0を大変好まれ、HOスケールで市場にあるものは全て集められたはずだ。

 また、特筆すべきこととして、"Ready to Run"がある。この言葉は、箱から出してすぐ走る完成品を表す言葉であるが、椙山氏のお宅での意味は少し違う。何百輌もある機関車がどれも線路に載せると、音もなく動き出すのである。とにかく調子がよい。
 筆者は今まで多くの趣味人とお会いしたが、このレベルに到達されている方はほとんどない。氏は、購入されると分解、調整を直ちに終え、3日以内に塗装、ディカール貼りをする、と決められていた。集電を良くし、ジョイントを取替え、ギヤを慣らすために負荷を掛けて運転する。そして外して洗浄し再注油する。

 当たり前のように見えても、これを徹底するのは難しい。来客があると、「どれがいいですか。」とリクエストを受け、その機関車を走らせる。どの機関車も本当によく走る。聞くところによると、棚の上の機関車を毎日順番に走らせて、調子の悪いものはすぐ修理するのだそうだ。

 走りが悪い電車は、全てSPUD(いわゆるパワートラック)に取り替えられた。その前に、MRの台車枠の中にモータを入れたHO用の動力台車の広告を見て、「これをやってみよう」と仰ったので取り寄せて差し上げたが、満足がいかなかったようだ。SPUD をテストして、「良し」となったら百台単位で購入されて、友人にプレゼントされた。そのため、急速に使用者が増えた。

 しかし、製造元は毎日走らせる客が居るとは思わなかったらしく、焼けたり、磨り減ったりした。それが製造元に伝わると、改良された商品が届いた。椙山氏はこれをMRに紹介された。アメリカでもよく売れたのではないだろうか。

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