2008年02月03日

続 非可動軸とレイルの汚れ

 鉄道模型に限らず、建築業界、自動車産業その他日本の産業界に通じて言えることは、自然科学の軽視である。

 筆者の体験は、上記の3つの分野くらいしかないが、それを強く感じる。自然科学を深く理解しているとは思えない人が、その応用を考える場合が多いことである。しかも、わずかばかりの自分の体験の中で見聞きしたことがすべてであるという、妙な自信家が多い。

 世の中は複雑である。しかし根本原理は単純である。その根本原理を確実に理解している人を探し出して、演繹的に思考を積み上げれば、それはベストの方法であるが、その努力をしているとはとても思えない。

 その努力がちっとも見えてこないのである。我が家の建築のときにもそれを感じた。筆者は、どう考えてもこれ以上の性能は出せないというところまで考えて作った。ノウハウはすべて公開して、日本の住宅性能が向上するように努力した。業界も役人も見には来たが、理解して実行できる人が来たようには思えない。雑誌にも載せたが、あまり効果はなかった。材料・工法も吟味すれば、日本製のものも使えることも示した。しかし、「そんなことしたってたいしたことないだろう」と言う人が多過ぎる。いろいろな効果は「積」の形で表される部分が大半だ。すべてを底上げしなければ、よい結果が出ないという事が分からないのである。しかも、そうやって作った住宅に自ら住んだことのある人などいないのである。
 学生時代アメリカに居たとき、世話になっていた銀行家がこんなことを言った。「車を売りに来たセールスマンの車検証を見せてもらえ。売る車を自分で買ったセールスマンの車なら買ってもよい。」

 「理屈などどうでもよい」と言う人が多すぎる。「理屈どおりには行きませんよ」という人にも多く会う。学校で何を習ったのだろう。
 これもプラグマティズムの欠如である。この点についてだけは、筆者はアメリカの偉大さには敬服している。自然科学に対する畏敬の念を持つ国民である。日本にはない点である。
 数年前の調査で、アメリカは約50%の人が自然科学は人類の役に立つと答えている。日本は先進国の中で最低で10%台であった。これは模型を楽しんでいても、よく感じることである。 

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コメント一覧

1. Posted by 山本真一   2008年02月03日 11:40
全くそのとおりです。
マスコミ人の殆どがいわゆる文系であり、自然科学的発想が完全に欠如していることの影響が大きいと思います。理解できるか否かは別として、理論の存在そのものを無視されてしまうと、何も説明できません。取材を受けるたびに思うことです。
2. Posted by dda40x   2008年02月04日 10:20
山本真一様
コメントありがとうございます。

文科系、理科系という言葉には反発を感じています。
優秀な人は両方できるものなのです。自然科学を理解できないと、「僕は文系ですから」といってごまかすのには参ります。この国の教育はそのあたりが根本的に間違っていますね。

「生活を豊かにするために勉強する」というのであれば、勉強には意味があり、その結果より良い生活を享受することができるのですから、勉強は楽しいということになります。

最近、また建築関係の人と接触することが多くなりました。相変わらず理屈を理解しようとしない人が多くて、頭を抱えています。一級建築士でもこの有様ですから、あとは推して知るべしです。 
3. Posted by 山本真一   2008年02月04日 21:04
反発ごもっともです。見渡せば私の周囲にもたくさんの優秀な文系人がいます。
つい最近のマスコミ人との経験が頭をよぎり、思わず書いてしましました。
私自身も「頭の固い***人」と言われないように気を付けます。
4. Posted by モッチー   2008年02月05日 14:43
文科系、理科系に関わらず理屈を考えることが嫌いな人は多いと思います。
私は理科系に属する人間ですが、周りには「物事には理屈がある」ことを理解しようとしない人が多くて困っています。

自分の研究上、医者である研究者とも話す機会がありますが「どうなっているか分からないけどうまくいくから良いんだよ」と平気な顔でおっしゃいます。
もちろん全ての医者がそうだとは言いませんが、人の命を任せるべき人の中にそのような人もいるのかと思うと怖くなります。
5. Posted by dda40x   2008年02月05日 20:15
モッチー様 コメントありがとうございます。

日本の教育ではテストで点数を取ることが目的になってしまいがちです。しかも、そのテストには、必ず答があることになっているのです。実際の生活の中には、答がない場合もあるし、無数の答がある場合もあります。

原理原則だけを武器に戦える人のみが、その最適解に辿りつけるのです。学校ではその練習をさせるべきなのですが、現実は惨めなものです。

記憶力だけでなく、演繹力がある人を評価するシステムがないと、日本の未来は暗いですね。
 
6. Posted by 文系   2008年02月05日 22:10
「武をもって治めず、徳をもって治めよ」と申します。議論に勝っても、相手が従うとは限りません。原理原則だけを武器にして、人が動かすことは難しいことを本当の意味で味わってきました。
正しいことを言っているのに、誰もついてこないとき、「徳をもって治めよ」の意味を深く噛み締めてきました。
本当に「理屈を理解しようとしていない」のでしょうか? 虚心坦懐に、原因を探るべだと思います。もし、本当に正しいものをこの世界に本当に広めたいと思っていらっしゃるのなら。
7. Posted by dda40x   2008年02月06日 08:46
文系様
私に宛てた文章ではないようですが一言。

事勿れ主義?では物事は進まないと思います。 人徳は大事でしょうが、原理原則に則った正しい事も大事です。正しいことを言っているのに人がついてこないのは、結局は周りの人にその正しいことを納得するだけの「何か」がないからではないでしょうか。その「何か」を理解できるだけの知識と論理の力がないと、理解賛同を無条件に得るのは無理でしょう。
説明すると理解する、話せば分かるというのは、そうあってほしいのですが、現実には無理なことが多いようです。
 正しく集められたデータや確実に起こった事象に対して、裏付ける証拠や理論は尊重されねばなりません。真理は多数決では決まらないのです。しかし現実にはそうではないことがあります。 
 
 明日からしばらくコメントが入りにくくなります。ご容赦を。
8. Posted by モッチー   2008年02月06日 16:31
再びコメントさせて頂きます。
周りの人が正しいことを納得するだけの「何か」がないので解決できないのでしょうか。
確かに、周りの人にもある程度の知識と論理力は必要です。
正しいと思う事に賛同を得るため、小難しい言葉を使い、あたかも知識があるように振舞い同意を求めることは簡単です。そんな人はたくさん居ます。
しかし、理屈を理解した上で、必要なことを抜粋し分かりやすく伝える能力が必要です。自分自身にも必要であると思います。

わざわざ敵を作ることもないわけですから、「徳を持って治めよ」も必要でしょうが、それではいけないこともあると思います。
「そうなるものはなる。」で済ませてしまうのでなく、「なぜそうなるのだろう?」の「なぜ」の理屈を考え、解明することが自然科学の進歩につながるのですから…。

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