2007年07月02日

旅客列車の乗務

 1949年、復員した私はワイオミング大学法学部を卒業した。しかし、馬鹿なことにまた鉄道に就職した。すると父の病気は奇跡的な回復を遂げ、旅客列車の機関士になった。

 父は長く待ち望んだ旅客列車に乗務することが出来、運転したかった素晴らしい800クラスに毎日乗れるようになった。父のみならず、私もその800に父の罐焚きとして乗務することが出来たのだ。

 私たちは幸せであった。私はいつもボイラーをHOTな状態にした。目は常に線路に注がれ、速いペースで走る父の運転を邪魔するものが線路上にないことを確認していた。この時期は父にとって最高の日々であった。そして私とのペアは、50年代に入ってからも続いた。

 この時期、私は機関士に昇進するための準備に入った。父は大きな助けであった。父は800を運転させてくれたのである。もちろんそれは、ルール違反であった。旅客機関車は、機関士が罐焚きに運転を代わるということは許されていなかった。

 そんなことはお構いなしで、私はよく運転した。父は旅客列車の運転の仕方を教えてくれた。当然,貨物列車の運転もだ。

 「Tom、連結器を伸ばした状態で運転するのだぞ。」とよく言われた。その通りだ。そうしなくてはいけない。私は旅客列車を運転するときも、貨物列車を運転するときもそうする。

 1953年から57年の父の死まで、私は冬の間の数ヶ月は父の罐焚きをし、残りの期間は貨物列車の機関士をした。

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