2007年06月29日

続々 1941

 私は父の指示通りにすれば、罐がうまく焚けるということが自慢であった。私は腕の良い罐焚きとして知られ、平均的な機関士よりもずっと上手であった。

 父と私は鉄道で素晴らしい時間を過ごすことが出来た。信じられないほど良い時代であった。私は高校を出たばかりなのに、そこいらの15年以上も働いている人位の給料を得た。素晴らしいことに、1941年型ビューイック・スペシャルを買った。なんと素晴らしい車だったろう。今までに買った車の中で最高の車だ。

 仕事は順調で、休みには若い男が皆するように、ガール・フレンドを探し始めた。ところが、その年の年末に、そのような夢のような生活は突然打ち切られた。アメリカが戦争に巻き込まれたからだ。日本がパール・ハーバーを攻撃して戦艦アリゾナが沈んだ。

 私はシャイアンに行って空軍に志願した。ところが、爆撃手としての訓練をするまで、軍は私をそのまま鉄道で働けと帰されてしまった。私はパイロットになりたかったのだが、適性検査の結果、爆撃手に割りふられた。

 私たちの兄弟は、2人とも1943年の初めに軍隊に入った。可哀相な父親は鉄道でひとり闘うほか無かった。戦争の間、父は大変な苦労をした。人が足らないので、機関士は昼も夜も山のような貨物を運ばなければならなかった。

 もし彼がもう少し若く、健康であったならそれ程大変ではなかっただろう。長年健康を害していたので、さぞかし辛いことであったと思われる。





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