2007年06月27日

1941

久しぶりにTom Harveyの手記に戻りたい。

 1940年代はHarvey家にとって激動の日々であった。1941年、兄のRichard2世は、ワイオミング大学に行き、弟のTomは高校生であった。 父はいくつかの団体に属し、忙しい日々を送っていた。労働組合の仕事や退役軍人会の仕事があった。

 父は糖尿病と診断されていた。これは、当時、機関士の職業病と言われていた。罐焚きの重労働で、代謝量が増え、機関士になっても食べる量が減らせないのと、勤務が不規則で食事の時間帯が一定しないことに原因があると思う。
  
 その点を除けば、まずまずの健康状態であり、Rawlinsの近くの川によく釣りに行った。アメリカは大恐慌から逃れてようやく立ち直ったところである。1941年はアメリカにとって最もよい時代であったろう。その年にTom HarveyはUnion Pacific鉄道の罐焚きになったのだ。

 Tomが罐焚きになる決心をしたとき、彼はまだ高校に行っていた。週末にはStudent Tripを始めた。鉄道の乗務規則試験に通り、1941年6月21日に最初の乗務をしたのである。
 
 午後1蒔10分に点呼を受け、Soren Kolsen機関士と共にチャレンジャ3914に乗り込んだ。そのとき私はまだ17歳であった。そんな若い罐焚きは居なかった。それから何年も機関士をしているが、17歳などという罐焚きなど会ったことがない。

 何が私を鉄道に就職する決心させたか。私はその仕事をしたいと、小さい時から思っていたことは事実だ。 

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