2007年06月02日
続 Bill Wolfer
Bill Wolferは東洋から来た一青年を大切に扱ってくれた。遊びに行けばあちこちを案内してくれたり、自分の持っているノウハウを公開してくれた。
押して動くウォームギヤの開発に際しては、彼の二条ウォーム・ギヤの動きも参考になった。完成したギヤを装備した機関車を見せると、ずいぶん感心して、「素晴らしい。次はディーゼルだな。」と言った。
蒸気機関車の動輪は大きく、逆駆動が容易だ。ディーゼル、電気機関車では動輪が小さいので難しい。しかし、動輪の数が多いのでその分容易である。
彼の自宅近くのディズニィランド・ホテルのロビィで、そのあたりの議論をした。彼が引っ越したばかりで、家を訪ね当てるのが難しかろうと、そのホテルを指定したのである。観光客が沢山居るホテルのロビィで、機関車を並べて議論している様子は、今思い出しても奇妙な光景だ。
その後、押して動くディーゼル電気機関車用ギヤボックスは完成し、それを持って出かけたコンヴェンションでは、自分のブースに私を引き込んで、自分のことのように皆に紹介してくれた。確か1989年のことである。
「東洋のマジック」と称して、押して動くこと、押すと発電してもう一輌が動くこと、単三電池一本でも起動することを紹介してくれた。
それもあって、そのギヤはアメリカの顧客にある程度売れていった。
押して動くウォームギヤの開発に際しては、彼の二条ウォーム・ギヤの動きも参考になった。完成したギヤを装備した機関車を見せると、ずいぶん感心して、「素晴らしい。次はディーゼルだな。」と言った。
蒸気機関車の動輪は大きく、逆駆動が容易だ。ディーゼル、電気機関車では動輪が小さいので難しい。しかし、動輪の数が多いのでその分容易である。
彼の自宅近くのディズニィランド・ホテルのロビィで、そのあたりの議論をした。彼が引っ越したばかりで、家を訪ね当てるのが難しかろうと、そのホテルを指定したのである。観光客が沢山居るホテルのロビィで、機関車を並べて議論している様子は、今思い出しても奇妙な光景だ。
その後、押して動くディーゼル電気機関車用ギヤボックスは完成し、それを持って出かけたコンヴェンションでは、自分のブースに私を引き込んで、自分のことのように皆に紹介してくれた。確か1989年のことである。
「東洋のマジック」と称して、押して動くこと、押すと発電してもう一輌が動くこと、単三電池一本でも起動することを紹介してくれた。
それもあって、そのギヤはアメリカの顧客にある程度売れていった。