2007年01月12日

機関士と罐焚き

Ford Model T clubの画像より 決断を下してやってみて、駄目なら次の手を考えなければならない。全ての責任が機関士の方に掛かっている。残っている有効時間を考慮し、次善の策を練る。
 
 Richardが機関士になりたての頃はまだ若かったので、機関士の席から飛び降りて罐焚きを助けて投炭し、罐焚きを多少休ませることができる。どんな坂も2人で焚けばなんとかなる。当時は給炭機がなかったので急な坂では罐焚きがへばってしまうのである。罐焚きの能力不足で列車が遅れても、それは当然機関士の責任である。

 当時の機関士の給料はかなり多かった。資格の必要な電気工事技師、経験を積んだ大工、配管工よりもはるかに高かった。罐焚きより少なくとも40%多かった。

 父Richardは、1920年代に最初の車を新車で買った。それはT型フォードであった。
 それに乗って帰宅するRichardはどれほど誇らしかっただろう。現代の人たちには想像もできないであろう。馬車の時代にイギリスの田舎で育ち、アメリカに移民し、努力して収入の良い仕事に付き、ついに新車のオーナーになることができたのだ。当時、この車はかなり安くなってはいたが、決して誰もが買えるという時代ではなかった。

 最初、彼はこの国に来て自分の足と汽車に乗ってここまでやって来た。しかし、彼は馬なし馬車に乗ってどこにでも行ける。こうしてT型フォードは人々の生活を変えた。Richard Harveyの場合も例外ではなかった。

 最初、彼は車に乗ってRawlinsの西の外れにある池に釣に行った。道はでこぼこでよくパンクした。ちょっとした遠足でもそれは大冒険であった。彼はそれが大好きであった。彼はRawlinsの東の方に15マイルほど行ったPlatte川にもよく釣に行った。

 もう一つの楽しみとして、ウサギ狩りがあった。家族全員で行って、ウサギを追廻し、食事をして帰った。とても楽しい思い出である。 
  

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