2007年01月08日

昇進試験

Richard and Tom Harvey 試験に通れば機関士になれる。Dickは自分の能力には自信があったが、勉強をしたことがない。どうすれば勉強できるのかも分からない、という状態だった。

 当時、fireman(罐焚き)の仕事は大変な重労働で、Green Riverまで行ってRawlinsに帰り、寝てまた出かけるということを繰り返していた。 
 機関車の構造、列車取扱規則の本を読むのだが、試験では見事に落第する。2回目も落第である。3回目の試験は最後の試験である。これに落ちれば、再度の挑戦は認められない。即ち、もう永久に機関士にはなれないことを意味する。
 
 Ormaは、初めてDickの受験の手伝いをした。彼女は教師であったのだ。生徒に勉強させるのと同じ手法を用いた。問題と答を別の紙に書き、それらを結びつける説明をさせた。毎晩父母は死にものぐるいの勉強をし、最後の試験に備えた。

 Ormaのお陰で、Dickは優秀な成績で試験に通った。Tomはその母が書いた試験問題の紙の束をまだ持っていて、見せてくれた。その紙がなかったら、Dickは決して機関士にはなれなかったのだ。

 ともかく、Dickは機関士になった。この時代、ワイオミングでUPの機関士であるということは、すばらしいことであった。シャベルで石炭を投げ込む仕事からは解放されるばかりではなく、誰からも尊敬された。しかし機関車を走らせるためには、機関士の免状だけではなく、知っていなければならないことが沢山あった。

 1920年当時、UPの本線といえども単線であり、優等列車をかわすために待避線に列車を入れるのは、Dispatcher(列車指令)の名人芸であった。列車指令から電信で送られてくるTrainorder(指令書)に従い、機関士は通過時間の10分前には待避を完了しなければならなかった。そして、Switchman(転轍手)はポイントを切り替え、列車指令に退避完了を打電する。当時の鉄道は全て人の手で動かされていたのだ。

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