2007年01月06日

Tomの父母

Dick Harvey and 2-8-2 Tomの父Richard Harveyは、1892年生まれである。イギリスのCornwallというところからやってきた。故郷に何度も手紙を書いているが、一度も返事が来たことがないという。多分、家族の誰も字が書けなかったのだろう。

 アメリカに来て最初の仕事はワイオミングの鉄山の鉱夫であった。そのうち、その鉱山の鉄道の運転を任された。次にもっと収入の良い炭鉱に移った。始めは鉱夫をしていたがそこでも機関士になった。次にCorolado Southern鉄道の機関車の火夫(罐焚き)の仕事をして、Union Pacific鉄道に移った。やはり火夫であった。

 そんな時、Green Riverの駅で働いていたOrma Robinsonと知り合った。OrmaはBeanery-Queenをしていた。ビーナリ・クイーンとは、旅客駅の食堂のウェイトレスである。当時、旅客列車は一日に上下で十数本であった。停車時間に食事を提供する必要があった。各鉄道ごとにいろいろな名前で呼ばれるこのような食堂施設があった。旅客用にはテーブルが、乗務員用にはカウンタがあった。beaneryという言葉は西部開拓時代のスラングで「豆しか食わせない安食堂」という意味である。実際のところは、かなり立派なレストランであったが、わざとそういう言い回しをしていた。

 Santa Fe鉄道ではHarvey Girlsと呼ばれた。列車到着後、注文をとると時間が掛かるので、車内で注文をとり、汽車が駅に近づくと汽笛で連絡して準備をさせるということまでしたらしい。

 ビ−ナリ・クイーンの3人に2人は鉄道員と結婚した。その中で機関士は一番もてた。収入が一番良かったからだ。1916年の暖かい春の日、このあたりではかなり大きな駅Green Riverに降り立ったOrmaは、まだ自分の運命に気付いてはいない。
 
 西部では若い女性は貴重である。たくさんの男たちとの競争を勝ち抜き、RichardはOrmaと結婚した。Ormaはオクラホマ州Enidの出身であった。父は小学校しか出ていなかったが、母は高卒であった。1910年頃の高卒は今の大卒よりはるかに価値があった。外国語を4年も勉強した人は少なかった。高校を出て、短大のコースをいくつか取り、ワイオミングに来る前は小学校の教師をしていた。

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コメント一覧

1. Posted by 鈴木光太郎   2007年01月06日 04:34
今日は。識字の事に触れられているので参考までと思いまして。
http://cestnik.com/immigrant.htm
http://cestnik.com/vince-im.jpg
上記は1903年の移民船の移民乗船名簿です。

1行目の第7項目に
「able to wright, read」の可否が記入されてます。
ただし読み書きのレベルが自分の名前程度なのか、移民用書類を読める程度なのか?は不明です。
大部分の人が読み書き出来ますが、1割程度は出来ないようです。

世の中には読み書きが出来ても怠け者(私のような)がいるし、
読み書きが出来なくても、刻苦勉励して米国発展の礎になった人もいるのでしょう。

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