2006年10月02日

訃報

9dffc2fa.jpg   内野日出男氏が亡くなった。68歳だった。

 氏とは25年ほどお付き合いをさせて戴いた。まだ都庁の建築課にお勤めの頃であった。東京駅八重洲口でお会いした時、豪快なビールの飲み方に驚いた記憶がある。

 「遊びにおいでよ」と誘われて、ご自宅にお邪魔した。
 工作台に0.8 mmの真鍮板を置き、コンパスで半径3 cmほどの円を描かれた。

 ドリルでその円周上に孔をあけ、糸鋸の刃を通したのだ。何をされるのかと思いきや、突然鼻歌交じりで、さくさくと円周を切り始めたのである。

 「ほら、廻してご覧なさいよ。」とおっしゃる。机の上に真鍮板を置き、円板をその穴の中に置く。指先で廻すと、どこにも引っかからずにするすると廻るではないか。円周上のどの部分も隙間が均等で、真円と言ってよい仕上がりであった。

 自宅に帰ってやってみたが、これはとても難しい芸当であることが分かった。内野氏の達人ぶりを示す良い例で、友人にこの話をすると皆さんとても驚かれる。

 また旋盤工作の名人で特殊なヤトイを自作されたりして、その工夫は筆者も活用させて戴いている。

 懸架装置のイコライズはもちろん本物通りにも作られるが、量産品用の簡易三点支持装置(某模型店が特許と言っている)は内野氏のアイデアである。また、曲線で伸縮して車輌隙間を狭く見せるカプラも内野氏のアイデアである。これは某模型店が勝手に特許を出願し、内野氏は怒った。

 オリジナルのアイデアを大切にされる方で、私もいくつかお褒めに与ったものがあり、懐かしい思い出である。

 その他鉄道模型界に多大な貢献をされ、アメリカの模型界にもMainline Modeler誌を通じて大きな影響を与えられた。
 3年前ご夫婦で訪米される時案内をさせて戴いたが、その後体調を崩され一昨日の悲報となった。
 
 まことに残念なことである。



写真は2003年2月、シアトル市内から空港へ向かうリムジン車中でのひとコマである。左は筆者(の腕)。

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1. 内野日出男さんの訃報に接して  [ All Aboard! ]   2007年01月17日 00:03
dda40xさんのBlogを覗いていましたら、内野日出男さんの訃報があり、とても残念な気持ちです。 内野さんのTMSの1977年5月号、6月号のNorthern Pacific A-2の記事を見た時の衝撃は今でも忘れられません。 5月号記事の書き出しを引用すると、 もともとアメリカ型も好きでした...

コメント一覧

1. Posted by 浮津 信一朗   2006年10月02日 18:18
内野さんの訃報、今野氏からの連絡で知りました。
私たちも25年以上前に、内野さん宅におじゃましてマイフォードの実演を見せていただきました。
目からウロコと言うのはまさにこの時の事で、JALCOの機械化が一気に進んだものです。
氏はKKCのメンバーでもあり、総会の時などはあの伝説のK-27も展示していただきましたが、3年前の学士会館での総会でお目にかかったのが最後になってしまいました。
訪米される少し前だったかと思います。本当に残念です。

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