2021年05月

2021年05月30日

車輛の高さを揃える

 3軸台車の客車を整備したが、背の高さがおかしいことに気が付いた。床が高いのだ。ボルスタが厚い。サイドベアラが接触するまで下げねばならない。70年前からこうなっていたらしい。 たくさんつなぐと高さの不揃いはすぐわかる。
 早速、ボルスタを沈め、他の車輛とつないで、不自然さがないことを確認した。



 120輛編成の貨物列車を動かす。おかしなところがないか、目を配る。最近は殆ど脱線しないから、機能的にまずいところはなさそうだが、外見上の欠点を探し出している。

 間違った台車をつけていないか、は大きな問題だ。最近見つけたのは、Full Cushion台車をつけているはずの貨車がBettendorfであったことだ。予備を用意してあったので、早速取り替えた。

beforeafter 次に問題となるのは貨車の高さだ。特に冷蔵車の高さは気になる。他所から来た車輛の台車を振り替えたものは、気を付けねばならない。特にアメリカの友人からお土産としてもらったものは、要注意だ。その模型の製造工場(Atlasなど)で取り付けられた台車の心皿高さは、NMRAの基準から外れているものもある。そこにLow-D化した標準台車(Athearn)を付けるものだから、高さが狂う。大抵は高くなっている。右の銀色の貨車の高さを低くした。

correct height 冷蔵車は、氷を積み込むプラットフォームの高さで高さが統一されている。1 mmでも高いとおかしい、とわかる。キングピン(台車の中心軸)のあたりをフライスで削り、低くする。大抵は0.8 mm(1/32インチ)削れば用は足りる。こうして冷蔵車数十輛の高さが揃えば壮観だ。

Hershey's 中には大幅に狂ったものもある。これはLaBelle社の木製品である。よくできたキットなのだが、背が高い。本物の図面をあたってみると2 mm以上も高いことがわかる。組んだときに連結器座の高さを誤ったので、キングピンにワッシャを噛ませて車体を持ち上げている。そうすると、許せない不揃いだ。標準より低いことはありうる。積荷が重いとか、車輪が減っているなどの場合だ。ところが高いというのはありえない。

 本当は、床を構成する骨組みの中に連結器の中心が来る設計であったのだが、図面にそれが描いてなかった。その高さになるように、Kadeeの連結器座の形にフライスで彫り込んだ。新しい刃物を使えば、すぐ終わる。連結器をエポキシ接着剤で取り付け、絶対に取れないようにする。台車を取り付けると、腰が低くて実感的である(写真は修正後)。アメリカでも、この貨車の高さは大半が間違っている。図面に正しいことが一行書いてあれば、こんなことにはならなかったはずなのだが、知らずに骨組の下面にKadeeを取り付けてしまって、具合が悪くなったのだ。よく考えてみれば、draft gear(連結器座)のボルトに剪断力が掛かるような取り付け法など、ある訳がない。連結器中心は骨組みの中にあるはずだ。


2021年05月28日

M10000 のエンジン

 M10000のエンジンはガソリン機関ではない。たまたまこの記事のシティ オブ サライナを確認していたところ、筆者は書いた覚えがないのに、ガソリンと書いてある。誰かが書き加えたのかもしれない。著者が消すことが出来ないので、訂正までに時間がかかるだろう。

 UPは意外とケチな会社で、燃料費を節約することには熱心だった。ガソリンは当時から高かった。その近辺で安いのはナフサ(精度の良くない蒸留装置で作ったガソリンに近いもの)であった。ガソリンはキャブレタで霧化蒸発させねばならないので、沸点範囲が厳しく決められていた。優秀な精留装置がないと出来なかったのだ。ナフサはかなりいい加減で、様々な沸点のものが入っていたが、価格ははるかに安かった。現在の製品で言えば、油性ペンキの薄め液のようなものだ。

 ただし、エンジンが冷えていると着火が難しく、ガソリンで着火してエンジンが温まるまで待つ必要があった。回転中に、燃料を切り替えて運転を持続する。
 ガソリンエンジンであれば、スパークプラグは1本であるが、このエンジンは4本も取り付けてある。航空エンジンは2本が標準であるが、これはその2倍である。更に電圧も2倍を掛けていたそうだ。また、燃料タンクは、起動用のガソリンもあるので2系統必要となり、面倒であった。
 当時はディーゼルエンジンの信頼性がなかったのだ。ディーゼルエンジンの信頼性が確立されたのは、1960年頃である。

 サライナは当時急速に発展中で、シカゴ以西ではかなり大きな街であった。椙山氏の話を聞いて、50年前から一度行ってみたかったところである。 3年前にその街に行ったが、穀物倉庫が並ぶ静かなところであった。 

2021年05月26日

続 UP M10000 を整備する

 走らなかった原因は、すぐ分かった。トレーラの車輪径が17.5 mmであるのに、内側軸受の軸径が4.5 mmもある。つまり、車輪径の1/4以上あるのだ。半径比の理解がない。これでは損失が多すぎる。軸を細くして、内側軸受を細く作り替えるべきだ。最大Φ3、できればΦ2にしたい。今回は牽かれるものが3輛以下だが、細ければよく走るはずである。
 たとえボールベアリングを使うとしても、径の大きなものは感心しない。グリースをかき回す損失は、バカに出来ないからだ。

 あるいは、この台車と車輪セットを捨てて、Low-Dのピヴォット軸で外側軸受にするのが、最も簡単な方法である。この台車は外側に流線型のカヴァがあるので、そこに軸受を仕込めば良い。しかし、実のところ、筆者はカヴァが無い方が好きである。

power truck1 前後の動力台車は実に無駄な設計で、ドライブシャフトが中央で折れるようになっている。折れても何の利益もないが、それによって起きる不都合はたくさんある。
 一本の曲がらないドライヴ・シャフトを通しておくだけで、問題は解決する。ギヤボックスを分解すると、径の大きなウォームで、歯の切削は極めて粗い。何もかもが悪い方向に行っている。少しは考えろよ、と言いたい。しかし、考えた結果こうなったのだろう。困ったものだ。

power truck2 ギヤボックスは、反トルクで倒れるような、救いのない構造だ。作用・反作用の法則を知らないらしい。左右の傾きと同時に、前後の傾きも生じる。これでは走らないのも当たり前である。またユニヴァーサル・ジョイントの位相は、もちろん間違っている。(筆者がアジンのところに行ったのは、この発売後2,3年経った頃である。)

 分解検査の結果は、零点である。どこにも正しい部分がない。元の持ち主は怒っていた。
 実は、アジンの工場にこの列車が飾ってあったのを見た。社長にあれを譲ってくれないかと聞いてみたことがある。彼は顔をしかめて、「走らない」と言った。「じゃあ、私が直して動くようにしてあげよう。満足したら、その動力を売れば良い。」と申し出たことがある。
 その気になったようだったが、その後うやむやになった。そのチャンスが30年以上経ってから巡ってきたわけだ。

 ギヤを取り替えてトレーラの車輪を改良すれば、なめらかに走るはずだ。全ブラス製で重いから、素晴らしい惰行を見せてくれるはずである。当時、韓国には鉄道模型を嗜む人がいなかったのは、明白である。アマチュアでも、中学校の理科を100%理解していれば、こんなおかしなものは作らない。

2021年05月24日

UP M10000 を整備する

M10000 有名な列車である。剣道の面にも似た流線型の前頭部は、様々なメディア紹介された。子供向けの絵本「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」にも登場する。地上を走る飛行機として設計された。
 1935年、シカゴとその西南200マイル弱のSalinaの間に就役し、”City of Salina”として運行された。このサライナという発音は日本の鉄道趣味界では浸透していない。とれいん誌の記事などには、サリナと書いてあったのが原因だろう。ヒッチコックの映画にVertigo(日本では「めまい」として封切られた)がある。その中でKim Novak演じる女性が、出身地を聞かれて”カンサス州サライナ”と2回言う場面があった。 


UP M10000 (2)UP M10000 (1) この列車は3輛の固定編成(連接車だから当然である)である。1985年ころの韓国アジンの製品だ。極めて出来が悪い。どうするとこんな設計ができるのかわからないほど、ひどい設計である。ギヤボックスのダイキャストはヒビが入っている。いずれ粉になる運命だ。
 たったの3輛編成なのに、1台のモータでは動かず、最後尾に2台目の動力台車を付けている。前方と車輪径が異なるのに、同じモータ、ギヤ比である。要するに、ほとんどまともには動かなかったらしい。
 30年前、改良を諦めた友人から安く買い取った。塗装は彼がした。前面のグリルをアルミ色にしている。聞くと、見た車輛はアルミ色だったと言う。たくさんの写真を見ても銀色のは見つからないが、現車を見た人だから、深く追求しないことにした。

 動力を入れ替えればよく走るようにできる自信があったが、面倒で手を付けなかった。
 最近、これと同じものを手に入れた人から連絡があって、車輪を入手したいとのことである。どんな車輪が必要なのかわからないので、分解して調べている。動力車部分は36インチ、付随車は33インチだということは分かった。開けるとボロボロと壊れてくる。これはどうしょうもない模型だ。ハンダ付けが下手すぎる。車体にはあまり手を触れないようにして、下廻りを新製することにしたい 。直せそうもないのだ。

2021年05月22日

EF58の再生計画

Nickel Plated 動輪のめっきが出来た。厚い硬質ニッケルめっきだから、スティール製のレイルの上を走っても、そう簡単には剥げることはない。台枠をどうやって作るかを思案中だ。
 オリジナルのダイキャスト製軸箱は、一つも使えるものがなかった。ブラスのロストワックス鋳物に取り替える。Φ3の穴を座ぐってΦ5にし、内径 2 mmのボールベアリングを入れる。機関車であるからΦ2が限度で、細いジャーナルでは折れてしまうだろう。

 板バネは、新たにリン青銅の板から切り出す準備が整った。イコライザは正しく動くように作り直す。リンクは作り直すべきか、調べている。バネ座を正確に作らないとバネが水平にならない。できる限り機械加工して、精度を高めることにする。

 先台車上部のフレイムは、剛性を高めた設計にする。主台枠同士は連結棒で結び、ボディには引張力が掛からないようにする。すなわち、主台枠が回転すると、片方のデッキ部分が、少し中心に引き込まれることになる。
 片方の台車のセンタピン穴は長穴にする。そうしておかないと車体が引き伸ばされたり、押し込まれたりして疲労し、ハンダが外れる。列車を加減速するときの衝撃は小さくない。

 先台車は3Dプリントにする。現在のものはあまりにも出来が悪いので、直すのは断念した 。非金属製であれば、ショートから逃れられるし、梯子に当たっても問題ない。梯子はハネ上げ式にする。
 車体には床板を付けるが、ひねりが効くような構造にするアイデアがある。床上に両軸モータを取り付けて、全軸連動させる。軽いが強力な機関車になるだろう。 

 この座グリドリルはあと数本残っているので、御希望の方はコメントを通じてお知らせ願う。コメント本文にメイルアドレスを書かれたい。  

2021年05月20日

続 EF58の分解

EF58 lead weights 台車が外れたので、次は車内だ。ウェイトを取り付けている帯金を外した。その状態で車体を掴むと、凹みそうである。ウェイトは一つ 1.5 kgもある。これが各3本の 3 mmネジで車体に付いている。というよりもウェイトに車体がついていると言ったほうが正しいだろう。鉛だけで 3 kgもあるのだ。起動電流が 5 Aを超えるのも無理はない。 

 重いけれども堅いウェイトが車体に密着しているので、車体を握っても凹まない。ウェイトが構造部材となっているわけだ。これはなかなか良い方法かもしれない。ウェイトの角の凹みは、テイルライトを避けたものだ。稲葉氏は木で型を作って鉛を流し込んでいる。ウェイトの側面が直立しているのが素晴らしい。普通は上の方がすぼまってしまう。おそらく、それを経験して鋳型を上広がりにしたのであろう。鋳放しではなく、少しヤスリを掛けて、平面を出したようだ。
 3面(運転台面と左右)は暗い青に塗ってある。車内色はこの色だったのだろう。モータに当たるところはタガネで彫ってある。

 こんな重い機関車なので、ウォームは磨り減り、歯型が変形している。もう少しで丸坊主だ。鋼製のウォームを用いると同時に、ギヤボックスに入れてあれば、グリースが保たれてもう少し長持ちしたであろう。同時代に祖父江氏が作って輸出した機関車は、そうなっている。それに比べるのも酷だが、この機関車の設計者は工学的な知識がほとんど無いことが明白だ。

 とりあえず下廻りの塗料を剥がして、工法を考える。先台車の台枠は、ソリッドのT字型のものを作って銀ハンダで付けることにする。先台車で一点、台車側枠で二点の三点支持が2つできるわけだ。車体が柔かければ、側受を付けて四点支持で良いが、堅いのならば弾性支持にする。機関車の質量は1.5 kgにする。軽いから壊れにくくなる。


2021年05月18日

EF58の分解

 EF58の分解に取り掛かった。とにかく重い。5 kg以上だ。作業台にひっくり返して置くと、パンタグラフはもちろん、屋根上のモニタが潰れる可能性がある。車体は厚さ0.4mmである。本物のようにふにゃふにゃだ。

EF58 trucks (3) 横向きに置いてネジを20本ほど抜くと台車が外れた。ACモータが集電ブラシから直接配線されている。界磁のポラライズはしていない。ということは、前進のみで後退できない。おそらく、電流が大き過ぎてセレン整流器が入れられなかったのだろう。特急用であれば、それで良かったのかもしれない。台車からモータ、車輪、ギヤをひとまとめで引き抜く。

 台車の構造は全く感心しない。本物の構造を知らない人が設計している。梁に相当する部分の剛性が全く足らない。重い車体が載っているのだから、かなり無理をしていて、台車ボルスタはすでに曲がっている。

EF58 trucks (1) 2つの台車も結合していないから、牽引力は車体を介していることになる。(HO以下の模型ではそれが普通だ。)
 デッキ部分の骨は、主台枠に強固に結合していなければならないのに、上下にフラフラしている。側枠の連結器に近い方の表面にはたくさんのネジが有る。そのネジが何のためなのかを考えれば、こんなひどい設計はしない。本物はここが鋳鋼でできていて、相当の厚さがあるのだ。ところが、1 mmの板にデッキの台枠が 2 mmネジ2本で留まっているだけであるから、バネのように上下に振れるのは当然だ。写真の手前を見ると、その部分が撓むのを見越して逆反りにしているのがわかる。これではだめだ。

axle box 全体を作り替える予定であったが、側枠が意外と良い出来で、残すことにした。軸箱のダイキャストは膨れて動かない。ペンチではさむと粉砕された。ブラスのロストワックス鋳物があるから、それと振り替える。数えたら11個しかないので、一つは自作し、速度計部分とすることにした。板バネは作り替える。例のシァはそのために購入したのだ。 

2021年05月16日

四日市のクラブ

O scale (1)O scale (2) 当時Oゲージのスケールモデルは人気があり、運転会では各種の模型が走っていた。この2枚の写真は1956年8月26日の四日市工業高校での催しである。橋(伊藤禮太郎氏製作・東海道本線揖斐川橋梁)もある大規模なレイアウト(稲葉氏設計)であり、C53(益田 昌氏作)が走っているのが見える。益田氏はTTゲージを広めようとされた方だ。TMS111号に記事がある。  

 この時期のNMRC名古屋模型鉄道クラブやYRFC四日市レールファンクラブの会報を読むと、その熱気が伝わってくる。この2つのクラブは姉妹クラブで、記事原稿のやり取りをしていた。
 特に椙山氏の文章は、創作意欲を湧き立たせる、リズム感のある筆致で素晴らしい。それに答えて伊藤剛氏の軽妙な、かつ工学的な素養を含む記事が毎月発表されていた。当時のTMSを比較して読むと、4分の1近くが、この2つのクラブの会報に端を発した記事であることがわかる。

慶応三田会レイアウトOct.18,1955 YRFCの機関紙には、慶応の鉄道研究部 文蔵正弘氏からの投稿もある。先のC53を含めてかなり長い記事だ。  
 1955年10月18日三田祭におけるレイアウト(図参照)で、稲葉氏のC62、EF58による特急編成、益田氏のC53による戦前の特急編成、生川氏のモハ42編成の併走の様子などが書かれている。
 電流の事も書いてあり、C62は 2 A、EF58は 5 Aとある。C53はDCモータが2個付いているとも書いてあり、電流は 1〜2 Aだそうだ。セレンは中古の3Aで、パンクを恐れて1輛ずつ運転していたが、しまいには2列車走らせても壊れなかったとある。 
 またC53は、最初は4輛しか牽かなかったが、当たりがつくと調子が良くなって7輛牽き、騒音も小さくなった。後半には電車顔負けの猛スピードで走ったとある。精度の無い歯車しかなかった時代なのだ。 

 この時代の記事を読むと分かるのは、誰もがよく走る模型を目指していたことだ。外観にこだわる人は少数であった。


2021年05月14日

続 稲葉氏の言葉

 稲葉氏は、HOには手を染めなかったらしい。Oゲージの時代が過ぎると、模型はやめてしまわれたようだ。筆者が初めて会ったのは1960年代後半で、筆者の作ったOゲージのコンソリをご覧になって、細かい批評を激励と共に戴いた。

 そのコンソリは手に入れた動輪径から計算して図面を描いて作った自由形でアメリカ型であった。椙山氏のところで見せて戴いた本の写真と図面から作った。動輪は3点支持のイコライザ懸架で先輪は復元を利かせていた。九割方出来たところで放置されていたが、引越しの際に派手に壊してしまい、処分した。板が薄くて、剛性がなかったからだ。その後の筆者が作る模型は、厚い板で構成し、十分な剛性を持たせるようになった。探せば動輪だけは見つかるはずだ。動輪やロッドは銀メッキをしたので、後には真っ黒になってしまった。銀は錆びやすいのだ。

 その時稲葉氏は、
「おや、まだOゲージの新作を見ることができるとは思わなかったな。これはいい形をしているね。椙山先生に見せたかい?彼の好きな形だ。」
と褒めてくれ、さらにこう述べた。 
「Oゲージは、模型として正しい大きさだと思う。大きさ、重さが良いのだ。Oゲージが斜陽化したのはメーカの努力が足りなかったからだ。良い製品、パーツを出してくれれば、我々も作リ続けたのだ。最近はHOが盛んになっているが、それは部屋が狭いからという制約だけから来ている。その大きさが素晴らしいというわけではないんだ。大きな部屋があれば問題はない。田舎なら土地はふんだんにある。君たちが頑張って、いつの日か再興してほしい。」

 それについては、椙山氏も同じことをおっしゃった。
「Oゲージはすばらしい模型の大きさなのですけど、今や子供の玩具(三線式)に成り下がってしまいましたね。Oゲージでスケールの車輛を作ろう、走らせようとしても、キットや部品がなくなってしまったのです。もっと素晴らしいものを提供してくれれば、我々はOゲージのままでいただろうと思いますよ。」

 その後も稲葉氏とは、椙山邸で何度もお会いしているが、模型は作っていないとのことだった。   
 その後、数十年が経った。稲葉氏の作品が走る日が近づいてきた。


2021年05月12日

稲葉氏の言葉

 稲葉氏の写真は意外と少ない。K氏のアルバムを見せて戴いたが、数枚しかない。それを複写させてもらった。

Mr.Inaba (3) この写真は1951年撮影だそうだ。左端の人が稲葉氏だ。一人おいてK氏、下の左端が椙山満氏である。右端は、東京藝大のピアノ科の先生になられたKb氏である。昨年お会いした。とてもお元気であった。博物館にいらっしゃるであろう。

Mr.Inaba (2) 稲葉氏はK氏を誘ってサイクリングによく出かけたそうで、その一コマである。遠く、熊野の方まで遠征したという。



Mr.Inaba (1) この写真は四日市のクラブでは伝説となっていた有名な場面である。日永のジュニア模型店の座敷で、Oゲージの運転会をした後、
「次回からは2線式でないと走らせない
と宣言し、中央三線式の中央線(既にこの時は銅線になっていた)を引きはがしている様子である。引きはがしている本人が稲葉氏である。後ろは伊藤禮太郎氏だ。撮影は椙山氏である。

 高校の大先輩である稲葉氏とは、よくお話をさせて戴いた。               

2021年05月10日

スシ37

Mr.Inaba's (1) もう一つの3軸台車を履いた客車は、この食堂車である。厨房付近は壁を作って見通しをなくした。石炭レンジの煙突が出ている。
 窓ガラスは全て本物のガラス板であり、稲葉氏自身がガラス切りで切っている。それを角棒で作った溝に落とし込んで、セメダインCで接着してある。徐々に接着剤の劣化が進み、はがれてきたものがある。ガラスを外し、窓枠を削って段をなくし、洗ったガラス板を嵌め込んだ。接着はもちろんスーパーXである。こうすれば二度と外れることが無い。

 幸か不幸か、この食堂車の窓ガラスはまだ外れていない。窓掃除が行き届いていないのはお恥ずかしい限りだ。外さなくても綿棒とマイクロブラシできれいにできることが分かったので、就役時までには綺麗になるだろう。

 整備の終わった3軸台車の性能はすこぶる良く、ナイロン製台車と優劣が付けがたい。もちろん後者は軽負荷(軸重100 gw程度)の時である。重い車輛であれば、ボールベアリング装荷の勝ちである。 

 床下にはカビが生えているものが2輛あったので、次亜塩素酸ナトリウム水溶液をブラシで塗って、直ちに水洗いした。カビ止め塗料を塗る必要があるかもしれない。 

2021年05月08日

優等客車群

hand lettered3hand lettered2o-yu (1)o-yu (2)




 稲葉氏の作られた車輛の残りを受け取って来た。スユニ、スロ、カシ、マイロネフ、マイネ、スロネなどである。すべての文字が手書きである。字体が美しい。
 改造してLow-D化する。また3Dで台車を作らねばならない。車輪の在庫がかなりの勢いで減った。

ma-i-nesu-ro-ne 博物館にある客車関係の本と、当時の雑誌(初期の鉄道ピクトリアル)をくまなく見ている。作られた時代が分かると、ありうる編成も少しずつ読めて来た。星晃氏の著作を読むと、当時の工夫も理解できる。戦後の連合軍による接収が解けた頃の話だ。いのうえ・こーいち氏の本も面白い。客車の連結方向もある程度判って来た。稲葉氏宅の蔵に入れてもらって、当時の製作日記などを拝見できれば確実なのだが、それがすぐ見つかるかはわからない。

 この優等客車群は、東海道のいわゆる名士列車を編成していたのではないかと推測する。特急「かもめ」のテイルサイン(いわゆるアンドン)も出てきた。山陽線の2・3等特急だが、その編成用ではない。

 3軸台車の改良も終わり、連結器の破損も修理した。床下器具の更新も進み、多少見られるようになってきた。運転用であるから、細かい細工はしないことにしている。横から見て美しく、滑らかな運転ができればそれでよい。 

Mr.Inaba's (2) マイロネフ38を作るつもりだったが、スイロネフ37の完成品が来てしまった。TR73の新たな行き先を考えねばならない。こうなったら、新規に展望車を作る、というのも一案である。

「はと」編成は、貨物列車の最後尾につけて試運転している。非常に調子良く走り、脱線しないが、毎日連結器がぽろぽろと割れる。本物のようにナックルが欠ける。連結器は、ナイロンで3Dプリントするのが賢明だろう。 

2021年05月06日

続 C62

C6229C6229 (1) この機関車をK氏宅で棚から降ろす時、左手首を捻挫しそうになった。それほど重いのである。
 一瞬目を疑うような状態だ。ここまで重くしないと、12輌牽けなかったのだ。この機関車のボイラ内は全て鉛で埋め尽くされているのは当然であるが、シリンダブロック、主台枠下も全て鉛の塊を後付けしている。横から見えているが、なりふり構わず、補重しているのだ。機関車だけで6 kg以上ある。 
 

 当時の客車の車輪は Φ3 のブラス製ジャーナルで、ブラス製軸箱である。いくら注油しても摩擦は大きい。せめて鋼製の Φ2 にしていれば、かなり違ったであろう。そのころ、メルクリンでは熱処理した鋼製のΦ1 を使っていた。それを使えば、ずいぶん違った走りを示したに違いない。

 このC62のロッド、クランクピンは、外れそうになるくらい磨り減っている。また、軸はガタガタで、すでに限界に来ている。タイヤを含めて動輪はブラス製であるから、かなり磨り減って、フランジは薄くなり、また相対的に高くなってしまっている。

 下廻りは全て新製する。部品は揃えた。主台枠を作り直すのにレーザを使うか、切削で作るかは悩むところだ。主台枠を一体で3Dプリントする、というアイデアも来ている。可能な範囲にあるそうだ。
 動輪は鋼製タイヤの高級品があるから、気楽な工作である。

C6229 (2) 前方の連結器はダイキャスト製であったが、座もろとも粉になっていた。取付穴に合うように板金工作して、仮の連結器を付けた。いずれエンドビームごと更新されるので、まじめに作ってはいない。 
 
 このOゲージの機関車は走行を目的とし、余り細かく飾り付けないようにするが、走行性能は最高にする。サウンドと煙が出れば文句あるまい。  

2021年05月04日

C62

 四日市のK氏に会って、最近の博物館の事情を説明した。預かっている車輛の台車車輪を換装したら、14輌でも軽く牽けるという話をした。 「はと」編成の写真を見せたところ、大変興奮し、撮影に来るとのことだ。
「これが走れば大したものだ。すごいね。昔の四日市のクラブ仲間を誘って見に行くよ。」
とは言うものの、最後に走ったのは60年前である。

C62 by Mr.Inaba「うちで預かっているC62も作り直して貰えば、牽くよね。」と、C62の改造も引き受けてしまった。この機関車のダイキャストの部品は全て崩れ、かなりひどい状態である。後述するが、この機関車は極端に重い。

TR73 disassembled 同時に、稲葉氏製作の優等客車群も預かって来た。これらの客車は何の編成のものかは、まだ調査中である。3軸台車を付けたのが2輌あるので、また台車の改造をせねばならない。これは意外と大変な作業である。
 驚いたことにスイロネフ37が含まれていた。進駐軍に白帯を取られて、黄帯の一等車である。マイネもあって、それにはJNRと書いてある。外国人旅行者用だ。


 このC62は酒井喜房氏の設計で、設計番号A‐1である。縮尺は1/43だ。この縮尺でないと、クロスヘッド裏がサイドロッドに当たってしまう。この計算は酒井氏が「模型鉄道」誌に発表している。
 当然のことながら、この機関車は大きい。その昔、Oゲージ 1/45を採用しようと呼びかけた湯山一郎氏は、1/43が大きいとの指摘に対し、
「機関車は大きい方が立派に見えます。」
などと、怪しいことを言っていた。確かに、アメリカの機関車は客車よりはるかに大きい。日本は客車がかなり大きいので、丸屋根の客車(3等寝台など)と並べると見劣りがしたのは否定できない。

 これをOJに作り替えたものを見たことがあるが、それはかなり奇妙な様子を示す。相対的に軌間が異常に狭く見えるのだ。

 のちに1985年ごろ、KTMはOJのC62を発売した。1/45で、これは祖父江氏の設計だ。その機関車はC6217を模型化したものである。実は、名古屋の東山公園の植物園に置いてあったのを、筆者が正式な許可を得て、機関車屋根上に登って 詳細な写真を撮影したものから作られている。現在、その機関車はJR東海のリニア・鉄道館にある。 

(カツミの番号の付け方はOゲージをAとし、HOゲージをBとした。ちなみにA-2はこだま号である。) 

2021年05月02日

F級電気機関車

 国鉄のF級電気機関車は、一度は自作してみたかったものだ。昔の駆動装置はモータ軸を縦置きにし、ウォームギヤで動軸を廻し、それからスパーギヤを使って他の2軸に伝動していた。これでは効率が悪いのは、仕方がない。

 実はF級に相当する機関車は、いくつか作っている。3軸台車を持つディーゼル電気機関車群、タービン電気機関車などである。    
 しかし、国鉄型のような軸距離が不均等であると同時に、イコライザが稼働する模型は、経験がない。駆動メカニズムは、短い軸距離の方を1群とし、遠い方には可撓ジョイントを経て伝動すればよい。モータは床上に置き、チェインを介し駆動軸に伝達する。全く難しくない方式である。モータは出力5.7 Wのがあるのでそれを使う。出力曲線を読めば、十分な余力があることはすぐわかる。

 35年前にUP4-8-4を作った時、事前に出力のシミュレイションをした。試運転で、ぴたりと予測と実際の数値が合ったので、驚いたことを覚えている。今回の計算はそれに比べてはるかに楽であった。列車の現物があるので引張力は確実な値であるし、ディーゼル電気機関車群の動力測定は済んでいるので、それを踏まえての動力設計は容易だ。
 
 センタピンの真下を駆動軸が通過する部分は、寸法的にやや苦しそうだが、動輪径が大きいので可能だろう。

 今まで直径が22 mm(42インチ)のものが最大値であったが、今回の27 mm径の機関車は少々戸惑う。速度が大きいから、ギヤ比を替える必要がある。動輪は、古いのをたくさん集めて、その中から良いものを選び、旋盤で径を揃えた。形の駄目なものは捨て、フランジを総型バイトで削った。踏面とフランジを#1200のサンドペーパで磨り、光沢ニッケルメッキを掛ける。硬いので磨り減ることはないはずだが、これは摩擦係数が小さい。

 これが組めれば、次はGG1を組んでみよう。これはテキサスから持ってきたもので、Dennisが作った鋳物で構成されている。


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