2020年05月

2020年05月31日

続 Streamliner の組立て

 電気絶縁方式を考えておかねばならない。連結器はMonarchで金属製であるから、台車を絶縁せねばならない。また、木製床板であれば心配ないのだが、ブラスの床板であると導通してしまう。半固定編成にして解結しないという前提でないと、つなぎ方によってショートしてしまう。
 電気的には、3Dプリンタによる樹脂製台車は好都合である。金属製台車は絶縁された床板に用い、樹脂製台車は金属製床に用いることにした。さらに、編成時はよく考えて、金属製床と木製床の車輛をなるべく交互につなぐように心がける。そうすれば間違ってショートすることはない。中には金属床板に樹脂製のボディ・ボルスタを付けてあるものもあって、ややこしい。
 
 これらの客車は入手した先が異なり、また作られた時の状況が異なるので、1輌ごとに作りが全く異なる。床高さもまちまちで、車体高さと連結器高さを同時に独立して調整せねばならない。列車としてのまとまりは、揃った屋根高さ、一定の連結面隙間によって得られる。簡単なジグを作って不揃いは修正した。規格があって、同時に作ってあれば非常に楽であったろうと思う。その修正は大変な手間である。だから、現在作っている12輌には完全な互換性を持たせる。
 色調は多少異なってもさほど問題ない。本物の編成でも褪色具合の差があって、かなりの違いがあるのが普通だ。

forced vent 生地完成のものは13輌あったので、よく洗って、準備した。長年の保管中に一部破損しているものもあり、整備するだけで5日を要した。屋根上のディテールは、昔の申し訳程度のエッチングパーツではなく、3Dプリンタで作った本格的なものを使用した。小さな部品でも、これを付けると、全体が引き締まる。塗装済みの車輌に付けたものを示した。色や艶が多少異なり、剥げているところはタッチアップする。

rivets ところで問題である。このリヴェットはどうやって作ったのであろうか。屋根板は、0.7 mmのブラス板である。 


2020年05月29日

Streamliner の組立て

painting (3) 簡単なジグに締め付け、箱状にハンダ付けする。角の部分の内側には 2 mm角線をハンダ付けし、衝突時に壊れにくいようにした。また内部には0.8 mm板で作ったアングルをしっかりハンダ付けし、握っても壊れない程度の強度を確保する。短い車体のものは、角を突き合わせてハンダ付けしただけのものもある。隙間が一定で完全にハンダが廻っていれば、突き合わせだけでもかなりの強度があることが分かった。(縦に木製床に落としても、被害なし)
 写真の状態で大体1 埃紊任△襦これは近年製造のもので、3段エッチングで窓が抜けていた。しかし窓の縁の角が甘いので、ヤスリで仕上げるべきである。エッチング製品は、板が焼き鈍してあるので多少軟らかく、強度が落ちているから、補強は不可欠である。その点、自作車は丈夫である。

 最初に組見本として、アメリカ人が組んだものを3輌ほど手に入れ、構造を観察してポイントを押さえた。アメリカにも腕の良い人は居る。素晴らしいものがあったので参考にした。
 しかし、常識的にはするべきでないことをやってしまった人も居る。内部に3/8インチ角(9.5 mm角)のムクの角棒(1本430 g)を、補強材として2本、さらに1/8インチ × 3/8インチの角棒を2本、ハンダ付けした人がいた。その重さには参った。補強材だけで、計算値1.1 kgもあったのだ。台車を付けると2.1 kgもある。ボールベアリング無しではとても走らなかったので、諦めて売りに出したのだろう。ただ、そのハンダ付けの腕だけは大したもので、その太い角棒が屋根にも側板にも完璧に付いていた。工業用の炭素棒によるハンダ付けであろう。クランプ式のものだ。両面に痕がある。

 キット以外に、スクラッチから作ったものが4輌出て来た。40年近く前の埋蔵金”属”である。ほとんど忘れていたものもあって、驚いた。昔作ったものは、今とは作風が異なる。生真面目にすべて手で作ってあるのには、我ながら感心した。糸鋸を大量に消費していた時代だ。少し手を入れて完成させた。

2020年05月27日

UPの客車群を塗る

UP Streamliner 外出が制限されている。時間があるので、組んだまま放置されていた客車を塗り始めた。
 Union Pacific 鉄道の流線形客車群である。総ブラス製で、かなり重い。もともとは、Kemtronが作っていた厚さ0.63 mmのエッチング・キットであった。殆どの人は、買ったは良いが、組めずに放置していた。20年ほど前から、それが中古市場に適価で出始め、筆者は手あたり次第、買い占めた。一時期は40輌分ほどあったが、その後欲しがる人も居て、譲り渡して半分になった。右の2輌は、参考品として塗装済のものを購入したもので、色合いが異なる。

 キットは板だけなので、まず窓抜きをせねばならない。これは当初、糸鋸で抜いた時期もあったが、その後縦フライスになった。ヤスリ掛けは不可欠で、たくさんのヤスリを消費し、ヤスリ粉は牛乳パックに2杯も貯まった。屋根曲げは、ある程度は折曲げ機で曲げ、その後の修整はこの丸アンヴィルを使った。非常にうまくできる。屋根板は0.55 mmのものもある。

 屋根と側板は隙間なくつなぐ。これには、Kemtron社自体が公表していたノウハウがあって、その通りにすればかなりうまくいく。つなぎ目に連続した板を内側に貼り付けるのは、極めて難しいからだ。
 そのノウハウは、ブラス板の小片をたくさん用意し、簡単なジグ上で押さえ込んだ屋根と側板の接合部にハンダ付けする、というものだ。小片の上半分は屋根に合わせて軽く曲げておく。多少の隙間ができても押さえ付けながら、その部分を局所加熱すれば直せる。これが連続した材料であると、難しい。最終的につなぎ部分の8割がこの小片で埋まる。車体外側から見ておかしくなければ、成功だ。この小片によるつなぎ法は、いろいろなところに応用している。部分的な修正が効くのが良い。炭素棒による加熱なら、自由に付け外しできて具合が良く、楽である。

 このやり方はいかにもアメリカ人の考えた方法である。下手な人でも、そこそこにうまくできるのである。それを、筆者は少し進歩させている。
 数箇所を小片で付け、ずれや隙間が無いのを確認したのち、長目(75 mm程度)のつなぎ板を一気に貼る。ハンダの量を適量にすると、なぎ目にハンダがにじんだ状態で完成する。もちろんこの長板の上半分は、屋根の丸味に沿わせて曲げておくのだ。

2020年05月25日

operating table

手術台 手術台と呼んでいる。機関車を作ると必ずそれに合わせて作る。めんどくさいと思われる方もいるだろうが、これは不可欠のものである。ディーゼル電気機関車の場合は、外側の回廊部を支えなければならない。それには、手摺りを逃げた薄い材料で作る。

 Oスケールは重い。機関車が最低 2 kgはある。大きなものは4 kg以上ある。関節機などは6 kgもあるものがある。これをひっくり返して機構部を外したり、ロッドの調整をしようと思うと、細部が壊れてしまう。

 ラニングボードの付け根を支えるものが必要である。ラニングボードは分割され、段差があって上下しているものが大半なので、それに合わせた支えが必要である。幸い木工機械があるので、精密に切り出したブロックをたくさん用意し、高さを決め、接着剤で固定する。
 
 作った手術台は嵩が大きいので、専用の大きなコンテナに、嵩を減らすように組み合わせて入れてある。先回の慣性増大装置付きテンダには、専用の手術台をこしらえた。テンダ用としては、初めてである。もう一つ作らねばならない。

2020年05月23日

続々 Heavy Pacific

2 pacifics (3) こんなに軽そうでも、Heavy Pacific の仲間に入れることになっている。それは動輪径で分類しているからだ、という。軽いヘヴィ級なのだ。Light Pacific は動輪径が 73 インチ(1854 mm)を指すらしい。

2 pacifics (1) 日本で言えばC51だろうか。軸重は軽く、25トン弱である。ボイラは、ATSF3400クラスと比べると、情けないほど細い。罐胴の体積は半分ほどだ。

2 pacifics (2) 汽笛はキャブの前にあるが、反射板を付けている。煙突は太い。いわゆるSweeney Stackである。このスウィーニィ氏はバーリントン鉄道の技術者だったそうで、それがどうしてUPで採用されたのかがよく分からない。
 UPは機関車の出力を上げるには通風を良くすることであることを知り、ひたすらその路線を歩んだ。大口径の煙突を付け、ノズルを調整して、煙がよく吹き上がるようにした。煙室を長くするのも、火の粉止めの工夫の一つである。それにしてもこの煙突は大きい。

 テンダは細く小さい。これではすぐ水が無くなりそうだが、走らせる線区には水が豊富にあった。台車をばらして車輪を取り替え、ボ−ルベアリングを入れた。これも0.2%勾配を勢いよく転がり降りる。
 UP本線は山岳路線であったため、Pacificを本線上では殆ど使わなかった(平坦な支線では多用している)。旅客列車の牽引にはMountain 4-8-2 を使用したのだ。のちに大動輪のNorthern 4-8-4の天下となる。

 その後の韓国製の機関車を見たことが無いが、改良されていると信じたい。この機関車は、とても走るとは言えないものだった。走らせているうちに部品がぽろぽろ取れ、それがひっかかって急停止という状態であった。ボイラのハンダ付けは稚拙で、すべて補強を当てて作り直した。キャブ内のディテールだけは、必要以上にあり、位置を修正するだけで使えた。カウキャッチャの鋳物は使ったが、それ以外のフレイムはすべて新製である。


2020年05月21日

続 Heavy Pacific

UP 2888 (1) ATSFを塗っている時、ガラス棚の反対側にあるパシフィックも塗装できる状態であったので、ついでに塗ってしまった。これは韓国のAjinからサンプルで貰って、それを完全に作り直したものだ。駆動方式のみならずフレイムを切り落として、棒台枠を新製した。従台車のイコライジングも見かけだけでなく、ある程度それらしく動かしている。この改装後、見せてやったら声が出ないほど驚いていた。

UP 2888 (2) 彼らは蒸気機関車の構造を知らないのだ。横から見た写真だけで作っているので、従台車へのイコライザがどんな形をしているのかわからなかったのだ。
 内側台枠から外に出るのだから斜めに付いているのだが、怪しい板を途中でぐにゃりと曲げて売っていたのには失望した。また、それは途中で切れていた。
 走らせて見せた時の彼らの驚きようは、ビデオに撮っておくべきであった。押して動くということの重要性が分かったのだ。その時前照灯が点いたので、それにも驚いていた。

 そのあとでアメリカのインポータに見せたらしいが、彼らは全く評価しなかったそうだ。Tom Marshはそういう人らしい。ディーゼルは大好きだが、蒸気機関車には興味が無いのだ。 

 メインロッド関連部品を、ある理由で作り直している。外した状態で撮ったので、いずれ写真は取り替える予定である。炭庫の側面の汚れは写真を見て付けてみた。単なる試しであって今後どうなるか未定である。機炭間のdrawbar pinが光っているのは許せない。

2020年05月19日

Heavy Pacific

 このパシフィックのボイラは国鉄のC59よりもはるかに太い。C62を腰高にしてパシフィックにした感じだ。

ATSF 3420 (1) このATSFの3400クラスは、1919年製造の中古を1936年に完全にリビルトしたもので、殆ど原型をとどめていない。ボイラを替えて圧力を上げ、シリンダと台枠を一体鋳造し、剛性を高めている。動輪は新設計のディスク車輪だ。機関車のみで154トン、軸重は32トンほどもある。テンダは新製で、当時としては超大型であり、満載時180トンもあって機関車より重い。砂漠地帯で重急行列車を、高速で牽くことが目的であった。

ATSF 3420 (2) 煙突は延長が可能である。今回塗ってしまったのは、この煙突がネジ一本で取り外せることに気が付いたからだ。もしやる気になったら、そこだけ作り直して、延長煙突を可動にすることができる。

 アチソン、トピーカ & サンタ・フェ鉄道では煙室にもジャケットが巻いてある。即ち、罐胴に巻いてあるのと同じ色で先端まで仕上げている。煙室戸だけが耐熱の銀灰色のグラファイト塗装だ。この部分は、時期、線区、機種によってさまざまな仕上が施してある。銀色や真っ白のもある。白くすると目立ちやすく、事故を防ぐと信じられていた。煙突はジャケットを被っていないので、グラファイト色である。まだ、あちこちタッチアップをせねばならないところがある。ナンバ・ボードに数字を入れねばならない。

 車輪の裏まで塗ってあることに、注目願いたい。ここが白いと、おもちゃっぽく見える。汽笛は高いところについている。もちろん助士席側だ

 ディカールを貼って、仕上が施してない状態で撮ったので、部分的に妙な艶がある。いずれまともな写真に取り換える。


2020年05月17日

続 貨車の塗装

ACF Covered Hopper (3)ACF Covered Hopper (2) この青いホッパ車は1986年に目黒で買った。落下破損品を買ったのだ。ところが、長手方向が派手に壊れていて少し縮んでいた。切り外して叩き伸ばし、どちらかと言うと作り直した方が早いという状態であった。
 ともかく、30年以上掛かって修復し、見られる形になったが、側面には軽く凹みがあって、これは直せなかった。この凹みを伊藤 剛氏がご覧になると、”Authentic!"とおっしゃるに違いない。
 底の排出口あたりの出来が良くなく、いろいろな資料を見て作り替えたが、気に入らなかった。15年ほど前、テキサスの男が、Weaverの車輛の上廻りに、韓国で作らせた3-bayの下廻りを嵌め込むというアフターマーケットを作った。筆者も10輌分購入し、殆どはプラスティック車輛の改造に使ったが、2輌はこのブラス製品に使った。微妙に寸法が異なるので、かなり苦労して切り継ぎをしている。全部スクラッチから作るべきであった。おそらく半分以下の時間でできたであろう。

Rust-Oleum この青は80年代末にアメリカで買ったスプレイである。今でもあるRust-Oleumというブランドで、たまたま閉店セールで1本50セントで買ったものだ。黒、グレイ、銀とか黄色は大量に買って、引っ越し荷物で持ち帰った。一部は飛行機でも持ち帰った。そういう点では、非常に緩い時代であった。すべて使い尽くしたが、青だけはこの貨車に塗る以外、用途が無かったので、30年全く封を開けていなかった。ガスが抜けているのではないかと心配したが、全く問題なかった。中で顔料が沈殿していて、撹拌のガラス玉がまったく動かない。動くまでかなり激しく振動させる必要があった。さらに数分間振って見たが、最初は透明な液しか出なかった。ありがたいことに、その後調子良く霧が出るようになった。

 これはラッカ・スプレイではない。エナメル・スプレイでねっとりした塗料が噴出する。垂直面でも垂れず塗りやすいが、HO以下の模型には使いにくいだろう。塗膜がやや厚めであり、ディテールが埋まる可能性があるからだ。しかし、この種の大きな面のある貨車には、非常に適する。このエナメル塗料は不器用な平均的アメリカ人でも、まず失敗しないようにしてあるのだろう。固まるのに数時間を要する。朝塗って夕方取り込めばよい。つるつるぴかぴかに仕上がる。当鉄道の黒いタンク車数十輌は、ほとんどこのスプレイで塗った。ディカールを貼るのが容易で助かった。もちろん、あとで艶を抑えてある。

ACF Covered Hoppers この貨車のディカールも実在しないから、参考にはならない。とは言え、無いとは言えない。本物の編成を見ていると、剥がれた部分にあり合わせのディカール(本物でも同様のものがある)を貼っただけのものをよく見るからだ。否定の証明は難しい。 

 興味深い動画がある。たまに見る風景だが、ここまでのものは珍しい。 

2020年05月15日

貨車の塗装

 外出が制限されるようになり、自宅に居なければならない。天気が良いので、塗装を始めた。夜準備をし、洗剤でよく洗う。長年の間に油汚れが付いているからだ。扇風機で軽く風を送っておくと朝までには完全に乾く。

ACF Covered Hopper (1) 外の塗装台に被塗装物を並べると、日が当り、ほどほどに温まる。コンプレッサをonにし、タンクに溜まった水を捨て、圧力を見て開始する。今回の貨車はGreat Northernにする。これはアメリカ人がブラスで作ったものである。キットなのか、スクラッチから作ったのかもわからない。これも手際良く作ってある破損品を安く買った。部品を作って修復するのに10年以上かかっている。この種の破損品は、現在のアメリカではとても安く手に入る。誰も直せないからだ。
 たまたま少し残っていたNYCの Jade Green(ヒスイの色)の始末をするのが目的で、それに僅かに黄色を足して作った glacier green (氷河の色) である。似ていれば良いので、適当である。
 貨車の色というものはもともと怪しいものである。殆どが日焼けして、さらに錆びている。この色が正しいとか、これはおかしいと言われても、そうでしょうかねという程度のことだ。完成時の色はどうなのかということなのだろうが、あまり興味が無い。
 艶を出して塗って、それにディカールを貼る。番号もごく適当である。ディカールは沢山あってちっとも減らない銘柄を、貼った。実物には無いはずの組み合わせだから、参考にされないようにお願いする。
 車輪を塗って、少し汚すとできあがりだ。十分な仕上がりになった。

2020年05月13日

トルクアーム、トルクチューブ、吊掛け式

 コメントが多いので、予定を変更して稿を起した。

 吊掛け式は、トルクチューブの先端に剛の状態でモータが付いていると考えられる。そしてそのモータの一部を、僅かの自由度を与える方法で(ゆうえん氏は両面接着テープで)フレイムに取付けている。要するにモータ軸の延長線に対して垂直の動輪軸が、減速装置を介して廻るだけ、と考えることができる。その動軸が、バネその他の懸架装置で、レイルに押し付けられている。

torque tube 左の写真のトルクチューブはその先端が一点で固定されている。SKT氏の指摘通り、長孔があり、多少の伸縮(チューブが斜めになっているから)があっても逃げられるようになっている。この方法ではモータは固定できる。これはOスケールではありがたい。モータは350 gもある。そのモータが吊掛け式で動くと壊れやすい。また吊掛け式ではモータ固定ネジが、軸方向から締められるので、どうやって締めるべきか、設計に苦労する。また、吊掛け式ではバネ下質量が大きいから、軸重は均等にはならない。即ちレイル接続部を渡る音が、同じ音ではなくなる。

 トルクアーム方式は機種ごとにトルクアームの位置を考えねばならない、ところがトルクチューブはすべて共通部品で済む。モータ軸とドライブシャフトとはほぼ同一直線状にあれば良い。ルース・カプリングを介して付ければ、全く無調整でよく走る。トルクチューブには簡単な腕を付け、その先端にはピンを差すようになっているだけで、とても簡単である。モータ・ブラケットに小さな腕をつけたのは祖父江氏のアイデアである。これは優れたアイデアで、簡単に、かつ確実にできるので、量産には都合が良い。筆者のプロトタイプは、配線用のゴムのグロメットで承けたが、これでは経年変化が無視できない。10年でパリパリになったので改装した。

 この駆動方法は、祖父江氏が改造して世界中に出て行った1000輌のほとんどすべてに使われている。即ち、Sofue Drive である。

 愛読者氏のコメントで質問されているフレイムが曲がる話は、ギヤボックスや反トルク受けとは全く無関係の話である。おそらく、高ギヤ比の減速装置の付いたモータを取り付けたが、動輪が何らかの原因で廻らなかっただけのことである。単なる勘違いであるので、削除した。


2020年05月11日

続々々々々 ATSF Heavy Pacific

 本物では、インジェクタなどの補機類はどこに付いているのだろうか。たいていは運転室床下にある。機関士が手を伸ばしてレヴァを引き、あるいはコックを開き、作動させる。インジェクタは配管だけでぶら下がっているのではない。配管だけでは、振動で折れてしまう。大型機のインジェクタは重い物である。最低100 kg、大きいものは300 kgほどもありそうだ。垂直荷重の大半はフレイムから生えた支え(stay)で持つ。配管には殆ど力が掛からない。ステイは垂直方向にもある。三角形にして重さも受け持つようにしたものもある。また、Uボルトでインジェクタを押さえたり、インジェクタそのものに取付ボルトがあるものもある。

 模型では、インジェクタはキャブに配管だけでぶら下がるものが、ほとんどだ。だから塗装などで上下分解すると、上廻りをインジェクタで支えるような置き方になる。HO 以下のサイズなら、さほど問題にはならないかもしれないが、Oスケールの大きさであると、これは 大きな問題である。上廻りをどうやって置くべきか、考えねばならない。事前に台を作ったりする。そのまま置けば、インジェクタが曲がってしまったり、配管が折れたりするからだ。

injector suppoert (1)injector suppoert (2) 今回は火室底板に付いている配管を延長し、インジェクタまで一体にした。インジェクタには支えをハンダ付けし、フレイムに作ったネジ穴で固定することにしたのだ。2箇所留まっていれば安定する。

 このやり方は祖父江氏と何回か相談したことがある。どうすれば実感的で、しかも壊れにくいか、だ。今までは、キャブ床板からステイを下に延ばしたものが多かった。これは実感を損なうし、弱い。今回のやり方でいくつか作って検討してみることにする。

  既製品であるので、寸法を出すのが難しい。配管だけで浮かしたものに、フレイムにネジ留めしたステイを接触させ、その先に炭素棒でインジェクタをハンダ付けした。こうすれば位置は必ず合う。 そうしておいて外して洗う。

 塗装はばらばらの状態で行い、組んでネジを締める。あちこち触っているので塗装は傷だらけだ。後でタッチアップする。裏面だから見る人はいないが、気にする人もいるからだ。

2020年05月09日

続々々々 ATSF Heavy Pacific

torque tube 動力部分を示す。過去に何度か触れたトルクチューブである。これは筆者の発案で、祖父江氏が全面的に採用したメカニズムである。ギヤボックスから生えた剛性のある円筒の後ろをピンで支える。発生するトルクは、そのピン一本で受ける。ギヤボックスは自由に動くので、サスペンションに何ら影響を及ぼさない。トルクをリンクで受けるのも良いが、そのリンクは意外に目立つものである。トルクチューブは目立ちにくい。

 この種の反動トルク受けは実物にとっては大切な機械要素であるが、そのスケールモデルと称する模型に正しく付いているのを見ることは、まれである。TMSの記事で出現確率を調査されると面白いと思う。コンテストの入賞作品でさえも、ついているものはまれだ。

 スリップさせながら(最大のトルクを発生)、フログなどの不整部分を通過させる時、バネ、イコライザの動作があっても、全く同じように引張力を発揮することが求められる。要するに動輪の上下動があっても、引張力が変化してはならないのである。これはサウンド装置を働かせながら、重列車を牽いてポイント上で起動するとよくわかる。

 ギヤボックスは負荷の大小に関係なく、自由に動かねばならないのだ。 

2020年05月07日

続々々 ATSF Heavy Pacific

ATSF (1) テンダ床の補強工事をした。3/8インチ (9.5mm) のアングルを、全長に亘って貼り付けた。この厚みは1.3 mmであるから、かなり強い。要は前後の端梁付近が弱いので、衝突時の力を受けるようにしたわけだ。
 端梁は厚いブラス鋳物だから、それにしっかりとハンダ付けすれば、安心である。ハンダが廻るように傷をつけ、ブラスのネジで締め付ける。ガスで焙って持てなくなる温度(100 ℃くらい)まで予熱し、その上で炭素棒で短時間加熱すると、狭い部分だけを完全に融かすことができる。途中はネジで締めただけで十分だ。おそらくオリジナルの状態よりも丈夫になっている。

ATSF (3) 塗装をした。絶好の天気であった。前日に水洗いをして、風に当てた。特に錆取りはしない。ゴミとか埃が取れれば良い。下塗りをし、太陽を背にして裏側から塗り始める。最終的に金網の上に正置して、少しずつ回してどこにも塗り残しが無いように確認する。テンダは2つあり、これは慣性増大装置を付けない方の物だ。 
 背後から太陽光を受けると、塗り残しを発見しやすい。蒸気機関車のように凹凸が大きく、丸いものは難しいものだ。

ATSF (2) 今回はインジェクタの支えに工夫を施したので、それを塗るのに、少し手間取った。マスキングテープは銘版を隠している。これは”Product of Japan”の時代だ。その横の21という数字はこのロットの中の製造番号だろう。ボイラの中には祖父江氏の筆跡で番号が書いてある。
 不思議なのはその番号で、機関車は30、この灰箱下の板は21、テンダは22であった。もう一つのテンダは20だ。


2020年05月05日

続々 ATSF Heavy Pacific

ATSF Tender (3) テンダの床板は1 mm板である。 フライスで切り抜いたら、前後方向の剛性が小さくなって、衝突時にめり込む可能性が出て来た。内側に厚いアングルを2本、全長に亘って貼り付けることにする。回転体を避ける位置である。前後の端梁は分厚くて丈夫なブラス鋳物であるから、そこにネジ留めしてハンダ付けすれば良い。前より強くなるだろう。

ATSF Tender (2) これは6輪台車である。砂鋳物でできていて、幅が広い。ジャーナル部がガバガバしている。これではボールベアリングが左右に踊ってしまう(ベアリングが見えている)。こういう台車のボルスタを幅詰めするのは面倒である。ネジ孔の隣に近接して孔をあけ直すのが難しい。M2のネジを1 mmずらすのはやりたくない。削るならたくさん削って孔一つ分ずらしたい。

ATSF Tender (1) ボルスタを片方からフライスで切り込んで、2mm狭くした。片方から削り取ると心皿位置が変わるが、今回はどうせその付近を削りとってしまうのだから問題ない(普通は対称的に両方から同じ量を削る)。ネジ孔は、ブラスの丸棒を突っ込んで銀ハンダで固めた。こうすれば隣に孔をあけても、ドリルが引き込まれない。台車の幅を絞ると、見かけがかなり改善される。模型の台車枠は厚いのだ。

 テンダの集電シュウは祖父江方式で前後の2軸から採っている。DCCの時の雑音を無くすには効果がある。左右の動輪と従輪から2極採り、テンダの場合前後台車で2極を採る。テンダ本体は機関車と同極性であるが、カプラは絶縁してある。いろいろな方法で試したが、この方法が、最も集電が良く、ショートが無い。

 台車ボルスタの心皿の周りは、ギヤボックスを収容するために四角の穴を大きく抜いた。ここに 2 mmの板を貼り重ね、ドライヴ・シャフトを貫通させるスペイスをボールエンドの刃物で削る。可撓継手のスペイスも要る。その 上に、さらに2 mm板を貼り重ねる。全体を厚板から作ると設計施工が面倒なので、よくやる方法である。銀ハンダを使えば、一体構造と同等の強度を持たせることができる。切り取るものは補強板を付けてからという原則を守ると、寸法の狂いが無い。合計でボルスタの最大厚みは7.5 mmになった。過去最高である。

ATSF Tender (4) 床板に台車を置いて位置確認をする。両端の軸からチェインで駆動するのは同じだが、スプロケットはギヤボックスの内側寄りであって、2軸目まで共通のドライヴシャフトである。その次に可撓継手が来て3軸目がつながる。ガスタービン機関車と同じ方法だ。簡単にして確実である。

 心皿高さは現行より5.8 mm高くなる。床板の上面とほぼ同じ高さになるが、心皿が邪魔なので別の方法を考えている。中央軸のギヤボックスの収容は大きな体積を必要とするからだ。
 先回のリンク機構は今思えば、ベストの方法であった。駆動軸を通すと心皿は邪魔である。今回もそれが気になっていた。ギヤボックスを偏心させ(中心に置かない)、センタピンを反対に置くという手もあるが、見た人が驚いて落とすといけないので、それはやめた。

2020年05月03日

続 ATSF Heavy Pacific

 この機関車は場違いなところにあったのだ。東部の機関車は西部で、西部の機関車は東部で買うと良い、と言われていた。人気がない機種は、安く買えるということだ。サンタフェの機関車がニュー・イングランドにあっても、欲しい人などいない訳である。当時の相場としては900ドル位であった。その価格で出ていたが、誰も見向きもしない。売り主と話をすると、
「800ドルにするから買ってくれないか。」と言う。
「いや、こちらはアメリカ一周の旅行中だから、買いたくない。」と答えると、「最終日まで待って誰も買う人が居なかったら、600でも良い。」と言う。
「いやそれでも買いたくないな。」
「じゃ500でいいから。」と言う。その価格でなら魅力があった。

 そして最終日の夕方行って見ると、筆者の名前を書いた箱があり、小切手を渡してそれを受け取って来た。良い買い物であった。南部の友人を訪ねてから、自宅に帰って箱を開けた。驚いたことに、ACモータが入っていて、逆転スウィッチはキャブの中にあった。Max Gray時代の極めて初期のものだったのだ。それが安い理由であった。ニ線式であったのは助かった。帰国する時には錘とモーターは捨てた。それでも十分に重かった。
 祖父江氏に見せると、「参ったねー。こいつは古いよ。30輌位作ったかな。モータが入らないから、バックプレートを切り開いて、無理に押し込んだんだよ。テンダは重いよ。厚い板で作ったんだ。高くついたね。あとでUS Hobbies向けにも作ったけど、あれは薄い板で作ったから軽いよ。」と言った。
「煙突の裾はハンダの丸味だよ。プレス型を作るほどの数が無かったからね。あとで作った時はプレスになったな。」

pneumatic smoke deflector (2) バネを入れ、動力を改造して押して動くようにした。外装もかなり手を入れた。塗ってしまえば良かったのだが、ガラス棚に長期間鎮座していた。今回テンダを改造する予定だが、先に塗ってしまうつもりだ。本物の煙突は2フィート(61 cm)ほど折れて畳めるようになっている。それをやりたいのに、資料が見つからなかったのが、塗装が遅れた理由だ。DCCで畳めるようにしようと思っていたのだ。この図面がかなり近いと思う。

 実は、この機関車はもう一輌ある。テンダを手に入れたので、スクラッチからある程度作ってあった。並べると壮観だろうと思った。それは贅沢にもフル・イコライジングである。作りかけのまま、30年以上放置されている。スポーク動輪を他に使ってしまったのだ。今度作るときはボールドウィン・ディスク輪心にしたい。最近は3Dプリントでもできるから、試しにやってみたくなった。しかしタイヤを挽くのは大変である。快削鋼のΦ45を買ってきて削り出すのだ。ほとんど切粉になってしまう。昔は鋳鉄からも作ったことがある。鋳鉄製タイヤでは、牽引力は確かに増大するが、見た目が良くない。ステンレスのタイヤは許せない。色が悪いし、滑りやすい。快削鋼の色は素晴らしい。錆びると言う人がいるが、よく走らせていれば心配ない。
 精度の点ではタイヤだけは外注したいのだが、20枚程度では引き受け手がない。タイヤを研削する時に使うヤトイを作ってあったのだが、見当たらない。頑張って作ってみよう。 

2020年05月01日

ATSF Heavy Pacific

ATSF Pacific Santa Fe鉄道のヘヴィ・パシフィックである。背が高い。動輪径は79インチ、2006 mmだ。古いパシフィックを大改造して作られた。大きな動輪に替え、ボイラを作り替えて圧力を上げて給水装置をElescoにした。筆者の好みの形だ。この機関車は、筆者としては珍しく完成品を入手している。1960年より前の祖父江氏の作である。

 1989年、アメリカ東部のOスケールのショウを見てみたいと思った。西部から車で何日も掛けて走り、あちこちで友人を訪ねながらメイン州まで行った。帰りにコネチカット州のスタンフォードに寄った。駅前のホテルでその模型ショウがあったので、Bill Wolferに頼んで、入場券を押さえて貰った。ホテルはマリオットで高級だが、参加者は安く泊まれた。すぐ裏に、St. John's Episcopal Church があり、そこの地下には巨大なOスケールのレイアウトがある。その大きさ、精緻さは全米で屈指のものである。

 物品販売しているテーブルはたくさんあり、手紙のやり取りで知っている人も多かったので、一つずつ訪ねて歓談した。中には金を払ったけど送って来なかった奴がいて、乗り込んで行って名乗った。非常に驚いて、「もうすぐ送るつもりだった。」と言い訳をした。「黙れ!さっさと商品を渡さないと主催者に言うぞ。」と怒鳴ると、慌てて渡した。もう廃業しているから名前を出すが、Sal Marino’sというイタリア系の店であった。何回か電話したが、ごまかすつもりで、でたらめなことを言っていた。まさか西部から乗り込んで来るとは思わなかったのだろう。啖呵を切る練習をして行ったので、うまく行った。そのせりふの手ほどきをしてくれたのは、Bill Wolferである。後ろで見ていてくれた。


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