2018年10月

2018年10月30日

続々 長い貨車

tri-level autorack 長い貨車の幅はやや狭い。紙の上で曲線上の車体を描いてみると、内側が当たることに気付く筈だ。車端はオウヴァハングが少ないので大したことは無い。
 普通の貨車よりやや狭い。客車と比べるとさほど長いわけもないが、急曲線を通すことを考えているのだろう。本線上は全く問題ないが、積み下ろしする引込み線はかなり急曲線だからだ。

test シュナーベル型の大物車はその点かなり考慮している。積荷部分が左右に油圧で動かせる。当たりそうなときはずらすのだ。
 シュナーベルの運行を見たことがある。弱い橋を通るときは最徐行である。高速だと衝撃で橋が落ちるからだ。


tri-level autorack of brass 自動車運搬貨車の積載許容荷重は意外と小さい。自動車は平均密度が小さいからだ。1台2トンとしても、15台で30トンだ。この動画は素晴らしい。
 この車種を好きな人が多いが、自作する人はまれだ。ほとんどの人は完成品を不満を持ちながら買っている。この記事にはレーザ加工で作る話がある。暇になったらやってみたい。自動車の模型は高価であるから、完全閉鎖型を作ると安くできる。自動車の形に切り抜いたシルエットを入れると、それらしく見えるかもしれない。
 写真の車輛はあとハシゴとブレーキ装置を作れば完成だ。渡り板は1枚ずつ作った。本当はフライスで溝を切る予定であったが、裏が網目板なので角材を貼った。ブラス板製だから丈夫である。かなり荒っぽいキットだったので、自作と言ってもおかしくない。キット中のアングル、チャンネルは使ったが、その他は自前である。ハンダが汚く見えているが、塗装すれば問題ない。 

2018年10月28日

続 長い貨車

auto carrier3 1段目を接着している状態を示す。これは、ゴムの代わりにテープを使っている。錘はまだ載せていない。接着部は点接触のように思うが、意外にたくさんの面積で接触しているから、かなりの強度で接着されている。おそらく、走行時に軽度の脱線事故があっても生き残るだろう。支柱は1本 6 g ほどで、24本あるからそれだけで 150 gである。未組の時、箱が重くて驚いたことを覚えている。

 この貨車は突出している部分が多いので、その部分は念を入れて接着する必要がある。たとえば隣の貨車との接続部には、渡り板がある。これを接着する時には、接着面をよく削って平面を出し、硬化時間中は適当な保持具で押さえねばならない。
auto carrier5 筆者はヤスリを用いる。目の立っている部分を使うと簡単に押さえることができる。接着面は小さな面積ではあるが、垂直に隙間なく圧着されていると、よく付く。この方法はハンダ付けに時にも役立つ。

auto carrier4 Xブレイスなども、すべてエポキシで付ける。二番目の写真の右上にある二液性エポキシ接着剤は、2つのシリンジが平行している。押せば自動的に等量出るので具合が良い。大きく "5 minutes"と書いてあった。多少古いものを、アメリカのバッタ屋で大量に買った。それ以来5年も経つが、問題なく使える。持ち帰るとき嵩(かさ)を減らすためにブリスタ・パックを捨てたので、何というブランドか分からない。多分これだろう。もう残り少ない。
 5分というのはいわゆる"working time"(付け外しが可能な時間)で、"setting time"(硬化時間)は15分である。未混合では硬めだが、混ぜると粘り気が減るから、隙間の上に盛り上げておくと、毛細管現象で吸い込まれてしまう。ぬれが良いのだ。

2018年10月26日

長い貨車

 1970年代のアメリカの鉄道では、85 ft(約26m)クラスの貨車が急速に増えていた。そのころは貨物列車を見て、新車を探すのが楽しみであった。この Autorack  車載専用車は3段でたくさん積めた。乗用車は15台載せていた。当時は現在のような屋根や側板はなく、開放型であった。長さは徐々に伸びて 89 ft(27 m強)まで行った。

 この貨車が好きで、都合4輌作った。1輌目は別会社の木製キットで1970年代に完成させた。実に難しいキットで、苦労した。接着部が少ないので、ショックに弱いだろうから、走らせられない。展示用だ。その後90年代に金属製キットを入手したが、単なるチャンネルと板の詰め合わせであった。これがキットと言えるのか、という程度のものであった。図面も怪しく、実感に欠けるところがあったので修正した。ハンダ付けなのでジグも要らず、作るは容易であった。組み立てたものは10年も行くえ不明であったが、最近発見された。重く600 g以上ある。補強材を足したためである。少しディテールを付ける必要があるので資料を当たっている。

 今回のキットの2輌は支柱がホワイトメタルでその他が木製である。支柱は24本あって、それに3段のラックが載る。接着している間にどうやって保持するかで悩んだ。友人は考えた末、「不可能だ。」と言った。しかし、何とかして組み立てたかった。

auto carrier2 丸一週間悩んで、ついにある方法を思いついた。側面の枠だけを型紙上で接着してしまう。つまり、格子状にするのだ。それを床板の隅に引っ掛けて二段目のラックを支点に上端を輪ゴムで軽く締める。仮留めはマスキング・テープでも良い。そうすると支柱の弾力の範囲であるから、支柱は床の隅に密着して留まる。もちろんある程度の錘をラックに載せると密着が良くなる。5分間エポキシを使った。

assembling autocarrier 支柱はかなり硬い合金で、曲がったりはしない。普通のホワイトメタルとは違う。ヤスリを掛けると快削であることがわかる。たまには捩じれているのもあるので、事前に修正するが、とても硬い。

2018年10月24日

床下

 筆者は床下は徹底して省略することにしている。シルエットにはこだわるが、線路際で横から見て、見えないものは一切付けない。
 貨車のキットでも、低床の場合は床下が全く見えないので、何も付けない。その場所に活字金などで作ったウェイトをどっさり付けることにしている。

Trailer Train (2)Trailer Train そう言う筆者も、さすがに省略できない貨車がある。このトレーラ積載貨車は床が比較的高いのと、側板がほとんど無い車だから、丸見えである。床下には太いspine(背骨)があり、それにrib(肋骨)が生えている。スパインには活字金が満載だ。リブには補強もある。この三角のリブにはさらに前後3枚ずつ6枚の補強板が付く。

 ブレーキ管も丸見えである。こういう場合は付けざるを得ない。最近、発掘された5輌を含め10輌を完成させている。もう無いと思っていた貨車キットが先日どっさり見つかった。安いものは記憶に入っていない場合があるのだ。この10年ほど、木製のキットは組める人が居なくなったらしく、捨値で出ることがある。1輌7ドル、5輌で30ドルほどで買っているのだ。
 尤も、必要な物(台車、車輪、連結器、ディカル)は1輌当たり、30ドル見当掛かっているので、それほど安いわけではない。一番安上がりな調達方法は、台車と連結器が付いたボロボロの貨車を買って、車体を捨てることだ。それでも車輪とディカールは必要だ。
 そういう安いものを買うと、帰国してそのまま棚の上に上げて、そのままになる。

 レイアウトの作業が終わった後、帰り際の2時間程度の時間を振り向けている。夜間に接着剤が硬化するので具合が良い。2液性エポキシ接着剤を多用している。木材に浸み込んで固まるので、強力接着ができる。圧着にはブラス隗、鉄隗を用意してあるので、それらを載せて待つ。こういう作業には数時間で固まるものが適する。

2018年10月22日

続 signal bridge

signal bridge (3) トラスの問題は、この写真をご覧戴ければ解決していることが、お分かりになるだろう。しばらく前の関西合運での撮影である。
 直角三角形の板を作って張ってある。もちろんリヴェットを打ち出したものをハンダ付けした。接着でも良いのだが、ハンダ付けが容易なのでそちらを選択した。

 まだ信号機とか、歩み板を付けなければならない。これを見て欲しがる人が多い。レーザ加工は訳ないが、その後のリヴェット打ち、その他のことは意外と大変である。アメリカからも引き合いがあるが、どうなるだろう。

 問題は信号機の機能である。本線上にあるものは単純な閉塞信号で、それは試運転で解決している。本線上の渡り線、側線への出口などの表示は難しい。様々な会社の資料を見ているが、どれも異なる表示である。

 サーチライト型信号機を本線上に付けたいが、3色の表示を一つのLEDで行うのは難しい。緑とオレンジの色が変である。サーチライト型はレンズが一つで、中に光源と可動の色フィルタが入っているものだ。多色を発光するよいLEDが見つかれば良いが、難しい。大きいものは見つかるが、直径3 mmのものは無さそうだ。
 3色独立のものになるだろう。渡り線が作動している時には本線が赤にならねばならない。これはあるアイデアで簡単に解決した。閉塞信号とは無関係に赤に出来る。 


2018年10月20日

signal bridge

signal bridge (2) 現在工事中のレイアウトには自動信号機が設置される。信号橋はBachmanの怪しいプラスティック製がいくつかあるが、どれも気に食わない。二つをつないで長くしたものもあるが剛性がなく、電気工事をしているうちに空中分解しそうである。そうでなくても、いずれ振動で折れて大事故につながる。金属製のものに置き換えたかった。

 northerns484に相談して、新しく図面を描き起こして戴いた。あの怪しいトラスからは縁を切れる。極めて剛性の高いものができた。

signal bridge (1) レーザ加工の会社にお願いして、送ってきたままの状態がこれである。角が完全に出ているので、手を切りそうである。油目ヤスリで面取りを施して、嵌め合いになっているところをぐっと力を入れてプライヤで締めると、そのままくっついてしまう。こうして仮組みしてから、塩化亜鉛液を塗ってハンダ付けする。

 ステンレスの熱伝導率は極めて小さいので、素手で握ったままでハンダ付けが完了する。

signal bridge (4) ハシゴは溝に短く切ったΦ0.8の洋白線を嵌め込んで、締め付けると半固定される。これも塩化亜鉛液を塗ってハンダ付けする。洋白は軟らかく、ステンレスは硬いので、ヤスリを掛けると、つるつるのステンレス面が残る。こうして綺麗なハシゴが出現する。


2018年10月18日

pole lines

 6日のクイズのお答が2つだけであったのは、寂しい。例によってrailtruck様が正解である。

 友人から、一袋のホワイトメタル鋳物を貰ったのは、もう20年も前のことだ。それが何かわかるまで、しばらく時間が掛かった。ガラス製碍子である。透明感のある塗料を塗ればガラス風に見えるかもしれないという製品だ。

pole linespole lines2 最近博物館で図書の整理をしていると、様々な資料に行き当たる。1970年代のNMRAのData Bookというものがある。模型の工作法、模型の電気回路、実物の情報など、ありとあらゆることが載っている。最初の二つは既に殆ど価値がないが、実物の寸法などは役に立つ。電話ボックス、電柱、その他鉄道関連施設の寸法は、有難い。

poles その中で電柱(信号線)のいくつかの例があった。材料は丸棒と角材である。それとNBW  (nut, bolt, washer) もあると良い。NBWのロストワックス鋳物は最近どっさり発見された。丸棒は白木の箸を電気ドリルに銜え、サンドペーパで細くした。角材は薄板から挽き出した。図面通りにしたら、かなり細い。そのままオイルステインに短時間浸け、乾かした。こうすると表面に膜ができて、上塗り塗料を節約できる。
 あっという間に数本のサンプルができた。塗装してから碍子を付ける。

 今までNBWを使ったことが無かったが、これは便利である。釘の代わりになる。下穴を細いドリルであけて、強く差し込めばよい。もちろん接着剤を付けてだ。こういうものはばらつきがあると良くないので、型紙の上で作った。

reverse sidefinished poles 碍子はガラス製だ。無色のと緑色とがある。塗装後に水性接着剤で付けた。触らなければ落ちることはない。この接着剤はアメリカで買ったもので、硬化後は水に溶けなくなる。拡大すると粗が目立つが、普通の鑑賞距離ではそれらしく見える。

 電信柱はプラスティック製を大量に持っているが、あまり良くない。遠くの方は良いが、観客席に近いところはこの木製を使いたい。問題はこの碍子である。手に入らないので、作らねばならない。ソフトメタルか、ブラスの挽物にするかだ。どちらが安いだろう。   


2018年10月16日

続 鉛活字

 鉛は錘としてよく使われる。しかし融点が高い。328 ℃である。木材で鋳型を作ると、300 ℃を超えるので焦げて臭い。
 もう一つ具合が悪いのは、固まると体積が1割ほど減少するので、鋳型を工夫しないと思う形の物ができない。

cast lead and type metal この写真の手前のブロックを見て戴きたい。直方体の鋳型に、何も考えずに注ぐとこうなる。下から固まるので、上面は凹み、側面は内側に倒れ込む。これを防ごうと思うと、上からピストン状のもので押さえながら固まるのを待たねばならない。文字にすると簡単だが、やってみると極めて難しい。
 あるいは上に長く作って、下だけを切り取って使うかである。この方法を「押し湯」と言う。

 後ろにあるやや面倒な形のブロックは活字金で作ったものである。何も考えなくても思った通りのものができる。活字金は鉛80%、アンチモン17%、スズ3%からなる。この配合は絶妙な組み合わせで、固まるときに僅かに膨らむようになっている。即ち活字を鋳造する時、型の中の隅ずみまで金属が行き渡り、正確な活字を鋳造できるようになっているわけだ。

 今野氏は活字のブロック(正確にはインテルという)を接着して切削しているが、正確な鋳型を作って流し込むと、作った本人がびっくりするほど素晴らしいものができる。融点も低く 240 ℃であるから気楽にできる。臭いもせず、簡単だ。
 筆者の経験では、バルサ材の10 mm厚ほどのものを、釘で固定し、針金で縛ったものが良い。長いウェイトを作るときは縦に深くすると良いのだ。真四角のものができる。先回の写真の左手前のがそれだ。必要な分だけ切り取って使う。
 融かすのは、ステンレスのおたまが良い。叩いて、注ぎ口を作っておく。

 鋳造はコンクリートの土間の上ですると良い。室内でやると、こぼれた時に甚大な被害が生じる。
 鉛の害が喧伝されているが、ウソが多いことが分かっている。鉛活字を長年触っていた植字工が鉛中毒になったわけではない。珍しくWikipedia にはまずまずのことが書いてある


2018年10月14日

鉛活字

printing type 今野氏のブログで、鉛活字を加工する話が出ていた。

 鉛活字がその価値を失ってからもう10年以上経つ。初期のTMSには、活字を錘用に少し買いに行くテクニックが紹介されていた。
 印刷屋の小僧を装い、「8ポの”イ”を20本」とか、もっともらしい事を言って、活字屋で買う話だ。当時は活字屋という商売もあったわけだ。もっとも、東京のように出版が盛んな地域の話だろう。田舎にはない。

 さて、先日廃金属商にブラス屑、銅屑その他をどっさり持って行った時に、ドラム缶一杯の活字があった。
「どうだい、これ一杯で4万でいいよ。」
と言う。2トンあるらしい。とても乗用車には載らないし、そんなに使うあてもない。
「10 kgほど貰うよ。」と言って、適当な価格で買って来た。もちろん量りもしない。そこにあった小箱に山盛りである。

putting weight インクのついているのは融かすと煙が出るので分ける。軽く灯油で洗ってから使う。綺麗なものはそのまま接着するが、細いところに押し込みたいときは鋳型を作って鋳込む。
 タンク車は完成後の補重は難しい。設計時に材料をたくさん使って重くしておくべきだ。既製品の場合は主台枠の骨の中に押し込むしかない。
 左は鋳造品、右は活字そのものである。隙間なく詰め込むと当鉄道の規定質量に到達した。実は先日の車検で20輌ほどが質量不足であった。
 1.6%の坂を押上げると、連結部が座屈することがある。そういう車輌は決まっているのだ。測定すると、355 g必要なところ300 gほどしかないのだ。この55 gほどが、決して無視できない結果をもたらす。いつも同じタンク車が座屈するので、きっちり詰め込んで、すべてを同じ質量にした。
 
 結果は上々で、全く脱線せず80輌の押上げが可能であった。


2018年10月12日

ブレーキ

 鉄道のブレーキは自動車に比べれば効きにくい。摩擦係数を考えれば自明だが、それが分からない人が居た。

 川端氏の体験談だ。関西線八田駅近くで、単機回送のC57を運転していたところ、踏切にトラックが入り込んでエンストしたらしい。すぐに急ブレーキを掛けたが間に合わず、トラックをはねた。そのトラックはばらばらになり、運転手は即死した。

 処理は終わったと思ったが、検察庁から二度も呼び出しが来た。そのトラックを見つけてからブレーキを掛けるまでの時間を問われたそうだ。すぐに掛けたと言っても信用しない。
「列車を牽いているならまだしも、単機回送なのだから直ちにブレーキを掛ければ、急停止できるはずだ。ぶつかっても仕方がないと、漫然とした運転をしていたに違いない。」
とその検事は嫌疑をかけ、主張を曲げない。
「どんなに急ブレーキを掛けても、止まれないものは止まれない。」
と言っても聞かない。話は平行線をたどり、実際に運転して現場検証をすることになった。

「はいそうですか、どうぞ。」
とやってみたところ、絶対に停止出来ないことが分かり、そのまま”嫌疑なし”で不問となったそうである。

 その検事は当時の県知事の甥であることをひけらかしたそうで、「腹の立つ奴だったなぁ」という感想であった。
 機関車が急ブレーキでつんのめるように止まることを想像すると、漫画のような珍妙な光景が思い浮かぶ。どうしてこんなことが分からないのか、筆者には理解できない。 

2018年10月10日

御召し列車

お召し列車運転速度曲線 御召し列車の運転を任される機関士は、誰が見ても納得する人が選ばれるのだそうだ。結局のところ、そんな人は数多くはいないので、いつも同じ人が選ばれることが多いらしい。


 蟹江駅で被災したC57139は御召し列車に使われる機関車であった。ブレーキは多少効きにくいそうだ。わざとそうしてあるという話を聞いた。御召し列車では客車のブレーキは殆ど使わない。機関車のブレーキだけを使って止める。ショックが無いように、停止位置が所定の位置からずれないように、最深の注意を払って運転される。

 現在そのC57139は名古屋の金城埠頭にあるリニア・鉄道館にある。以前は千種駅北の旧国鉄の教習所であった中部鉄道学園にあった。名前が社員研修センターになってからもしばらくそこに置いてあった。聞くところによると、管理者側は持て余していたそうだ。

 以前はあまり感心しない状態であったが、現在は磨かれて置いてある。問題は、その保管場所が名古屋港内の0メートル地帯 低地にあることだ。潮風の問題(室内でも海塩の粒子は入り込む)と津波の問題がある。次の地震で押し寄せる津波は 5 mほどと予測されている。甚大な被害を受けるだろう可能性がある。こういうところに博物館を設置することにためらいがない、というのは理解できない。

<追記>
 ゼロメートル地帯ではないというご指摘を受けたので、表現を変えた。津波の予測高さは諸説あり、湾内であることを考えてもその程度はあると考えられる。現場に行って見た感じでは、設置場所の標高は低過ぎると感じている。
 津波は大きな潮位変化と考えれば、施設内各所にある排水溝から水が逆流することが想定されるが、果たしてそのようなことには対処されているのだろうか。
               2018年10月11日     

2018年10月08日

豊橋空襲

 川端氏は昭和20年6月19日夜、乗務中に豊橋空襲を経験している。
 それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
 その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。 

 戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。
NHKTV 昨年、それを聞いた川端氏が証言して決着が付いたのだそうである。乗務員は時刻を正確に認識している。当時の時刻表も見せて貰った。確かに11時52分着、55分発である。定時到着であったそうであるから、爆撃開始は11時55分前後である。これはNHKで放映された。
 川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。

満州国皇帝溥儀乗用列車運転速度曲線 さらに珍しいものを見せて戴いた。満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀が日本に来た時の、御召し列車の運行計画表である。実際に予行演習で走ってみて、その結果も書き込んである。その機関士であった人から貰ったものということだ。満州国の国旗もあったそうだが、それは畏れ多くて貰わなかったそうだが、あれば貴重なものである。満州国の国旗は黄色を基調としている。その国旗と日の丸を交差して機関車前方に付けたのだそうだ。


2018年10月06日

川端新二氏の来訪

 先日川端新二氏のお宅にお邪魔してお話を伺った際、当博物館の話題が出た。川端氏も、椙山 満氏のところに何度も訪問されているから、模型は嫌いではないと思った。いらっしゃいませんかとお誘いすると、見たいとおっしゃるので、車でご案内した。

114_4574 レイアウトを見た感想をお聞きしたが、その中で一番印象に残ったのはこの転車台での機関車の状況だ。この写真は2年前のものを再録している。
「これは正解。機関車が外を向いて止まっている。なんでだか、わかるか?」
「外に向かって開いているから、作業する場所が広いからでしょうか。」
「いやそればかりではないよ。逆だと何が起こるか考えてみよ。」
工学エキスパートのT氏と頭をひねったが、思い付かなかった。

「たまにはドジをする奴もいるんだ。機関車が落ちると大変なんだよ。テンダが落ちても軽いからね。すぐ引き上げられるさ。機関車はそういかんよ。重いからね。落ちるとたぶん壊れる。修理に何日も掛かるだろう。テンダは水さえ漏れなければどうってことない。梅小路では機関車を転車台の方に向けているが、客受けを考えているんだろうね。」
ということであった。意外な答ではあったが、なるほどと思った。
川端新二氏 蔵書を丹念にご覧になって、この本は珍しいとか、様々なご意見を頂戴した。




quiz ここでクイズである。これは何だろう。大きさは背景のグラフ用紙が参考になるだろう。ひと目盛り 5 mmである。ピントが浅くて、手前のがぼけている。矢印のが形をよく表している。大きさは3種あるように見える。
 下が曲がっているのは、塗装時に穴から抜けにくくするために曲げた。最終的には切り落とす。色は緑を塗るように指定されていた。

2018年10月04日

機関士

Engeer Takashi Fukui 福井機関士の話を聞いて気が付いたのは、機関士は判断力が全てだということである。Big Boyの機関士Tom Harveyも同じことを言っている。

「蒸気機関車の時代は、すべてを機関士が判断した。ところが、ディーゼルの時代になると、dispatcher(列車指令)がすべてを握っている。機関士は名前だけで、単なるスイッチを入れたり切ったりする仕事に成り下がった。無線電話というものがすべてを破壊した。どうしてこの経験ある優秀な機関士が、生意気なディスパッチャの指示を聞かなければならないのだ。そんな指示よりもっとうまい手があると言っても、いうことを聞かない。」
 Tom は、よくブチ切れていた。
 
 伊勢湾台風の時は停電し、鉄道電話も不通だった。現場の判断しかないのだ。今のJRの機関士に同じことができるだろうか。もちろん停電したらすべてアウトだが、機関車は動くとしても難しかろう。ちょっとした事故の時に後ろから見ていたが、Tomの言う通りで、列車指令の言うとおりにせねばならない。あの程度の仕事で良いなら筆者でも務まる。

 しばらく前に、八田駅と蟹江駅の中間に新設された春田駅の構内で、すれ違うはずの貨物列車が線路有効長より10mほど長く、対向列車が構内に進入できないという間抜けな事故があった。手動なら簡単に解決するが、CTCで遠隔操作しているので、解決法がない。残念なことに半日も不通であった。
 どうやって解決したのか知らないが、CTCは全能ではないことを思い知ったに違いない。プログラムが更新されたかどうかは知らない。

2018年10月02日

続々 217列車

 機関助士の水谷久(ひさし)氏の家は養老方面にあった。桑名方面は水没しているので、名古屋、大垣廻りしか帰れないだろうと思った。3日目になっても見込みがないので、線路伝いに歩いて帰ることにした。10 kmほどを3時間以上掛けて歩いて、名古屋機関区に戻ったら大変な騒ぎであった。沢山の人が被災した。勤務中に妻子4人全員を失った機関士もいた。

 放置された客車には、家を失った人たちがたくさん住み着いた。この写真では周りの水は無くなっているが、堤防閉め切り工事が完成して排水が完了し、すべての陸地が姿を現したのは、2か月半後の事である。国鉄関西線は2か月運休し、その間に近鉄は突貫工事で狭軌を標準軌に敷き替えた。
 奇しくも9月26日は近鉄の標準軌化に備えた新しい木曽、揖斐長良橋の完工式典の日であった。式典の途中でテントが飛びそうになったらしい。このあたりのことは、youtubeで記録映画が見られる。
 筆者の学校は水没したので、1月まで学校に行かなくて済んだ。

Engineer Takashi Fukui 2 福井機関士は、国鉄総裁から人名救助で表彰され、のちに内閣総理大臣表彰も受けた。
「あの場面に居たら、誰でもそうする。そうする以外ないのだ。大したことではない。」
とは言うが、300人の命を救った判断は的確であった。蟹江駅付近は3 m以上の水深になった。そのまま停車していたら、多数の犠牲者が出たであろうことは間違いない。そもそも、八田で運転を打ち切っていれば、問題は無かったはずだ。鉄橋から列車が吹き落とされた可能性はあったが、そのことは不問にされた。

C5536 先行列車のC55 36は桑名の次の富田という駅で足止めを喰らった。デッキまで流木に囲まれて止まっている写真を見たことがある。
【この写真は中部日本新聞社(現中日新聞社)発行「伊勢湾台風の全容」よりコピーしたもの。2018年12月8日追補) 
 桑名駅が水没から脱したのちは、桑名に名古屋機関区の支区が置かれ、亀山、四日市方面からの列車は、桑名どまりであった。旅客は近鉄養老線経由で大垣方面に行った。
 急行「大和」は運休、急行「伊勢」は草津線経由となった。C55、C57、D51などは、転車台がないのでバック運転で列車を牽引した。筆者は、蒸気機関車がテンダを先にして運転しているのを見て驚いた。

 中学校の体育倉庫には遺体が並べられ、校庭でガソリンをまいて荼毘に付した。茨城の伯父が、はるばる3日も掛けて、養老線経由で大量の衣類、食料を担いで見舞いに来てくれた。

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