2016年06月

2016年06月29日

Walker氏のこと その4

covered hopper Alleghenyの発音の件は先に書いたが、この言葉の複数形はアクセントが後ろに来る

 アメリカにいた頃、この機関車の走った線路に沿ってドライブした。急峻な地形ではなく、老年期山脈である。Appalachian Mountains(アパラチア山脈) Blue RidgeとかSmoky Mountains のあたりである。そこでアレゲニィの音は頭に叩き込まれたが、テキサスの友人宅に行った時は混乱した。アレゲニィがたくさんあったのだ。彼は説明する時にアレゲィニィズと発音したのだ。

 聞き直すと、複数形はそうだと言う。理由はわからないが、いくつか例があるらしい。しかし、Alligator も最初にアクセントが来るが、複数形であっても同じ位置だ。

 

 さて、完成したアレゲニィの写真がまだ見つかっていないが、そのうち出てくるだろう。スロットルを引くと、前後が別々に回転し、スリップした。当たり前だが、妙に感動したそうだ。筆者はその話を聞いていたので、関節機にはモータとギヤを二組入れるようにした。すると祖父江氏も同じことを言っていた。

dda40xさんがさぁ、『二個モータにするといいよ。』って言ってたんだけど、大したことはねぇだろうと思ってたんだ。でもやってみたら、それがいいんだよね。ゾクゾクっとするね。」

 それから、関節機には二個モータというのが、祖父江氏のところの標準になった。 当然、井上 豊氏もそうした。もともと彼は自動車の差動装置を使うつもりだったが、こちらのほうがずっと簡単だった。

 のちに伊藤 剛氏にお見せすると、「やはり、これはいいね、ウォーカー氏の模型を思い出しますね。」とのことであった。



2016年06月27日

Walker氏のこと その3

opentop hopper 井上氏はその図面を祖父江欣平氏にも見せている。だから、Oゲージの アレゲニィはよく出来ている。Max Grayの時代にしては、他の機種より数等、出来が良いのだ。
 祖父江氏は、そのお礼にOゲージのアレゲニィの鋳物、プレスで抜いた板を井上氏に差し上げた。その板や部品は長い間井上氏の押し入れに眠っていたが、ある時、
50-ft boxcar「もうOゲージを作ることは無いから、君が組めよ。できるだろ?」
と筆者に譲ってくれた。半分くらい組んだところで、祖父江氏が仕事が無い時期があったので、完成してもらった。そうしたら、
「鋳物の台枠なんて、気に入らねえ。厚板で作り直したぜ。他にも気になっていたところを、全部作り直しちまったんだぁ。」
と言った。それは完全にカスタム・ビルトと言えるものであった。そして、韓国で作っていた怪しいアレゲニィがあって、当時のメーカが提供してくれた鋳物部品のうち、正しいものだけを組み付けた。鋳物セットを貰ったので、それから選り出したのだ。半分以上は捨ててしまったが。動輪は砂鋳物でなく、鍛造品である。それを祖父江氏が挽いてくれたのだ。
 そのアレゲニィは筆者のコレクションの中で、最も価値ある機関車である。

livestock car さて、ライヴのアレゲニィであるが、井上氏は国鉄の工場の旋盤を使って主要部品を作り、自宅で仕上げをしていた。
 ウォーカー氏は時々寄って、ヤスリ掛けを手伝ってくれたりしたそうだ。そういう時には、
”For your family."
と言って、缶詰をたくさん持ってきてくれたそうだ。
「食べ盛りの子供がいたから、あれは助かったね。」

 蒸気の自在継手を球状に仕上げて、漏れないことを確かめたときは嬉しかったそうだ。  

2016年06月25日

Walker氏のこと その2

flat car 会社のための模型作りだから、勤務中に会社で作る。
「私の人生の中で、あれが唯一の経験でしたね。仕事で模型を作ったのは。」と、剛氏は仰った。剛氏が図面を描き、一部はカツミ模型店で作ったものもある。

reefer 模型とはいうものの、実物通りに扉は開き、ロックも掛かるようにした。実物の図面があるのだから、やればできてしまう。材料は会社が購入し、塗料は塗料会社に注文した。白眉はレイルで、製鋼会社が、わざわざその断面を作って挽き出した。ポイントも熟練工が実物同様に削り出したものを用いた。クロッシングは一体鋳造である

NYC J-1e and streamliner 蒸気機関車はライヴ・スティームだから、ボイラを作らねばならない。井上 豊氏は銅板を丸く曲げてリヴェット留めし、銀ロウ付けするつもりであった。ところが、日本碍子の旋盤工が、「ワンピースで作ってやる」と言い出し、薄いボイラを肉厚銅菅から挽き出してしまった。その話を何度も井上 豊氏から聞いてはいるが、いまだに信じられない。銅のような粘っこい材料を旋盤に掛けると、喰い込んでお釈迦になるはずだ。

「彼はね、今で言えば技能オリンピックで金メダルを取れるような人なんだ。出来ないことなんか無いんだよ。」と井上氏は強調した。
 ピカピカの薄いボイラで、素晴らしい出来だったそうだ。 

 1967年、井上氏は C&Oの2-6-6-6 アレゲニィのHOモデルをTMS誌(233号)に発表した。当時はそのような機関車の存在すら、ほとんどの日本人は知らなかったが、彼は本物の図面を持っていたので、わけなく作ってしまったのだ。
 また、井上氏はAlleghenyの発音を正確に覚えていらした。日本の模型人はこの地名をよく知っているのだが、筆者が出会った人の中で、正しい発音をされたのは井上氏と剛氏だけだ。
 参考までに書くと、最初のA強く言うラゲィニ と言えば通じるが、それ以外の発音では不思議そうな顔をされるだろう。しかし、TMSの表記はやや異なってアレゲーニーとなっている。この表記だと第三母音にアクセントが来ると思ってしまうだろう。筆者もそう思った。

2016年06月23日

Walker氏のこと その1

剛氏のアルバム 連合軍が日本を占領していた頃の事情を細かくつづった本を読んでいるときに、筆者はある名前を見てどきりとした。ウォーカー中将という名が出てきたのだ。
 もちろん別人なのだが、名古屋には別のウォーカー氏が居た。剛氏の遺品の中にそのアルバムがある。

 アメリカから派遣されて、当時の中部地方の工業地帯を統括していた人の名である。軍属ではなく民間人であろう。
Mr.Walker ハロルド・ウォーカー氏はこの地方のすべての産業を押え、アメリカの国益を守る経営をさせるために派遣されていた。あまりにも厳しい人で、どの会社も、どうしたら少しでも目こぼししてくれるかを考えていた。ある時、彼は鉄道模型が好きだということが分かった。そこで日本車輛の伊藤剛氏が抜擢されて、話をしに行ったのだそうだ。剛氏は模型人であるし、英語が堪能であったからだ。ウォーカー氏は、Missouri Pacific鉄道に勤めていたことが分かったのだ。

 そこで日本車輛が車輛を、大同製鋼がレイルを作り、彼の好きな列車を進呈することになった。はっきり言えば、賄賂である。鉄道模型を用いて懐柔しようというわけだ。蒸気機関車は井上 豊氏が作ることになった。三菱や日本碍子、国鉄まで巻き込んだ大作戦である。

 車種は先方の指定で、NYCハドソンとC&Oアレゲニィ、FMのディーゼル機関車、流線形客車5輌、貨車7輌であった。すべてアメリカから本物の図面と写真を取り寄せ、その1/32、1番ゲージ模型を作ることになった。(写真は完成した模型を手にするウォーカー氏)

2016年06月21日

鉄橋上の線路

jig for superelevated ties トラス橋の延長上にガーダ橋がある。線路を続けて作っておかないと、曲率が変化してしまうこともありうる。

 ジグを加工して、長い線路を作れるようにした。2.6 mmの鉄板だから、糸鋸で切れないこともない。
 伊藤 剛氏は、
「糸鋸は最も仕事量が少ないので、手でやる仕事ならこれに勝るものは無い。」
と仰っていた。

 掛かってみると、ほんの数ミリメートルを切るだけで、かなり疲れた。いつも快削ブラスを使っているので、その10倍ほどの手間が掛かる。

 一箇所切っただけでギブアップし、アングル・グラインダに切断砥石を付けて切った。20 mm ほど切るところもあったが、数秒で終わった。角を落として、手を切らないようにした。
 
 また10 mm厚のバルサを敷いて延長工事をするのだが、この写真で左の方は浮いてしまうので、10 mm程度の板を挟んで安定化させた。

 レイルの曲率が一定になるようにあらかじめ曲げて置く。レイルは長さが足らないのでつなぎ、ハンダ付けして一体化させた。こういう作業は塩化亜鉛に限る。ジョイナの隙間をハンダが満たし、固着する。

2016年06月19日

客車ヤードの現況

passenger car yard bpassenger car yard finished 懸案の客車ヤードの線路敷きが完了し、配線も済んだ。線路間隔を本線と同じ100 mmにしたが、それは正解であった。長い85 ft車(25 m車)を曲線上に置くと、車端がかなり近接する。

 この部分は機関車が走る部分ではないので、饋電線は少ない。客車の照明だけだから、レイルボンドに頼っている。饋電は 3 m おきで十分である。

rail bonds and bender レイルボンドを作るときに、今まではごく適当に銅線を捩じり、手で曲げていた。正確に曲げて取り付けると見栄えが良いので、 今回は工具と型紙を使った。銅線は裸撚り線の一端を万力で挟み、他方をヴァイス・グリップでつまんで捩じった。

making rail bonds この工具は、歯科の入れ歯保持用の針金を曲げるためのものである。日本製の本物は極めて高価であるが、これはPakistan製であると表示してある。アメリカの工具屋で手に入れたまがい物であるが、何ら問題ない。細い線を実に正確に曲げることができる。
wire bender 他にも丸く曲げる道具もあり、それは挟む位置で曲率を連続して変えられるようになっている。入手したのは20年ほど前であるが、当時の価格は一つ3ドルくらいだった。今ではもう少し高いだろう。

rail bonds and tools この種の工具は日本ではまず使っている人を見ない。とても便利である。立てて置く時は、このような保持台に置く。
 これは以前紹介したが、厚板に穴を開けて、底に薄い合板を張ればいくらでもできる。


2016年06月17日

カント付き線路

hand laid superelevated track カント付きの曲線はこのように出来上がった。曲率が一定であるので、なかなか壮観である。枕木裏も削ったので、平面に完全に密着する。スパイクは緩いものをすべて抜き、接着剤を塗って押し込んだので、二度と抜けることはないはずだ。

underside of the superelevated track 裏はベルトサンダの平面で軽く削ると、このようになった。枕木の多少厚いところは削られている。フライスで斜めに削いだ部分は刃型が出ている。目で見ても分からないが、このようにするとオイル・ステインの浸込み具合が浅かったので、その凹凸が強調されているのだ。
 釘の切り口が平面になって光っている。何かの間違いで短絡を起こすといけないので、絶縁材を貼る予定だ。
 
 ここまでの工事で延べ6日掛かっている。もちろん仕事をしている時間は3時間くらいだが、ステインの固まる時間、接着剤が硬化するまでの時間を取らねばならないので、その程度の時間が必要だ。重しを載せて保持する平面も必要で、生産性は極めて低いと言わねばならない。あまりやりたくない仕事だ。
 この部分はトラス橋の上で、さらにガーダ橋の部分も連続して作る。ジグを加工して延長できるようにするのだ。ジグは2.6 mmの鉄板だから、糸鋸で切るのは大変だ。

2016年06月15日

視力とDCC

 検診で視力測定を受けた。意外なことに両眼ともかなり良くない。
 白内障、緑内障の心配は全くなく、網膜も無事なのだが、ピントが合わない。老眼でレンズが薄くなっている。かなりの遠視になったのだ。以前は両眼とも、視力2.0を誇っていたのだが、今はどちらも0.8程度だ。しかし+1.0ディオプタのレンズを装着すると、2.0になったので安心した。夜間、車を運転するときには眼鏡を掛ける必要がある。2,3年前、本業の本を仕上げるのに、数か月コンピュータと睨めっこをしたので、急速に悪くなったような気もする。

 過去に何回も手術を受けて角膜を引張ったせいか、左眼に微妙にあった乱視が完全に直っていた。このことは伊藤 剛氏も仰っていた。
「私は乱視でしてね、夜空の星が点に見えなかったんですよ。ところが白内障の手術をしたら、角膜を縫い付けて引っ張ったので、ピンと張って、おかげでとても良く見えるようになりました。角膜にシワがあったんでしょうね。」

 遠視になると不便この上ない。日中は虹彩が細く絞られるので、かなりピントが合うが、夜間や室内では裸眼ではピントが合わない。線路をつなぐような作業は、眼鏡を掛けないと全くできない。
 もう一つ困ったことがある。DCCの機関車の番号を打ち込む作業ができない。そこに止まっている機関車を、少し移動したいので呼び出そうとするのだが、番号が読めないので非常に難しい。普段あまり動かしていない機関車の番号は忘れてしまうからだ。

2016年06月13日

客車ヤード

 眼科で検診後、有無を言わせず切られてしまった。本来は手術の日程を決めるための検診であったのが、少々急を要する事態であったので、即手術となった。 中の方ではなく外側なのだが、しばらくは視線を動かすと痛いので、静養していた。
 居間のリクライニング・チェアで好きなカントリ・アンド・ウェスタンを聞いて過ごした。 本は読んでも良いことが分かった。コンピュータ画面とは違って、視線を動かさずに読むことが可能だからだ。河原匡喜氏の「連合軍専用列車の時代」を熟読した。
 実に興味深い本で、3回読み直した。お薦めする。黒岩保美氏から直接伺った話とも重なり、様々なことが分かった。

 そろそろ車の運転もできるので、博物館の工事を再開する。
up, level and down 客車ヤードがある程度完成に近づき、車輛を置いてみた。客車はペンシルヴェイニア鉄道の急行用車輌である。隠しヤードに下りていく貨車はNYCのPacemaker塗装である。どういうわけか6輌が番号違いで揃っている。その後は、複々線を登っていく貨物列車である。たまたま写っているこの2輌はワシントン州に関係がある。スポケーンから来た男は、この2輌を見てホームシックになると言った。こうしてみると、この付近は地下鉄の入り口のような感じである。

 隠しヤードへの線路の敷設もかなり進捗した。5 mmのゴムの効き目は大したもので、レイルヘッドと車輪との転動音しかしない。Low-Dの表面の平滑度が良いことが如実にわかる。しかも、レイルの継ぎ目の音が実にやさしい。あまりにも静かで、拍子抜けする。機関車がベルを鳴らして上がってくるようにしないと、事故を起こしそうだ。

2016年06月08日

plate girder bridge

 シカゴから届いたダイキャスト製の橋を架けるにあたって、その内側をどうすべきか、しばらく考えていた。 間隔を保てばよいので、木の角棒を作って接着するのが一番簡単だ。
 下から見ることなどないと思っていたが、最近は車載カメラという面倒なものがあって、全て見えてしまう。手を抜くと後々まで後悔することになるので、ある程度のところまでは作ることにした。レーザ・カットなら設計さえ気を付ければ、組むのも簡単である。 精度も高い。

girder bridge bracing 実物の図面を何日か眺めて、 作図を開始した。この手の物は非常に単純で30分で設計が終了した。Xブレイスにタブを付けて側面のスロットに入れる。簡単な直角ジグで支えながらハンダ付けすれば、たちまち形が出来る。
 それに上下の稲妻を付ければ良い。問題はこの稲妻の位相だ。同位相なのか、半周期ずらしたほうが良いのかがわからない。近所のものを調査中である。アメリカでの調査では逆位相であった。理論的にはどちらが有利なのだろう。

 このようにして作った箱状のトラスに、側面のダイキャストを接着すればできあがりだ。 稲妻は、透けて見えれば用は足りている。細かい造作は省略する。

 ガーダの上をどうするか、しばらく悩むことになる。直接線路を敷くのか、コンクリートの路盤を載せるかである。後者の場合はバラストが敷いてある。これも資料が手に入ったので、 あれこれと迷う羽目になった。




 

2016年06月06日

Alf の死去 

 先ほど我々の共通の友人であるBoからAlf Modineの死去の連絡を受けた。87歳であった。

 アルフとは25年ほどの付き合いであった。お互いに助け合った仲である。さまざまな部品を作って供給し、また逆に向こうから部品をもらったりした。
 最近は、博物館の工事進行状況を知らせて、意見を聞いたりしていた。

 昨年の春には泊めてもらった。日本に来ないかと誘ったのだが、健康上の理由で少々難しいという話であった。最近は足が悪く、歩きにくそうであった。

 訪問した際には上機嫌でワインを次々に開け、こちらがあまり強くないのを笑っていたものだった。いつも政治がらみの話を持ち掛けるので、事前に予習してから会うようにしていた。

 もうあのような話ができないと思うと悲しい。

2016年06月05日

続 鉄橋内の線路

 cutting the excess枕木の下にはスパイクが貫通しているから、それを裏返して喰切りで根元から切り取る。そののちにベルトサンダのテイブルの上で、裏側に軽くヤスリを掛ける。そうすると、微妙に出ている釘は完全に削り取られると同時に、やや厚い枕木だけが削られて全体が床面に接するようになる。

 この釘の切れ端は始末に負えない。磁石で集めようと思ったが、鉄板の上であるから、磁路ができて、ちっとも集まらない。刷毛で履いて大半を集め、残りは粘着テープの糊で集めた。

 この方法で曲率が一定の軌框ができる。これを橋の床面に置けば、完成だ。しかし問題点がある。スパイクが枕木を貫通しているので、それに金属が接触すると、短絡する可能性がある。裏にプラスティックのテープ状のものを貼るか、何らかの方法で短絡を防がねばならない。

 橋の本体には接着剤で付けることになろう。その時、レイルに継ぎ目をわざと深く入れて、集音マイクロフォンを取り付ける。
 果たしてどんな音が出るのであろうか。場合によっては別の音を出す工夫も必要かもしれない。

dda40x at 06:05コメント(2)線路 この記事をクリップ!

2016年06月03日

鉄橋内の線路

 カントの付いた枕木を整列ジグに入れて、レイルを取り付けた。

 レイルを曲げて所定の半径にする。枕木に罫書きを入れて、位置を確定した。仮留めの位置に、外側レイルを取り付けるためのスパイクの下穴を細いドリルであける。枕木に少量のスーパーXを塗り、レイルを固定する。その時、半径2900 mmのジグを押し当て、全く隙間が無いようにする。

 レイルを圧迫し、枕木と密着するようにせねばならない。枕木はいかに精密に作られたとは言え、多少の厚さの違いはありうる。それでも密着させねばならないので、柔らかなバルサの厚板の上で作業する。その厚さは10mmである。

 レイルの上にあらん限りの重いものを並べる。合板を置いて、その上に定盤、スライダック、金床、電線、ネジ釘、工具、重そうな雑誌を山のように積み上げると、バルサは多少凹み、すべての枕木とレイルが密着して、接着される。
 次の日、重しを取り除くと、バルサには枕木の凹みがあるのが分かる。重しがよく効いた証拠だ。レイル10 cm当たり、6 kgほど載っていたことになる。

M1040001 そこにスパイクを打つ。もちろんバルサまで貫通する。再度2900 mmのジグを置き、内側レイルを接着し、また重しを載せる。固まるまで一昼夜を要する。
 錘を外しても位置関係が正しくできているので、スパイクをすべての枕木に4本ずつ打つのは容易だ。もちろん下穴を開ける。
 裏返してバルサ板を取り除くとこんな具合だ。


2016年06月01日

室内は室外である

caboose by Go Itoh これは伊藤 剛氏の作られたカブースである。かなり傷んでいるが、原型を保っている。これも折り畳み式の筈だと思ったが、そうではなかった。他にもあるのかもしれない。

 このカブースはいわゆる”NE type”である。米国北東部の鉄道で共通に使われたタイプだ。Reading RRで最初に採用したので、Reading cabooseとして売っていた。インポータは複数あったような気がする。ブラス製で、製造は安達製作所である。
 剛氏は安達庄之助氏を訪ねて、板の状態の部品を入手し、それをもとに工作をした。

broken NMRA X2E coupler NMRA型のカプラが付けられている。 X2Eである。この板金製のカプラーは弱い。強くぶつけると、上下に泣き別れになるのである。合わせ目に薄い板を貼れば壊れにくいが、下の押し合う部分が曲がるだろう。砂鋳物製の製品も持っているが、やや分厚い。
 その後ケイディが普及して、誰もこのカプラを使う人は居なくなった。 

caboose interior このカブースには剛氏によって内装が付けられている。剛氏は、「室内は室外である」という名言を残されている。「外から見えるものは、付けるべきだ。」という意見だ。
 このカブースも、見えるところだけは工作してある。キュポラの部分の椅子が付けられているし、洗面台もある。
 経年変化で接着剤が変質して、あちこち壊れているが、直せばすばらしくなる筈だ。また、ガラス窓は上に抜けるようになっている。反対側(この写真では左)の窓はポジフィルムの透明な部分を使っている。 いずれ修理して、デヴュウさせたい。

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