2015年03月29日

2015年03月29日

道床が集まる

 1989年頃、吉岡氏の呼びかけに筆者と土屋氏、魚田真一郎氏が応じて、道床付き路盤を発注した。筆者は吉岡氏の近所の紅葉木工と云う会社に行って、指示をするのに立ち合った。この工場は昔ハーモニカとかアコーディオンを作っていたそうだ。
 ハーモニカが木で出来ていたことを知っている人は少ないだろう。筆者が小学生の時に使ったものは、黄楊(つげ)の木のような硬い木で、それに細かく溝を付け、リードを付けたブラスの板を締めてあった。ネジを外すと中が見えた。
 要するに、かなり細かい細工を得意としたわけだ。

 カントを付けるのが難しいので、筆者の発案で、朴の木を斜めに削いで傾斜板を作り、ハーモニカを作る要領で細かく切れ目を入れて貰った。吉岡氏はこれでうまく行くか心配そうだったが、非常にうまく一定の傾斜になった。
 
 下塗りとして床用水性ニスを塗ると、合板の細かい穴(ポア)が埋まり、それを紙やすりで研いで本塗りに備えた。カント板の隙間はパテを込んで、凹まないようにした。

吉岡道床 今回の作業で必要な線路の量に緩和曲線が少し不足し、必要量を作らねばならないと準備をしていたところに、鎮目泰昌氏が博物館に来訪された。彼は吉岡氏の路盤の入った箱を見て、
「うちにもある!」と叫んだ。
「そんな馬鹿な、これは残りが魚田氏のところにあったのだけど、震災で壊滅したんだ。」
「いや、その地震の後で、模型仲間が潰れた家から回収したんだよ。機関車などは引取り手があったけど、これは何か良く分からずじまいだったんだ。行先がなくて、うちの倉庫に仕舞ってあった。」
 その日は、様々なことが思い出されて、眠れなかった。

 それを今週、鎮目氏がわざわざ御自身で配達してくれた。
 何という奇偶であろうか。26年前に作った線路300本以上が、全て集結したのだ。吉岡氏、土屋氏、魚田氏それと筆者の所にあった線路が完全無欠で揃ったのだ。作るときに、
「この線路が全て集まることは二度とないけど、集まればすごいレイアウトが出来るな。」
と吉岡氏が仰った通りになった。


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