2013年12月14日

2013年12月14日

続々々々 Lucin Cutoff

 湖の深さはせいぜい 10 m 足らずであるから、埋め立て用の岩石を運ぶ箱船が通れるように、canal(水路と訳すのだろうか、要するに多少深く掘った掘割)を作って、積出の岸壁と現場を結んだ。この水路と波止場は衛星写真でもはっきりわかる。

 箱船はカリフォルニアの工場で組み立てられ、いくつもの部分に分割され、鉄道で現場に運んで再組立てされた。箱船の底は開いて岩石が投下されされるようになっていた。

 岩石を採る場所はプロモントリィ半島の先端より西岸を2マイルほど行ったところにある。運び出すベルトコンベアは、 Hewitt-Reynoldsによって作られた。少々高いところにあるので、重力で自力で動き、付いているモーターが発電機となって24時間操業の電力の大半を供給した。掘削するパワー・ショベルの動力もまかなえた。

6850880642_413c7d750d_b from Flickr このようにして作られた築堤は標高4218 ft (1285 m)まで積み上げられた。1905年の木橋建設の時の築堤は 4213 ftに作られたのだが、長年のうちに沈下し4205 ftにまで下がっていた。新しい築堤も少しずつ沈下し、4212 ftになってしまった。

 1982年、突然湖の水位が上昇し始め、1985年には最終的に4212 ftにまでなった。築堤は水没の危機に見舞われ、築堤の積み増し工事が急ピッチで行われた。築堤の北側部分の水位上昇が早かったので、そちらの手当が急がれた。古いboxcarやhopperが大量に集められ、線路際にぎっしりと並べられた。天井は外してある。それらに土砂を詰め込み、防波堤としたのだ。しかし、南側も高くなり始めた。

 嵐がやってくると、波は線路を洗い、線路は曲げられて無茶苦茶になった。保線作業で数日間は不通となってしまう。その間、列車は南岸沿いのWestern Pacific経由とせざるを得なかった。

 

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