2013年12月06日

2013年12月06日

Lucin Cutoff

Lucin Cutoff 1869年、Central Pacific 鉄道が東進し、Union Pacific鉄道と激しい建設競争の結果、ユタ州Promontoryで大陸横断鉄道締結式典が執り行われた。その場所は現在はかなり立派な博物館になっている。何度か行ったことがある。当時の鉄道線路は既に取り外されてないが、その敷地は車で走って体験することができる。意外と急勾配で、重量列車は通れそうもなかった。22パーミルもあるのだ。
 最近は、辺り一帯はNational Historical Siteになっていて、犬釘一本拾っても検挙されるそうだ。70年代は犬釘がゴロゴロ落ちていて、来た人たちは、拾って帰った。友人の家にはそのコレクションがあったほどだ。筆者も何本か貰い受け、椙山満氏に差し上げた。椙山氏は立派な額を作ってそれらを飾られた。

 この線路が放棄されたのはもっと短く平坦な線路が開通したからだ。それが Lucin Cutoff である。Cutoffというのは短絡路のことである。塩砂漠の中を何10キロも線路を敷き、その先に広がる塩湖にこれまた何10キロも伸びる橋を架け始めたのだ。それが1902年のことである。ちょうど土木機械が発達し始めた頃の話である。Licinはその西の分岐点の地名で、今はゴーストタウンになっている。ルシンは女性の名前である。
 工事は休みなく行われ、1905年1月1日を以て、すべての列車が湖面を見ながら走ることになった。

Lucin Cutoff 5Lucin Cutoff drawing 00003v 橋はTimber Trestleでパイル・ドライヴァで湖底に打ち込まれた。その杭はモミの木で、それを何万本も運んで来て打ち込んだ。デッキ部分のほとんどがレッドウッドという木で、今でこそ高級品であるが、当時はカリフォルニアの山のどこにでも生えていた木である。橋が廃止されたのは1959年である。60年近い使用で、ガタが来ていたのだ。列車を高速で走らせられなかった。場所によっては、制限速度が15マイル/時 24 km/時にまで制限されたそうだ。
 上記のリンクで 写真を見ると、ロケットの噴射実験の場面がたくさんある。近くに、ロケット・エンジンの工場があるからである。その名前はThiokol社で、スペースシャトルの爆発のときによく出てきた。

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