2013年11月

2013年11月30日

続 Salt Lake City の電車

Bingham UTA 南西の方に行くとBinghamがある。このあたりは昔はじゃがいも畑であった。何も無いので、ロケットを打ち上げに行ったことがある。固形燃料を使う三段式のもので、1000mも上がる。パラシュートで回収するのだが、ブースターはそのまま落下する。3人以上で行って、各段を回収する係を決めておかないと、いくえ不明になる。リンクは現在の小型の製品で、昔は大型の多段式があった。
 ちょうどその場所に電車の線路が敷かれ、分譲住宅が並んだ。背景に鉱山のズリの堆積が見える。
Bingham UTA2 この写真は東を見ている。ワサッチ山脈が見える。谷ごとにスキー場がたくさんある。こんな田舎まで都市化するとは、誰も思わなかったに違いない。
 昔のビンガムの町は既に消滅している。谷間にあって、雪崩や火事の心配がある街であった。1972年に町を解散し、麓の方にCoppertonとして再出発した。

 ビンガムの街並みが写っている映画を、arx氏から紹介戴いた。この10’30”あたりから、旧ビンガムの街の様子が映る。筆者は見たことがないが、話に聞いたとおりだ。
 鉱山にはズリ捨て列車が高いトレッスルを走り、穴はまだ浅い様子が見て取れる。電気機関車が横に張り出したビューゲル風の集電装置から、パンタグラフに切り替える瞬間など、珍しい場面の多い動画である。
 穴を深くするために、広げる様子もある。たくさんの穴を開けて、炸薬を仕掛け、一挙に崩している。当時はパワーショベルもまだ小さかった。6,7トンしか掬(すく)えなかったようだ。現在は一掬い150トンである。
 ズリを捨てる場所としてビンガムの谷は埋められてしまった。もちろんトレッスルは外された。

 7’16”にマウント・ティンパノガスが映る。インディアン語で、眠れるプリンセスだそうだ。ずいぶん体格の良いお姫様だ。谷を分け入ると、かなり大きな鍾乳洞がある。この山はワークスK氏のサイトにも写っている。

2013年11月28日

Salt Lake City の電車

salt-lake-trax-map ソルトレイク市に電車ができたのはここ15年ほどの間である。冬季オリンピックが開催されることになって、郊外と市内を結ぶ路線が出来た。この路線図はその時のものである。その後どんどん伸びて、最初の数倍の規模になった。ここここに2008年にワークスK氏と訪問した時の様子が紹介されている。ライトレイルの車両はドイツのジーメンス製である。

Salt-Lake-City-TRAX-MAX DRG&WがUPに吸収されたので、その線路を使うことができるようになった。最近はどんどん延長され、南はProvo、北はOgdenの先まで行けるようだ。南西にはBinghamまで行っている。たくさんの新興住宅地が沿線にできた。
 それにしてもこんなに路面電車が発達するとは、夢にも思わなかった。

 一番遅く完成したのは空港線である。今回はレンタカーが無い日があったので、市内にいるときは電車を利用し、レンタカーを借りに行く時に空港まで乗った。
 この地図のCentral Pointeというところから分岐するSugar House線が、あと数日で開通すると友人が知らせてきた。この線は昔の貨物線である。Sugar Houseというのは戦前にあったサトウキビからの製糖工場の跡地だ。ひなびた商店街があったが見事に一掃されて再開発された。そこの家具屋に週一回程度、貨車が配送されていた。全く保線されていないぐにゃぐにゃの線路を、UPのGP9が3両程度の貨車を牽いて、ゆっくり走るのを見た。凄まじい揺れ方で、脱線するのではないかと思ったほどだ。それが、筆者の等角逆ひねり機構の原点である。
 Salt Lake City International Airportへの乗り入れが完成したので、羽田空港の様に空港コンコースのど真ん中まで行っていると思ったら、ターミナルビルの一番端に乗り場があった。荷物が多い時は、かなり面倒だ。電車は2輌ひと組が2,3連つながって走っている。一度だけ4連を見たが、その後見ない。回送だったのかもしれない。

UTA1UTA3UTA2 昔はソルトレーク市内には網の目の様に電車が走っていた。その車庫を利用したショッピングモールが40年前に出来た。20年程は、とても繁盛していたが、先日行ったらかなり閑散としていた。空家も多く、知っている店が消えていたのは残念だった。

2013年11月26日

続々々 Echo へ

BlogPaint 次の日に東から近づくとEchoのRest Areaがある。そこで降りて坂を登ると、丘の上に出る。それがお立ち台である。
 写真の矢印のところの丘がそれである。


Echo Canyon PEcho Canyon S 丘の上からレストエリアを俯瞰する。30mくらいの標高差だ。ここからの景色は素晴らしく良く、いつまでも居たかったほどだ。
 色々な人が来て様々なポーズで写真を撮る。この勇ましいお嬢さんは、高校のチアリーダをしているのだそうだ。嬉しそうに最大限に脚を挙げて何枚も写真を撮っていた。
Echo Canyon U 真向かいの崖である。このグラデーションのある色が素晴らしい。うまく塗れるか、心配している。今、様子を見るためにレンガ色の単色を塗ってある。
 スプレィで調色すればよいと思っていたが、かなり複雑な色である。
 植生はかなり研究した。どうすればこのブッシュが再現できるかも見当をつけてある。

Echo Canyon R 東(シャイアン方面)を見る。この谷は本当に隘路である。この谷以外に通るべきルートは見つからない。
 列車を待っているうちに雲行きが怪しくなって来て、遠くの方で雷鳴も聞こえる。この丘の上は危険だ。避けるところはひとつもない。列車の写真は一枚も撮れずに退散することにした。
Echo Canyon Q 車に乗ってソルトレーク方面に逃げ帰った。途中、バケツをひっくり返したような大雨が降り、雷が頭の上で光った。




2013年11月24日

続々 Echo へ

Echo Canyon GEcho Canyon H 岩を曲がると、そこはもう影で暗い。夕方は撮影には適さない。後ろを振り返ると岩が鋭角に突き出していることがわかる。
 砂利は厚く、よく保線が行き届いている。レイルは高い。High Ironという言葉の意味を噛み締める。

Echo Canyon OEcho Canyon LEcho Canyon M 線路脇には石炭の細かくなったものが堆積している。厚さは10cm以上ある。ここを通った蒸気機関車から吐き出されたものだ。Big BoyやChallenger、Mighty 800の煙管を通過したシンダが堆積したのだ。その量たるや凄まじいもので、ここに来て掘り返せば、家庭で石炭ストーブがタダで焚ける。
 以前ペンシルヴェィニア州のホース・シュウ・カーヴでもこれと同じものを見た。ストーカをつけているので不完全燃焼して放り出される石炭の量はかなりのものだ。
Echo Canyon N 坂を下ってくる列車はほとんど無音で、とても危険である。線路内には入らない方が良い。またこの区間は左右が逆の区間で、進行方向を勘違いしやすく、余計危ない。



Echo Canyon K 過去にここには20回くらい来ている。岩の様子を見、植物採集もしている。この区間をレイアウトに再現するためである。あまりにも雄大でとても収まりきらないが、縮小し、デフォルメしてある。岩壁は天井まであり、発泡ポリスチレンのブロックを用いて、電熱線で彫刻した。しばらく工事をしていないので、再度取り組む予定だ。

Echo Canyon J こんな勇ましい格好のお姉さんがいた。列車の写真を撮っている間に通り過ぎていった。
 

 



2013年11月22日

続 Echo へ

Echo Canyon AEcho Canyon D Echoの町はここである。この岩のところで、線路がほぼ直角に曲がっている。半径は300 m弱だ。
 
 オグデン方面から東に向かう。のどかな景色を見ながらやってくると、突然峡谷の中に入る。
 高速道路もI-80からI-84が分岐する。I-84はオグデンを通って、北の方に行く道だ。この分かれ道では、UPの線路も分岐していた。現在は廃線になっているが、昔はCoalvilleという町を通って、Park Cityに行く線路があった。このあたりにも炭鉱があったのだ。

Echo Canyon CEcho Canyon B 平地から谷間に入ると、右側(南側)にDevil's Slide悪魔の滑り台という奇岩が見える。大陸横断鉄道開通時からの名勝で、ここで当時の旅客列車は徐行したという。高速道路にもRest Areaがあって、そこで止まって写真を撮った。


Echo Canyon EEcho Canyon F この岩を回るとEcho Canyonである。Echoの町は本当に小さい。間口3mほどの小さな郵便局がある。横にアメリカで一番小さい郵便局といういたずら書きがあった。Echoには側線があり、積雪時には除雪基地になる。

線路沿いは昔の国道である。1960年代にI-80ができる前は、こんな道が西部と東部を結んでいたのだ。

2013年11月20日

Echo へ

Castle Rock (1) さらに西に進むと、周りの山が高くなり、突然峡谷になる。これがEcho Canyonである。要するにWahsatchはエコォ・キャニヨンの東の出口なのである。
 この写真を撮ったのは1977年だ。撮った場所を探してウロウロしていた。多分この辺という写真がこれである。
 このCastle Rockのインタチェンジの近くである。このあたりはトンネルで上下線が交差し、左右入れ替わっているので、写真を撮るとき注意しないと、後ろから列車が来る。

Echo Cyanon rest area 何回もここに来ていながら、こんな良い場所があることに気が付かなかった。西向きの高速道路のRest Areaである。30mほどの丘のてっぺんまで歩いて行ける。そこからエコォ・キャニヨンのほぼ7割が俯瞰できる。


Echo Cyanon overlook 2Echo Cyanon overlook 左の写真は東を見ている。シャイアン方面である。向こうの標高が高い。右の写真はオグデン方面である。
 いつもは下の道を行ったり来たりしていて、崖を仰ぎ見る写真しか撮っていなかった。

 この場所は鉄道マニアにとって、有名なお立ち台のようだ。ここから撮った写真がたくさん見つかる。



2013年11月18日

Wahsatch

Wasatch I-80 ワサッチの場所はここである。ユタ州に入ってすぐのところだ。 発音は文字通りである。にもかかわらず、昔、筆者が出版した本には編集者の無知でワサックとカタカナに置き換えてあった。ひどい話である。固有名詞はローマ字にしておくのが良いか、カタカナに置き換えるのが良いか迷った末、ローマ字にして裏目に出た。電話一本で解決した話なのに、それをしない出版社など存在価値がない。

Wasatch B  Ogdenを出発した列車は川沿いに登り、ここで一息つく。要するにオグデンから最初の給水場である。ワサッチ山脈の中にある珍しい平地であって、鉄道施設以外何もないところであった。側線と給水タンクだけである。周りには人家は全くない。

 Big Boyの試運転の時にも、貨車を引っ張ってオグデンからここまでの通し運転をしている。

Wasatch CWasatch DWasatch E

 足は意外に細い。地震のない国だから、自重と風くらいしか考えなくても良いのだろう。ポンプ小屋もなく、保温装置も見つからなかった。ドアを開けてもがらんどうであった。
 鉄骨は実に簡単に組んであるが、底が抜けないようにはなっている。一部は四角の穴があいていて、そこから出入りできるようになっている。組立時の逃げ道だろうか。最終的には熔接してしまったのであろう。

Wasatch A 30輌ほどの貨車が放置してあった。側線をこのように塞いでいても支障がないということは最近の機関車、貨車の信頼性は高いということだ。
 以前は、側線には故障した車輌を押し込めるようにいつもクリアにしていた。


Wasatch F ワサッチの東にはこのような丘陵地が広がっている。


 

 




2013年11月16日

続 Rock Springs へ

 大陸横断鉄道開通時には、このトンネルの脇の山地を喘ぎながら列車が登っていたのだが、あまりにも非効率であるので、短絡トンネルを掘った。その結果、二つの小さい街がゴーストタウンになった。
 数十年の間単線であったが、戦後、線増せざるを得なくなったのだ。しかし、第二次世界大戦中の膨大な貨物輸送を単線で行っていたというのは、信じ難い話だ。 

 ロックスプリングズは水場である。Sweet Water と呼ばれる町である。
 大陸横断鉄道が出来た時に西の方からやってきた中国人工夫が、この街にも住み着いた。後に炭鉱が見つかり、鉱夫として働いた。そしてそこの争議でかなりひどい殺し合いがあった、とアメリカ史の本に書いてあったことを思い出す。今は平和な町である。

Rock Springs FRock Springs GRock Springs H この街は鉄道とともに発達したので、駅前はそれなりに繁華街であった気配はある。この銀行は1890年に創業したのだ。

 
Rock Springs J UPが90年代に旅客営業をしないことに決定したので、駅は単なるモニュメントになってしまった。UP自身による旅客営業は1971年に廃業して、そのあとAmtrakが受け継いでいた。しかし、80年代にAmtrakもデンヴァ経由になってUPの本線を経由しなくなった。その後しばらくの間、駅は原型を保っていたが、高速で貨物列車が通過すると危険なので、柵で仕切ってしまった。この機関車の塗り分けは珍しい。
Rock Springs I このモニュメントは石炭を掘り出す様子である。馬が力を込めてそりを引っ張っている様子だ。天井の坑木が半分しかないので、とてもわかりにくい。写真を撮った本人もわからなかったが、brass_solder様に教えて戴いた。土台には、寄付した人の名前を彫り込んだプレートが貼ってある。
 現在は、炭鉱に発電所が建ち、掘り出した石炭をその場で電力にしている。
Rock Springs K 横にはお定まりのカブースが置いてある。大抵の町には置いてあるが、ここは程度が良い。ほとんど場合は廃墟と化している。


2013年11月14日

Rock Springsへ

Rock Springs A 朝早くワムサッタを出て、ひたすら西に走ると、貨物列車がどんどんやって来る。15分に1本くらいの割合だ。1列車数千トンであるから、凄まじい運搬力だ。ホッパ車列車は重そうである。勿論標高の高いところに鉱山があるので、運搬に要するエネルギの点では有利ではある。

Rock Springs BRock Springs C 通り過ぎていった貨物列車に追い付いた。下りなのでのんびりしている。この機関車の塗装は変わっている。


Rock Springs D 信号で減速していた列車である。自動車を運転しながら、片手で左の窓から撮ったので、多少のブレなどはお許し願いたい。
 最近のカメラはほとんど自動なので、こんな無茶な撮り方もできる。後でトリミングしてやれば、10枚に1枚くらいはなんとかなる。
Rock Springs E 行けども行けどもなかなか着かない。このあたりは緩やかではあるが山岳地帯で、大陸横断鉄道の線路はかなり南に迂回している。長いトンネルもある。
 そこが聖地なのである。ほとんど誰も行ったことがなく、写真も少ない。
 Aspen Tunnelというのだが、椙山氏も写真を見たことがないとおっしゃった。もともとは単線で開通し、1947年ころ複線用のトンネルが完成した。

 そのトンネルの大半が私有地内だそうで、行けないのだ。Tom Harveyにその話をしたら、「俺が機関車に乗っけて連れてってやる。」と言ってくれたが、約束は果たされなかった。 
 数少ない動画がこれである。これは並行する新トンネルでAltamont Tunnelである。4分30秒あたりからトンネルが映る。まともなアスペントンネルの写真、動画はほとんど見つからない。 

2013年11月12日

Wamsutter

Wamsutter (2) これが、そのモーテルである。築40年くらいの感じだ。全くメンテナンスされていず、ガラスもガタガタしている。おそらく冬に泊まれば、とても耐え切れまい。風呂だけは熱湯がふんだんに出たので、助かった。 客は一人だけであった。クレジットカードの認証で引っかかったので、時間がかかりそうだった。早く休みたかったので、現金で払うと言ったら、すごく嬉しそうな顔をした。おそらくポケットにねじ込んでしまったのだろう。値切るべきであった。

Wamsutter (4) 朝起きてみれば快晴で、水タンクがあった。自治体が使っているのかどうかはわからない。
 大きなタンクである。Big Boyに給水していたのだ。ここから東は、Rawlinsの手前の峠まではひたすら登りだ。
 Big Boyのテンダは小さいので水が足らない。もちろん石炭も足らない。途中の炭鉱で掘ったものを本線上で給炭している。
 Wamsutter (14)Wamsutter (14)
 汽笛の響きで振り返ると、もうそこに貨物列車が来ていた。下りだから音がしない。スピードがかなり出ているから危ない。

 最後尾には補機がついていた。


2013年11月10日

続 Granger

Granger 2 駅のあった付近から東を見る。Signal Bridgeが印象的である。レイルは太く、またぐ時ひっ掛かりそうになる。信号機の向こう側で既に分岐している。



Granger 3 西を見るとこんな具合だ。右に行けばポートランド方面である。一応工事用の短絡線があって、三角線を形成しているようだ。
 左の黒い山は枕木である。ずいぶんたくさん積み上げたものである。


Granger 6Granger 5 信号の東側に国道の高架がある。そこから東を見ると原野が広がっている。本当に何もない。
 西を見ると、駅の構内が俯瞰できる。信号橋はほとんど見えない。相対的に距離を知る物がないので、距離がわかりにくいが、ここから信号橋まで1.5 km弱である。
Granger 7 帰り道、また貨物列車が来た。貨車は100%カヴァードホッパであった。120輌つないでいた。ソーダ灰を約1万トン、運んでいるのだ。
 宿がみつからないので、かなり東に走って、Wamsutterで安いモーテルに泊まった。過去に泊まったホテル中、下から2番目のぼろホテルだったが、ほかに選択の余地がなかった。夏なのにかなり寒くて、熱いシャワーが有難かった。標高は2100m弱であった。
 もう少し行けばRawlinsで、そこそこの町であるから、まともなホテルがあったはずであるが、既に体力がなかった。



2013年11月08日

Granger

Granger Green Riverの西約25マイルに分岐駅がある。グレインジャという駅である。


 もう40年も前、四日市の椙山氏が、「ここに分岐駅があって、ポートランドに行く線が分かれています。川沿いだから、比較的勾配が緩いんでしょうな。ここはOverland RouteとOregon Trailの分岐なのですよ。駅馬車の時代からの宿場です。」とおっしゃった。
 アメリカにいる時、このグレインジャの駅を見てきてくれ、と連絡があったが、行く暇がないままになっていた。
 今回、思い切って行ってみた。I-80から国道30号を北上すれば行ける。信じられないほど小さな町だ。人口は100人程度らしい。このウェブサイトに街の中の写真が掲載されている。地図上のボタンを押すと好きな場所が見られる。Signal Bridgeが見える写真があるから、線路の位置はわかる。標高は2000 mに近い。

Granger 4 筆者は駅があって、給水施設の跡でもあるかと思って行ったのだが、何も無かった。すべてCTCで遠隔操作されている。30分ほどあちこちをほっつき歩いたのだが、誰にも会わなかった。旅客営業していた頃は、ここは一応、急行停車駅でもあったので、ある程度の設備があったはずである。その痕跡を求めて行ったのだが、本当に何もない。枕木が積み上げてあっただけである。あるいは当時から、乗り換えはGreen Riverですることになっていたのかもしれない。 

 このあたりの川は水量が少ないが、いつも流れている。だから蛇行し、三日月湖が無数にできる。時々大水が出ると全部流れてしまう、ということを繰り返している。水は本当に緑色である。藻や水草の色だろう。

2013年11月06日

続 FMC

 FMCの場所はこの地図で確認願いたい。本当にUPの本線の脇である。側線を作ってホッパ車を並べているのが衛星写真でわかる。このあたり一帯、地下500 mに膨大な量の炭酸ナトリウムが埋まっているのだ。鉱脈の厚さは数メートルで、ある。シャフトと言われる立坑から水平に坑道を堀り、たくさんのパイプを打ち込む。高圧水を流し込んで炭酸ナトリウムを溶かし出し、池に流し込む。池の水は蒸発するから、結晶を集め、それを加熱して炭酸水素ナトリウムを分解し、さらに加熱して無水炭酸ナトリウムにする。これはソーダ灰 soda ash と呼ばれる商品である。洗濯機の洗剤の15%はこのソーダ灰である。

 水はGreen Riverの支流から、燃料は近所で採れた天然ガスと石油を使う。国土の広い国は羨ましい。
FMC road paved この写真は立坑に向かう道である。典型的なアメリカの田舎道である。土地の表面に沿って舗装を敷いただけである。少しの凸凹を削って埋めれば平らになるのに、と思うのは日本人だけなのかもしれない。
 カリフォルニアの砂漠の中に、もっとひどいところがある。交通量が多いのに、昔囚人を使って作っただけのやっつけ仕事の道がたくさんある。100 mごとに3 mくらいの高低差があり、寝ている人が起きてしまうほどのピッチングが起きる。トラックの荷物が傷むだろう。
 最近は見ないが、70年代には本当に囚人を使ってこの種の工事をしていた。大きな看板が出ていて、”No Hitchhiking"とあった。なんだろうと思ったら、足首に大きな錘を付けられた囚人が例の縞模様の服を着て補修工事に従事していたのだ。そして大きなライフルを持った看守が小高い丘のテントの下で監視していた。

FMC 帰り道、UP本線をたくさんのカヴァードホッパを繋いだ列車が走っていた。向こうで石油精製所のフレアスタック(一時的に処理しきれないガスを排出して燃やす煙突)から巨大な炎が上がった。


2013年11月04日

FMC

Green River Castle Rock 3 駅の反対側まで行って、Castle Rockを見るとこんな具合だ。限られた平地の大部分が鉄道によって占められている。山地の中の川で、鉄道の補給駅としてはここしかない。川はコロラド川の支流で、大した水量はないが、年中流れている。
 駅の構内は線が曲がっていて見通しは利かない。ヤードでの仕立て作業は、難しそうだ。貨車の7割がカヴァードホッパである。その大半にはFMCというロゴが大きく書いてある。

FMC1 GPSと衛星写真で大体の見当をつけて、出掛けた。Green Riverから西に15マイルほどのランプを降りると、そこはまさにワイオミングである。何もない。しばらく北に走ると煙突が見えてきて、工場があることが分かる。
 UPの本線は北に曲がっているから、本線沿いである。

FMC3FMC2FMC4FMC6




 何もないところに突然このような施設が現れる。これは世界最大のソーダ灰の鉱山である。高校の化学でソルベー法なるものを習った人も多いだろう。昔はガラスの原料である炭酸ナトリウムは、かなり苦労して作っていたが、現在は天然品を用いる。
 この地域は石油が出る場所が多いので、石油掘りをしていたところ、地下に分厚いトロナ鉱(炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウムの1:1の化合物)の鉱床があることがわかった。一説によると現在の需要量で5万年分だそうだ。大陸横断鉄道の本線の脇に見つかったので、輸送は簡単である。

 水はコロラド川から取り、燃料は近くの天然ガスを使っている。いくらでもとれるのだから、気楽なものである。FMCはFood Machine Corporation だったかの頭文字である。本業がこちらになってしまい、元の会社名の意味が無くなった。

2013年11月02日

続々々 Green River

Green River railroad nuts 跨線橋の上を行ったり来たりして写真を撮っているうちに、汽車見物の人が来たのに気が付いた。じいちゃんばあちゃんに連れられた4歳の男の子である。毎日1時間ほど来ているそうだ。
 この子は機関車にはなかなか詳しい。おじいちゃんは鉄道員ではなかったが、鉄道関係の仕事をしていたらしい。蒸気機関車の時代から、地元に住んでいて、Big Boyの汽笛の音がすごかった話で盛り上がった。 近くに当時の機関士が住んでいて、親しいという話だった。紹介してもらえば良かったと後悔した。
 おばあちゃんは亭主の汽車好きに付き合っているうちに、自分も好きになったと言う。この孫は間違いなく鉄道趣味者になるだろう。家にはライオネルのレイアウトを持っているそうだ。
 我々を含めて、汽車キチガイを英語で railroad nutsという。nutsというのは不思議なことに形容詞で、It is beautiful.のbeautifulと同じ使い方をする。正確な使い方はI am railroad nuts.である。複数形ではないのである。形容詞のみならず、狂っている人も指す。

Green River Castle Rock 2Green River I-80 西部劇に出てくるCastle Rockはこんなに近くにある。ふもとに国道が通っている。平地の大部分を鉄道が占拠していることになる。
 高速道路を通す場所には苦労したようだ。結局山の下をトンネルでくぐることにした。本当は町はずれを通過して、町には連絡路を付ける方が安かったに違いない。
 右の写真を見て欲しい。トンネルの位置が分かるはずだ。ちょうどトレーラーが出てきたところだ。

 昨日のポイントの写真で一つ奥のポイントにガードレイルが付いていないというご指摘があった。筆者も気が付かなかった。これはセルフ・ガード・フログである。現役のものを見るのは初めてだ。この写真をご覧戴くと、その原理がお分かりと思う。タイヤの厚みが一定なら、フログでの割り込みが防げるはずだ。

Green River self guard frog この写真を拡大してみた。セルフ・ガードの様子がわかる。たくさんの貨車が通ると中には怪しいのがあるかもしれないが、機関車だけしか通らないので安全と考えたのかもしれない。


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