2013年06月

2013年06月29日

JAM

 筆者はJAMという組織についてほとんど知識がない。 

 10年以上前にJAMが発足したとき、大きな期待を持って出向いた。内野日出男氏から、ロングネッカも来るから、是非来るように、と連絡があったのだ。確か新宿のNSビルだったと思う。
 鉄道模型の催しは業者主催が普通であったが、JAMは違うというように事前に発表されていた。そんなことがうまくできるものかなという心配があった。
 蓋を開けて見ると、金を出したのは業者であったと聞いた。東京の一等地である程度の場所を借りるためには金が要る。仕方がないのだけれども、少しずつアマチュア主導の方に転換して行ったのだろうか。その後、大阪開催時以外ほとんど行っていないので、詳しくは分からない。毎年の開催時にちょうど仕事があったり、海外に行かねばならないことがあり、つい行きそびれている。今年は久し振りに行けるはずだ。

 アメリカのコンヴェンションはアマチュア主導である。カリフォルニア、ニューヨーク、ワシントンDCいずれも完全にアマチュア団体が運営している。シカゴだけは少し異なり、Hill's Hobby Shopの主催であったが、徐々にアマチュアに運営が任されて行った。テキサスの場合は極端で、Lorell Joiner氏が全てを請けた。ジョイナ氏は大富豪であって、会場代、晩餐会、その他全てを個人で負担した。これはかなり珍しい例であるが、当時かなりの評判になった。

 アメリカの場合は、日本とは違って会場代がそれほど高くない。入場料を20ドルから35ドル位取るだけで、十分賄えるらしい。会場を提供するホテルにはまとまった数の宿泊客があるので、部屋代のみならず飲食代で落とされる金も大きい。現に筆者もホテルのバァで、かなり飲んでいる。その分も含めての契約なので、会場費は安く上がるということだ。

 日本の場合も、もう少し田舎の、大ホールが付設されたホテルを借り切れば、かなり安く上がるのではないかと思う。先日浜松の駅近くのホテルに泊まった際、そのようなことを感じた。浜松以外にも、そのような場所は在りそうだ。

2013年06月27日

続 伊藤剛氏の記事

 先回の続きである。

   不思議な表現                続 不思議な表現

   Pullman Interior               equalized と sprung その5

   続々々 Max Gray のタンク車      続々々 慣性を増大させる装置 

   続 フラックスの役目           続々 cat walk, gang way & running board 

   
鉄道用語                    続 不思議な工作記事 

   
   続々々々 St.Louis の鉄道博物館    続々 IMP の Boxcar を改造する  


 他にもいくつかあるが、重複しているものもあるので割愛した。
 
 この一連の記事を書いたので、連絡を差し上げて間違いを指摘して戴いた。
「ロシア語は少し勉強したがほとんどできない、幼稚園クラス。」
とのことであるが、「窓はアクノー開かないのー」という、ロシア語を勉強した人以外、知らないであろう冗談を書いて来られた。やはりおできになると思う。
 それとTMSに名前を出さないで記事を書いたことは多数あることはあるそうだ。

「安井酉次郎(ヤスリ・ドリル・作ろう)は私ですが、あの名前は編集部員持ち回りでした。」とのことである。これは知らなかった。


2013年06月25日

伊藤 剛氏の記事

 TMSでの伊藤 剛氏の記事はあまりにも多くて驚く。以前、200号までの全ての記事の索引を作られた方がいらっしゃって、その話を聞いた。断トツに多いそうである。名前が出ていない外国からの情報は、半分くらいは剛氏がもたらしたものだという。

 拙ブログでもかなりの回数、登場して戴いている。  まだまだあるが、今回はここまで。



 放熱ファンのルーバー   Dan の車輌  

 
続 EMD F-7    NMRAのX2E

 Kadeeの紹介記事     Gyra-Light   

 
Marker Lights   さまざまな特許

 絶縁法のアイデア     Scratch Building  

 
ダブルスリップの製作  続々 DCCの可能性

  
多重制御                       ASTRAC

   続 余裕について 

2013年06月23日

剛氏の工作

伊藤剛氏のバックアイ台車改造 この図は、しばらく前に送って戴いた。3軸バックアイ台車のバネの入れ方の工夫である。このような細かいところでも、「外れない、はめ易い」を原則に工作を施してある。(図中、文章だけは筆者がワープロで打ち替えた。)


  

伊藤剛氏の等角逆捻り機構 この図はつい最近戴いたものである。このタッチは92歳の方が描いたとはとても思えない。立体感があり、作動の原理が良く分かる。ツイストをしている女の子の絵も素晴らしい
 筆者の等角逆捻りのサンプルをお見せした時に、さらさらと描かれた。客車など、イコライザを室内に置きたくない時の工夫である。

 実はその時点で、筆者はすでにこれを上下逆にしたものを作ってあった。今、さらに工夫をしているところで、もう少し時間を戴いてから発表したい。
 この図のタイプは床がめり込んでいるタイプの大物車には適する。実はそれも製作中である。スパンボルスタの付いた16輪タイプであって、長いから等角逆捻り機構が不可欠なのである。

 ここまでは発表しても差し支えないと思っている。実はもう一段進化した物を、剛氏は製作中である。部品数を減らし、よりコンパクトにしてある。いずれ剛氏が発表されるだろう。

 他に、何か大き目の箱状のものを平面に留めるとき、必ず内部にイコライザを仕込んである。なかなか良い写真がないので紹介しづらいが、ネジ1本で箱が完全に密着するように工夫がしてあるのだ。小さな3本のテコであるから、見落としがちである。しかし確実な作動を念頭に作ってあるので、完全に密着する。

2013年06月21日

最近の記事

 この二週間ほど、伊藤 剛氏に関する記事を書いて来た。剛氏は全国区での有名人ではあるが、実際に会ったり話を聞いた人は、もはや少ないであろうと推察する。かねてより、「私の書いたもの、しゃべったこと、全て公開して下さい。」ということを言われていたので、なるべく忠実にお伝えしている。

 この二週間のアクセス数が異常に増えている。この記事を偶然読まれた方が、他の方にお伝えになったのではないかと思う。どういうわけか、6月7日のアクセス数は、普段の2倍以上に達し、過去最高値を示した。こんなことは初めてである。

 少なくとも、現代においても伊藤剛氏の評価は大きいということである。その功績は、日本の鉄道模型界において輝きを失ってはいない。
 模型工作のあるべき姿を具現している。手工具だけでもかなりの精度が出る手法を公開し、年少者の目から見た工作法を伝授し続けている。
「昔は部品の通販があったのですよ。子供の科学の代理部とか朝日屋とかありましてね、ありがたかったですよ。そういう店がもうないのです。子供でも車輪と歯車を手に入れれば、あとは何とかなるのです。」
 その時代はモータは自作が前提であった。現在は主要部品すら入手が難しい。

 筆者は剛氏から、「車輪とか歯車を売る店をやりなさい。」と、20年前から勧められている。筆者の車輪とか歯車は仲間内では供給しているが、一般にはあまり知られていない。
素晴らしいメカニズムによって、たとえ貴方が世界的に有名な模型人になったとしても、その記事に書いてあるものがどこにも売っていないものならば、それは価値がないのです。直接でも間接でも良いから、売ることを考えないと、あなたのアイデアは無用の長物として忘れ去られてしまいますよ。」
 歯車に関しては、祖父江氏の工房で約1000輌の機関車が加工されて世界中に出て行った。そういう意味では、剛氏の教えは守られている。しかし、祖父江氏の死後は誰かがやらなければならない。アメリカでもその話をよく聞かされた。
 そろそろその時期が来たような気もするが、まだ仕事が忙しく、思うようには行かない。


 先回JAMの話を出したが、JAMでは鉄道模型功労者を毎年表彰しているはずだ。伊藤剛氏は十分にその資格があるように思う。JAMがどのような組織なのか、筆者には分からないが、関係者の方がいらしたら、是非この話を運営会議で発言して戴きたいと、切に思う。

2013年06月19日

建設機械

Power ShovelPower Shovel 2Side Dump Car これらは日本車輌が作った建設機械らしい。本業の分野でも、剛氏は模型製作の腕を見込まれている。顧客への説明に、図面だけでなく、模型が要るということで作ったということだ。
 キャタピラは蝶番をハンダでつないで作っている。サイドダンプは空圧で作動するタイプだ。

Sony Micro Train これはSONYのマイクロトレーンである。1967年頃の話だ。ご子息がソニーにお勤めだったので、貰ったとのこと。設計には関与していないそうだ。
 企画に参加されていれば、もう少し違うものになっていただろう、と思う。構成が今一つの感があるからだ。

伊藤剛氏伊藤剛氏2 この写真は2012年の四月に名古屋模型鉄道クラブの特別例会において撮ったものである。剛氏が川崎に引越されるので、この70年の模型製作のかなりの部分を持って来て戴いて、披露をお願いした。
 説明をお願いすると、例によって、冗談をたくさん交えて面白いお話を聞かせて戴いた。

 伊藤剛氏のスピーチ能力は驚異的である。しばらく前の静岡トレインフェスタの懇親会でのスピーチは、満場を沸かし、「ケーシー高峰よりすごいな。」という感想が聞かれたほどだ。
 JAMのような催しで公開対談をするべきだと思う。聞きたい人はたくさん居るはずだ。

2013年06月17日

剛氏の等角逆捻り機構

 伊藤剛氏は、ロンビック・イコライザの発表以来、その構造・機能を研究されて、結論としては等角逆捻り機構であることを解明された。その機能だけを取り出してみれば、リンクを用いて前後の台車が、等角に逆方向に傾けばよいことになった。おそらく10輌以上の試作をされている。プル・ロッド、プッシュ・ロッドを用いたタイプは横から見えてしまうとか、ギヤを使ったらバックラッシで役に立たなかったとか、逐一結果を教えて戴いている。

等角逆捻り機構 これらの写真は剛氏オリジナルのフカひれ型である。フカひれ機構は台車を傾ける軸が多少斜めになるので、キングピンで回転してその誤差を吸収している。しかし、結節点が少なくガタが無い機構である。
 剛氏は、「色々な方法があるけれど、結節点が多いといけませんね。結節点は回転軸が良いのですけど、単純回転でないときはボール・ジョイントにしなければなりません。とにかくガタを減らす工夫がないと失敗します。」と仰ったので、筆者の作品ではそこだけを、念入りに設計した。

等角逆捻り機構2等角逆捻り機構3 剛氏の車輌は、どの作例もシャカシャカと実に小気味よく作動する。摩擦が少なくなる設計で、しかもガタがないのは本当に素晴らしい。




等角逆捻り機構4等角逆捻り機構5 これはヨーロッパの製品で多分メータ・ゲージ 22 mm ゲージであったのを 32 mm に改軌して等角逆捻り機構を追加したものである。
 側面にプルあるいはプッシュ・ロッドがあって、ボルスタを引張って回転させ、その時、ローラが斜面を登り降りするようにして、台車を傾ける。よく出来ている。作動も滑らかだ。

等角逆捻り機構6 これは、 Snow White の兄弟機である Cinderella のテンダである。これにもフカひれを装備しようと言うわけだ。剛氏独特のからくりが仕掛けてある。台車は90度回転させると、パッと取れる。
 いずれ発表されるだろうが、3軸バックアイ台車が操舵する、という奇妙奇天烈な機構が完成していて、それがこのテンダに取り付けられる。

2013年06月15日

動輪の絶縁法

Snow White 7 この図は有名だ。色々なところに引用された。その引用記事に、剛氏の発案と書かれている場合が多いが、実際は丹羽十郎氏の発案である。NMRC会報ヤード誌1950年6月号掲載。
 TMSの元記事(TMS誌1953年5月号)にも書いてあるのだが、ほとんどの人は読み飛ばしてしまうのだろう。丹羽氏も日本車輌にお勤めであった。現在も御存命である。
 
 当時は絶縁車輪が非常に手に入りにくかった。ボス絶縁の車輪も入手困難で、この記事にもあるように、全て自作した。動輪は糸鋸で切り抜いて隙間にセメダインを詰めるというアイデアである。これを見て、実際にやったこともあるが、意外と簡単である。さすがにセメダインの代わりにエポキシ樹脂を詰めたが、良いアイデアである。爪楊枝とあるが、筆者は2mmの金属ネジを使った。薄く油を塗ってエポキシ樹脂が付きにくくしておき、硬化後抜き去る。油を洗って、再度エポキシ樹脂を流し込めば出来上がりである。裏側にテープを貼っておいて、ヘア・ドライアで温めると、流れが良くなるし、すぐ固まる。
 エポキシ樹脂は体積が減らないというのはウソで、少し縮む。

 1952年頃、剛氏はこのアイデアをNMRA会報に投稿したのだそうだ。大きな反響を呼び、爪楊枝の太さとか、竹串の入手法などの問い合わせがアメリカから沢山来たそうである。当時のアメリカにはMax Grayの製品もなく、戦前の絶縁してない製品が大半の時代だったのだ。僅かに安達製作所が作った製品が、Made in Occupied Japanとして輸入されていた程度の時代である。

 この方法は時代を超えて使われている。旋盤を使う工法であるが、薄いバイトを使って正面から切り込む。8割方切り込んだところでエポキシ樹脂を詰める。動輪を裏返して再度切り込む。金属の切削粉が出なくなったら止めて、裏から樹脂を練り込む。先日、所属クラブの例会でそれを実践された作例を拝見した。
 バイトは車輪の曲率に合わせて削製するのだ。HOでは難しいがOスケールなら可能である。切削粉をよく洗い落とすのが大切なことである。それでもショートしたものがあったそうだ。そういうときには大電流を通じてやると、細い切り粉は融けて、場合によっては蒸発してしまう。インチキな方法であるがうまく行く。筆者は何度かやっているが、自動車のバッテリを使うのが良い。内部抵抗が極めて小さいので短絡電流が大きいからだ。車のところに行って、ジャンプケーブルを使ってショートさせる。一瞬で終わる。この方法は30年前に祖父江氏に教えてもらった。

 最近はやりの大型ディスプレィ・モデルを動力化するとき、動輪を絶縁する必要があるが、使える技法である。

2013年06月13日

Snow White

Snow White 2Snow White 1Snow White 8 Disney映画の白雪姫のように顔が白い機関車である。ボイラの前面を白く塗ってある。この機関車は、ある年齢以上の人は誰でも知っていると言えるほど、超有名な車輌である。テンダの中は自動逆転機構が満載である。若い人は自動逆転機という言葉の意味を知らない可能性があるので、簡単な説明をしておこう。

 現在ではマグネットモータが全盛で、界磁が電磁石のモータ(直巻電動機)を模型に使うのはメルクリンだけになった。メルクリンも最近は違う種類のモータを使うようになったと言う噂である。直巻電動機はトルクが電流の二乗に比例して大きくなるので、起動トルクが大きく、また空転時の抵抗がほとんど無いから逆駆動もできる。
 色々な点で模型に適するのであるが、電流を逆にしても逆転しない。界磁も電機子も磁極が逆転するからである。それを逆転するのに、さまざまな工夫がなされている。この機関車では直流を送ると、逆転機が回転してスタンバイするようにしてある。そんなことをするぐらいなら、界磁の主電流を整流器で一定方向にすれば良い(ポラライズと言う)と思う人もいるだろうが、当時のモータの電流値は10 A近くもあったので、それを整流するセレン整流器が巨大で入らなかったのだ。またそれはとても高価であった。

Snow White 3 TMSのグラヴュア・ページである。説明にキャブの天井のフューズとあるが、これは電燈である。当時フューズの管にGOWが入ったものが在ったのだ。GOWはGiants of the Westではない。grain of wheat bulb(麦球)のことである。1950年頃、剛氏はアメリカにNMRAの会費を送る方法が無く、GOWを一束友人に送って、彼に代納してもらったことがあるそうだ。すごい話である。若き日の剛氏も写っている。 (1953年5月号)

Snow White 4Snow White 5Snow White 6 この記事にはDisneyのキャラクタが登場している。剛氏の話によると、当時Walt Disney Productionsの代理人から無断使用でクレームが付いたそうだ。金を払えと裁判を起こされそうになったが、TMSの発行部数を聞いて、そのままになってしまったそうだ。費用対効果がないというわけだ。当時のTMSの発行部数はどの程度だったのだろう。

2013年06月11日

サンビーム號

8mm train 伊藤剛氏の著名な作品ではあるが、現物どころか写真を見たことがある人も少ない。それがこの8mmゲージ列車である。モータ、車輪全て自作である。この造形は剛氏の二十歳前後の作品である。
 就職して、下宿生活を始めたので工作もままならぬ、とこれを作り始めたのだそうだ。というと御自宅ではどんな工作をしていらしたかが、知りたい。

8mm train (3)8mm train (2) この図面は御覧になった方も多いだろう。さらさらと描いてあるが、プロのテクニックである。こんな上手な図面はそう簡単には描けない。
 2軸台車の動きを単軸台車の操舵に利用している。筆者は中学生の時にこの方法に夢中になった。色々な実験をしている。

8mm train (10) 8mm train (9)この列車の裏側の写真は、おそらく本邦初公開のはずである。この模型は70年前に作られ、そして今も走る。中央三線式であることが分かる。レイルの中央に細い銅線が張ってあり、スプーン状のコレクタで集電する。
モータの鉄心はトタン板を使ったそうだ。軟鋼鈑ではあるが、ヒステリシスが大きく、損失が無視できない。しかしよく走る。

8mm train (6)8mm train (5)8mm train (7)8mm train (8) TMSの特集号にも掲載されている。図解が詳しく、しかも明解な絵で、年少者の理解を助けている。
 誰にも描ける絵ではない。筆者も少し練習してみたが難しい。今回も描き方の手ほどきをして戴いたが、一言で言えば、円と直線の接し方がコツなのである。レイルに車輪が載っているのを、斜め前から見た図を描くコツがつかめれば良いということである。お試しを。

2013年06月09日

ローカのボーシ

 もう35年ほど前の話だ。剛氏から年賀状を戴いた。例によって上手なイラスト入りだ。
 長い廊下が遠近法で描いてあって、壁に帽子掛けがいくつかある。そこに野球帽がひとつ掛かっている絵だ。向こうの方で剛氏が、「鉄道模型はローカのボーシ」とつぶやいている。そうしたら、奥さんが「廊下の帽子?」と聞き直している様子が描かれている。

 これが分からなかった。何度も年賀状を覗きこんで何かヒントが無いかと調べるのだが、分からない。壁に張っておいて時々見るが、見当もつかなかった。
 夏に剛氏とお会いして色々なお話を伺っていると、「鉄道模型は老化の防止には良いんだよ。」という話が出てきた。筆者が「ああそれですか!」と言うと、剛氏は「今年の年賀状は、良く分からないという人がいっぱい居ましてね…」と仰る。

 音で聞けばすぐ分かるのだが、カタカナで「ローカのボーシ」と書いてあったら分からない。しかも誤解を誘うような帽子の絵まであってはたまらない。

年賀状 それ以来、剛氏の年賀状は非常に単純明快なものが多くなったが、イラストはいつも素晴らしい。
 今年の年賀状はご自宅の窓からの風景を描かれたものである。

2013年06月07日

続々 伊藤剛氏を訪ねて 

伊藤 剛 5 工作はほとんど手工具に依るのだが、たまには旋盤も使うということである。この旋盤はEMCOのUNIMATである。60年代の発売だ。当時はずいぶん高価に感じた。剛性がないベッドであるから、長いものを作ると径がでたらめになる。ベッド代わりの丸棒の下に何か挟まないと使えない代物だ。剛氏は車輪や車軸を仕上げるだけだから、問題ないそうである。

 ほとんどの作品は見せて戴いているが、一つだけ見せて戴いてなかったものがある。それはロータリィ・ダンパである。話は色々な方から聞いたが、現物を拝見するのはこれが初めてだ。剛氏自身も、箱を開けるのは30年振りだそうで、記憶をたどりながら説明して戴いた。これは雑誌に発表されていないはずだ。
伊藤 剛 6 これはHOの線路の上を走るOスケールのナロゥ・ゲージである。1輌ずつ押しこんで連結器を切り離し、回転する。砂利は落ちて下のホッパに集まる。空車はそのまま押し出されて斜面を下る。スイッチバックして下の線路に留置されるというわけだ。
 機関車は背の低い鉱山用で、日本車輌で作った物である。収納してあった箱には、収納の仕方が描いてあって、その通りにするときちんと納まる。 


伊藤 剛 7 機関車には運転手が乗り、後ろを見ている様子がリアルである。貨車には、お住まいになっていた長浦という地名が書かれているが、その横の丸いマークは何だろうか。
 漢数字の七ではない。片仮名の”ナ”を左右逆に描いてある。”ナ”が裏になっている。すなわち、”ながうら”だそうだ。

 剛氏の模型には、この手の言葉遊びがたくさんある。レイアウト・モヂュールでは線路際の看板に「岡歯科・内科」と書いてあって、続けて読むと、「おかしかないか」となるわけだ。ありとあらゆるところに、吹き出してしまいそうになる表現がある。

2013年06月05日

続 伊藤剛氏を訪ねて

伊藤 剛 3 工作室を拝見したいと申し出ると、「さあどうぞ」と案内された。人間国宝に匹敵する人の仕事場拝見というのはなかなかないチャンスなので、奥の奥まで見せて戴いた。
 全ての道具がありとあらゆる場所に差し込まれている。
「先端が見えているのが大事」なのだそうだ。「道具を探していると模型は出来ない。」
と仰る。確かに工具の先が見えていると早い。
 筆者の工作台も大改装せねばならない。椅子に座れば、全ての道具が手を伸ばさずに掴める環境は大事だ。

 足もとに電燈(電球色蛍光燈)があって、いつも点いているのは、物を落とした時にすぐ分かるからだ。確かに、落としてから電燈を点けても、たいていは手遅れで、どちら方面に飛んだのかが分からない。これは良いアイデアである。

伊藤 剛 2伊藤 剛 4 右手方向にはこのようなカートがある。これも工夫を凝らした造りである。道具が全て差し込んであって一覧できる。ここには写っていないが、細かいところを見るメガネも市販品を改造して、高機能にしてあった。このメガネはOptiVISORという商品名であるが、アメリカではDoneganと言う。発明者の名前が商品を表すのである。Staplerをホッチキスと言うのと同じだ。

 この「一覧できる」というのは大切なことである。部品でも、紙箱とか缶に入っていると、すぐには出て来ない。筆者のところでは、全てプラスティックケースに移し替えた。それほど透明度が無くても、中に入っているものの見当が付く。さらに細かいものはポリ袋に入れ、壁にぶら下げた。模型屋の店先のようであるが、これはとても良い工夫である。お勧めする。いつの間にやら、模型屋ほど在庫がある。

2013年06月03日

伊藤剛氏を訪ねて

 伊藤 剛氏は今年92歳である。 名古屋郊外の知多市で、定年後は長らく郵便局を開いていらした。最近完全に引退して、川崎の高層住宅に引っ越されたのだ。遊びに来るようお手紙を戴いたので、早速お邪魔した。

 近くに息子さんご夫婦がいらっしゃるが、「独居老人ですよ。」とのことである。電話を掛けるときは、「ベルが20回鳴るまで待ってくれ。」とのことであったが、3回で出られて驚いた。

伊藤 剛 しばらく前、叙勲されたそうで、皇居での出来事を面白おかしく話された。天皇陛下が、たくさんの受賞者に挨拶されたとき、わざわざ近くに歩み寄られて、「ご苦労様でした。」と声を掛けられたのだそうだ。どうしてだろうかと考えたところ、その回の受賞者の中で最年長であったからだそうだ。それ以外の理由は無いとのこと。


 伊藤剛氏は名古屋出身で、日本車輌で設計の最先端にいらした方である。名古屋模型鉄道クラブの発足以来65年の会員歴をお持ちである。170号くらいまでのTMSの記事には、ほとんど毎号伊藤剛氏の談話、アイデア、作品が載っている。その後はTMSとの関係が疎遠になったが、25年ほど前から関係が修復され、次々と秀作が発表されている。類稀なるクラフツマンで、モータの製作などお手のものである。
 瀬戸電の単車の記事は、筆者の個人的な評価では、日本の模型工作記事の最高峰ではないかと思う。走りは素晴らしい。小さな電車が大きな慣性を持ち、ゆっくり起動しゆらゆらと車体を揺らしながらゆっくり止まる。どこにもボールベアリングなど使っていないが、素晴らしい設計で慣性の表現を実現された。
 さまざまなアイデアを出され、この国のみならず世界の模型界にも影響を与えた方だ。語学に強く、英語のみならず、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語もかなりおできになる。TMSの外国の情報紹介の記事は大半が伊藤剛氏の翻訳の要約である。山崎喜陽氏は、その記事群に伊藤剛氏の名前を出していない。

 若い方は、伊藤剛氏がどんな方か知らない人がほとんどであろう。栗生弘太郎氏がブログで作品の一部を紹介されているので、是非ご覧戴きたい。  


2013年06月01日

続々 Optical Center Punch

1112 この写真を見れば先端の角度が分かる。ドリルの刃先と一致しているので、刃を降ろせばぴたりと納まる。
 透明軸の太い部分は光を集めるために必要である。また、梨地仕上げの部分は光を散乱させて、視野全体の明るさを均一にする。

13 その先端はこのようになっている。円の中心には黒い点があるが、肉眼では見えない。と言うことは1/10 mm以下である。多分0.03mm程度であろう。
 穴に差し込むと先端はワークに当たる。その時、この点を付けた部分が当たると傷が付くので僅かに凹ませてある。
 凸レンズの曲率と先端の凹ませ具合が、ノウハウなのであろう。
 
14 このような円筒ケースに入っている。注文された方にこれを送ったところ、「化粧クリームなんか注文してないのに…と思った。」と言われた方が複数あった。
 円高の恩恵を受けていた時代にはこれを定価6000円前後で買えたのだが、今は1.25倍以上になった。軽いものなので、友人宅に送らせてそれを持ち帰った。

 このポンチを使って確認したことがある。祖父江氏がたくさんの板を積み上げて、それをボール盤で一気に穴を開けるのだが、上から下まで穴は完璧に同じ位置に開く。自分でやって見るとずれてしまう。
 このポンチを使ってドリルを誘導し、貫通させるとドリルがまったく踊らないので垂直に穴が開く。すなわち、穴が真っ直ぐに開いてずれない。単純な話だが、気が付く人は少ない。
 


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