2012年12月

2012年12月30日

続 Wilburton Trestle を訪ねて

Dinner Train on Wilburton Trestle この橋を通る遊覧列車があった。橋の上で停車して、しばらくの間停まっているということだった。



 2002年に内野日出男氏御夫妻を案内してここに来た時、その話をSam Furukawa氏から聞き、チャンスがあれば来てみたいと思っていた。
 雑事に追われているうちに、2007年でその汽車は運行停止になった。その汽車はいわゆる Dinner Train で、往復3時間弱の移動であった。2時間位は停まっていたのだろう。
 トイレがどのような構造になっていたかは良くわからぬが、橋の上から撒き散らすと大変なことになる。今はこの橋の上を通る定期列車は無い。

 この橋を渡ってBoeing社のジェット機を通していたこともある。しかし、この橋の南1キロあたりに平行する高速道路I-405を拡幅する時、線路の下をくぐっていたトンネルを壊して廃線にした。それで列車の運行は無くなったということである。

Wilburton Trestle 8 橋の下にはブラックベリィの実がたくさん生(な)っていた。試しに一つ食べてみた。とても甘くて爽やかな味だ。誰も採りに来ないので、そのうち鳥の餌になるか、腐ってしまうだろう。


 この橋は1904年に最初の橋が架かり、その後1913年から10年おきに改築されている。最後は1943年だそうだ。材質はRedwood であろう。この木は腐りにくい。防腐剤を塗らなくても数十年持つ。我が家の破風(屋根の周り)はすべてこの木材にした。もちろん白太(しらた)ではなく髄(ずい)の部分である。レッドウッドは髄の部分が多く、白太は少ない。
 もともとは、この橋の下は湖だったそうだ。湖面を下げて地面を露出させたのだそうだ。昔はLake Washingtonの湖面は数メートルほど高く、海にはつながっていなかった。運河を作って水を流し出し、陸地をずいぶん増やしたのだ。

 アメリカの話をしているうちに、今年も終わってしまった。新年からは模型の話に戻ろう。 

2012年12月28日

Wilburton Trestle を訪ねて

Wilburton TrestleWilburton Trestle 7 ウィルバートン・トレッスルはシアトルの東側のBellevueにある。高さ31m、長さ297mということになっている。アメリカで最大級の木造橋である。長さについては、一部が切りとられているので、議論の余地があろう。
 当初は下をくぐる道が狭かったので開口部が小さかった。それを4車線に広げた時に、一部を壊して鉄筋コンクリートのピアを作り、鉄橋を架けた。もう少しうまい方法は無かったものかと考えてしまう。
 

Wilburton Trestle 2Wilburton Trestle 6Wilburton Trestle 3 当初の開口部はこんな形であっただろう。基礎の間隔を不等にするために柱を斜めにしている。


Wilburton Trestle 4Wilburton Trestle 5 開口部の高さが限られているので、大型の自動車が通れなかったのだろう。足を切り縮めて箱型の基礎の上に載せれば、解決したかも知れない。橋の北側はそれに類した構造にしている。

2012年12月26日

Bridge within a bridge

812_6542-2 Seattleに向かう高速道路から降りて、Wenatcheeという町に向かった。その町の中心部には大きな橋が掛かり、そのわきの公園にはコンソリデイションが一台置いてあった。雨ざらしだから、あまり良い保存状態とは言えない。ボイラ・ジャケットは緑色でなかなか良い雰囲気である。あとで降りて撮り直そうと思ったのであるが、思わぬことで写し損ねた。唯一の写真がこれである。

 実はこの町の南側に、GNの本線がコロンビア川を跨ぐ橋があるのだが、その橋があまり例のない二重の橋なのである。元の橋は1892年に完成したのであるが、それを1925年に補強したのだ。スパンは125mほどである。
 アメリカ人のやることとしては、かなり珍しいことだ。まだ「もったいない精神」が在った頃なのだろう。

Bridge within a Bridge この写真1枚を撮るため2時間ほど走り回った。意外にも、この橋を近くから見るポイントがほとんどないのである。この対岸からは全く見えない。おそらく線路沿いにしばらく歩けば可能であろうが、BNSFのRailroad Policeに捕まると一晩は拘留されそうで、それは出来なかった。GPSを頼りに走ってようやくここまでたどり着いたが、この先は私有地で入れなかった。望遠レンズで切り取った絵がこれである。
 借りたHertzのレンタカーのGPSは情報が古く、通れない道が通れることになっていて、何度も引き返した。ひどい目に在ったのは、ダムの上を通れるとあったので、それを信じて行ってみたところ、進入禁止になっていた。戻るのに30分も走らねばならなかった。 

ColumbiaRiverBridgeColumbiaRiverBridgeApproach GNの愛好者団体のウェブサイトを探すといくつかの写真が見つかったので、お借りしている。こちらの写真の方が、ずっと分かりやすい。



 補強した橋は他にもいくつかある。カリフォルニア州のサクラメントからドナ・パス方面に向かう高速道路がくぐる橋である。古い橋を新しいトラス橋で支えているが、このような二重構造では無い。下から支えているのだ。写真をいつも撮り損ねるので、いずれきちんと撮って来たい。

2012年12月24日

Road-Rail Vehicle

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 シアトルに戻る途中でRoad-Rail Vehicle(軌陸車)を見た。高速道路のパーキング・エリアに停まっていたのだ。この種の車はHi-Rail Carとも言う。Highway-Railroad Carの略だ。綴りはいくつかあるようで、Hy-Railというのもよく見る。模型の世界でハイレイルと言うと、ライオネルに代表されるハイフランジでブリキレイルの上を走るトイ・トレインを指すので、初めはそれと勘違いしていた。

 UPの車で、前後の誘動輪がゴムタイヤであったのは少々驚いた。おそらくサスペンションを省略するためであろう。フランジは金属製であるがトレッドはゴムである。電気が通らないので、閉塞信号を作動させるために大きなブラシを持っている。スティール・ワイヤを切ったものを3本まとめてレイルを摺るようになっている。電線が出ているから、その解釈で間違いなかろうと思う。ゴミが絡まっていて見えにくいが、レイルに対して直角に当るようになっている。

 駆動力は道路用のゴムタイヤがレイルに接触しているから、それが機能する。4輪駆動だから十分な牽引力もあるだろう。

812_6537-2812_6532-2812_6531-2 油圧で誘動輪が上下する。前後別々に上下する。レイルの上に載っているのを確認して操作するのだろうから、その方法が適する。

2012年12月22日

Palouse Falls へ

812_6482-2Palouse Falls 次の日はPalouse 滝を見に行った。小さい滝だが、高さは全米のランキングで10位あたりにある有名な滝らしい。コロンビア川の支流のSnake Riverの峡谷を遡ったところにある。Basalt(玄武岩)を主とする地域でそれを穿って流れるスネーク・リヴァはこのような地形を作り出す。岩壁には独特の六角形の節理が見えるところが多い。行った日は渇水期で、水量が少なく面白くなかった。上のリンクの動画はなかなか凄い。よほど滝壺が深くないとこんなことはできない。

812_6477-2 パルースの太字を強く発音し、パはかなり崩れた音になる。これはこのあたり一帯を指す地名で、緩やかな起伏をもつ丘陵地である。小麦や大豆の畑が見渡す限り続く大農産地であって、その中をUP線が貫いている。鉄道が出来るまでは、いくら農産物が採れても運び出す術がなかった。パルースへのUP線の開通は1890年である。この滝の脇を通るPortland方面への短絡線が出来たのは 1911年であり、大きな橋も近くに架かっている。この橋は撮り損ねた。

812_6485-2812_6487-2 滝の真横には、このように岩を掘って作った切り通しがある。かなり堅そうな岩だ。この橋は、滝を見に行きやすいように戦後作られたようだ。このすぐ後ろにあるトンネルは素掘りのままで岩が出ている。ポータルだけはコンクリートで崩れないように固めてある。

2012年12月20日

続々 Rosaliaへ

812_6474-2812_6472-2 この橋を下から見ると、各スパンは直線であることが分かる。力学的にはそれが正しい。しかしその上部の造作は緩やかな曲線を描いているように見える。
 機関車から見ると橋全体がカーヴしているように見えるだろう。事実、衛星写真では丸く見える。

 栗生弘太郎氏の計算では、半径 700 m、各スパンは 26 m である。
 BNSF線に比べ、カーヴは緩やかで、より高速運転できるようになっている。この橋の上をオリンピアン・ハイアワッサが走っていた時代があるというのは、今となっては信じられないことである。

 Seattleへの最短到達時間を競ったのは、アジアへの最短到達を目指したのからである。例えば横浜を出てサンフランシスコに着くよりも、アメリカへの最短距離である大圏航路で言えばシアトルは1日の差が出る。
 大正末期の日本の船会社のカタログを見たことがあるが、シアトルでグレートノーザンに乗り継ぐと、サンフランシスコで乗り換えるSP,UP経由よりずっと早いと書いてあり、自社の優位を宣伝する内容であった。そこにNP, Milwaukee Roadが入り乱れての乗客、貨物の争奪戦を繰り広げたのである。
 ノーベル賞を受賞した下村脩氏もシアトルに上陸し、グレートノーザン鉄道の特急で東部に向かったと書いていた。

812_6475-2 ところで、この写真はある公園で写したものである。たまたま気になっていた情景が再現されているので紹介する。
 上部の手摺は丸く、下の支えは直線である。作りやすいからこうなったのであろうが、面白いと感じたのでお見せする。

 あちこちでレイアウトを見学すると、曲がった橋はかなりの確率で存在する。じっと見ていると、所有者が照れくさそうに、「曲がった橋は間違っている。そのうち直すさ。」と言う。開き直る人は少ない。

2012年12月18日

続 Rosaliaへ

 このアーチ橋に興味があったのは、それが曲がっているからである。友人がスポケーンの近くに曲がった橋があると教えてくれたので、場所を探し出した。Google Earthのおかげで場所が特定できた。

812_6471-2812_6503-2 撮影している間にBNSFの貨物列車がやってきた。非常に低速である。時速15kmも出ていない。小走りで追いつく程度である。100輌ほどの長い貨物を引っ張っていて重そうである。中味は小麦だ。ちょうど収穫期にあたっていて、アメリカ中のCovered Hopper Car が総動員される時期である。このあたりは穀倉地帯で小麦がいくらでも採れる。コンバインが走り廻り、収穫した小麦は巨大なGrain Elevatorに貯蔵され、それが順次貨物列車に積まれて発送される。

 上記のリンクの動画をご覧戴きたい。すでにいささか古い映画であるが、現在も似たようなものである。ホッパ車が不足するので、普通のBoxcarを小麦輸送に使っている。この板はBulk Containment Door といい、仮設の穀物輸送用である。この映画の中で貨車をテコで動かし、ブレーキを掛ける様子はなかなか興味深い。ブレーキホイールの位置が高いのは、こういう使い方もしたからだと妙に納得する。
 貨車の動きは実にゆっくりで、慣性が現れている。動き出しの摩擦力は大きいが、動き始めればあとは手で押して行ける。本来、鉄道はこのような動きをするのである。筆者が摩擦の低減ということを強調するのは、このような動きに少しでも近付きたいからである。

 このロザリアの橋付近の線路は実によく曲がっていて、半径180m程度のカーヴがいくらでもある。長大な列車が軋みながら走る。アメリカの車輌は台車が車端に近いところに付いているのはこのような急曲線への対応であろう。特に推進運転時の座屈による脱線を防ぐのに効果がある。模型の場合、相対的に日本型は推進運転で脱線しやすいと言われるのは、この辺に原因がありそうだ。

 沿線にはGrain Elevatorがたくさんある。

2012年12月16日

Rosaliaへ

812_6458-2 鉄道公園の前にはUPの駅があり、木材を満載した列車が停まっていた。バルクヘッド・フラットカーである。それをしばらく観察して、ロザリアのコンクリート・アーチ橋の見学に出発した。スポケーンの南約50kmにある橋で、BNSF線(元はNP線)を跨いでいる。Milwaukee Roadの橋である。

 この鉄道は正式名称をChicago, Milwaukee, St. Paul and Pacific Railroad (CMStP&P RR) と言い、アメリカで最後に完成された大陸横断鉄道であった。シカゴからミネアポリスへ、ハイアワッサという高速列車を運行していたことで有名である。さらにシアトルに向けてオリンピアンという大陸横断列車を走らせていた。
 豊富な電力を用いて、西部の線は電化されていた。また、シカゴ近辺はUPの大陸横断列車が使用していた。
 需要以上の拡大方針をとったため、1925年には最初の倒産をし、1960年代、70年代にも倒産を繰り返している。電化設備の老朽化に伴い、更新が不可能になって、せっかくの電化された路線から架線を外しディーゼル化に移行したが、結局1980年に太平洋に出る路線を完全に廃止した。路盤は何百キロも続く遊歩道、自転車道になった。もったいない話であるが、どうしようもなかった。

The_Milwaukee_Road-Rosalia812_6467-2 この橋はその遺構である。橋には誇らしげにMilwaukee Roadと描いてある。この場所に行くのが遅れて、到着時は日没後40分以上経過していた。
 もう写真は撮れないと思ったが、カメラのISOを
12500に上げて撮ってみた。手持ちであったが
1/15程度のシャッタ速度が可能であった。
 最近のカメラの性能は予想以上で、何の問題も無く鮮明な写真が撮れた。 

2012年12月14日

続々々々 Spokane County Fair & Expo Center

812_6434-2812_6437-2812_6438-2 この鉄道公園には、
2-ftナロウゲージ鉄道がある。子供たちを乗せるために作られたものであろう。どんな車輌群があるのかは不明であるが、線路を見る限り、機関車はかなり小型であろう。
 簡単に作られた鈍端転轍器がある。その奥に見えるフログの作りはかなり荒っぽい。レイルはかなり細い。いわゆる8kgレイルであろう。アメリカでは1ヤード(約91cm)あたりのポンド数で表す。

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 倉庫の脇に鉱山用機関車があった。Lead SDとあるので、2003年に閉鎖された南ダコタ州の金鉱かもしれない。この機関車の動力源は蒸気ではなさそうだ。無火式機関車の一例ではあるが、多分高圧空気であろう。

2012年12月12日

続々々 Spokane County Fair & Expo Center

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 Brownhoistのクレーン車があった。かなり大型で250トンクラスだ。これとよく似たものを持っているので、細部の写真を撮った。一番見たかったのはアウトリガである。左右に迫り出させる機構に興味があった。
 やはり、ラチェットによる方法だ。ラックで押し引きするのに、ラチェットを介してレヴァで廻す。底板によほど脂が回っていないと、大変な作業であったろう。
 このクレインはもともと蒸気動力であった。それをディーゼル電気方式に改装したのだろう。この個体は煙突が蒸気時代のものである。蒸気運転のときには煙突が伸びるものもあった。一般的には改造機では、排気マフラが後か、上に付いている。
 機関室の後部には大きなドアがあり、蒸気時代の作業時はここを全開してテンダから給炭した。水はホースで供給した。横を向いて作業するときは、給炭のために時々テンダ方向に尻を向ける必要があった。もちろん機関室の中にも小さい炭庫はあった。

812_6430-2 小型の25トン・クレインもある。小さい物には自走式のものもあるが、これは、そうではない。

 アメリカの鉄道ではクレインはぴかぴかの場合が多い。日本の操重車の錆付いた情景とは異なる。そこらじゅうで脱線事故があるので、いつも出動準備が整ってぴかぴかに光っている。最近はより機動性が高いトラック・クレインも用意されている。それをRubber Tire Craneと呼ぶ。鉄道車輌ではないことを明確に表現している。

≪コメントでご指摘を受け、内容を書き換えました。》

2012年12月10日

続々 Spokane County Fair & Expo Center

812_6387-2812_6433-2 カブースは2輌あった。このGreat Northernの木造車は興味深い。キュポラ部分の側面が車体の側面と面一(ツライチ)になっている。この形は模型化しやすい。キットとして発売されているはずだ。
 Western Pacificのカブースは標準型の窓を一部塞いでいる。SPのカブースと違ってBay Window(せり出した窓)の天井が単純な形をしている。SPのは壁面を少し高くして隠し樋にしてあったが、これのせり出した部分の斜面はつるりとしている。

812_6378-2 これはUPの食堂車である。丸屋根の好ましいスタイルをしている。筆者の好みであって、キットから製作中である。写真が撮れたのは運が良かった。


812_6440-2812_6441-2812_6442-2 UPの寝台車である。二段ベッドの部分は上の長円形窓から外を覗く。元は4-4-2というタイプの様であったような気がする。その後改造を受けて原型が分かりにくくなっている。左の写真の床下の銀色の斜めになった蓋が付いている部分は、燃料のプロパンボンベの収納場所である。蓋を開けて容易に差し替えられるようになっている。塗り分けはでたらめで、妻面も黄色になっている。本来は妻は灰色である。HO以下の模型では、このように妻も黄色のものが多いのは残念だ。

812_6447-2812_6449-2 これはコーチ(座席車)であろう。内部は外されて、催しのある日には子供たちの遊び場となるべく用意されているのだろう。車内には架線付きのライオネル・レイアウトがあった。架線はこの地域では不可欠のものなのだろう。

 812_6457-2 これはGreat Northernのコーチの様である。GNのモニタ・ルーフ(いわゆるダブル・ルーフ)は他社のものより深いように感じるが、気のせいだろうか。手前は子供たち相手の運転用の2-ft ナローゲージである。

2012年12月08日

続 Spokane County Fair & Expo Center

812_6415-2812_6410-2812_6419-2 見上げるとずいぶん背が高い。立派な機関車である。 動輪にはfoliage scroll(唐草模様)がある。これが描かれていた時期はかなり古い。右側面にしか残っていない。従台車はHodges Typeと呼ばれる形式である。自由度の大きなリンク機構で復元力を発揮しつつ、荷重を分配する。板バネは従台車に付いていて、左右に振れる。補助のコイルばねによる復元装置も付いている。

812_6383-2812_6397-2 NPのF9である。前面にLift Ringが付いていて、いかめしい。塗装は新しい。良い色だ。



812_6386-2812_6389-2812_6390-2 思わぬところでこの荷物車に出くわした。筆者は何台か持っているので細部の再確認をした。台車は6輪であってなかなか壮観である。揺れ枕の吊りリンクは細い材料で作るために、応力の集中を避けて半径の大きな構造になっている。

2012年12月06日

Spokane County Fair & Expo Center

812_6377-2 Spokaneには鉄道公園があるということは調べてあった。どんなものがあるのかは分からなかったが、少なくともUPの古いパシフィックがあるらしいということだけは分かっていた。その場所がなかなか割り出せなかったのだが、GPSを駆使してようやく分かった。そこには野球場に付帯して色々な施設のあるところのようだ。
 行ってみると鉄道の展示部分には柵があり、中には入れない。この写真は、柵のところから写したものだ。管理事務所で聞くと、「公開日は決まっていて、それ以外に開くことはないが、念のためこの電話番号に掛けてみよ。」と紙を渡された。それには鉄道保存会のヴォランティアの人の名前が書いてあった。しかし掛けても留守である。困ってあちこち見ていると、どうやら、隣に建った大きな穀物倉庫会社の方からは入れそうだ。

 そこで働いていた人に聞くと、「構わないから入れ。そこをずっと行って突きあたりを右だ。」と教えてくれた。「日本から来たんだって?どうかしてるぜ。」と言いながら、結局は自分の車で先導して、その現場まで連れて行ってくれた。

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 そこに在ったのはAlco製 Pacificであった。1904年製であるから、すでに古典期の分類である。動輪周りがいかにも古めかしい。カウキャッチャはひん曲がっている。おそらくそこにワイヤを掛け引っ張った奴が居たのだろう。残念なことだ。
 実はこの機関車の模型を持っているので、その調査に来たのである。

2012年12月04日

Spokane

 Spokaneの発音はスポケーンである。太字を強く言う。この町の名前は当初Spokanだったが”e”を付け足したらしい。町の真ん中にかなり水量の大きな滝(落差20m位)が2つある。この滝の写真はWikipediaからお借りしている。下の滝はダムになっているが、上の滝は自然のままである。写真の奥に見えるのがそれである。行ったときは渇水期でこんな立派なものではなかった。

Spokane1Spokane2Spokane3 Great Northern鉄道の拠点駅が置かれ、間もなくNorthern Pacific鉄道やSP&S(Spokane, Portland & Seattle鉄道)も来た。この地域は水力電気が豊富で、かなりの鉄道はすぐに電化されていた。複数の大陸横断鉄道がこの町を通過している。そういう意味ではこの町はアメリカ北東部の鉄道の要衝である。
 その街に来たことが無かったので、今回は思い切って足を延ばしてみたのである。町の中心部には古い煉瓦作りの建物が残っている。比較的新しいビルディングも外装に煉瓦を使っている。

Spokane4Spokane5 これらの建物は1900年頃に建てられたものが大半だ。ほとんどの古い建物は壊されたが、こうして何ブロックかは当時のまま残っている。Historical Areaとして保護されているようだ。

 昔のGreat Northern駅は時計台以外壊されてしまった。その時計台は今もモニュメントとして残っている

2012年12月02日

Columbia River を上る

 Leo の家を辞して、コロンビア川を上った。実はこのルートは筆者にとって初めてである。多少の期待があったが、予想に反してあまり面白くなかった。川幅があまりにも広くて、対岸の様子が分かりにくいからだ。川床の傾斜も極端に少なく、川というよりも長い湖のように見える。この川の両岸にはGreat Northern 鉄道とNorthern Pacific 鉄道が、文字通りのrival(川向うの仇敵)として競っていた。現在はBNSFとUPになった。

812_6179-2812_6184-2 列車密度は高く、うかうかしていられない。下り列車は突然やってきた。対岸にはBNSF線がある。ダムもたまにはあるが、落差が小さい。水量で発電するタイプのタービンを使っているはずだ。

812_6185-2812_6188-2 はるかかなたの対岸にはBNSFの機関車2輌に牽かれた貨物列車が見える。下りであるから排気も少ない。対岸の山頂には発電風車が見えている。今回は超望遠レンズを持って行かなかったので、苦しい撮影であった。UPの貨物列車が下ってきた。二段に積んであるコンテナは、いわゆる開放型コンテナで、製材していない原木を積んでいるはずだ。昔はいかだで流してポートランドで引き上げていた。

812_6190-2812_6191-2 この橋を渡るとワシントン州に入る。Spokaneに行くのである。見渡す限りの小麦畑になった。
 

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