2012年08月

2012年08月20日

続々々々々 Davidのレイアウト

712_5277-2 Canandaigua Southern Railroad はもともと三線式のレイアウトであった。日本でよく見る中央三線式ではなく、Side-Third Railを持っていた(外側三線式であった)。蒸気機関車もキャブの下あたりにサイド・コレクタが飛び出している。ポイントでは双方向に分かれるので第三軌条は線路の両側に付き、合流時にはコレクタが乗り上げないよう斜面を介して第三軌条に載るようになっていたのである。筆者が知っている限りでは唯一の外側三線式レイアウトであった。この写真でも第三軌条を撤去した穴が微かに分かる。

712_5234-2 要するにアームストロング氏の鉄道模型は、歴史が長いのである。戦前からのOゲージャであって、Tinplate と O Scaleの区別がない状態からスタートしているからだ。当初ライオネルのような中央三線式を楽しんでいたのだが、より実感的な外側三線式に切り替えたのである。蒸気機関車が中央三線式というのを嫌がる人が多かったからだ。

 ヨーロッパやアメリカの東部では実物に中央三線式がかなりあったので、それほどの違和感がなかったようだが、日本では中央三線式の実物がなかったので、玩具くさいとして敬遠された。実は、筆者も中学生のとき外側三線式の線路を数メートル敷いている。ポイント部が複雑で保守が大変であるのが難点であった。アメリカで二線式の車輪が大量に供給されてからは、誰も外側三線式には見向きもしなくなった。それは1948年頃である。 このとき、O ScaleがO gauge から独立したのである。1949年以降は絶縁車輪を付けるように指定されたと、祖父江氏も言っていた。
 外側三線式の利点は集電が確実であることだ。全く、つんのめったりはしなかったそうだ。

 移設にあたり、二線式に切り替えたが、さほど大きな問題はなかったという。線路にギャップを入れるだけであるし、DCC化したことが配線の煩雑化を大きく抑え込んでいる。車両の方は大半が二線式車輪をつけていたし、台車ごと新しい物に交換もしてある。機関車の一部は専門家に頼んで、二線化改造している。

712_5231-2 もうひとつ、このレイアウトの特徴はカントを多めに付けていることである。 かなり内側に傾いているので、上り坂ではあまりたくさん牽くと危ないそうだ。 
 見学を終わり、礼を述べて辞去した。ワシントンDCの中心部の川向うにあるホテルまで車で45分くらいであった。

2012年08月18日

続々々々 David のレイアウト

 Nickel Plate という言葉だが、Lake Erie の南岸地方一帯を指す。今でもNickel Plateを名前にした銀行とか工場がある。エリー湖は発音が難しい。レイク・イャリーと言うとかなり近い。耳を表すイャァにRの音を響かせながらリィを付ければよい。エリィとかイリィという発音には一度も接したことが無い。

 どうして"nickel plate" (ニッケルめっき)という言葉がついているかだが、それはある新聞の報道記事から来ているらしい。オハイオ州のNorwalk Chronicleという新聞が、「今度の新線は複線で、ぴかぴかの線路だ。」と報道したのだ。それで皆が、その「ぴかぴかの」を表す
Nickel Plateを使うようになり、経営者にとってもそれは悪いことではなかったので、それを認めていたと言うことだ。この話は昔友人に聞いたのだが、この記事にも載っているので多分それが真相なのだろう。
 それにしても「ぴかぴか鉄道」という言葉を機関車にも貨車にも大書し、その沿線が「ぴかぴか地方」と呼ばれるようになったのだから、面白いものである。

712_5244-2712_5250-2712_5260-2 バークシャが引く貨物列車である。機関車には鉛が注ぎ込まれていてとても重い。牽引力があるのは良いが、ギヤが擦り減り線路も傷む。ポイントのフログが潰れていく。

712_5258-2712_5256-2 先回の図の左端の周回部である。バークシャの重連が引く長い貨物列車である。貨車の車輪は筆者のステンレス車輪に取り換えてある。このレイアウトには部分的に勾配が急な区間があるので、重連でないと牽き切れないのだ。

2012年08月16日

続々々 David のレイアウト

 アームストロング氏のレイアウトは、氏の故郷の地名から名付けられていた。 Canandaigua Southern Railroad である。発音が難しい。「キャナンデイグァ」と言うと、かなり正しい音である。これはニューヨーク州の北の方にあるかなり大きな湖の名前だ。このあたりには氷河の流れた跡を留める氷河湖が並んでいる。

712_5279-2 この機関車はアームストロング氏のスクラッチビルトである。煙室はNPにありそうな形だ。火室部はベルペア火室である。この機関車は過去のMR誌によく出て来る有名な機関車である。非常に調子良く走る。

712_5276-2 この一群の貨車もアームストロング氏から譲渡されたものである。どれもスクラッチビルトである。アームストロング氏の器用さには恐れ入る。氏はMRの漫画に登場する人物の原型である。メガネを掛けた垂れ目でちょび髭の痩せたオヤジは、まさにこの人である。

712_5233-2 中間駅にカブースが停まっている。この鉄道はNickel Plate Railroad(NKP) である。極めて初期のTMSには、「NKPはNYCの支線である。」などととんでもないことが書いてある。知らないことは書かなければよかったのにと思う。 正式名称はNew York, Chicago and St. Louis Railroadであり、略称はNYC&St.Lであった。最初の三文字を見てNew York Central Railroadと関係があるとでも思ったのだろう。
 ディヴィッドのレイアウトはニッケルプレート鉄道を主題としている。NKPは愛称である。1964年にNorfork & Western Railroadに吸収された。比較的遅く(1960年)まで蒸気機関車を走らせていたので、走行のカラー動画がたくさん残っている。以前椙山氏のところで映画をよく見せて戴いた。Lima社のBerkshire(2-8-4)が有名である。
 このレイアウトには、その機関車が20輌以上ある。

2012年08月14日

続々 David のレイアウト 

712_5222-2dogbone とにかく長いレイアウトである。この写真のディヴィッドが立っているところから、はるかかなたの壁に青空が見えているところまで約30 mある。
 全体の線路配置を簡単に言えばドッグボーンをひとひねりして、その両端を重ねた形である。そのひねったところの一部にアームストロング氏の見せ場である、素晴らしい岩肌の再現がある。この図で黄色の部分である。
 ややこしくなるので省いたが、左のループも実は折り曲げて半ひねりしてある。
 この図の長手方向が約40 m 弱あり、エンドレスの総延長は300 m 強となる。その本線をDCCで複数の列車が走るのである。貨物列車なので、なかなか追いつかない。

712_5225-2712_5264-2 この部分がコズメティック・カーヴである。このような層状の岩肌はよく見る。場所によっては石炭がはさまれていたりする。そのような露頭があると炭鉱が開発される。

712_5232-2712_5230-2 図の左の壁方向を見るとこんな様子である。次いでもう少し下がって見る。右は、折り曲げて半ひねりした周回線である。周回線はアームストロング氏のレイアウトから移設したものである。二段になっている上の棚は針金で吊ってある。こうすることによって片持ち梁を無くすることができる。しかもその針金は電柱になっていて半分隠されている。
 
712_5241-2 カメラを逆方向に振るとこうなる。ターンテイブルや給炭台はアームストロング氏の作品である。よそから持ってきたレイアウトを配置を変えてつないでいるので、納まりにやや無理がある。本人もそれは分かっているから、いずれ修正されるだろう。

2012年08月12日

続 David のレイアウト

712_5281a この写真の真ん中の人がアームストロング氏である。ディヴィッドは、氏と仲良くなりその素晴らしいレイアウトを譲り受けることになったのだ。
「このような貴重なHeritage (文化遺産)を引き継ぐことは模型人として当然のことであり、誰かがやらなければならない。だから僕がやった。」と言う。言葉で言うのは簡単だが、実際には大変だ。
 地下室を延長し、そこに見せ場を作るのだ。その最中にディヴィッドは離婚している。それでもやる価値があったと言う。
「ずいぶん高くついたよ。大変だったけどね。」

712_5284a 既設の地下室の設備を何もかも移動し、レイアウトを小さく切ったものを運び込む。給湯器を移動してカーヴを収容した。庭を掘って地下室を
10m以上延長した。そこで前の奥さんはブチ切れたのだそうだ。
 彼が言うのには地下室の延長時に離婚するケースが多いそうだ。2回延長して2回離婚した例があるそうだ。「僕はまだ1回だけどね。」

712_5283a 新しい地下室の上にはサンルームを作ったのだが、そこは運び込んだレイアウトの仮組み立て場となった。美しい芝を壊して延長した様子が分かる。この写真は数年前のものだ。ディヴィッドの嬉しそうな顔を見て戴きたい。
 鉄道模型人は離婚率が高いと言う。たいていは奥さんが愛想を尽かして出て行くのだ。そこで筆者は1950年代のMRに載っていた話を持ち出した。

 毎週、その亭主は友人を集めて地下室で汽車を走らせている。奥さんは相手をしてくれないのでさびしい。それでは積極的に仲間に入れてもらおうと地下室に降りて行った。
 そこを通りかかった列車が目の前で脱線した。早速、内助の功を発揮しようと貨車を持ち上げて復線させた。すると亭主は怒り、「今クレーン車をそこにやって復線させるところだったのに、余計なことをしてくれるな!」と言った。それで離婚という話だ。
 デイヴィッドは腹を抱えて笑った。「うちは地下室に降りて来なかったよ。」

 これらの写真は栗生弘太郎氏の御好意で修正をして戴いた。

2012年08月10日

David のレイアウト

 David とは10年ほどあちこちのコンベンションで会っていた。非常に誠実な男で、弁護士を開業している。この職業にありがちな押しの強さがない、まじめさが表に出ているタイプの人である。
712_5254-2 過去数年、「ワシントンDCに来たら是非寄ってくれ」と強く誘われていた。大きなレイアウトを持っている。しかもそのレイアウトにはJohn Armstrong氏のレイアウトを移設してあると言うのである。

 アームストロング氏をご存知だろうか。Creative Layout Design という本をKalmbach社から出しているその人である。彼の影響力は大きい。現在のアメリカのレイアウトで主流となっている多層式レイアウト、ウォークアラウンド・コントロールは彼のアイデアである。他にも発案者は居るかもしれないが、体系的にまとめ上げたのはアームストロング氏である。氏は原子力潜水艦の武器システムのデザインをしていたらしい。特殊な工業デザイナであったと言える。MR誌のレイアウトの絵の描き方は、彼が編集に参加してから明らかに変化している。

 この本を1979年に買った。いつもカバンに入れていたので、中味はほとんど暗記している。その中に "Cosmetic Curve" という言葉が出て来る。直訳すると「体裁を整える曲線」ということになる。コズメティックとは化粧のことであるから、その曲線を付けると形が良くなるという意味である。
 レイアウトの壁に沿った部分には直線的に線路を敷くのではなく、多少の曲線を付けると実感的であるというのである。このアイデアは、筆者のレイアウトに頂戴してある。 家を建てるとき、地下室のレイアウトの企画の段階から、そのカーヴは描いてあった。

 12年ほど前、アームストロング氏が健在のころ、東部で開かれたコンヴェンションでお会いしている。ぜひ見に来てくれと誘われたのだが、都合がつかず残念であった。
 氏が亡くなったのは数年前で、そのレイアウトがどうなったのかは気になっていた。そのレイアウトを移設したと聞けば、これは万難を排しても行くべきであると思ったのである。

 ディヴィッドに連絡すると、2週間前に連絡をくれれば予定を合わせると言うので、日付を指定してお願いした。成田からワシントンDCへの直行便に乗れば4時半には車を借りられる。到着した日の夕刻には行けるからと言っておいたところ、そのユナイテッド便はミネアポリスに緊急着陸することになって、約束は駄目になった。
 乗客の中に急病人が出たのである。乗り合わせた医師の診察では、「機内ではもう何もすることができない。直ちに大きな病院に収容すべきである。」ということになった。ちょうど筆者のすぐ近くであったので、スチュワーデスとの会話が全部聞こえてしまった。
 着陸してしまうと再度離陸する燃料が必要で、給油もしなければならない。結局2時間くらい止まっていて、目的地に着いたのは8時くらいであった。ミネアポリスの空港では携帯電話の使用が許可されたので、機内は電話の話声で騒然となった。日本だとこのあたりの規制が妙に厳しく、機外に出るまで使用禁止ということが多いが、その必要性がないことは明白だ。
 隣席の人に携帯電話を借りて実情を伝えると、今日はやめにして明日の夕方にしようということになった。

2012年08月08日

続 Smithsonian

712_5205-2712_5207-2 メッサーシュミットは比較的穏やかな展示法である。スピットフアィアやマスタングと同列に扱っているように感じた。


712_5211-2712_5210-2712_5209-2 向かいの部屋は航空母艦の飛行甲板上を摸した作りで、艦橋も実物大で作ってある。艦橋からは飛行甲板を見下ろした動画が大画面で見えるようになっている。但しその動画は現代のものである。

 グラマンF4Fワイルドキャットの上にはアベンジャーが吊ってある。羽根の折り畳み方がよく分かる展示であった。当時の日本の技術では、重くなりすぎてこの方式を取ることができなかったそうだ。蝶番の軸が45度傾けられ、かなり簡単に手で畳めたらしい。

712_5215-2 別棟の歴史博物館にはB29の後部の実物大の複製品があった。アメリカで女性が社会進出するきっかけとなった戦中の様子を伝える一場面である。

2012年08月06日

Smithsonian

 スミソニアンの博物館群に行ったのは70年代前半、80年代後半である。この二回の訪問ではさほど大きな変化はなかった。今回はあまりにも変化が大きく、新しい博物館に行ったような気がした。変わっていないのはアポロ11号の本物があることだけである。
 一時期、ここには広島に原爆を落としたB29「エノラ・ゲイ」を展示してあったが、色々な議論ののち、ダレス空港付近に移送された。B29はそれほど珍しい機体ではなく、筆者はいくつかの場所でそれを見ている。先のデイトンにもあるし、オグデン郊外にもある。またソウル市中心部にも置いてある。

712_5194-2712_5193-2712_5212-2 ここの航空博物館は宇宙開発、民間航空、第二次世界大戦、それ以降という分け方になっている。スカイ・ラブの実験棟の実物やソユーズなどは見ごたえがある。

712_5198-2712_5204-2 真珠湾攻撃とミッドウェイ海戦の様子は克明に説明してあり、零戦が観客に襲いかかる角度で展示してある。この博物館には、ある意志が感じられる。アメリカを攻撃したものは必ず撃退するというものだ。
712_5208a712_5199a この二枚の絵などはその選定の背景を考えさせられる。これらは明らかに日本人の筆によっている。戦争中に描いて接収されたものか、あとで描いたものかは分からぬが、どうしてこの絵がここになければならないかと考えることを、見る人に迫る。(写真は栗生弘太郎氏によって収差等を取り除いて戴いた。)
 博物館は洗脳装置であると誰かが言っていたが、そうかもしれないと感じた日であった。

2012年08月04日

Washington DC の地下鉄

 ワシントンDCの市内に行くのも24年ぶりである。筆者はNYの空港のあの混雑が嫌いなので、Washinton Dulles 空港に着陸した。スミソニアンを見学してからNYに行こうというわけだ。
 70年代後半に地下鉄の建設が始まった。今回は中心部から少し離れたところで、地下鉄のすぐ近くのホテルに滞在した。安い部屋で、しかも駐車場が無料であった。東部の大都市ではアメリカといえどもホテルで駐車料金を請求されることが普通だ。その料金も一泊で20ドルから35ドルもするから驚く。

712_5187-2 ワシントンの地下鉄は深い。核攻撃を受けた時にはシェルタとしても機能するようになっているという説がある。このエスカレータの角度と長さには驚いた。この写真は1/3程度降りたところから撮っているが、この程度だ。例に依ってガタガタうるさい機械であるが、故障しにく構造になっているのだろう。止まっているのをまず見ない。

712_5188-2712_5189 このプラットフォームのアレンジメントには驚いた。
上下線の高さを変えて、利用者の進入路の高さを片方にそろえてある。このような配置は日本では見たことが無い。もしあればお知らせ願いたい。
 地下鉄は線路の高さは自由に選べるのでこのような形にしても、何ら問題はない。駅は全てこのような大断面であるが、シールド工法で掘ったようにも見えない。各セグメント(四角のコンクリートブロック)には組み立てネジが無いからだ。照明は間接光を用いていて、照度はかなり低い。
712_5221 隣の駅も同じ構造であったが、日本でごく普通にある対面式のプラットフォームの構造の駅もある。 
 夏休みなので、家族連れでワシントン見学に来た人たちが多い。
 駅で記念撮影している。車内でも同様である。降りるとき、ドアのところで嬉しそうに写している人たちが多い。この人たちの住んでいる街には電車が無いのだ。人生で最初の体験なのだろう。
 日本に来て初めて電車に乗ったという友人も多い。アメリカ人は、自動車と飛行機以外乗ったことが無い人たちがほとんどなのである。

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