2012年07月

2012年07月16日

続々々々々 Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4397-2 最後に見せてもらったこの小さい機関車をご覧戴きたい。「日本製だよ。」と棚から出してくれた。デザインが奇妙だが許せる範囲にある。しかしその下回りが悲惨である。


B electricCOM_4398-2COM_4400-2「こんなんじゃ、ひっくり返るよ。」と言うのである。イコライザが付いているのが、片方だけだと信じたいが、両方についている。確かにこれではつんのめる。模型はバネが突っ張っているらしく転ばなかったが、本物なら大変なことになろう。

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COM_4409-2 居間の暖炉の前にはライヴスティームが置いてあった。5インチゲージ(正確には4‐3/4インチゲージ)の4-4-0だ。すばらしい工芸品で、ライヴとは思えない仕上がりである。

 作った男を知っているとのことだ。行き先が無くなりそうで買い取ったそうだ。この模型は鋼ではなくブラスで出来ている。

COM_4410-2 辞去しようと思ったら、「一緒に食事をしたい。時間はあるだろう?」とお誘いを受けた。残念ながら夜の予約があったので失礼した。
 奥様にも強く誘われたので、残念であった。

2012年07月14日

続々々々 Kleinschmidt氏のコレクション 

3-axle, 4-axle truck with drive この模型の4軸台車はバネが効いているから、4軸が自由に動かねばならない。ドライヴはしなやかに曲がらなければならないし、ドライヴ軸が剪断力を受けるような配置ではいけない。なおかつ、動軸が上下したときには、推進軸が多少縮んだり伸びたりする必要がある。
 3軸側も、回転力は自由に伝わるが、軸の上下を妨げることは避けねばならない。このバイポーラでは、3軸台車と4軸台車は直列につながっている。その継ぎ目は軸のずれを許す継手であった。

 このドライブは筆者が8動軸ディーゼル電気機関車DDA40Xに搭載したものである。もう25年以上前の作品である。中間の2軸は共通のドライヴ軸を持つが、末端の1軸ずつはドライヴ軸がユニヴァーサル・ジョイントで曲がるようになっている。なおかつ、そのトルク承けはユニヴァーサル・ジョイントのスパイダが受け持っている。
 実物では、決して採用されないだろうが、模型の強度であれば十分実用的である。精度のよいユニヴァーサル・ジョイントなら音もしない。これを思いついた時は、誰もこんな方法でドライヴする人はいないだろうと思っていたが、Stuが全く独立に同じ方法を採用していた。
 頭の中を覗かれた様な気がした。その話をしたら、「私もあなたの話を聞いていると、考えていたことが次々と出てきて、頭の中を覗かれた様な気がしたよ。」と言った。
 「お互い、もう少し早く親しくなっていれば良かったな。」と抱き合った。

2012年07月12日

続々々 Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4386 この4-6-0はかなり初期の機関車を模型化したものであると思う。というのは第一動輪のフランジが無いからだ。先台車はまだ首を振らないで、回転しか許されていない時代である。
 その時期の4-4-0も第一動輪のフランジが無い。曲線上では少しはみ出し気味に通過したはずである。粘着力が大幅に小さくなるから、その頃の機関車は牽引力が足らなかった。その後、先台車の左右動ができるようになって、それが特許だというから恐れ入る。同時に復元装置が付いて、走行安定性は大幅に向上した。この模型はOスケールではなく、もう少し大きなサイズである。多分1番ゲージであろう。とても良く出来ている。

COM_4388-2 これは誰かがスクラッチビルドしたものらしい。出来はよくないがメカニズムはよく出来ている。この種の機関車は実物の整備部門に居た人が作った例が多い。 だからというわけでもないが、上回りはあまり熱心に作っていない。


COM_4391COM_4392 これは熊田貿易がNJ Custom Brassに輸出したBi-Polerである。これは数ある日本からの輸出品の中で、最も出来が悪かったものとして有名である。
 生前、Bill Wolfer氏は、「話にならない模型で、自分自身が動かない。少し高い電圧を掛けたら、メリメリと音を立ててばらばらになった。あれでも日本製か。」と憤慨していた。
 Stuも同じことを言った。彼は何もかも分解し、鋳物だけを活かして下回りを100%作り直した。もちろん上回りもかなり修正している。でもパンタグラフは駄目だと言っている。作り直さねばならないらしい。
 これがその下回りである。素晴らしい工作である。12軸駆動であって素晴らしい牽引力を示した。

2012年07月10日

続々 Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4382-2 このあたりはヨーロッパの製品が多い。赤いクロコダイルの向こう側にはSPのAC9が見える。これも祖父江氏の製品である。
 ハドソンは有名なライオネルのスケール・ハドソンである。1937年に精密ダイキャストで1/48の模型を発売している。走行を見せる動画がある。自動逆転機を内蔵しているせいか、通電音がひどい。

COM_4383-2 この旧型チャレンジャは1950年頃の祖父江氏の作品である。製造とはまだ言えない頃の手作りである。テンダの文字は糸鋸切りぬいてある。のちにエッチングとなった。テンダは、当時丁稚奉公中の高橋淑氏が作ったとの証言を戴いている。お話を伺うと、祖父江氏は手が早くて、エッチングを注文してあるのに待ちきれなくて、文字を全部、手で切りぬいてしまったそうだ。当時としては最大級の機関車で、アメリカでは大変な人気であったという。テンダの台車はバックアイで、フル・イコライズしている。これはインポータの要求以上の仕事で、インポータのIMPはとても驚いたそうだ。

 その上のNYCハドソンも祖父江氏の製品である。何度もリ・ランしていてこれも1000輌以上作ったと祖父江氏は言っていた。グレイ塗装が実物にあるかは疑問であるが、なかなか良いと感じた。

2012年07月08日

続 Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4379-2COM_4378-2 青い機関車はライオネルである。その上のUNION VALLEYとある機関車はやや大きい。多分17/64インチスケール、1/45.3ではないかと思われる。非常に端正な作りで好感がもてる。その後ろの機関車は当時いくつかあったアメリカ製の機関車である。

COM_4380-2 これはMax GrayのErie RR Heavy Pacific K-5aである。祖父江氏の製品である。とても良く実物の雰囲気を捉えた機関車で、力強さを感じる。
第一次世界大戦後の鉄道国有化USRAの時代に基本設計がなされたHeavy Pacificであるが、この1機種しかない。Light Pacificはたくさんある。この太いボイラ、いかにも大きそうな軸重が力強さの源である。
 この模型の従台車は少し傾いている。前を少し持ち上げるべきである。
 筆者も持っているが、このようなボックスポックではない。スポーク動輪である。それは筆者が最初に買ったブラスエンジンで、事故車であった。キャブがめり込み、動輪が凹んで軸が曲がっていた。それを安く買って、完璧に修理したのである。ボックスポックが手に入らず、スポークにしたら、見た人はみな同じことを言う。
「これは珍しい機関車だ。売ってくれないか?」
 上に見えるGP-9もMax Grayの時代の祖父江氏の製品である。

COM_4381-2 このあたりにも祖父江氏の機関車がある。まず黄色のUPのSD-7はMax Grayの時代の製品である。安達庄之助氏がパイロットモデルを作り、祖父江氏が製造した。そのパイロットモデルを入手することができたので、いずれ発表する。祖父江氏の証言を得られたので間違いない。SD-7の向こうにはN&WのY-6bがある。これも祖父江氏の製品だ。
 二段下にはナイアガラがある。祖父江氏は、これを延べ1000台は作ったそうだ。彼自身もとても好きな機関車であった。
 その上の段に8軸ディーゼルが見える。多分これはBill Melis氏の製造のDD35Aであるが、後ろの妻板にナンバーボードがあるのは何かの間違いだろう。誰かが蛇足を付けてしまったようだ。

2012年07月06日

Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4372-2COM_4371-2COM_4373-2 クラインシュミット氏はあちこちの模型ショウで出物があると買っている。最初に見せてくれたのはこのガーラットだ。
 縮尺は1/32位だろうか。妙に大きかった。30年くらい前に手に入れたそうだ。実物が狭軌なので、それをOゲージにするために全体を大きくしたのだろう。この手法は佐野衡太郎氏のガーラットでも採用されている。誰が作ったのかは分からないが、よく出来ていた。大きいので、Oスケール・レイアウトで走らせると、あっちこっちでひっかかりそうな感じである。要するにシーナリィが無い線路上を走らせていたのだ。

COM_4375-2COM_4376-2COM_4377-2 LobaughのC&NW Berkshireである。この機関車はかなり大量に生産された。筆者も持っている。組んで塗装してあるものは珍しい。しかもオリジナルのディカールが貼ってある。
 従台車の構造はオリジナルとは異なる。実物を摸した構造である。当初のデザインは側枠が独立していて、回転中心は無かった。これはその構造が気に入らなくて造り替えたものであろう。
 主台枠も後ろが絞られ、良く出来ている。テンダの床板が日本製のようにも見える。祖父江欣平氏の手法が見えるのである。
 一つの推測として、ロボゥのキットを祖父江氏が組み直したものではないか、と思った。1950年頃にはそういう仕事をしたことがあると祖父江氏から聞いている。その時のノウハウ吸収が、大きな転機となったそうだ。

2012年07月04日

Kleinshmidt氏の仕事

COM_4385-2 クラインシュミット氏の本業はもともとは電子工学および精密機械加工であった。ラジオ、電気蓄音機、テレビ、時計、その他「電気と機械が組み合わさったものなら何でも修理します」という看板を揚げていたらしい。

 今回訪問した時に時計旋盤の写真を取るのを忘れたが、それを駆使して時計の部品を作る。たまたま完成したばかりだと言って見せてくれたのが、1934年型デューセンバーグの時計であった。この種のヴィンテージ・カーの時計などを修理できる人は少なくなってきて、ニューヨークに一人と彼だけだそうである。アメリカ中から修理依頼がくるそうだ。
 その他、真空管の時代の無線機器や電気器具の修理も引受けている。

 3年ほど前、筆者の家にあったアメリカ製の電気オヴンが故障してしまったことがあった、制御部分を外して様子を見たが分からなかった。2か月ほど回路図とにらめっこしたが、結局直らず廃棄した。製造元はすでに部品が無いと言うし、インターネット上では、「クロック部分の修理が出来る人を探さねばならない」という抽象的な表現しか見付からなかった。
 その話を彼にすると、「なーんだ、送ってくれたら直してやったぞ。」と言われた。
 
 その後そのオヴンを外した穴に適合する同サイズの新しいオヴンを購入した。期待していなかったが、珍しくアメリカ製で、価格もそこそこであった。運賃を入れても、日本製の同程度の物の1/4位の価格であった。この種の台所用の大型電気器具は、まだまだアメリカ本国で作っている場合が多い。ドルの価値が下がったので相対的に安くなっている。
 筆者の家では洗濯機、乾燥機、食器洗い器、冷蔵庫はアメリカ製を使っている。多少やかましいが、機械部分は壊れにくい。回転部分のボールベアリングに、常識的に考えられる大きさの二倍程度の大きさのものを使っている。すなわち消耗が少なく、極端に長もちする。その会社の製品は故障が少ないのが売りであった。
 しかしオヴンは機械部分などほとんどなく、制御部分が壊れると火事になってしまうので、故障すると打つ手が無い。18年使ったので良しとせねばならない。 

2012年07月02日

続々々々 Kleinschmidt Drive

COM_4389-2 機関車の補重をするのには鉛の塊を積む。その鋳造はここで行う。
 色々なサイズの鋳型があり、熔かした鉛を注ぎ込む。当初は木の型を使ったらしい。焦げて用をなさなくなるので、アルミ製にしたのだそうだ。角がシャープで気持ちが良い。鉛はインゴットで買う。
 穴を開けたりしたときの切り粉は捨てずに再利用するそうだ。

COM_4390-2 ブラス材料置き場の一部である。角材、平角材がどっさりある。これ以外にも板材、線材が大量にあった。
 材料は潤沢に持っていないと、仕事に差し障るので多めに持っているという。材料が安く出ることもあるので、その時は買ってしまうということである。

 最近はインターネットでそのような出物を探すのが容易になったので、助かっていると言う。その通りで筆者も、その方法で材料を買うことがある。しかし、快削ブラスかどうかは分からない場合が多く、使いにくい材料のこともある。そういうのは叩き出しの材料として分けてある。アメリカで流通しているブラスは板材も含めて快削ブラスが普通である。

 
 

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