2012年05月
2012年05月31日
続々 Illinois 鉄道博物館 再訪
SD40-2のデッキ部分である。ステップの穴はプレスで作られている。穴は雪が抜けるようになっているのだ。突起があって、靴の底が確実に接触するようになっている。
エンドの鋼鈑の厚さは1.5インチ(38 mm)もある。そこに、クレーンで吊り上げるときの穴があり、フックを掛けるときの保護用に円筒を熔接で付けてある。これは各鉄道会社の仕様に依るのだろう。
今回の再訪問の目的の一つにFull-Cushion台車の現物を観察することがあった。これは栗生氏のブログに細かい記事が載っているが、現物の写真を撮らねば納得できないところもあったからだ。
この台車の現物を見るのはなかなか難しい。1950年代にさまざまな原因で脱線が起こり易いとされ、ほとんどが廃車になったからだ。この博物館には、原型のTroop Sleeperが保存されている。
エンドの鋼鈑の厚さは1.5インチ(38 mm)もある。そこに、クレーンで吊り上げるときの穴があり、フックを掛けるときの保護用に円筒を熔接で付けてある。これは各鉄道会社の仕様に依るのだろう。
今回の再訪問の目的の一つにFull-Cushion台車の現物を観察することがあった。これは栗生氏のブログに細かい記事が載っているが、現物の写真を撮らねば納得できないところもあったからだ。
この台車の現物を見るのはなかなか難しい。1950年代にさまざまな原因で脱線が起こり易いとされ、ほとんどが廃車になったからだ。この博物館には、原型のTroop Sleeperが保存されている。
2012年05月29日
2012年05月27日
Illinois 鉄道博物館 再訪
シカゴに戻って、最初にイリノイ鉄道博物館に行った。2年前にも行っているが、その時写真を写し損ねたものがあったので、それを撮りに行ったのだ。
それは8500hp タービン電気機関車である。この模型を作り始めて、かれこれ20年以上になる。
分からないところがいっぱいあって、色々な本を買い集めたが、現物を見ないとどうしようもない。たとえ現物を見られても、上に登れないと面白くない。模型は屋根まで作らねばならないからだ。
この排気口の内部の写真は、まず公表されていない。今回はひょんなことから、その撮影ができた。Chicago O scale Meet の行事のひとつとして、この博物館の特別観覧があった。冬季閉鎖中の博物館に入れてくれるのである。
行ってみたら、筆者が最初の訪問者で、あと10名ほどしかいなかった。主催者は「全ての扉を開放するから勝手に見てくれ(Self Guided Tour)。」と言う。
これはチャンスである。「自己責任 (At your own risk) で上に登っても構わぬ。」というので、テンダから登って排気口を覗き込んだ。見ていた他の連中も、いろんな車輌に登って屋根の写真を撮り始めた。
それは8500hp タービン電気機関車である。この模型を作り始めて、かれこれ20年以上になる。
分からないところがいっぱいあって、色々な本を買い集めたが、現物を見ないとどうしようもない。たとえ現物を見られても、上に登れないと面白くない。模型は屋根まで作らねばならないからだ。
この排気口の内部の写真は、まず公表されていない。今回はひょんなことから、その撮影ができた。Chicago O scale Meet の行事のひとつとして、この博物館の特別観覧があった。冬季閉鎖中の博物館に入れてくれるのである。
行ってみたら、筆者が最初の訪問者で、あと10名ほどしかいなかった。主催者は「全ての扉を開放するから勝手に見てくれ(Self Guided Tour)。」と言う。
これはチャンスである。「自己責任 (At your own risk) で上に登っても構わぬ。」というので、テンダから登って排気口を覗き込んだ。見ていた他の連中も、いろんな車輌に登って屋根の写真を撮り始めた。
2012年05月25日
2012年05月23日
2012年05月21日
Indianapolis の自動車博物館
インディアナポリスには有名な自動車レース場がある。毎年この時期にインディ500マイルレースが行われる場所だ。この街の名前は発音しにくい。太字の部分を強く発音すると、それらしくなる。
以前にも行ったが、その時間が遅く、博物館が閉じた後であったので、今回出直した。
このサーキットはもともとは煉瓦貼りのトラックであったそうな。それをアスファルト舗装し直したのだが、ごく一部は昔のままを残している。 バスで周回するツアがあり、5ドルであった。その煉瓦部分をじっくり見せてくれる。
博物館の内部には歴代の優勝車が展示してある。40年位前の車は左右の車軸長さを変えていた。一方向に曲がるレース場であったからだ。しかし、最近はそのようなことはなく、左右対称の車ばかりである。
以前にも行ったが、その時間が遅く、博物館が閉じた後であったので、今回出直した。
このサーキットはもともとは煉瓦貼りのトラックであったそうな。それをアスファルト舗装し直したのだが、ごく一部は昔のままを残している。 バスで周回するツアがあり、5ドルであった。その煉瓦部分をじっくり見せてくれる。
博物館の内部には歴代の優勝車が展示してある。40年位前の車は左右の車軸長さを変えていた。一方向に曲がるレース場であったからだ。しかし、最近はそのようなことはなく、左右対称の車ばかりである。
2012年05月19日
続々々々々 Daytonの航空博物館
この写真を見ると、どの程度大きな建物かが良く分かる。奥の飛行機はB-52だ。全幅 56 m もある機体が無造作に入る。
筆者は物好きにも各地の航空博物館を訪問しているが、規模も質も、この博物館がNo.1である。
全ての飛行機を、一応飛行可能な状態で陳列したのだそうだ。中には、エンジンを換装したものも含まれているようだが、とにかく飛ぶのである。その拘りは大したものである。
この博物館を見ると、日本の博物館って何だろうと考えてしまう。
この貨車は博物館の芝生の上にある。スパン・ボルスタを持った16輪の車輌である。この中には核弾頭付きの大陸間弾道ミサイルが入っていた。その名前は "Peacekeeper" である。
冷戦時代に、ソ連からの核攻撃に備えて、この貨車50輌を用意して全国に展開させることにした。一列車二輌を連結し、シェルター内に保管する。必要な事態になったら、列車を引き出して、敵には予想不可能な場所に展開し、発射する。ピンポイントで狙われると、固定のミサイル・サイロでは発射前に攻撃されてしまうので、移動式の発射装置が必要とされたのだ。
配備の準備ができた頃に冷戦は終結し、計画は放棄された。
この貨車は積載時250トンもあり、8軸車とする必要があった。床下にたくさんの油圧ジャッキがある。ミサイルを立てるときの、安定性の確保に必要となるべきものだろう。
側面からの写真は筆者が300mmレンズで写したものであるが、妻の方からの写真は、博物館の公表している写真からお借りしている。
筆者は物好きにも各地の航空博物館を訪問しているが、規模も質も、この博物館がNo.1である。
全ての飛行機を、一応飛行可能な状態で陳列したのだそうだ。中には、エンジンを換装したものも含まれているようだが、とにかく飛ぶのである。その拘りは大したものである。
この博物館を見ると、日本の博物館って何だろうと考えてしまう。
この貨車は博物館の芝生の上にある。スパン・ボルスタを持った16輪の車輌である。この中には核弾頭付きの大陸間弾道ミサイルが入っていた。その名前は "Peacekeeper" である。
冷戦時代に、ソ連からの核攻撃に備えて、この貨車50輌を用意して全国に展開させることにした。一列車二輌を連結し、シェルター内に保管する。必要な事態になったら、列車を引き出して、敵には予想不可能な場所に展開し、発射する。ピンポイントで狙われると、固定のミサイル・サイロでは発射前に攻撃されてしまうので、移動式の発射装置が必要とされたのだ。
配備の準備ができた頃に冷戦は終結し、計画は放棄された。
この貨車は積載時250トンもあり、8軸車とする必要があった。床下にたくさんの油圧ジャッキがある。ミサイルを立てるときの、安定性の確保に必要となるべきものだろう。
側面からの写真は筆者が300mmレンズで写したものであるが、妻の方からの写真は、博物館の公表している写真からお借りしている。
2012年05月17日
続々々々 Dayton の航空博物館
昔からこのエンジンに興味がある。星型7気筒4列で28気筒ワスプ・メジャ・エンジンである。 3000馬力以上の出力がある。各列にひねりを掛けて、風の通りをよくしている。
後期の改良型は過給機が付き、4300馬力もある。
カムシャフトが中心に近いので、プッシュロッドが長く、頭上弁を駆動するのはやや苦しい。メンテナンスは、なかなか大変であったろう。ヴァルヴ・クリアランスを調節するだけで56箇所、4発ならその4倍である。潤滑油を取り換えるのも大変である。オウヴァホールは僅か600時間ごとだというから、その手間を考えると恐ろしい。
燃焼室が大きいので点火プラグは、2本ずつ取り付けられて、56本である。このエンジンの整備には熟練工が必要で、整備コストは膨大であったらしい。しかし、レシプロ・エンジンの極致としての名エンジンである。
このエンジンは、B-36にも6基搭載されている。これがそのB-36である。あまりにも大きく、推力が不足したため、ジェットエンジンを4基追加搭載して、10発航空機となった。
これはC-124グローブマスタである。4発の輸送機で、昔見たことがある。伊勢湾台風の時にアメリカから救援物資を積んできたのは、これだと記憶している。この飛行機もワスプ・メジャを搭載している。
現代の飛行機も展示されている。ステルス機は見せても大丈夫なのだろうか。
後期の改良型は過給機が付き、4300馬力もある。
カムシャフトが中心に近いので、プッシュロッドが長く、頭上弁を駆動するのはやや苦しい。メンテナンスは、なかなか大変であったろう。ヴァルヴ・クリアランスを調節するだけで56箇所、4発ならその4倍である。潤滑油を取り換えるのも大変である。オウヴァホールは僅か600時間ごとだというから、その手間を考えると恐ろしい。
燃焼室が大きいので点火プラグは、2本ずつ取り付けられて、56本である。このエンジンの整備には熟練工が必要で、整備コストは膨大であったらしい。しかし、レシプロ・エンジンの極致としての名エンジンである。
このエンジンは、B-36にも6基搭載されている。これがそのB-36である。あまりにも大きく、推力が不足したため、ジェットエンジンを4基追加搭載して、10発航空機となった。
これはC-124グローブマスタである。4発の輸送機で、昔見たことがある。伊勢湾台風の時にアメリカから救援物資を積んできたのは、これだと記憶している。この飛行機もワスプ・メジャを搭載している。
現代の飛行機も展示されている。ステルス機は見せても大丈夫なのだろうか。
2012年05月15日
続々々 Dayton の航空博物館
この航空博物館には特別なツアがある。身元証明が必要で、外国人はパスポートを提示しなければならない。
バスに乗って空軍基地の中を走り、大きな格納庫に入る。途中の撮影は厳禁だ。
格納庫の中は、各種の実験機の保管場所であり、隣の格納庫は過去の大統領専用機の保管場所である。大統領の乗った飛行機はヘリコプタを含めて全て保管してある。
ローズヴェルト大統領はポリオに罹り、足が不自由であったので、専用機には車椅子ごと乗れるエレヴェータが付いている。
どの機も機内を見学できる。アクリルガラスで保護されてはいるが、機内を歩くことができる。但し、幅は16インチ(455 mm)であるから太い人は通れないと明記してある。会議室や、ホットラインの電話などがある。
この建物内の見学時間は1時間であるが十分楽しめる。もちろん無料である。
バスに乗って空軍基地の中を走り、大きな格納庫に入る。途中の撮影は厳禁だ。
格納庫の中は、各種の実験機の保管場所であり、隣の格納庫は過去の大統領専用機の保管場所である。大統領の乗った飛行機はヘリコプタを含めて全て保管してある。
ローズヴェルト大統領はポリオに罹り、足が不自由であったので、専用機には車椅子ごと乗れるエレヴェータが付いている。
どの機も機内を見学できる。アクリルガラスで保護されてはいるが、機内を歩くことができる。但し、幅は16インチ(455 mm)であるから太い人は通れないと明記してある。会議室や、ホットラインの電話などがある。
この建物内の見学時間は1時間であるが十分楽しめる。もちろん無料である。
2012年05月13日
続々 Dayton の航空博物館
色々な人から頼まれることに、「爆弾倉の中って何色なんだ。チャンスがあれば見てきてくれよ。」という要望がある。 気がついたので写真を撮った。
B-29の爆弾倉内部である、黄色がかった色であった。なんと言えば良いのかよく分からないが、Weyerhauser Greenに非常に近い色である。これは機体を加工して内部を歩けるようにしてあった。本当は上に見える円筒の中を搭乗員が這っていくのであるが、爆弾倉の中を歩けるように一部を切ってある。この機体の内部である。ノーズアートの展示も兼ねている。
これらの写真は、比較のためのB52の爆弾倉の中である。車輪を収納するベイの内部の色も同じで、これらの色はB-29の色とは明らかに違う。
このツイン・マスタングというのは、よく本では見るが、現物があったとは驚きである。どうしてこんなものができたかというと、長距離ミッションの遂行が一人では出来なかったことにある。洋上飛行では睡魔に襲われて事故が起こり易いので、交代で寝るのだそうだ。
B-29の爆弾倉内部である、黄色がかった色であった。なんと言えば良いのかよく分からないが、Weyerhauser Greenに非常に近い色である。これは機体を加工して内部を歩けるようにしてあった。本当は上に見える円筒の中を搭乗員が這っていくのであるが、爆弾倉の中を歩けるように一部を切ってある。この機体の内部である。ノーズアートの展示も兼ねている。
これらの写真は、比較のためのB52の爆弾倉の中である。車輪を収納するベイの内部の色も同じで、これらの色はB-29の色とは明らかに違う。
このツイン・マスタングというのは、よく本では見るが、現物があったとは驚きである。どうしてこんなものができたかというと、長距離ミッションの遂行が一人では出来なかったことにある。洋上飛行では睡魔に襲われて事故が起こり易いので、交代で寝るのだそうだ。
2012年05月11日
続 Dayton の航空博物館
B-24やB-25 Mitchel、B-17 Flying Fortress、P-38, P-47, P-51 Mustang など名機がずらりと揃っている。飛行機マニアなら、近くのホテルから毎日通ってきて見る必要がありそうだ。そのためにホテルも近くにある。ここなら歩いて行ける。
筆者が特に興味があったのは双発の爆撃機B-25である。太平洋上空母から無理やり発進させ、多大な損失を出しながらも、日本初空襲を成し遂げた。展示はやはり航空母艦の甲板を摸したものである。エンジンを風雨、潮風から守るべく、シートで覆ってある様子も再現してある。ゼロ戦の21型も展示してあった。
筆者が特に興味があったのは双発の爆撃機B-25である。太平洋上空母から無理やり発進させ、多大な損失を出しながらも、日本初空襲を成し遂げた。展示はやはり航空母艦の甲板を摸したものである。エンジンを風雨、潮風から守るべく、シートで覆ってある様子も再現してある。ゼロ戦の21型も展示してあった。
2012年05月09日
Dayton の航空博物館
シカゴに戻る途中でデイトンに寄った。ここはライト兄弟の航空産業発祥の地で、空軍基地がある。そして世界最大の航空博物館がある。その巨大さは驚くばかりで、収蔵品は原則として飛行可能な状態にしてある。ここを訪れるのは一昨年に続いて二回目である。先回は簡単なカメラしか無く、広角レンズ無しでは撮り切れなかった。それを写し直そうというわけである。入場料は不要である。左の写真はGoogle Earthからお借りしている。
展示棟は幅90m長さ240mもあり、柱は一本もない、かまぼこ型の構造である。第一棟は第二次世界大戦までの航空機である。B-17,B-24,B-29や紫電改、メッサーシュミットのジェット機などがどっさりある。よくぞ保存していてくれたという気持ちで一杯だった。
じっくり見て行くと、第一棟だけで数時間かかる。疲れてしまうので、第二棟以降は駆け足で見たことにする。あまりにも多くて、飛行機が嫌いになってしまう博物館である。あと、二棟建設予定であるという。
展示棟は幅90m長さ240mもあり、柱は一本もない、かまぼこ型の構造である。第一棟は第二次世界大戦までの航空機である。B-17,B-24,B-29や紫電改、メッサーシュミットのジェット機などがどっさりある。よくぞ保存していてくれたという気持ちで一杯だった。
じっくり見て行くと、第一棟だけで数時間かかる。疲れてしまうので、第二棟以降は駆け足で見たことにする。あまりにも多くて、飛行機が嫌いになってしまう博物館である。あと、二棟建設予定であるという。
2012年05月07日
Mammoth Cave Railroad
セントルイスからナッシュヴィルに向かい、マンモス・ケイヴに行った。巨大な鍾乳洞があるということなので、どの程度のものか見ておきたいと思ったのだ。
以前行ったカールズバッドに比べれば小さく、中は水が垂れている部分もあった。見学ツアに参加して一巡りした。
帰り途に面白いものを見つけた。この鍾乳洞の観光用に敷かれた軽便鉄道があったのだ。普通のボイラがむき出しの普通の機関車ではなく、客車型である。これを、Steam Dummyと呼ぶ。日本ではTram Engineという人が多いが、それはヨーロッパ系の言語で使われる言葉からきている。
何枚か写真を撮ったので、ご興味のある方は模型化されると良い。既存の模型の一部を切り取って、箱をかぶせるだけでもできそうな形である。軌間は3 ftである。客車も好ましい形をしている。
軌道敷を自転車で走る動画もある。
以前行ったカールズバッドに比べれば小さく、中は水が垂れている部分もあった。見学ツアに参加して一巡りした。
帰り途に面白いものを見つけた。この鍾乳洞の観光用に敷かれた軽便鉄道があったのだ。普通のボイラがむき出しの普通の機関車ではなく、客車型である。これを、Steam Dummyと呼ぶ。日本ではTram Engineという人が多いが、それはヨーロッパ系の言語で使われる言葉からきている。
何枚か写真を撮ったので、ご興味のある方は模型化されると良い。既存の模型の一部を切り取って、箱をかぶせるだけでもできそうな形である。軌間は3 ftである。客車も好ましい形をしている。
軌道敷を自転車で走る動画もある。
2012年05月05日
借りた車
いつも同じ会社で車を借りるので、会員になっている。多少割引もあるし、予約が確実なので便利ではある。
空港に到着して案内バスに載って営業所に行くと、自分の名前が電光掲示してある。その番号の場所に行けば、借りるべき車がトランクを開けて待っている。スーツケースを放り込んで出発である。今回の車はスバル・レガシーであった。全くの新車で、走行距離は4マイルであった。たまに新車に当たるが、これほど少ない車は初めてだ。今までの経験では約100マイルというのがあった。
正直なところ、4輪駆動車は降雪時以外歓迎しない。燃費が悪いからだ。今回1600マイル(約2500キロ)走っての平均燃費は31マイル/ガロン(12.9 km/L)である。これはカタログ通りであった。しかし、同程度の2輪駆動車なら15 km/L 位走るはずだ。
この車は常時その瞬間の燃費が表示されるので、走行中それをよく見て経済運転に徹した。面白いのは、トップギヤを選んでいると燃費が良いことである。これは意外であった。
高速道路で、かなり急な上り坂であっても、ギヤをシフトダウンせず、トップのままアクセル開度を大きくした方が低燃費である。どうやら燃料消費量は回転数の影響が大きいようだ。この車はオートマティックではあるが、ギヤを手動選択できるので、このような実験が簡単に出来る。今までシフトダウンを許す運転法をしてきたのは間違いであった。
色々な速度で運転したが、67マイル/時(107 km/時)での燃費が最も良かった。日本では60 km/時での燃費が良いと信じられているが、どうもそうではなさそうだ。もちろん、この車の燃費表示が正しいという前提の話である。70マイル/時 (112 km/時)でもそれほど変わらなかったが、それ以上では徐々に落ちた。
日本の車の高速道路での燃費設定は100km/時であるらしい。それを超えると急速に悪くなる車が多い。今度開通した新東名では制限速度120 km/時になるという報道が多かったが、それが実現していたら、燃費の悪化に愕然とした人が増えたかも知れない。筆者の持っているドイツ車は120km/時での燃費が最も良さそうである。
空港に到着して案内バスに載って営業所に行くと、自分の名前が電光掲示してある。その番号の場所に行けば、借りるべき車がトランクを開けて待っている。スーツケースを放り込んで出発である。今回の車はスバル・レガシーであった。全くの新車で、走行距離は4マイルであった。たまに新車に当たるが、これほど少ない車は初めてだ。今までの経験では約100マイルというのがあった。
正直なところ、4輪駆動車は降雪時以外歓迎しない。燃費が悪いからだ。今回1600マイル(約2500キロ)走っての平均燃費は31マイル/ガロン(12.9 km/L)である。これはカタログ通りであった。しかし、同程度の2輪駆動車なら15 km/L 位走るはずだ。
この車は常時その瞬間の燃費が表示されるので、走行中それをよく見て経済運転に徹した。面白いのは、トップギヤを選んでいると燃費が良いことである。これは意外であった。
高速道路で、かなり急な上り坂であっても、ギヤをシフトダウンせず、トップのままアクセル開度を大きくした方が低燃費である。どうやら燃料消費量は回転数の影響が大きいようだ。この車はオートマティックではあるが、ギヤを手動選択できるので、このような実験が簡単に出来る。今までシフトダウンを許す運転法をしてきたのは間違いであった。
色々な速度で運転したが、67マイル/時(107 km/時)での燃費が最も良かった。日本では60 km/時での燃費が良いと信じられているが、どうもそうではなさそうだ。もちろん、この車の燃費表示が正しいという前提の話である。70マイル/時 (112 km/時)でもそれほど変わらなかったが、それ以上では徐々に落ちた。
日本の車の高速道路での燃費設定は100km/時であるらしい。それを超えると急速に悪くなる車が多い。今度開通した新東名では制限速度120 km/時になるという報道が多かったが、それが実現していたら、燃費の悪化に愕然とした人が増えたかも知れない。筆者の持っているドイツ車は120km/時での燃費が最も良さそうである。
2012年05月03日
続々々々々 St.Louis の鉄道博物館
この角が丸い貨車は牛乳輸送車である。当時各社が競ってこの種の保冷牛乳輸送車を作り、大都市近郊に配置した。歴史は知っていたが現物を見るのは初めてだ。ステンレス鋼製のタンクが、コルクで熱絶縁した車体に収められている。積荷のミルクは機械的に攪拌され、バターが分離するのを防ぐと共に、タンク清掃を容易にした。
新鮮さが売り物であったので、急行列車に連結されて、都市の中心部に急いだ。だから、貨車のくせに、連結器の上にバッファがある。客車と連結することが前提になっているからだ。保冷能力は高く、1000 kmもの走行でも、温度上昇は僅か1度(華氏目盛で)であったそうだ。
この博物館にもDDA40Xがある。あまり保存状態が良くないので写真は撮らなかった。西部ではないので雨が多く、鉄は錆びやすい。しかし海岸から遠く、工場のばい煙も少ないので日本ほど錆びやすくはない。
最近は少なくなったこの種のホッパ車があった。いずれ絶滅する車種である。この機種はホッパ部分に楔形の溝があり、そこにヴァイブレイタを差し込み荷降ろしをする。振動で堅く詰まった粉体を流動させるのである。このヴァイブレイタが結構重く、重労働であり嫌われているのだ。
新鮮さが売り物であったので、急行列車に連結されて、都市の中心部に急いだ。だから、貨車のくせに、連結器の上にバッファがある。客車と連結することが前提になっているからだ。保冷能力は高く、1000 kmもの走行でも、温度上昇は僅か1度(華氏目盛で)であったそうだ。
この博物館にもDDA40Xがある。あまり保存状態が良くないので写真は撮らなかった。西部ではないので雨が多く、鉄は錆びやすい。しかし海岸から遠く、工場のばい煙も少ないので日本ほど錆びやすくはない。
最近は少なくなったこの種のホッパ車があった。いずれ絶滅する車種である。この機種はホッパ部分に楔形の溝があり、そこにヴァイブレイタを差し込み荷降ろしをする。振動で堅く詰まった粉体を流動させるのである。このヴァイブレイタが結構重く、重労働であり嫌われているのだ。
2012年05月01日
続々々々 St.Louis の鉄道博物館
Chicago, Burlington & Quincy 鉄道 のステンレス外被の #9908 "Silver Charger" である。この手のステンレス車は電蝕が起きるので、雨曝しにするのはあまり賢明なことではない。目に見える外側は問題なさそうに見えるが、裏側の鋼材の腐蝕はひどい。
1輌だけの展示で面白くない。せめて3輌つないで欲しい。
UPのRotary Snowplow である。直径3.6 mの羽を3000馬力のエンジンで廻して除雪する。もちろん電気式制御である。整備時170 トンもある。
どうして引退してここに居るのかは不明だ。実働時間は意外に少ないと思われる。
MilwaukeeのBi-polerである。文字通り2極の界磁を持ち、その中を車軸に付けた電機子が回転する。軸の上下によって引っ掛からないように出来ているから、エアギャップが大きく、効率は良くない。伊藤 剛氏のお話によると、線路工夫の置き忘れた工具が界磁に吸いつけられたそうである。
1輌だけの展示で面白くない。せめて3輌つないで欲しい。
UPのRotary Snowplow である。直径3.6 mの羽を3000馬力のエンジンで廻して除雪する。もちろん電気式制御である。整備時170 トンもある。
どうして引退してここに居るのかは不明だ。実働時間は意外に少ないと思われる。
MilwaukeeのBi-polerである。文字通り2極の界磁を持ち、その中を車軸に付けた電機子が回転する。軸の上下によって引っ掛からないように出来ているから、エアギャップが大きく、効率は良くない。伊藤 剛氏のお話によると、線路工夫の置き忘れた工具が界磁に吸いつけられたそうである。