2012年03月

2012年03月30日

続々々々 San Jose の電車

Unimog このような軌陸車になっているUNIMOGもいる。これも連結器が付けられていて、ある程度の牽引もこなせるが、先回のような高出力タイプではない。
ウニモグはダイムラ・ベンツの多機能作業車で、無車軸懸架装置を持っている。コイルスプリングの有効長が極端に長く、不整地を乗り越える能力の高い、最低地上高が極端に高い車である。日本にもかなりの数が輸入されている。
San Jose LRT車庫の中で撮った三連接車である。これが標準ユニットで、平日は2ユニットがつながる。中央の短い部分が無車軸台車である。
 この部分には自転車を載せるようになっている。片側面に自転車を吊り、反対側に座れるようになっているのだ。

San Jose LRT Crossingホテルの窓から見た景色である。この日は珍しく雨であった。





Express これは一部の急行区間専用の塗り分けである。おそらく塗装ではなく、フィルムを貼っているのではないかと思われる。 

2012年03月28日

続々々 San Jose の電車

OSW_3685 sOSW_3687 sOSW_3689 s ちょうどこの電車の修理が始まったところで、うまく写真が撮れた。今回はトラックとぶつかったそうである。年に数回この種の事故があり、昨年は2人死んだそうだ。もちろん自動車側である。
「どちらに非があったか?」と聞くと、「100%自動車の方である。」と答えた。今まで電車の方に非があったことはないそうだ。原因は携帯電話らしい。こんな大きな電車が目に入らないはずはないのにぶつかって来ると言う。

 脱線したらどうするのかと聞くと、車庫の裏に止めてある復旧用トラックを見せてくれた。ウィンチと小さなクレーンが付いていて、どんな状態においても復線し、牽引して帰ることができるそうだ。
OSW_3707 sOSW_3706 sOSW_3709 s 





 この大型トラックには軌陸車になっていて線路上も走れる。連結器が付いているから押すのも引くのも簡単である。
 
OSW_3717 s ブレーキは車輪横のディスクブレーキ以外に、このレイルを直接こするブレーキもあり、これは非常用ではない。普段の走行時にも軽く作動しているそうだ。もちろん非常時には強く作動し、急停車できる。

2012年03月26日

続々 San Joseの電車

OSW_3673 sOSW_3691 s ごろごろと転がされてきた台車はここで向きを変え、切削機の方に向かう。
 切削機はセンタで押している。センタ穴はゴミが付いていると心が狂うので、普段はプラスティックのキャップをはめてある。

OSW_3675 sCIMG3140 sCIMG3113 タイヤを外すとこのようになっている。タイヤの内側には溝があり、これらのゴム片が支えている。ゴムは電気を通さないからタイヤと輪心の間には撓んだ導線が複数あり、それらが電流を通じる。ゴムが一体型だと体積の変動が無いので効果は少ないだろうから、この設計が唯一の方法なのだろう。

OSW_3676 s 整備の終わった動力台車はここに保管する。この後ブレーキの整備に廻す。緑の札は車輪の切削が終わった印である。



OSW_3679 sOSW_3681 s これは低床型の中間台車である。車軸はなく、その部分に通路を作ることができる。これは標準軌だからこそできることであり、1067mmではおそらく狭すぎるであろう。軸の緩衝はいわゆる
Chevron Rubberである。鉄板を挟んで加硫した緩衝材で、ここでは剪断力を利用している。ブレーキは車輪の外にある。

OSW_3678 s この軸とは言えない部分であるが車輪を切削するときはこうする。箱型のジグの中に入れて削っている。そうしないとセンタで押せない。いわゆるセンタレスの切削機だとこの手間が要らなくなる。

2012年03月24日

続 San Jose の電車

OSW_3656 sOSW_3665 sOSW_3663 s これらの写真は屋根の高さの作業通路から撮っている。架線には通電中(Hot)であるから、身を乗り出すことは禁止だ。全て手摺の内側からの撮影を申し渡された。連接部の中間車輌にはパンタグラフが載っている。そのわきにあるロッドは、中間車輌が曲線上で接線方向を向くように誘導するためのものだ。
 この部分には、走行中間断なく、かなり強い力が掛かる。そのため、屋根板に亀裂が入り、切りとって厚い板を張り付けたと言っていた。よく見ると補修跡が見える。

OSW_3694 sOSW_3667 sOSW_3669 sOSW_3670 s




 台車を外して、車輪切削盤に廻すための通路である。小さなターンテイブルがあって、手で押していく。直角フログ部分のレイルは45度に切断して溶接してある。このような部分は速度が小さいので、そこまで拘る必要が無いのであるが、細かい細工がしてあって驚いた。

2012年03月10日

San Jose の電車

OSW_3589OSW_3653 現在San JoseはSilicon Valleyの中心都市である。このヴァリィという言葉であるが、峡谷と訳す人が多い。決して谷には見えない。要するに山脈と山脈の間のことであり、その距離が50 kmあってもValley なのだ。シリコンヴァリィの面積は関東平野と同等だ。そこにVTAという鉄道システムがある。

Santa Clara Valley Transportation Authorityの略である。これを渓谷鉄道と訳した本に良くお目に掛かるが、とんでもない誤訳である。Santa Claraは、もともとこの地方の郡の名前であった。San Jose が急速に成長してそちらが有名になり、お株を奪われた形である。 この郡の中にはいくつかの都市がある。現在サンタクララ市は、高級住宅地である。

 さてこれらの街を市電が結び、それは郊外では高速電車となる。その車輌はLRV(Light Rail Vehecle)と呼ばれて、重軌条の上を走る貨物列車や旅客列車とは規格が違う。もちろん線路規格も違う。
 LRTというのはLight Rail Transitであって、鉄道システムを指す言葉である。

OSW_3655 今回この街を訪れたのは、近畿車両が100両ほど納品したので、そのコネクションをたどって車両基地を見せてもらうことにしたのだ。部外者に交通機関の中枢部を見せるということは、例のテロ以降、極めてまれなことであり、ありがたく見せてもらった。
 入口の守衛は我々が行くことを良く知っていたので、支障なく入れた。この車庫は空港のすぐ脇にある。

2012年03月08日

続 San Jose へ

OSW_3513 この日は天気も良く、時間があった。昔から行ってみたいと思っていたWinchester家を見に行った。個人の住宅なのだが、増築に次ぐ増築を続けて「お化け屋敷」のようになったのである。
 ガイド付きのツアを申し込む。ガイド無しでは建物の中には入れてくれない。迷ってしまうからである。
 総部屋数は 160もあるという。ツアでは半分くらいを見ることができるが、それだけでも1時間以上も掛かり、とても疲れる。ウィンチェスタ銃の製造元の未亡人が迷信に基づいて作った家で、全ての部屋に13の窓があるという不思議なつくりだ。

 当時としては超豪華な設備である油圧式のエレベータや照明用ガス製造設備もあり、そのあたりの構造は筆者の興味のある部分である。 写真を撮って解析中である。石を詰め込んだ網で重しをしてガスに圧力を掛ける工夫があり、面白い。

 現在の貨幣価値で、毎日3万ドルほどの利息があるほどで、途方もない財産家であった。馬車に乗ったまま家に入ることができるような作りにもなっているほどである。階段は、背の低かった未亡人の足に合わせて、極端に低い段差でできている。1階から2階に上るだけで、50段ほどもある。それを真っ直ぐには作れないのでつづら折りに作ってある。使用人用に短い階段もある

 召使いの部屋はざっと見ただけで40くらいあり、どれにも電気式の呼び鈴が付いている。しかもそれは、どの部屋から呼んでいるのかを認識できるようになっている。当時としては高級な論理回路になっているのだ。

 San Joseの発音は以前から気になっていた。栗生氏の掲示板でも少々話題になっていた。理屈を言えば、”J”の音は摩擦音に近い「ハ」であり、スペイン語のJaponは「ハポン」の「ハ」を思い切り勢い良く吐き出すようにすれば正しい発音になる。
 そうなるとSan Joseは 「サンホセ」になりそうだ。しかし、たいていの人はサンノゼと発音するような気がするし、地図にさえそう書いてある。今回は、地元民にその発音を念入りに聞いてみた。
 結果はやはり「サンホゥセ」である。後述の電車の中の録音されたアナウンスも「サンホゥセ」と言っている。
このブログでは、今後「サンホセ」で統一することにする。

2012年03月06日

San Jose へ

OSW_3511 空港で予約してあったレンタカー・オフィスに向かう。昔は、歩道で待つと、レンタカー会社のバスが来るので、手を挙げて乗り、運転手に名前を言うと手持ちのリスト(これも紙の時代があったが、コンピュータになった)をチェックして、駐車場まで連れて行ってくれた。このごろはこの自動運転の電車に乗ってレンタカー会社まで行く。電車のドアが開き、プラットフォーム・ドアが開けば、そこは広大なオフィスの一部になっている。

 電光掲示板にアルファベット順に名前が出ているので、その番号の駐車場に行けば、トランクを開きキィを差した車が置いてある。そのまま乗って出口で免許証を見せて、向こうのデータと合っていれば即乗り出せる。まず間違いはないが、過去に一回とんでもないミスがあって、間違って拘束されたことがある。向こうのタイプミスであるのに、こちらが書類を偽造したと勘違いしたのだ。レンタカー泥棒は多いからだ。筆者は怒って徹底抗戦した。
 お詫びに100ドルだったかの割引券をくれたが、怒りは収まらなかった。現在は全ての車にGPSの位置情報を送信する装置が付いていて、盗んでもすぐ捕まるらしい。

 このレンタル・システムは、会社によって多少違う。昔、どの会社だったか忘れたが、大きな駐車場に車が放射状に止まっていて、どれに乗って行っても良いという時代があった。みな一巡りして車を選ぶので、大きな荷物を持っていると結構疲れた。
 アメリカの運転免許証を持っていると、保険料も安いし具合が良かったのだが、いよいよその恩恵も受けられなくなる。実は免許の更新がむずかしくなったのだ。
 今までは運転免許は持っていないのが普通でないくらいで、誰でも取れたし、日本に引っ越してからも、友達の住所を使って20年以上も免許の更新ができた。今度は、いくつかの条件を満たさないと更新できなくなったのだ。例のテロ以降、条件を厳しくするように法律が改正されたからだ。
 まず、Social Security Number(国民総背番号)が必須で、その他、就労証明、在学証明、あるいは納税証明などの書類を持っていかねばならない。SSNは持っているが、その他はもう事実上不可能だ。今年中に切れてしまうので、もう乗り納めである。来年からは毎年国外免許証を申請する羽目になりそうだ。面倒である。

2012年03月04日

San Francisco へ

Portland LRTPortland LRT 2Portland LRT 3 Larryの事務所を出て、車を持ってくるまでの間に電車がやってきた。専用軌道と自動車の一方通行が重なっていて、慣れていないと車の運転は難しそうだ。
 低床車と高床車とが組み合わさってくる。これは連接車である。タイヤと車輪の間にゴムがはさんであって、音はとても静かである。低床車の連接台車は無動力であって車軸もない。左右の車輪が別回転するようになっている。要するに車輪の間を人が歩くようになっている。標準軌だからこそできる設計である。この写真はいずれお見せする。

OSW_3502 空港で飛行機を待っていると、隣のゲートで放送があった。
「ただ今到着の飛行機には退役軍人が乗っています。皆さんこぞって御迎えをお願いします!」
この放送を聞くのは久しぶりだ。筆者の世代はベトナム戦争の時代にアメリカに居たので、当時はよくこのような場面に遭遇した。反戦運動のリーダ達が来て、「人殺し!」などと叫ぶものだから、警察とよく小競り合いがあった。
危ない目に遭い負傷して帰国したのに、罵声を浴びせられて精神状態がおかしくなった友人もいた。

 今回は、そのあたりに集まった人が温かい拍手を浴びせ、穏やかな帰国であった。兵士にはマイノリティが多いということを改めて知った。貧困層からの兵役志願者が多くなるのである。ベトナム戦争のときは徴兵もあったので、知り合いも何人か行った。

OSW_3509 水平飛行が終わり、降下を開始するとGolden Gate Bridgeが見えた。この角度の俯瞰は初めてである。手前のとがった岬の頂上には1942年に作られた巨大な砲台がある。真珠湾攻撃の後、ヤマモトの艦隊がサンフランシスコを強襲する可能性があるということで急遽作られた砲台である。弾薬庫とか、観的哨も当時のままにある。12インチ艦砲を据えた砲台が二つあった。もちろん既に砲は外されている。
 ここに内野日出男氏をご案内したとき、ずいぶん興奮されていたのを思い出す。対岸には6インチの砲座がまだ何箇所かある。このように湾の入口に向かい合って存在する砲台をBattery という。この言葉はのちに、電解液に差し込まれた二つの電極を意味するようになり、電池という言葉になった。ニューヨークにもバッテリィ・パークがあるが、地図を見ればその語源を知ることができる。そう言えば、野球の投手と捕手の組もバッテリィという。

 ともあれ冷静に考えてみれば、大日本帝国海軍の艦隊にはそれほどの航続距離もなかった。石油もなかったのだ。油槽船すら、ろくになかった。
 しかし40年前、筆者はサンフランシスコの人達に聞いたことを思い出す。
「本当に怖かった。燈火管制が敷かれて、町が真っ暗だった。ヤマモトは絶対やってくると思った。」と言ったのだ。

OSW_3510 二機同時着陸をした。このような場面はよくあるのだが、写真を撮ったのは初めてだ。
 冬に雨の多いオレゴン州から、乾いたカリフォルニアに来た。西岸海洋性気候からステップ気候への変化である。

2012年03月02日

Larryの事務所

OSW_3500 Larryはこの地で弁護士を開業して41年だと言う。配下に6人の弁護士を持つ、市内で一番大きなLaw Firm(弁護士事務所)である。かねてから招待を受けていたが、なかなか行くチャンスが無かった。
 ホテルからスーツケースを持って電車に乗り、一駅で彼の事務所前の停留所に着いた。

OSW_3495dOSW_3498 中に入るとそこは不思議な世界であった。全ての壁に汽車の写真、絵が飾られ、ありとあらゆる鉄道用品が通路、部屋の隅に置いてある。彼はこの絵が自慢である。レイモンド・ロゥウィによるPRR T-1のレンダリングである。
 彼の部屋に入るとまるで模型屋の店先の様である。自由業であるから、やりたい放題だ。模型談議に入り、あっという間に時間が過ぎた。近くのレストランで御馳走になるうちに時間が無くなり、彼の車で空港まで送ってもらった。本当は電車で帰りたかった。

 Larryは祖父江氏の機関車をコレクションしている。毎回購入するたびに、それは祖父江氏の製品かどうかを確かめに連絡してくる。最近はボイラ裏側を見ただけで、祖父江氏のハンダ付けかどうかが分かるようになったらしい。

OSW_3499e (2) この写真をご覧戴きたい。この写真は壁に掛けてあった。これは1931年にペンシルヴァイニア鉄道の機関車が何かのお披露目をしている時の写真である。
 彼のおばあさんが、この写真を見せて、「これを知っているかい?」と聞いたそうだ。彼はこの機関車の由来を語ったところ、「違うよ、この娘を見なさい。これが誰かわかるかい?」と、聞いたそうだ。
 それは彼のお母さんであった。12歳のときの写真で、機関車に向かって右のリボンを持つ女の子がそれである。この時は、まさか、自分の息子が汽車に狂うとは思ってもみなかったろう。

 <写真のリタッチは栗生弘太郎氏にお願いした。>

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