2011年10月

2011年10月30日

ガラス板

旧家の窓ガラス 色々なご意見を戴いた。「なるほど、やってみよう。」から、「そんなもの見えやしないよ。」まである。

 ゆうえん氏のコメントにもあるように「手近にあるから使った。」というのも一つの意見である。
 OJゲージの故加藤清氏はカヴァ・グラスを使っていた。氏はレントゲン技師で、職場にこれがあったのだろう。TMSでの初出ではないかもしれないが、かなり古くから使っている事は間違いない。
 氏は盛んにこれを宣伝していらした。この方はたしか明治44年生まれであったから、ガラスがゆがんでいる時期をご存知である。それを知った上での採用であるから、「手近説」に入れておこう。

 筆者もそれを使っていたが、最近は使わない。割れやすいからである。しかし、自分で割ったことは一度もない。

 どういう時に割れるかというと、「他人が見せてくれ」と言って手を触れた時に割られてしまうのである。さすがにOゲージャに割られたことは殆どない。普段、このサイズの模型を手にしていない方は、その重さに驚き、しっかり握らねばと思うのであろう。
 キャブを持ってはいけない。機関車中で一番丈夫なのはどこかというとボイラなのであるが、そこを持つ人はまれだ。たいてい、パイロットとキャブをわし掴みである。その結果窓枠が撓み、ガラスはパリンと割れる。

 最近は窓を開けたままにする例が多いのは、その被害を防ぐためでもある。キャブは相対的に板が薄く、開口部があるので弱い。牽引車両の抵抗が小さいので、機関車全体を軽量にすることができるようになり、比較的事故は減った。

 ガラスに限らず小さいものは壊れにくい。物を作っている材料のヤング率は物質固有のものであるが、モーメントが小さくなるからである。ガラスの置き物で言えば、花瓶は割れやすいが、小さなガラス細工の犬は落としてもはずんでいる。HOサイズ以下では、構成しているブラス板が相対的に厚いし、ガラスも小さい。色々な意味でガラス板でも割れにくいのは当然である。

 だからこそ、筆者は割れにくいプラスティック板であって、なおかつ実感的なデロデロしたものを探していたのである。しばらく、客車の組み立てから遠ざかっていたが、やる気が湧いてきた。

2011年10月28日

古い時代の窓ガラスの表現

DSC_2845 1920年代までの客車の窓ガラスは平滑さに欠けていたことを書いたところ、コメント以外にも多くの方から連絡を戴いた。
 それらを一言で表現すると、「余分なことを言うと、困る人もいる。」である。
 確かにそうかもしれないが、問題を解決できる代替物があるので御紹介したい。筆者は長年このデロデロしたガラスの表現をしたくて悩んできた。
 しばらく前、必要に迫られてコンビニエンス・ストアで弁当を買った。その容器の透明な蓋が、この用途に適することに気が付いた。厚みも0.3mm程度で都合が良いし、接着剤も良くつく。

 材質はポリスチレンである。いわゆるプラモデルの材料である。そのポリスチレンのフィルムを加熱して真空成型したものであろう。加熱してから冷えるまでに何らかの力が掛かって、微妙なひずみがある。色々な会社の弁当を買ってみたのだが、どれが良いとは言えない。全て、ものによって違うのである。

 仕事に出たついでに、片っぱしからコンビニ弁当を覗き込み、中身の料理はそっちのけで、ひずみ具合の良いものを買ってくる。油が付いているものがあるので、帰宅するとすぐに中性洗剤で洗ってハサミで切り出す。

 実を言うと、色々な方法で試作していた。ポリスチレンの平滑板にリモネンを噴霧して放置すると微妙な模様ができるが、面倒でもあり、また実感味に欠ける。その他、やや高度な方法もやってみたが感心しなかった。
 その点、このコンビニ弁当法は手軽でよい。新品の蓋つきプラスティックトレイも見たが、意外なことに、平面の面積が大きいものが少ない。
 トレイ製造会社のカタログを見るとあまりにも種類があって混乱してしまう。最近はPETを材料にしているものもある。PETはやや厚手で腰が強く、平滑度も高すぎる。ポリスチレンを見分けるコツは、縁を多少曲げるとカリカリパキパキという甲高い音がすることである。卵の薄いケースもポリスチレンなので、それと同じ音がすればよい。

2011年10月26日

続々々々々々 Golden Gate Depot の客車

2714 DCCの場合、周波数が高いのでごく普通のダイオードを使うとターンオフまでの時間が長く、多少損失が生じる。
要するに短時間で極性が変化するので、電流遮断がそれに追随できないことがあるわけだ。
 それを防ぐためにショットキィ型ダイオードがあり、それはDCCには不可欠の素子である。今回のGDDの照明電源はどうなっているのかというと、ごく普通のダイオードである。
 電流値がもともと小さいので、ターンオフ遅れによって生じる損失は極めて小さい。これが大電流であると発熱するであろう。今回屋根を外して長時間電圧を掛けて発熱を調べたが、触って分かる発熱はなかった。指より敏感な口の周りの皮膚に触らせても暖かいとは感じなかったので問題なさそうである。
 しかしモータの回路はそうはいかないだろう。1A 流れればその数パーセントの損失でも大きな発熱になるだろうと思う。

 今回は比較のため、ショットキィ型ダイオードでもブリッヂを組んだ。出力側には小さい平滑用コンデンサも付けてやや高級な構成である。
 結果は全く変化なしであったので、努力は無駄であったようだ。最も安い回路で十分である。

2719 先日千葉の川島氏のレイアウトで走らせたときの様子をお見せする。コーチは黄色塗装もある。1947年ころの支線用(カンザス・シティ行きなど)の豪華編成である。当時は本線には4-8-4が配置され、4-8-2は支線に追いやられていたのだ。もともと世界最大の機関車であったこともあるこの4-8-2は、重量列車を牽いて急行用として走らせるには十分な貫禄を持つ。
 突き出した煙室、太いボイラを持ち、力強い造形である。川島氏も「これはもっともUPらしい機関車です。」と仰った。

2011年10月24日

続々々々々 Golden Gate Depotの客車

DSC_2730 LEDを購入するときに、このLEDテスタも一緒に注文した。
 昔と違って、最近のLEDは電流をCRD(Current Regulative Diode)電流制限ダイオードで抑える。12Vで3個のLEDを制御することができる。DCCを導入しているときは、この方法でよい。DC方式では、もう少し低い電圧で作動するようにしないと、発車してもなかなか電燈が付かないということになる。2個のLEDというところが無難だろう。

CRD このように直列につなぐときは、LEDの輝度にばらつきがあると面白くないので、今まではいくつか仮配線して様子を見ていた。だんだん面倒になってきたのと、電流値を変えると色調も変わる様子も見たかった。

 この装置は所定の電流を流しているところが複数あるので、適宜LEDを差し込んで比較できる。また電流値を増やすとどうなるかということもすぐに分かるから便利だ。
 価格はなんと600円台である。電池付きなので、どこでも調べることができる。

 天井に付ける照明は散光型が良い。中を覗き込むことはないので、実用本位で平型を選んだ。ビームが出ないのでごく適当に付けると十分に均等な明るさが得られる。HO以下では天井が低すぎて難しいかもしれないが、検討の価値はあるだろう。

 GDDの照明装置は、当初の電球型からLEDに進化している。旧タイプもあるのでそれを流用してLED化している。これらは6V弱の定電圧装置を使用している。初期型は電流が大きいので、大きな放熱板まで付いているが、後期型は定電圧ICがそのまま付けてある。40mAでは発熱の問題は全く無視できるので、放熱板をむしり取った。おかげで、車内にぶら下がっていた無細工な放熱板と縁を切ることができた。

2011年10月22日

続々々々 Golden Gate Depot の客車

2738 ところで、このガラスを通しての見え方について、皆さんはどのように感じられるだろうか。
 ガラス表面が平面でない。ただし、拡大しすぎて細かいキズが見えるところはご容赦願いたい。 これを見て「型の精度が良くないからだ。」と言った人が多い。その正誤は別として、このデロデロした感じが素晴らしいと感じる人は筆者以外には少なかった。しかし、 TransPacific Railroad の栗生弘太郎氏はさすがに良くご存知であった。

 大面積の平滑な板硝子が大量生産できるようになったのは1950年代後半である。それまでのガラスは平面度が低い。このプルマンの時代のガラスは、大きなガラス製チューブを吹いて作り、それを軟らかいうちにハサミで切り開いて、グラファイト(炭素)の平盤上でアイロンがけをして延ばしていた。すなわち、平面度はその平盤と職人のアイロンの手さばきで決まる。当時の車輌の内部に入ると、外の景色は微妙にボケて見える。平面ガラスしか見たことがない現代人には奇妙な景色である。のちに引き上げ法が開発されたが、素晴らしい出来ではなかった。
 もちろん、戦前でも戦闘機などの風防ガラスは、「磨きガラス」を使用していたので平面性は確保されていた。これは機械で磨って作られ、大変な手間を掛けていた。筆者の子供のころまでは「磨きガラス」という言葉はよく耳にしたが、最近は全く聞かなくなった。平面ガラスが当然になったからだ。

 古典機は筆者の守備範囲外であるが、古典車輌を作られる方は、このことにも留意されるべきであると思う。「窓ガラスは顕微鏡のカヴァ・グラスを使いました。」とおっしゃる方は多いが、その時代にはそれほどの平面度はなかったのである。カヴァ・グラスの件はTMSにかなり昔から紹介されている。初出はいつなのかは知らないが、不思議なのはそれが紹介された頃の日本は、まだ平面度の低い窓ガラスを付けた車輌が大量に残っていた時代なのである。編集者は何も感じなかったのであろうか。
 さりとて、そのデロデロ感を模型でどのように再現するかというのは難しい話だ。

 筆者のGDDの車輌には乗客が乗せてある。Pullman は一等寝台車であるが、どういうわけか黒人の乗客が各車輌2人ほど乗っているのだ。これは良いとは言えない。当時は人種差別が厳しく、黒人は特急には乗せてもらえなかったようだし、ましてやPullmanには決して乗れなかったはずだ。
 黒人客は全て外して、Coachの方に移ってもらった。コーチ(三等車)にはお客さんをたくさん乗せた。Pullmanより乗客が少ないのもおかしなものだからだ。人形は全てe-bay で競り落としたものである。人件費がこんなにかさむとは思わなかった。

2011年10月20日

続々々 Golden Gate Depot の客車

DSC_2736 これが連結部の写真である。Monarch の連結器を全く切断せずに最大限の長さで使っている。シャンクが長いので台車のセンタ・ピンに近いところまで達している。推進時に座屈することも無い。
 
 Kadee を使っている連中に、「遊間が大きくて、気分が悪くないか?」と聞くと、ほとんどが、「ナックルの内側に薄いプラスティックの小片を貼り付けると良いのだ。」という。ガチャガチャしなくなるが、自動開放もしない。それでよいと割り切ればそれでも良い。
 先回の関西合運でHOの客車列車を見たが、ほとんどが Kadee のようだ。遊間のことは運転時に気にならないのだろうか。

 O scale の場合は連結幌も緩衝材として機能している。上記のプラスティック小片の解決法を話した男は、「何のための幌なのか?」と言う。「幌で押しあう程度に連結面を近くするのだ。」と付け加えた。
 GDDの幌は押し合うと多少硬く、番手の小さいポイントでは脱線する可能性がある。その点でも以前紹介した「MHPの幌」は素晴らしい。これを使えば Kadee であっても何ら問題ない。常に列車全体がピンと張った状態を保つ。

 ヴェスティビュールには力が掛からないから、外れたりすることは全く無くなると思っていたが、細いネジがねじ込まれているプラスティック車体が応力割れを起こし、やはり取り付けがガタ付く。いずれ点検して接着剤で固めてしまうことが必要になるだろう。このような中国製車輌では、設計者の経験不足と知識不足は避けがたいものだ。

2011年10月18日

続々 Golden Gate Depot の客車

DSC_2729 GGD (Golden Gate Depot) の客車はそこそこに出来が良く、安いというのが魅力である。しかし、よく走るとは言い難い。台車の懸架方式にも問題があるが、もう一つは軸受にある。軸受のピヴォットの設計がまずい。しかもロットによって出来具合が異なる。
 あるものは調子良く、あるものは摩擦が大きい。それをばらしてみるとピヴォットの穴がいびつであったり、バリがあったりする。それをさらう必要があって、この工具を作った。

 ドリルは既製品の穴さらいである。これはHO用をMicro Markでも売っているが、普通の模型屋の店頭にもある。しかも安い。価格は1/2程度である。ブランド名は忘れてしまったが、次回いくつか購入して来ようと思っている。希望者が居るのだ。

 これをブラスの挽き物の中に収めてOスケール用を作る。これは8mmのブラス棒にロレットを施した物で、滑り止めである。ロレットを付けた棒は、この種の小さな工具を作るときのために、適当な長さに切って作り貯めしてある。それをコレットに挟み、テーパ仕上げして、穴をあけて突っ込んだだけである。接着剤は例によって Super X である。問題は穴の深さで、これが狂うと意味がない。

 筆者の旋盤の心押し台にはDROが付けてある。と言ってもデジタルノギスをちょん切って付けただけのものである。この種の仕事をするときは本当に便利である。以前は、一回1mmで6回転と23/100という具合に数えていたが、よく間違えた。デジタルでは、ドリルの先を当てて、0セットすれば、何回でも往復できる。切り粉の排出にはこの往復動が不可欠であるが、面倒な確認作業も要らない。時間と材料の節約になる。

2011年10月16日

続 Golden Gate Depot の客車 

 遊間の少ない連結器を丈夫な鉄板の床板に堅固に取りつけると、長編成も滑らかに発車する。Monarchは素晴らしい連結器である。先頃ある雑誌に、連結器を紹介する記事が載ったが、肝心のモナークの紹介が無かった。画龍点睛を欠く記事である。

 台車はダイキャスト製の怪しいつくりである。3軸のイコライザがバネで支えられているのは良いが、イコライザは1本である。理屈が分かっていない。しかし、そのイコライザは細く、撓むので、なんとか走るようである。問題はその荷重中心である。センタピンをねじ込むために3軸の中心にはそれは無い。中心から12mmほど離れたところに荷重が掛かるので、軸重は不等である。ライオネルの3軸台車はセンタピンから一番遠い軸はフランジレスとなっていて、荷重はほとんどない。それをまねしたような構成で、走行性能はすこぶる良くない。軸重が少ないと、スケールの車輪はフランジが低いので脱線してしまう。

GDDの3軸台車 これを防ぐには、回転中心はそのままとして、新たにセンタ・ベアラを作り、それに荷重を掛ける必要がある。たまたま持っていた発泡ポリ塩化ビニルのシートを切って作り、貼り付けた。この材料は適度の弾力があり、衝撃を吸収する。滑り子には1mmのブラス板の小片を付けた。モリブデン・グリスによる潤滑を施す。
 センタピンのコイルバネは、短く切って台車の傾きにも対応できるようにした。こうしないと縦曲線に追随できない。付属の車輪を捨て、Low-D車輪に取り換える。もちろん少量のモリブデン・グリスを軸端に塗る。ピヴォットであるが、集電は十分良い。

 照明は、最近のものはLEDであるが、2年ほど前に手に入れたものは、麦球であった。一輌で0.2アンペアも食う。10台つなげば2アンペアである。機関車が0.3アンペアしか食わないので、これは大問題である。レイアウトの本線は1.3アンペアで遮断されるようになっているので、走らせられない。LED方式は1輌あたり40ミリアンペアで済み、問題なく走らせられる。

26212623 LEDを購入して取り替え法を試行錯誤している。材料はこの店で購入した。昔に比べ余りにも安くなっていて、また明るいので驚いた。この写真は電球との明るさ比較をしているところである。電球色とは言え、電球の光より白いことが分かる。

2011年10月14日

Golden Gate Depot の客車

2617 ここ数年よく売れている客車メーカでSunset Modelsの系統である。この製品が出てくるまで、客車はWalthers のキットを組み立てるか、ブラス製のかなり高価なモデルしかなかった。
 実売価格100ドル強で塗装済、室内付、人形付、照明付きであるから、よく売れるわけだ。筆者も10台以上入手して、レイアウト上を走行させている。この写真は先日の関西合運の会場で撮ったものである。(先頭の2輌はWalthersのキットである。)

 コスト・パフォーマンスはかなり良い。但し、下回りの設計は余りにも稚拙である。1台だけ線路上にあるならとても良い。しかし編成を走らせると不満が噴出する。
 
 まず、連結器の取り付け位置がおかしい。しかも客車のくせに遊間の大きなKadeeが標準仕様となっている。これでは発車するときに、ガチャガチャ言う。これだけは絶対に許せない。旅客列車は静かに発車するものだ。
 拙いことに、連結器がVestibule(昇降台)に取り付けられている。そのヴェスティビュールは細いねじで車体に付けられているので、発車の衝撃で抜けそうになる。実際に抜けてしまって、列車が置いて行かれたこともあった。ここに遊間の小さいMonarchを長いシャンクのまま、床板の鉄板に直接取り付けたい。連結器が左右に動くゲートも本物のように取り付けたい。

2625 採寸してカプラ・マウントを作った。たくさん要るのでロストワックス鋳造で作ることにした。応力を分散するような形にし、取り付け面の面積を大きくして剪断力で受けるようにした。床面への取り付けは、もちろん Super Xである。十二分な強度がある。
 客車の構造は二種類あって、ゲートの方は台座が厚いものも作った。1mmの板に2.6と0.6の板を重ねて貼り、フライスで段を削った。これは大して力がかかるものでもないから、明らかに過剰品質である。ハンダ付けは焙り付けである。

 カプラ・マウントは銀ハンダを使って強度を確保する。連結時の衝撃で壊れるのは避けたいからだ。底板の1mmの板に穴が空いているのは、内部を洗うためだ。鋳物の形が崩れるのを防ぐために、肉抜きの穴を作った。その部分にフラックスが溜まると洗うことができないから、このような穴を介して洗うのだ。

2011年10月12日

BNSF の石炭列車 

228226231 特に考えて行ったわけでもない、通りがかりの写真である。場所はデンヴァの空港から東北東に80キロほど行ったところのSnyderである。I-76を降りて北に向かったところにスナイダの町がある。BNSFとUPが走っている。これはBNSFである。ここも、頻度高く列車が走っている。近在の火力発電所への石炭輸送であろう。120輌編成のバスタブ・ホッパで前2輌、後1輌で運行している。比較的平坦な地域なので楽な運行である。

 この町を北に上るとUPの本線にぶつかる。その街の名前はKimballである。UPの本線の列車密度は高い。もちろん複線であるが、いずれ線増が必要になるであろう。到着したのが夜中で写真は撮っていないが、ホテルに汽車の響きが間断なく聞こえてきた。

 70年代にパナマ運河を拡幅するという計画があった。その費用が余りにも大きく、実現は困難であった。その代替案として、日本の企業がユニオン・パシフィック鉄道の近代化を提案した。当時の列車運行は無駄が大きく、より効率的な方法で貨物を運べば、パナマ運河の拡幅コストの1/10以下で出来ることを示したのだ。
 その案には日本の自動車会社も参入し、到着時間の正確な貨物列車の運行を始めたのであった。3日も掛かる距離を15分以内の誤差で到着させるというのは、当時は神業と言われた。
 のちにUPの機関士Tom Harveyは、「俺たちは、日本の自動車会社の下請けになった。」とぼやいた。 

2011年10月10日

続々々 Powder Riverへ 

238123832388 Bill周辺で何十枚も写真を撮り、疲れてしまった。とても炭鉱まで行く勇気がなくなり、今回はこれで帰ることにした。
23872393 それにしても、この写真のヤードはどのような方針で作られたのか見当がつかない。何か合理的な説明を思いつかれた方はお知らせ願いたい。

 どうしてこんなにくねくねと曲がっているのだろう。何か外したあとなのだろうか。

2390 これは積雪防止装置である。長いダクトでまんべんなく熱風がトング・レイルにあたるようになっている。左上に見えるのは燃料のプロパン・ボンベである。



 ロータリィ・ダンプ装置はOゲージにもあった。ライオネルが出していたのだ。現在は販売中止になって販売店の在庫しかない。 最近この貨車とダンプ装置が頭から離れない。夢にまで見る。導入するとしたら最低50輌はつなぎたいから結構な量である。おもしろそうではあるが。

2011年10月08日

続々 Powder River へ

Logan Hill237723812380




 とにかく次々来るのでうかうかしていられない。前からも後ろからも来る。

Hopper Car2375 この二つのホッパ車の構造を考えてみよう。左は普通の底が開くタイプである。下を開放して石炭を放出するには大変な手間がかかる。作業後は蓋を元に戻さねばならない。現在はそのような荷扱いはしていないはずだ。ロータリィ・ダンパでひっくり返す。連結器を外すのが面倒なので、そのまま廻す。連結器が捩じ切れるといけないので、連結器の軸を中心に回転するようになっている。この手の貨車の塗色は前後の片方が特別の色となっている。黄色の帯がある方は、回転する連結器側である。小さくて見えにくいが、赤いラベルには”Rotary End"と書いてある。両方回転すると収拾が付かなくなるので、片方だけである。
 右の写真はその荷降ろし方法専用の貨車で、底は全く開かない。バスタブ型と呼ばれる。これも片Endに色が付けてあるから、編成を遠くから見れば、間違っている時は一目遼然である。
 凍結時に融かす方法が書いてある。”アルミニウム製だから、輻射熱を使え”とある。叩いたりするとベコベコになるだろうし、ガスバーナで炙るとなまったり熔けてしまうからだろう。しかし、アルミはほとんどすべての波長を反射するので、外からでは輻射熱はほとんど効果は無いはずだ。
 貨車の設計の方針としては、軽くてたくさん積めるというのが最大の目的であるから、このような形に落ち着いたのであろう。

2011年10月06日

続 Powder River へ 

2363 「鉄道写真を撮りたいのだけど、どの辺がよいだろうか。」と聞くと、「それなら Bill に行くと良いわね。州道59号沿いで、そこには巨大なヤードがあるわよ。列車が5本くらい並んで順番を待っているわ。」と言う。
 炭鉱より面白そうだと、まずそこに行くことにした。
 単調な道を走るとBillに到着する。そこはDinerが一軒道路沿いにあるだけの町である。腹が減ったのでまずそこで腹ごしらえすることにした。
 ダイナとは軽食堂で、もともとは鉄道の廃車になった食堂車を道路わきに置いたものであった。それが軽食堂として適したビジネス形態であったので、今度はそのような形をした食堂を建設するようになった。たいていは食堂車の風情を残すような建て方で、長い建物であるが、床面積の大きなものもある。

23722374 食事をしているとウェイトレスのおばちゃんが、「どこから来たのか?」と聞く。「日本からです。」と言うと、さらに「ワイオミングで何か見ることがあるかしら。」と聞く。
「実は汽車を見に来ました。このあたりの鉄道は日本でも有名なのです。」と言うと、「そうそう、この間スイスの人が汽車を見に来たのよ。何でそんなに有名なの?」
「こんなにたくさんの列車が走る路線は珍しいのですよ。一列車1万トン以上もある列車が一日に100本以上通るところなんて、世界中でおそらくここだけです。」
「そうなの。道理でカメラを持った連中がたくさん居るのね。気が付かなかったけど、汽車の写真を撮るために来てるのね。」
「ところでこの辺で汽車の写真を撮るとしたらどの辺が面白そうかな?」
「そこのLogan Hillはいいわよ。私は素人だけど眺めがいいから好き。それともう少し南の方に跨線橋があるから、そこから撮ってみたら。」 

2398 この食堂で情報を仕入れて、あちこちでロケハンした。Logan Hillは道路が複々線の上を跨いでいる。列車はいくらでも来るから、少々うんざりする。南に下って跨線橋で待つと同時に3列車来て面食らった。そのうちの1本はヤードに入った。くねくねと曲がって行く様はなかなか面白い。

 筆者が写真を撮っていると、望遠レンズを持った男が車を停め、何枚か撮ってウインクして去った。 

2011年10月04日

Powder River へ

 高いところは避けることにして、残った時間でどこに行くかである。北に向かえばDevils Towerもあるし、もう少し足を延ばせばMt.Rushmoreもある。

 Gilletteという町に行こうと、走り始めて気が付いた。この道路はパウダ・リヴァ盆地を走っている。ということは鉄道と並行するはずである。GPSで探すとすぐ横を走っている。

 この鉄道はあまり勾配がない。UPの機関士Tom Harvey によると、「つまらないところだ。腕は要らない。誰でも運転できる区間だ。」とのことであった。しかし、炭鉱からの列車の本数は多いから、写真を撮るには楽しい。

 走っていると、筆者の車とどんどんすれ違い、また、たくさん追い越した。一編成120輌ほどで、100トン積みであるから、12000トンである。機関車は前補機一輌、後補機一輌で、12000から15000馬力ということになる。機関車は最大出力を出している様には見えない。

2355 途中に巨大な170トン積みダンプが置いてあった。近づくと、それは観光案内所で、ヴォランティアのおばちゃんがワイオミングの見どころを説明してくれる。「炭鉱に興味がある。」というと、「このあたりにはたくさん炭鉱がある。私の亭主も炭鉱で働いているの。ワイオミングの石炭はこの国のエネルギの45%を賄っているのだからすごいのよ。」と言う。「次の筋を左に曲がって40分くらい行くと Open Pit(露天掘り)があって、外からも見えるわ。」というのでそこに行くことにした。

2359 しばらく行くと石炭列車に遭遇した。どんどん来るので撮っているうちに時間はかなり経ってしまった。ここでの列車の頻度は、大船駅で見る東海道線の列車のような感じである。さすがに速度は遅いので実際の間隔は東海道線のそれの1/3くらいであろう。しかし、一部複複線、ほとんどが三線で、列車が重複して来るので大変な迫力である。1方向に1時間で7列車ほど来たから、1日に軽く100列車以上通ることになる。1日120万トンが通過するのだ。

2011年10月02日

Sherman Hill へ

 久し振りに夏のシャーマン・ヒルに行ってみよう、と車を西に走らせた。30分も走れば目的地だ。行ったことがない地点から列車を長いレンズで撮ろうということで、やや高い丘に登るつもりであった。
 GPSの指示通りに車を走らせるのだが、あちこちで、”No Trespassing", ”Private Property”という札に遭遇して、Uターンせざるを得ない。冬はまだしも、夏は人が居る可能性があり、必ずライフルを持っているので、撃たれる可能性がある。法律上、撃たれても何も文句を言えないので引き下がった。

 仕方なく、Harriman新線の方に行き、そこで待ち構えようと思ったが、思わぬ伏兵に出会った。
 こめかみが刺すように痛む。高山病の症状である。下手をすると失神することもありうるので、深呼吸を数十回繰り返し、酸素を脳に送り込んだ。
 しばらくすると、痛みが和らいだので、GPSを頼りに最短距離でふもとまで逃げ帰った。標高2000mほどになると何も問題ない。シャイアンの町は1900m弱である。

 シャーマン・ヒルは2400m程度であるが、途中ではもう少し高い2700m近くのところも通った。しかし、この程度の高度で症状が出るとは、自らの心肺能力の低下には驚かざるを得ない。
 若い時はスキーで3900mほどの地点までよく行ったものだ。同行者が気分が悪くなったので、助けながら降りたこともある。歩いて登った最高地点は4100mであったが、遠い過去のことになった。

 ともかく、今回わかったことは、もうシャーマン・ヒルには一人では行けないということである。そういうわけで、今回はろくな写真がない。
 
2510 この写真がどこで撮られたのかが分かったのは唯一の収穫であった。

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