2011年08月

2011年08月24日

Carbon Rod Soldering Kit

 テキサスに来ている。
 またもデニスの家で、24時間汽車漬けの生活をしている。ロストワックスの新しいプロジェクトもあり、ここまで出掛けて来たのだ。
 明日の朝から鋳造を開始するので、彼らは早く寝た。こちらは時差ぼけが直らず、仕方なくメイルの返事を書いたりしていたが、どうもメイルアカウントの問題があってうまく送れない。

 ハンダ付け機には、予想外にたくさんの申し込みを戴いているが、個別の返事が出来ないので、ここで勘弁して戴きたい。
 最低20台がクリアされたので、確実に頒布が可能になる。価格が全く決まらない中で、よくぞ申し込んで戴いたと感謝している。利益をまったく考えていないので、売れ残ると邪魔になると思ったが、それだけは回避できそうである。
 
 ある方から質問があった。
「利益なしの頒布をするのはどうしてですか?」
 答は簡単で、この方法を広めたいからである。金を払っても、やりたいくらいなのである。これは椙山満氏の仕込みであろうか。
 どうしてこの方法が今まで広がらなかったのかが問題である。真価を知らない人がその普及を妨げてきたのである。それは積極的な妨害ではなかったろうが、消極的な妨げであったと思う。
「どうせたいしたことはない。」とか「危ないのではないか。」という思い込みが大きいのであろう。
 実にうまくいくのである。ぜひともやってみて欲しい。そしてその感想をあちこちで発表して欲しい。きっと、たくさんの方が使われるようになる。そうすれば、「ハンダ付けをするブラス模型が高級だ。」ということにはならない。
 すると、たくさんの方がブラス模型の製作に参入するようになるだろうというのが、筆者の目論見である。筆者は、所属クラブ内で旋盤の部品の輸入をしている。原価奉仕でしかもアメリカから自分で持ち帰る。どうかしているのではないかとも思われるが、筆者の使っている便利な工具を使って工作をして欲しいからである。一人だけで使って、「いいだろう」と自慢しても仕方がないからである。過去にそういう人を見たことがあるから、それだけはしたくないのだ。

 今回頒布するものは、一次巻線つきトランスコア、二次巻線材料、大電流の電気継手、二次コード、一次タップ切り替えスイッチ、そのつまみ、ケース、足踏みスウィッチ、一次コード、炭素棒、その取り付け棒、握りなどである。
 厚いブラスの敷板はオプションである。切り出してお分けする。HOの方が多いので180×150ミリくらいを考えているが、大きなものが欲しいときにはその旨お伝え願いたい。

 9月初頭に帰国するので、それまで連絡が付かないがお許し願いたい。コメントは許可制になっているので、<私信>として送ってくだされば、お受けする。対外的には発表されない。また、個人情報は漏らさない。

 過去に申し込まれた方で、連絡先住所、郵便番号、固定電話番号、メイルアドレス、御本名をお伝え戴いてない方は、再度お知らせ願いたい。

2011年08月18日

Carbon Rod Soldering 

 炭素棒を使うハンダ付け機の簡易キットの予約を受けている。価格が決まらない段階での予約は難しい。アースにするブラス板は別売である。

 この道具を使った事のある人は日本では少ないはずで、どんなものか不安もあるだろう。出力を加減するのは足踏みスイッチであることが分かれば、失敗も減るだろうし、うまくハンダ付けすることができる。

 自動車関連の方がドミニカに視察に行ったときに、この炭素棒ハンダ付けを見た記事があった。太い電線に端子を付けるときに炭素棒で付けていたのを見たのだ。
 大きなハンダゴテがないのではないか、という推測が載っていたのには驚いた。太い電線にハンダ付けをする必要があるなら、この方法がベストである。自分が知らないことを知らず、他をバカにするという、見識の無い人たちによくあるパターンである。(圧着端子を使うのが筋であるがそれが使えない状況なのだろう。)

 アースのブラス板にハンダが付いてしまうことを心配されるメイルも戴いたが、被着物の熱容量に比べはるかに大きいので、アース板の上でハンダが融けてくっついてしまうことは、まずない。そのためにも厚い板を使うのである。1 mm板ではくっついてしまう。 

 このハンダ付け機を希望される方はコメントに<私信>として連絡先等お知らせ願いたい。

           ≪明日よりしばらく休載します。≫

2011年08月16日

続々々 伊藤英男氏の蒸気機関車

 35mmゲージというのはすでに過去のゲージであるが、戦後になってからも、ある程度の秀作は発表されている。しかし、その後全く発表されていなかった。
 筆者は20年ほど前、吉岡精一氏に伊藤氏のお宅に連れて行って戴いた。その時の衝撃は忘れられない。全てを手作業でここまでのものを作れる人は、まれである。祖父江欣平氏、内野日出男の両氏も凄いが、彼らとは異なる次元の製作者であり、一品物をこの速度で着実に作られるというのは、まさに研ぎ澄まされたプロの世界であった。

 平岡氏のTMS記事まで、一般の方には伊藤英男氏の名前すら知られていなかった。どうしてこの国の模型雑誌社は、製作者の取材をしないのだろう。伊藤氏のお宅に何回も伺って密着取材をすれば、いくらでも素晴らしい記事が書けるだろうし、作品集だけでも大冊ができる。国鉄型をここまで細かく、精密に、大量に作られた方はいないはずだし、この作品を見て参考になる点は多い。

4 2 祖父江氏の時もそうだった。雑誌が全く取材に行かない。来たのは朝日新聞とアエラだけで、模型誌には顔写真の一つも載らなかった。この国の模型文化の根元を作られた方なのに、亡くなっても知らぬふりである。(写真はアエラ2004年10月4日号)
 ある雑誌社の編集部が極めて浅い記事を書く気配があったので、あわてて文章をまとめたのが載り、ほっと一息というところであった。
 編集部の書く記事など読みたくないと思うのは筆者だけだろうか。投稿者があれば、それを元に取材に出るというのが筋である。
 新聞その他のメディアの「記者クラブ」制度が批判の対象になっていることを御存じの方も多いだろう。役所から渡される原稿を載せるだけで仕事をしたことになるわけで、現在の模型雑誌にも似たところがあると筆者は見ている。

 伊藤英男氏は、長年、特定の顧客を相手に仕事をされてきたので、一般には全く知られていない。また、インターネットをされていないので発表する機会がなかった。今回の訪問時に「発表させてほしい。」と申し出たところ、快諾を得た。秘密にしていた「ハシ」の工夫などを全てオープンにして下さった。
 ロクロはほとんどだれも知らないことで、それだけでも今回のシリーズには存在価値があったと思う。 

2011年08月14日

続々 伊藤英男氏の蒸気機関車

1442 伊藤氏の蒸気機関車はこの二台だけではない。以前撮った写真が見つからないのだが、戦前の制式機は全て作られた。C54、C55、C57は、これらと同等以上の仕上がりでため息が出る。TMSの200号近辺の久保田富広氏のC54を見て興奮したが、それとはまったく異なる次元での興奮であった。
 C10、C11もあった。今回それらの走行も期待していたのであったが、「この二台以外は三線式なのですよ。そのうち二線式に改造しますが、しばらくはこの線路では走りません。」とのことで、残念であった。

DSC_1306 「ほら昔の三線式の線路もあるのですよ。」と見せて戴いたのは、ガラレイルで作った分岐であった。「これは昭和22年ころでしたね。カツミに居た時に作ったものです。材料が悪くてお見せするのは恥ずかしいのですが、昔はこんなものでしたよ。車輌は立派でしたが線路まではとても手が回らなかったのです。」

 「船の模型を作り始めてからは、鉄道から遠ざかっていたのですが、もともと好きだものですから、趣味程度にやってきました。ときどき、特製品は仕上げていました。マイクロキャストの水野さんからの紹介で、オーストラリアの大富豪のレイアウト用に1番ゲージのNYCハドソンを2輌と客車1編成を作りましてね、それからたくさん作り始めました。彼は本物の図面を手に入れて持ってきましたので、その通りに作れました。いい機関車ですね。」

14381437 国鉄の機関車の図面集が手に入るようになってから工作のピッチが上がったという。書棚には西尾克三郎氏の写真集が何冊かあった。


 「走らなければなりませんから、そこは船の模型とは違うんですよ。下回りは多少の工夫が必要です。線路幅を35.56mmにしなければならないのを35mmにするわけですし、最急カーヴが本線の半径になりますから、可動部の工夫は必要です。大きくて重いのでボールベアリングを入れないと、自分自身が走るだけで精一杯です。ボールベアリングを入れれば本物と同様の列車が牽けることが分かりましたから、製作のピッチが上がりました。」

 スケールのみにこだわっていると、走る模型にはならないということを力説された。これはプロとしての自負である。
 

2011年08月12日

続 伊藤英男氏の蒸気機関車

1448 たくさんコメントを戴いた。AC9氏の方法が正解で、ムクの板からの削り出しである。
 この曲げを実現するために、過去に伊藤英男氏はありとあらゆる方法にチャレンジされたそうである。しかし、曲げると外側の体積が不足するため扁平になるのを防ぐことができない。パイプならば、肉厚が薄くなることによってそれは実現が可能であるが、ムクの棒では焼き鈍しても不可能であった。

 そこで曲がった角棒を糸鋸で切り出し、それを丸くしたと仰るのだ。「まず、四角を八角にします。そしてそれを十六角にして…という具合にすれば丸くなりますよ。」この写真は多少よく見える写真で、曲がりの部分が直管につながれている様子が分かる。
 筆者も出来るかもしれないと思い、やってみた。3mmの板をL型に切って丸くするのだが、とても思うようにはできない。

 しかし、パイプなら筆者にもつぶれない直角曲げができる。以前ヤマハだったかの金管楽器工場を見学した際、水を入れて凍らせるという話を聞いたからだ。焼き鈍したパイプの片方を塞ぎ、水を入れて、冷凍庫で凍らせる。栓を出来るように少しだけ先端の氷を溶かし、水を入れてねじこむ。それを再度凍らせて、目的のところに溝を付けた当て金を当てて曲げると断面が丸いままで仕上がる。氷は放置すればすぐ溶けるので流し出せばよい。砂を入れるよりずっと簡単で奇麗であるが、両端が塞いでないと失敗する。蓋のネジはただ締まればよく、パッキンは不要である。隙間を氷が逃げることはないからだ。中に空気があると失敗する。
 この方法は、H8(C&OのAllegheny)の排気パイプを曲げるときに試した。ちゃんと外側が丸く仕上がる。曲がったら、すぐに栓を外さないと、氷が溶けるときに体積が縮んでパイプが凹むおそれがある。

144014431436 下回りは多少模型化してある。車輪の厚みは、実物の1.3倍程度である。スポークは糸鋸で抜き、断面が所定の形になるようにキサゲで削って仕上げてある。スポークの数については知識が無く、お答えできない。
 以前にも書いたように、フランジのフィレットはかなり大きく、Low-Dに近い。実物と同じ懸架装置、復元機構を持つが、脱線しないで半径4mを楽々通過する。線路の保線はすこぶる良い。レイルが完全に直線に敷かれ、曲率も一定であるので、カーヴでの挙動もすばらしい。全く動揺せずに走る。動画を撮ったので、いずれyou-tubeにupする。  

2011年08月10日

伊藤英男氏の蒸気機関車

1424 伊藤氏のC53である。この時は光が少なかったので画像が不鮮明なのをお許し願いたい。
 端正な機関車である。図面通りに作られていて、実際の機関車よりもはるかに奇麗である。連結器は肘が開く。どのパーツを見ても素晴らしい出来で、これ以上の仕上げは望めないと言えるほどよく出来ている。平岡氏の記事はクランクあたりの話に終始しているが、現物はどこを見ても「超」という言葉を付けないと表現できないほど素晴らしい。  
 最初、この機関車を拝見したとき、「もうスクラッチビルドはやめよう」とさえ思ったものだ。一般人が努力によって賄える範囲をはるかに超えている。これは鉄道模型博物館ができたら、収蔵品として最初にノミネートされるべき機関車である。

14281431 このC51の素晴らしさも特筆に値する。給水温め器の後ろにくねくねとパイプがつながっているが、この曲げ方が気になった。
「これはどうやって曲げたのでしょうか?」
「貴方は工作される方ですから気が付いたのですね。今まで気が付いた人はいません。」

 さて、読者の皆さんにお伺いしたい。このパイプは90度曲がっているが、断面が真円である。ふつう、ブラスの線あるいは銅の線を小半径で曲げると、その部分の断面がつぶれて楕円あるいは饅頭型になる。伊藤英男氏は、この部分をどうやって曲げたのであろうか。材料はブラスのムクである。パイプではない。

2011年08月08日

続々々 35mmゲージレイアウト

1423 この列車は、特急「富士」であった。一等車の車内には扇風機があり、走行中に入る風によりくるくると回る。
 この列車は全て博物館模型のレベルにあり、それが走るのだから素晴らしい。

 1420 台車を見せて戴こうとお願いしたら、「その箱の中にある。」と仰るので拝見した。台車が載っているたくさんのブラスの板は何であろうか。

 はじめは気が付かなかったが、全て完成した側板であった。あと20輌分はありそうだ。台車も半製品がゴロゴロと出てきて驚いた。どれもコイルバネ、重ね板バネ、揺れ枕、サイドべアラが実物どおりに作動する。

141914181416 ブレーキテコが付いていて引っ張ると締まるようになっている。床下に付いているブレーキテコは平面上にあるものが大半だが、台車の中にあるものは全て斜めになっていて、その造形は面白い。台車内のブレーキテコが装備された模型は、ここ以外ではまず見ることができない。
 これらの台車が全て板から作られているというのは、驚嘆すべきことである。鋳物はブレーキ関係の一部だけである。

2011年08月06日

続々 35mmゲージレイアウト

 誤植があって問い合わせ戴いたので、この35mmゲージについての説明をしておきたい。1930年代に日本で始まった国粋ゲージと揶揄される3’6”ゲージのスケールモデルである。
 当時日本に輸入されていた鉄道模型は米国製ライオネルのスタンダードゲージ54mm(2-1/8インチゲージ)とヨーロッパから来た1番ゲージ(1/32が主流で、約45mmゲージ)の2つであった。両国とも標準軌であるから、スケールを守って日本の国鉄車輌を作ると車体幅と下廻りには矛盾が生じる。
 35mmゲージ 1/30を採用すればほとんど問題がなくなる。これは国鉄を至上のものと考える人たちが多かった時代の波に乗り、多くのファンをつかみ、いくつかの模型店がそれを推進した。今でも京都のマツモト模型に行くと、かなりの作品を見ることができるはずだ。

 のちにミトイ会というクラブが結成された。ミトイというのは30分の1の数字を順に読んだものだ。伊藤英男氏はそのミトイ会の最後のおひとりである。
 Oゲージに比べると二周りも大きく、片手では持てない。車輌幅は100mm近い。客観的に見れば、一番ゲージの狭軌ヴァージョンと考えるべきである。

 1930年台後半になるとOゲージが紹介され、より狭い面積で線路が敷けるということが宣伝された。 しかし国鉄型を作るのには下回りに無理があり、電車では幅の広い台車を付け、蒸気機関車ではスケールを変更するということまでしなければならなかった。そのこともあって、1/30、35mmゲージは国鉄型に限られた世界を作る上では、最も素晴らしい鉄道模型ということになった。

 戦後はアメリカの影響を受け、Oゲージ、ついでHOが主流になったが、一部の愛好家は1/30、35mmゲージを守り続けた。この流派の思想は、その後24mmのOJ、13mmゲージに大きな影響を与えている。

2011年08月04日

続 35mmゲージレイアウト

12991303 伊藤英男氏の近影である。長身で髪をなびかせながらさっそうと歩かれる。レイアウト室の広さには驚く。日本家屋でこのような大きな部屋を持つ人は少ないだろう。もともと作業場であった所の床を張り替えてレイアウト用にしたとのこと。長い部屋はレイアウトには適する。留置線をたくさん作って、列車を並べることができるからだ。線路は床に敷いてあるが、いずれ持ち上げて壁に付ける予定である。
1286 これはEF50の牽く特急列車である。筆者はあまり詳しくないので正しい説明ができないが、素晴らしい出来である。モータは汎用のマグネットモータを6台搭載し、スパーギヤ1段である。停止状態から12 V掛けるとウィーンとうなりながら加速し、エンドレスを3/4周して最高速に達する。そのあたりで無電区間に入るので、惰行して下っていく。そして再加速することを繰り返した。
 スケールスピードは100キロ/時程度である。ほどほどの速度であり、寝転んでうっとりと見つめた。全ての客車は実物どおりの骨組から出来ていて、揺れ枕、重ね板バネで懸架されている。ハンドルを回すと手ブレーキ装置が作動するのには驚く。全ての軸受にはボールベアリングが入っている。一編成で約70kgの列車である。

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 貨車が置いてあったので何台かを紹介する。この有蓋車はドアが外れているので撮影は不本意であったようだが、とりあえずお見せする。
 連結器は鋳物で作動しない。必要であれば可動式にするところだが、貨車の解結作業はするつもりがないそうである。重ね板バネが作動し、柔らかく線路の上を走る。極めて静かである。この貨車も足踏みブレーキが作動する。

13221324 これは無蓋車である。ドアのプレス部分は展開図を描いて、平たい四角錐になるように張り合わせたものである。4枚ともぴたりと同じようにできているところがすごい。筆者もこのような構成で作ったことがあるが、たくさん作ったものから選ぶ必要があった。 
 これらの貨車は長軸を採用していた時期のものだ。

2011年08月02日

35mmゲージレイアウト

1304 伊藤英男氏から、レイアウトの本線が開通したので見に来てくださいという連絡が入ったのは2年前であった。複線の予定の半分だけだが列車の運転ができるようになったのだ。
 
 作業場は50坪ほどある。はじめは20坪ほどだったのだが、盛業中どんどん広くして、その後は物置になっていた。それを片づけて線路を敷き始めたのだ。
 レイルは伸銅所に頼んで作ったものだ。道床は何とブラス製である。全て糸鋸で切ったもので、「余った板ですから、使ってしまおうと思いまして…」ということである。空洞であるから響きそうだと思ったが、要点が押さえてあり、しかもバラストがあるので静かである。この写真はバラストの無い部分を特に写したものである。

1312 あちこちにブラスの板、角材、丸棒がある。また、ダライ粉が一斗缶に何杯かあった。このレイアウトを作図するのに使ったコンパスを見て驚いた。50 mm × 5 mm の平角板を延長して半径4mの円を描いている。途中がたわむので、中間に支えの台車が付いている。

伊藤氏の作業場は、僅かに片方の土台が沈下してしまったそうだ。すると、一周70m強のエンドレスの1/4が登りで1/4が下りになってしまった。勾配は15パーミルほどである。
 これは運転の妙味を倍加させている。上り坂で力行し、下りではノッチオフする。伊藤氏は、運転方向が一定だからと、下りの部分の電気配線を外してしまった。すなわちエンドレス全長の1/3ほどは無電区間である。その区間は惰力と位置エネルギィだけで走る。それを過ぎると力行するのだが、電気機関車の場合は、本物のように唸りを上げて加速していく。「安いモータを使ったのでしょうがないです。」と仰るが、実感があり、とても素晴らしい。

 立体交差も計画中で、何本かの鉄橋を作られる予定である。橋の実物図面も用意してあり、リベットだらけのすごい橋であった。
 車輌は例によって超精密なものばかりである。全て実物の1/30に作られている。床下機器はもちろんのことブレーキ装置まで実物と同様に作動する。

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