2011年07月

2011年07月31日

続々 ロクロ作業

 ロクロ屋さんは家内工業である。職業訓練を受けた人はまずいなかった。全て、見よう見まねで行われていた。中学を出たばかりの小僧の仕事は油注し(さし)である。
 前回の穴に油を注す仕事である。二人の作業者の間に居て両方の工具に油を注す。うっかりすると焼き付くので、親方に怒鳴られながら油を注していたのを見たことがある。2,3年経つとハシを持たせてもらえる。はじめは切断ばかりやらされているが、そのうち、段付けやネジ立てをさせてもらえるようになり、何年か経つとのれん分けしてもらったようだ。

 筆者が子供のころ(昭和30年代)見たのは水道部品を作っているところで、いわゆるコマ(水を止める部品)を作っていた。ブラスの丸棒を銜えて、段削り、タップ立て、切断を繰り返していた。材料の8割は切り粉になる。凄まじい勢いでダライ粉が溜まった。それをリヤカーで運んでいた。ダライ粉には他のものが混じらないように注意していた。持って行く前には、磁石で鉄粉が入っていないか調べていた。

 大量生産品には、比較的まともなバイトを使っていたが、少量品は刃先をハンダ付けしたものであった。少し削って刃先の様子を確認してハンダ付けの位置をずらす。極めて怪しい方法であるが、それでも100個や200個は問題なく削れる。

 この方法は筆者も使っている。ハイス製の突っ切りバイトが折れたものを捨てるのはもったいないので、S45Cのキィ材の切れ端にハンダ付けして使う。相手が快削材であるから問題なく削れるし、もし剥がれても、下に落ちるので危険ではない(剥がれたことは今のところない)。
 彼らはハイス(高速度鋼)など使っていなかったと思う。色から考えると今でいうSK2あたりだ。ノミやカンナの刃を作る材料である。グラインダなどというものはなく、手で砥石を使って研いでいた。
 少し規模の大きいところは工場の片隅にコークス炉があって、フイゴを使い、鋼を赤めて簡易鍛冶屋をやっていた。それくらいの規模になるとグラインダを持っていた。

 ロクロ屋の機械は全て手作りで、既製品というものはなかったように思う。工場によって全く違うものを使っていた。根本的には廻る材料があって、それに食いつくハシがあれば仕事ができるということになる。この仕事が世の中から消えてしまったのは昭和40年くらいではないかと思う。いくつかの町工場は老齢化で廃業し、残りは旋盤を買って近代産業へと成長した。

2011年07月29日

続 ロクロ作業

1405 これは材料が入る穴である。ここによく給油しないと焼きついてしまうそうだ。
 材料はボール盤を横に寝かせた物で廻す。そのボール盤のモータはスタータ用のキャパシタ(コンデンサ)がなくなっていて、手回しスタートである。すなわち正逆どちらにも廻るのが面白い。「逆回転は、ネジ切りには必要なのです。」と仰る。

 さて、この作業はどのような姿勢で行うのだろうか。ゴザを敷いた部屋で座布団に胡坐(あぐら)をかいて行う。切り粉は膝の上に落ち、前掛けをしているので、その中に溜まる。左手でボール盤のスイッチをOnにしてドリルチャックを廻すと回転が始まる。回転数は1000rpmくらいだ。右手で「ハシ」を突っ込み端面仕上げ、切断という具合に進む。切り粉(ダライ粉)は一斗缶に入れて溜めておく。
 一つあたりの作業時間はわずか5秒だ。僅かな時間の内に数十個の円柱ができた。端面は両方とも平面だ。もちろんそこまで行くためには切断バイトの側面のカーヴが所定の曲率を持たねばならないから、かなりのオシャカを出しているに違いない。このバーサインを消す方法は伊藤氏のアイデアで、今まで門外不出だったそうだが、もう見せても構わないとのことで公開した。

 ロクロ作業を見て思うのは、旋盤作業でも細いものを仕上げるのに用いる「ボックスツール」というものと同じだということである。ボックスツールは久島諦三氏著の「ミニ旋盤を使いこなす本」の第9章に書いてある。
 平岡幸三氏の言葉で説明すると、「ワーキング・パス(working path)が短い」と言うことになる。刃物とワークを支える部分が近く(道程が短く、テコが短いから)、剛性があまり大きくない構造であっても精密な仕事ができる。浮津信一朗氏が発表された記事の中にもあったし、先回の記事にコメントを戴いた鹿ケ谷氏のウェブサイトにも写真がある。

 昔はこの手の職人は数限りなく居て、段付きネジ、ピンなどは、ほとんどこの職人によって作られた。土間にモータを置き、それからベルト駆動でいくつもチャックを廻して仕事をしていた。常に注油せねばならないから、焼けた油の臭いが充満する空間であった。目盛などあってないような仕事であるから、頻繁に寸法を測りながらの作業である。設定が狂うと全てオシャカになるから、みな真剣に仕事をしていた。

 当時は「ハシ」を作る鍛冶屋がたくさん居て、必要なものを選んで買うこともできたし、目的を告げると専用工具として作ってくれたそうである。しかし、もう、そのような職人は居なくなってしまった。ロクロ職人はそれをさらに加工して自分専用の道具をたくさん持っていた。伊藤氏も20本近く持っていらしたように思う。
「だんだんガタが出てくるので、カシメてガタを無くすのですが、それも限度があります。」とのことである。

2011年07月27日

ロクロ作業

 ロクロは旋盤の一種であるが、堅固なベッドを持たない。ロクロ屋さんは日本中にたくさんあったが、その作業を記録したものにはほとんどお目に掛からない。今回伊藤氏を訪ねたのはそれを記録するためである。
1406 これがロクロ作業の「ハシ」と呼ばれる工具である。ワークが差し込まれる孔と刃物を移動させるためのテコを組み合わせただけのものである。この写真ではワークは左から差し込まれる。握りには刃物の動く限度を決めるストッパがついている。
 これは一定の長さで切断するための工具である。これ以外にも目的に応じて種々の「ハシ」があり、ネジ切り専用のダイスをはめる「ハシ」もある。
1403 裏側から見てみよう。右から材料が差し込まれる。ストッパが刃物であり、限度まで強く差し込まれたワークは、端面削りされる。ワークをいったん少し戻し、もう一度差し込む。そこですかさず工具を握ると、切断刃物が動いて切り離される。こう書けば簡単であるが、実はここには面倒なことがある。切断刃物の動く軌跡は円であり、材料に対して直角に動くわけではない。切り込んでいくと微妙に長さが変化する。バーサインが出てくるからである。
14041407 この設定だと長さ数mmの円筒形の部品ができるようだ。切断面が垂直になるためには、長さ方向のストッパが動く必要がある。切断刃物が食い込むと、刃先は切り込むが刃の片方の側面には刃がなく、ワークを横に逃がすための微妙な丸みが付いている。その部分で、仕上がる部品の側面を押しながら刃が食い込む。バーサインで、材料はストッパ方向に少し押し込まれる。上から2枚目の写真のストッパには長穴が付いていて多少動くようになっているのがお分かりであろう。これは適度の強さのバネで押されている。切断に伴い長手方向に動くのをこれで許容する。刃物の反対側の側面には刃が付いていて、材料の端面は多少削れて平面ではなくなるが、それは次の最初の工程で仕上げられるから問題ない。

2011年07月25日

続々々 糸鋸の達人

14091408 過給機はカットモデルも作った。そのタービン翼の曲がり具合が一定であるのには驚く。これらも全てプレスで曲げ、翼面の断面も本物通りに削ってある。横に置いてあるモータは、当時のOゲージ用モータであるから相対的な大きさがお分かりであろう。 このエンジンは2サイクルエンジンであり、排気と吸気を同時に行うためこのようなタービンが必要であった。EMDのUni-Flowエンジンと似ていて、排気弁があるはずである。このエンジンは当時世界最大の出力を持つエンジンであった。
 右の写真は若かりし頃の伊藤英男氏である。30代であろう。このエンジンを作るのに数カ月を要したと仰る。

1409 31409 2 伊藤氏は全ての作業を、ブラスを材料とし、ネジ留めとハンダ付けのみで行った。のちに競業他社が現れ、半額に近い価格で請け負ったと言う。納品された時は良かったが、それが本国に運ばれて蓋を開けたら、ばらばらになっていたそうだ。その船舶模型の色々な造作は接着剤で付けてあったらしい。なお船体の板のハンダ付けがイモ付けであったのも大きな原因であろう。船の貨物室は暑いし、振動も大きい。熱膨張でひびが入り、振動で外れたというのが伊藤氏の推測である。

 その点、伊藤氏の作品は全て実直に作られ、力の掛かる部分はネジ止めしてハンダ付けしてあるから、接続部は他の部分より堅いくらいだ。支持台との接続部分はこれ以上ないと思われるほど強く作ってあり、多少の高さから落としても耐えられるようにしたと仰る。船一隻で大きさにもよるが、200kgほどである。ブラスの量は365×1200の板で、10cmの高さに相当する。

 
 仕事場には、いつも数cmほどの高さに各厚さのブラス板が積んであった。もちろん全て快削材である。快削材の良さは最近、コン氏により再発見され、仙台市内の「つばさ模型」で市販されるようになったそうである。これは全国の模型屋で売るべきである。筆者は伊藤英男氏と知り合ってから全て快削材を使用するようになった。切削速度が2倍になるし、仕上がりもよい。また表面が硬く、キズが付きにくい。

1328 快削材は、クロック板とも呼ばれるらしい。時計の歯車を作る板なのだ。硬くて曲がりにくく、細工がしやすいからだ。どうして日本の模型界にはこれが導入されなかったのかが不思議でならない。

2011年07月23日

続々 糸鋸の達人

1412 これらはカワイモデルで作った特製品だそうだ。Oゲージで それぞれ1台ずつである。どのような人が注文したのかは全く分からない。
 どれを見ても繊細な作りで、これらを所蔵している人はきっと大切にしているであろう。


1429 これは汽船の煙突の木型と骨組である。板の厚さ分だけ小さく作った木型に、朱肉を塗ってブラス板の上を転がす。そうすると側面の展開図ができる。それを丸めて骨に貼り付けるのだそうだ。丸みは叩き出しである。
 船体も板の厚み分だけ小さく作っておき、ブラスの板を切り出して叩きだして丸みを付けて貼りつける。板の継ぎ目は木型に継手の厚み分を彫込んで、その上でハンダ付けする。全部できてから、木型からはがし取ると船体が完成している。そのあと内部の骨を入れ、甲板を取り付け、上部構造体(super structure) を作る。
 木型の木は緻密な木材(エゴノキ)を購入して、裏庭で何年も乾燥して使用し、塗装は造船所から指定されたマンセル番号で調色して仕上げる。

1413 これは珍しいカットモデルである。内部の造作を一つ一つ作り、色を塗って取り付ける。舷側がないと強度不足になるので注意せねばならない。
 模型の発注は造船所での組み立て開始とほぼ同時で、進水式の時の式典に間に合わせねばならない。納期は3カ月以内らしい。そのような式典でお披露目があると、その製作者として紹介され、なかなか良い気分であったと仰る。納品された模型は木箱に詰められ、その船で本国に運ばれ、船主の事務所に置かれる。道中かなりの振動があるので、壊れないように強度を保つよう、気を付ける。

14101411 たまにこのようなエンジン本体の注文もある。これはズルツァの12気筒過給ディーゼルエンジンである。図面だけでこのようなものを正確に作り上げるのだから、その腕は素晴らしい。一体どうするとこのような模型ができるのか、素人には想像することも難しい。
 このエンジンは3台作り、2台はドイツに運ばれ、1台は大阪の交通博物館にあるとのことである。お近くの方は御覧になれるかも知れない。

2011年07月21日

続 糸鋸の達人

how to cut long with short-frame coping saw 伊藤氏は、ノギスを使ってブラス板に0.40mm間隔で線を引いた。その隙間を0.23mmの厚さの糸鋸が進む。いかに達人とは言え、多少の蛇行はあるだろうと思っていたが、糸鋸はどちらの線にも触れずに真っ直ぐ進むのである。この時、照明は裸電球一つである。光の反射を使って鋸の進む道を確認している。

 奥まで切り込みたいときは、糸鋸の刃をペンチで挟んでねじる。上端と下端は焼きが入っていないので、簡単にねじられる。これで準備は完了だ。図のように弓を板の外に出して切り進む。図は蛇行を誇張している。
 これの実演を見せられた時は愕然とした。昔雑誌で見たのは、弓を曲げる方法だ。それでは弓の剛性が大幅に減少してしまう。弓は堅くなければならない。最近はアルミ合金あるいはチタン合金製のはしご状の弓がある。軽くて剛性が極めて高いらしいが、値段も素晴らしい。この弓は、刃の方向を45度ねじって留めることができるようになっているから、上記の方法が簡単にできる。
 
 話は元に戻るが、筆者が懸念したのは、弓の張力でねじりが戻るのではないかということだ。それは全く問題なかった。1m近く切った後でもねじり角は保たれていた。
 この方法は、筆者もときどき使わせて戴いている。懐がせまい弓なので、ちょっと奥まったところはこれに限る。色々な作業をしようと思うと、弓は何本か必要だ。

 さて、このように切り離した大きな板を大きな油目ヤスリで2回なでると、ちょうどケガキ線まで削ることができる。伊藤氏は、このように仕上げた板を定盤に立てた。完全に密着して、向こうからの光は漏れなかった。恐るべき技量である。かなり練習したが、その域には到達できそうもない。
 もっと長い板が必要な時はこれをつなぐ。ネジを立てて小ネジを数本用いて当て金を留め、ハンダ付けする。ネジ頭はヤスって落とす。このような方法で伊藤氏はたくさんの船を作られたのだ。

2011年07月19日

糸鋸の達人

DSC_1659 糸鋸のframe(弓)は何本も持っている。中学生のとき買ったものはネジが甘く捨ててしまったが、その他の物は今でも使っている。英国製の弓も良かったが、20年ほど前アメリカで買った弓が軽くて使いやすく、もっぱらそれを使っている。

 この写真の上は英国製らしいがアメリカで買った。少々重いのが難点だが、使いやすい。狙った方向に刃が向いて曲線切りには良い。下が米国製である。弓の一部がダイキャストであり、それがすぐ折れるだろうと思ったが、永持ちしている。価格は意外に安かったことを覚えている。当時の価格で10ドル強だったと思う。
 このダイキャストが軽いので驚く。マグネシウムでも入っているのではないかと思うほど軽い。ブランドはなく、ただ Made in USA としかない。 歳を取ってくると、少しでも軽いほうが助かる。人に勧めたいのだが、銘柄が不明なので検索しようがない。見つけたら買おうと思っているが、なかなか遭遇しない。

 刃はVallorbeである。この箱は10グロス(1440本)入りで、筆者が普通に使って10年分である。達人に使い方を習って折らないようにしているが、5秒で折ったりすることもあり、そういう時は別の仕事をして気を紛らす。達人とは伊藤英男氏のことである。先年TMSに平岡氏による紹介記事が発表されたので、ご記憶の方もあるだろう。

 伊藤氏によると「糸鋸の寿命は12分間」であるそうだ。「それ以上は持ちません。距離にして大体1200mmですね。」と仰る。「鋸も疲労するのです。どこにも引っ掛けないように注意していても、12分経つと自然に切れます。」と仰る。氏はおそらく生涯に何万本かの糸鋸を消費された上での結論であろう。伊藤氏はシァを使わないで、すべての直線を糸鋸で切るのである。
 伊藤氏は東京模型研究所という工房で船舶模型の一品物を製作するのを業とされた。生涯に約300隻作られたそうだ。戦後すぐ、カワイやカツミで特製品の製作をしていたと仰る。
 「その頃カツミに祖父江(欣平)さんが入って来られて、あの人にはとてもかなわないと思って、船の方に行ったのですよ。」と当時を振り返られた。それはちょうど一品物の特製品の時代から、機械を使う大量生産に移り変わる過渡期であったのだ。「私は糸鋸とハンドドリルとヤスリだけしか使わないハンドメイドでしたから、祖父江さんのように速く作ることはできませんでした。」と述懐する。

2011年07月17日

続々 Carbon Rod Soldering on Conductive Surface

d6bb09b7.jpg ピンセット型の物も持っているが、効率が悪くあまり使わない。このピンセットの先は赤くなるが、発生した熱の2割くらいしか相手に伝わらないので、小さいものを持って組み立てるときぐらいしか使用しない。



 直流電源を使うことも可能であるが、場合によって電極から有毒な塩素ガスが出る可能性があるので気を付けて戴きたい。もし直流を使われるなら炭素側をマイナス極にされたい。そうすると相手のブラス側が多少溶解して、塩素は出ない。炭素極をプラス極にすると塩素が出るだろう。もちろんこれは塩化亜鉛を使った場合の話である。いわゆるペーストならば関係ない。交流では極が入れ替わるので、実質的に塩素は発生しない。
 アメリカではかなりの人が、ペーストを使う。後始末が楽だからであろう。アセトンを入れた容器が置いてあって、それで洗ったり、ティッシュに含ませて拭く。塩化亜鉛を使って水で洗うほうが楽だと筆者は思うのだが…。

 harashima様からのコメントにもあったように、ハンダゴテは熱い。通電時間中、工作物に熱を伝えているのは一体何パーセントくらいの時間であろうか。筆者の経験では5%を越えることはまずない。組立て式レイアウトの配線作業では同じことを繰り返すので、30%くらいは伝熱している。もっとも休んでいる時も熱を発生して、コテの銅の塊にエネルギを貯めていると考えれば 、この種の作業ではもう少しよく使っているだろう。
 炭素棒ハンダ付けは省エネルギであるし、車体の組み立てには最も適する方法である。コテを使うより、素人には簡単である。これを採用すれば、ブラス工作にのめり込む人も増えるであろう。確かに素人には、車体の組み立てをハンダコテ一本でやるというのは難しい作業なのである。

 ある程度の数がまとまれば、このハンダ付け装置の製作を電気屋の知人に頼めるかもしれない。きっと、輸入するよりかなり安くできるであろう。いかがであろうか。

【追記】 簡易キットを用意しようと思い、懇意にしている近所の弱電メーカの社長に話をしてみたら、最低20台あれば、部品集めをしてくれるという。一次巻線だけ巻いた二次線を巻く隙間のあるトランスとか耐熱線などを市場から探すそうだ。炭素棒も手に入るルートを教えて戴いた。作業台に張る厚いブラス板も希望により提供する。素材(アルミ箱も含む)と簡単な説明書を添えた形になる。これはPL法の範囲外であるからそれも念を押されている。場合によっては、同意書を戴くことになるかもしれない。   (2011年7月21日)

2011年07月15日

続 Carbon Rod Soldering on Conductive Surface

PAZA 塩化亜鉛の煙霧が出るので、これが拡散すると周りの金属が錆びる。筆者は簡単な空気清浄機の前で行う。このタイプの旧型を中古で安く買ったのであるが、薄型で作業台の上に置くには適する。向こう側の足に小さなクサビを挟んで、全体を僅かに手前に傾けてある。こうすると煙霧を完璧に吸い取らせることができる。発生した煙霧は100%活性炭フィルタに吸着されるが、分子量の小さい一酸化炭素は吸着されない。ハンダ付けの電源を入れると連動して弱運転するようにした。ハンダ付け作業中は強運転する。

 一酸化炭素は800℃を超えると発生する。800℃はたばこの火が、息を吸い込んだ時オレンジ色になる瞬間の温度である。あのオレンジ色を覚えておき、それが再現されないように電圧、通電時間の制御をする。足踏みスウィッチを細かく踏み、炭素棒が僅かに赤くなるようにコントロールするのである。これは、やってみれば直ぐにコツを習得できるであろう。

DSC_1650 もうひとつ、筆者の作業台の上にあるものを紹介しよう。それはブラスのかなり大きなブロックである。これは車体などの中空な物のハンダ付けなどに用いる。 中が空であると、炭素棒で押さえると凹んだりして、力が入らない。また導通も良くない。アース板からの導通を確保し、力を伝えるものであれば何でも良い。筆者は各種の丸棒、六角棒、角棒を切ったものを用意している。それを隙間に軽く押し込めば良いのだ。これらは廃品回収業者で手に入れたものである。
 この写真では炭素棒がチビているように見えるが、これは押さえるタイプのものだ。炭素棒は用途に合わせて複数用意している。


DSC_1654 意外と便利なのが、六角棒を削いで五角にしたものである。安定がよく、付ける物の支えとして具合がよい。この角の部分を、付ける部品の裏にあてがい、表面から炭素棒を当てると、実にうまく付く。この種の支えは他にもあるが、似たり寄ったりであるから紹介するのは控える。

2011年07月13日

Carbon Rod Soldering on Conductive Surface

アースを取る ご質問があったので予定を変更して詳細を書くことにした。
 この図を御覧になれば、お解り戴けると思う。たまたま2mmの適当な大きさのブラス板があったのでそれを使った。300mm角である。作業台に密着させるには、皿ネジを使った。塩化亜鉛が滲み込むと良くないので、シリコンコーキングする。ワークを置いて炭素棒で押さえてから通電する。これを守らないとアークで穴が開く。
 押さえて通電すると、接触部分が熱くなる。もちろん通電をやめる時も押さえたままである。この作業には足踏みスウィッチが不可欠である。前にもそう書いたのだが、それを買わずに「火花が散って失敗した!」と小言を言われたことがある。何度も書くが、足踏みスウィッチを使わないと失敗する。作業台の表面から通電するので、作業が終わったら濡れ雑巾でよく拭く必要がある。

 この方法では発生した熱が、アース板に逃げるのではないかという懸念を示す方も居られるが、何の心配もない。熱が逃げる前にハンダ付けは終わる。通電遮断後もそのまま押さえていると、熱は逃げて急速に固まる。この急速に固まるというところがミソで、実にうまくハンダ付けできる。半分融けている状態を急速に通過するので、密度の大きい硬いハンダになるのだ。客車などを作るとき、熱膨張で反って困るときは、このハンダ付け法を採用されると、実に上手にハンダ付けできる。ハンダは糸ハンダを手で繰り出して供給してもよいが、細かく散弾状に作った物を使うと、量の加減ができる。散弾の作り方は簡単で、融かしたハンダを金網のざるで受け、水に落とすだけである。

 相変わらず、変圧器の難しい理論を振り回して困っている方を見かけるが、この方法は変圧器の焼ける前に終わるので、ごく適当な考えでよいのだ。どんな場合でも10秒で変圧器は発火しない。二次線の太さも2平方mm以上あれば良い。やってみるとアース線や給電線が、もわっと暖かくなるが、その前にハンダ付けは終わっている。次のハンダ付けまで2,30秒はあるだろうから、その間に熱は拡散する。

 要するにプロのハンダ付け屋さんをしていない限り、火事になることは全く心配する必要はない。連続仕様ならば、理論に基づいた設計は必要である。その場合、かなり大きな変圧器になるだろうし、給電線は鉛筆くらいの太さの導線を使わねばならないだろう。我々はアマチュアで1日に数分間しか使わないのであるから、電線が暖かくなっても何も困らない。

2011年07月11日

続々 仕掛品の始末

 元KTMの高橋氏に話を聞いてみた。
 当時、「Big BoyがあるのだからChallengerを安く作れるだろう」という打診はあった。計算してみると、「動輪二軸分とサイドロッド4本分しか安くならない」ということになったそうだ。

 そういういきさつで、KTM Challenger は KTM Big Boy を寸詰まりにしたものになった。当初は良かったが、他社から Challenger が何種類か出てくると、彼らは互いに比較するようになった。
 テキサスのデニスによると、一番ボイラの形がよいのは Williams だそうだ。キャブあたりが細くて実感がある。
「KTMの Challenger は立派過ぎる。単独で見ている分には良いのだが、Big Boyと並べると同一であることが分かる。砂箱の形などというのはあまり気にならないが、ボイラが太過ぎるのは興醒めだ。」という。

 ボイラの後半を細く作り直すのは不可能ではないがあまりやる気はしない。やろうと思うと、現在の位置関係を記憶するジグを作り、全部ばらして新製する。キャブの妻も作り直しだ。他にも直したいところがあるので最初から作った方が楽かもしれないが、そこまで時間もない。あるいは Lobaugh のボイラを入手できれば、早いだろう。そんなことを考えているうちに2年近く経ってしまった。人生は短いので早く決断しなければならない。
 とりあえず、これはこれで完成させて機関庫に置くべきであろう。

 仕事台の周りが片付くと作業がはかどる。趣味とは云え、時間は貴重である。コンピュータと同じく、空き容量が大きくないと仕事がはかどらない。それから、「部品を入れる箱は透明でなければならない」ことに気がついた。
 部品を探す時間の大半は、「そこにあるのに気がつかない」というところから来る。部品を透明ポリ袋に入れて壁にピンで留めるのは効果的だ。これに気が付いて、金属の缶、紙箱はほとんど捨ててしまった。

 ハンダ付けは最近は90%を炭素棒ハンダ付けに頼っている。これは速いし、省電力である。炭素棒を何通りか用意し、相手によって使い分ける。また、厚いブラス板を机にネジ止めし、その上で作業する。するといちいちアース線をつなぐ必要もない。
 これはアメリカのクラフツマン達が必ずやっている方法である。筆者は2mmの板を使っている。もう少し薄くてもよいが、熱で反るのでこの厚さにした。
 

2011年07月09日

続 仕掛品の始末

1625 もう一つ、工作台の上の邪魔なものは例のUS HobbiesのChallenger である。購入して以来、定盤の上に鎮座して動かない。購入動機がやや不純で、Lobaughのボイラ形状とどこが違うかを見たかっただけである。形としてはLobaugh の方が正しい。当時のKTM設計陣が何を考えて作ったのかを知りたかったのである。

 ボイラ後半はKTMのBig Boy(祖父江氏製造)と全く同じである。ということは、ターレット、砂箱の底面の曲率がビッグボーイと同じであり、ロボゥの部品が使えない。それが心配でばらしてみるまで気が気でなかった。

 ガストーチであぶって砂箱等を外すと、そこにはとんでもないことが起きていた。砂箱の全周をハンダ付けしたため、内部に水が入る余地がなかった。すなわち、フラックスの塩酸が洗い出せない。それが内部に閉じ込められたまま40年経ったので、内部はガタガタに錆びていた。放置すると、錆びで部品が浮き上がってしまう。
 ボイラには洗うための孔が空けてなかった。祖父江氏の製品は、全ての大きな部品の下は水が入るように大きな穴が空けてある。仕方がないのでモトツールで切り込んで、大きな穴を空けた。

 砂箱はLobaughのロストワックス部品を調達してあったので、その底面を大きな丸やすりで少しずつ削って合わせる。場合によっては、軽く木ハンマで叩いて曲率の修正をする。
 
 砂箱をハンダ付けした。この手の大きな部品を付けるには、炭素棒を使うのが早い。太さ1/4インチのカーボン・ロッドを使い、6Vでハンダ付けする。電流は40Aくらいだ。先端がオレンジ色になるが、部品が厚いので融けることはない。この条件ではかなりの一酸化炭素が発生するので、屋外で行う。出力が大きく、かつ集中するのでハンダ付けは30秒も掛からない。全周囲にハンダが滲み出す、最高の仕上がりである。

 砂箱を取り替えるとビッグボーイの幻影は消え、チャレンジャになった。問題はターレットである。どう削ってもはまりそうもない。仕方ないのでUSHの部品を唐竹割りして付け直した。要するに細くしたわけである。

2011年07月07日

仕掛品の始末

 アメリカ紀行ばかりで模型工作の話から遠ざかってしまったが、最近は、大変熱心に工作をしている。

 実は仕掛品などが大量にあって、それがやりたい工作の邪魔になっていることが分かったからだ。それを片づけると工作台の周辺のスペースが大きく空き、工作が進展することになる。

 工作机の周りにある貨車の仕掛品だけで40輌、客車が30輌以上ある。このひと月で貨車の大半が片付く予定である。貨車の仕掛品が多かったのは、例のLow-D車輪の性能試験で同じ型の貨車が30輌要るので、倉庫からキットを選び出して台車、連結器と大まかな外装を付けただけの状態に急遽仕立てたからだ。
 その貨車を並べて、いろいろな曲線の上で抵抗を測定した。発表原稿ができると、工作台の周りの棚等に押し込んだり、工作台に積んだりしてあったので、本来やりたかった仕事の邪魔になった。その状態で1年ほど過ごして、大きな損失になったと感じたのである。

DSC_1627 これらの貨車は同じメーカのものばかりなので、共通部品を同時にたくさん作って並べて工作すれば仕事は早い。1週間で16台を生地完成まで持って行けた。あとは天気予報を見て乾燥した日に一気に塗る。ほとんどが同じ色なので簡単である。

 
DSC_1629 問題は残りの貨車である。全て形式が違うので図面集などを見て検討しなければならず、時間がかかる。特にカブースは面倒である。今、7両のカブースを同時進行させている。全てブラス製なので工作そのものは簡単である。部品がないものは作り、場合によってはロストワックスで量産して仲間に分けることにする。これらのカブースは中古の壊れたものを修理するわけである。何度かやっているが、最近は治すのが面倒な部分は外して捨て、新製する。
 スクラッチビルトに近くなり、もとの部品がどこにあるのかわからなくなってしまう。10ドルで買ったジャンクが新しい命を吹き込まれる。カブースは大破したものが安く手に入り易い。追突事故で破損するからだろう。前後ともつぶれているものが大半だ。

2011年07月05日

続 査読者

 この件で何人かの方からメールを戴いている。私信なので一部を公開するにとどめるが、大体同じことを仰っている。

A氏より
 査読がある、というのは驚きです。載せる記事に責任を持つというメディアの姿勢と理解しました。

B氏より
 dda40xさんが指摘されているように、日本の雑誌のレベルに問題があるのは、投稿された原稿をそのまま載せるという体制に最大の原因があると思います。というか書き手の割に雑誌数が多すぎるのと、コストが低くできて多く売れればよいという雑誌社の姿勢が問題なのでしょうか?

C氏より
 学会誌と同じですね。査読に通れば、それはお墨付きが得られたと同然ですから、大きな進展があるものと思います。…中略… 出せば載るというレベルの低い日本の雑誌とは違うということがよくわかりました。どんな人に査読をお願いしているのでしょうね。

 筆者は、Model Railroaderが世界最大にして最高の模型雑誌たらんとして、努力している雑誌社であると認識している。その世界中に与える影響の大きさを鑑み、慎重であることが素晴らしいと思う。
 
 以前の押して動くギヤも、25年経つと、世界中の色々なメーカが採用していることに気がつく。
 先日のHill氏も、「祖父江氏に頼んで改造してもらった押して動くギヤは素晴らしい。あれも日本人が考えたそうだね。ずいぶん色々な会社で作られているね。」と言うので、「そうですよ。この雑誌です。」と棚の蔵書のMRの旧号を取りだして見せた。「おや、すぐわかるのかね ?」と聞くので、「どこかで御覧になった名前ではありませんか?」と著者名を見せた。
 彼はとても驚き、「どうしてそれを早く言わないのだ。もっと早くに招待していたのに。」と言った。
 MRに載るということは、とても重要なことだと彼は念を押した。

2011年07月03日

査読者

 Model Railroader誌には原稿を送ってあったのだが、事務手続き上の手違いが双方にあって、手紙が届かなかったりしたことがこの遅れの元となった。

 原稿は正当に評価された。しかし、「内容があまりにも重大な部分を含むので編集者の一存では判断しかねる。Reviewer(査読者)にその判断をゆだねたい。」という連絡が来た。確かにこの記事はNMRAの規格にも大きな影響を与えるだろうし、ひいては世界中の規格にも影響を与えかねない。うっかり載せて、それが何かの間違いを含むものであると、大変なことになるからだ。
 査読者がどなたかはよく分からないが、NMRA規格などの責任者であろうと推察する。1月ほど経ったある日、「査読者のApproval(承認)が得られたので、原稿の買い取りの契約書を送る。それに書いてある条件以外の指定事項があれば知らせよ。」と言ってきたので、コンピュータ・グラフィックによるレンダリングや3DのPDFを作ってくれたBunji Izumi氏の名前を載せることなどを指定した。原稿料の振込先の指定もある。

 問題はそのあとのことである。E-mailならば話は簡単なのだが、契約書は紙である。それを送ると言ったきり、待てど暮らせど送って来ない。問い合わせると「送ってある。」とのことだが、来ないものは仕方がない。再度問い合わせている最中に、知人経由でその封筒が届いた。聞けば、その封筒は筆者の20年以上前の住所に送られていた。前回の”Free Rolling Locomotive(押して動く機関車)"の記事を送った時の住所が、Kalmbach社のコンピュータに残っていたらしい。幸い、旧住所には知人が住んでいるので、気を効かせて送ってくれたのだ。

 査読者がいるということは素晴らしいことである。レイアウトの紹介記事、車輌の製作記事などは主観的な記事であって、間違いということはあまりないし、たとえ多少の間違いがあっても問題にはならないだろう。しかし、このような規格に関する記事や、電子工学に関する記事などは査読者が必要だ。前回の歯車の記事も、査読の対象であったようだ。

 翻って、日本の雑誌はどうだろうか。以前電子工学の記事が載った時は、「内容に関しては製作者にお問い合わせください」という編集部の断り書きが付いた記事があったことを記憶している。これは責任放棄も甚だしい。「私たちは原稿をそのまま載せています。場所を貸しているだけなので中身については関知しません。」ということなのだ。金を出してその雑誌を買う人のことを考えていない。これは「横暴」である。

2011年07月01日

”Occupied Japan”

157515741573 ヒル氏は筆者に一台の貨車を持って行けという。上げるから、その素性を調べてくれと言うのだ。それはタンク車で、裏に
”made in occupied Japan" という銘板が貼ってあった。ということは1952年までの製品だ。これは厚さが0.25 mm という信じられないほど薄い板で作られたタンク本体を持つ。薄いからリヴェットの打ち出しはとてもシャープであるが、強く持つとペコンと凹むから注意しなければならない。同型のものは持っているので、安達製作所製であることは疑いがない。

 前回のは下回りが怪しい仕上がりの板金製であったので、それは捨てて新製している。今回のは下回りがダイキャストとの混成で出来がよいのだろうが、ダイキャストが劣化して少し曲がってしまっている。それをばらして捨て、ジャンク箱から同時代の台枠の比較的良いものを見つけ出して、それに振替えた。銘板はそれに付けた。決してインチキをしたわけではない。同時代のものがあったからだ。

 ダイキャストの部分には、ドラフトギヤもある。それをばらして驚いたのは、Thomasのタンク車と同等の構造を持っていたことである。 押し、引きの双方向に緩衝があり、実物の構造をよく知った人が設計していることが伺える。連結器はworking(可動)である。下にぶら下がった部分は初めて見たが、Monarchの系統である。ひょっとすると、カタログ上でしか見たことがない
"ramp operating"かもしれない。

 トーマスの製品と比べてみると、型は異なる。この時代にすでにダイキャスト型を起こして模型を作ろうとした人がいるのである。ダイキャスト部品は、ブラスのランボードに十分にうまくハンダ付けができている。しかも60年以上もの間、間違いなく接着されている。これは意外なことであった。ダイキャスト部品は多少膨張しているが、脆くはなっていない。

 上廻りのハンダ付けはほとんど取れていた。ハンダ付け職人の技量がよくなく、ハンダが回っていない。丹念に外して全面ハンダ付けをした。こうすれば絶対に壊れない。 ドームのハッチはMax Grayの時代のcoining(いわゆるドロップ)の部品をジャンク箱から拾って付けた。曲がった安全弁は形が悪いので捨て、ロストワックス製に付け替えた。その他細かい部品を作って付けたら、立派に見える。いずれ塗装したら写真をお見せする。

 台車は例によってAthearnのデルリン台車である。車輪はLow-Dを装着した。この台車をいくつか持って行ってヒル氏に見せたら、大変強い興味を示した。「私はもう引退したが、これはアメリカ中に売れる。いや世界中に売れる。雑誌に発表しなければ…」と言う。
「Model Railroaderでそろそろ掲載なのですが、少々事務手続き上のミスがあって遅れています。」と言うと、「それなら良い。これはInnovativeな(意識革命を起こすような)製品である。必ず売れるよ。」と言う。

Recent Comments
Archives
Recent TrackBacks
Categories
  • ライブドアブログ