2011年05月

2011年05月30日

続々 Coucil Bluffsの鉄道公園

07390715 この駅はRock Island 鉄道の駅である。RIはUPとは協調関係にあった。ロック・アイランドとはイリノイ州のアイオワ州境にある町である。その名のロック・アイランドはミシシッピ川に浮かぶ島で 、有名な兵器工場がある。
 当初はシカゴのラサール駅とその町を結んでいた。しかし次々の新路線を開拓し、名前をChicago, Rock Island and Pacificと名前を変えなければならないほど大きくなった。SPと結んで大陸横断鉄道の一部となり、メキシコ湾にも通じ、さらにデンヴァまで到達した。このあたりの歴史は椙山満氏に詳しく教えて戴いたので、大体そらんじている。

 0738CB&Q Omaha and Lincoln Club Cars shown in 1961 この車輛はObservation(展望車)の一種でSolarium Carである。この発音はなかなか難しい。ソゥレイリャムで太字の部分を強く言う。窓が大きく、日差しを浴びることができる車輌である。アメリカ北部の鉄道の車輌である。これはBurlington鉄道のものであり、名前は"Omaha"である。一等車で座席ごとにポータを呼ぶボタンが付いているそうである。屋根の大きなダクトは現役時からあったとは思えない。おそらく博物館で固定されてから、空調機器の排気用に付けたのであろう。この種の車輌は夏は暑くてかなわなかったろう。椙山氏が、「よほど太陽の恋しい北の人たちが乗りたがったのだろう。私はお断りだけどね。」とおっしゃったのを覚えている。それから40年、現物を見るのは初めてであった。

0722 この貨車はそれほど珍しいとは思えないし、現役で使えるのにここに置いてある理由もよくわからない。




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 この博物館の近くにはたくさんのクロッシングがある。日本には少ないのでその写真を撮りたい。現物を見ると恐ろしい状態であった。これはHard Centerと言って、硬質で靭性のあるマンガン鋼の鋳物でできている。そう簡単に擦り減らないはずなのであるが、見事に減って、タイヤ全体が当たるどころか、フランジも当たっている。低速で走る区間といえども、これでは脱線する可能性がある。走るのを見ていると台車が大きくねじれて、このひどい線路によく追随している。その点、アメリカの貨車の台車は非常にフレクシブルである。

2011年05月28日

続 Council Bluffsの鉄道公園

0716 この博物館で、探し求めていたものを見つけた。このUPのステンレス製Postal Carである。写真はよく見るのだが、どこにあるのか皆目見当がつかなかった。
 この郵便車は塗装が不要なステンレスなのだが、幕板だけは黄色を塗っている。1967年に全ての長距離郵便が航空便になったので廃車されたのだ。当時の車齢はわずか4年だった。さすがにこの車種は他への転用ができないので、そのまま放置されてしまった。

071907140712 実はこの郵便車は、いずれお見せするが、製作途上である。アルミの押し出しの部材をもらったのでそれを加工してこの形にしようということになった。その部材はリブの多いものであったので、木工用Router(ラウタ)に通して余分なリブを削り落とした。まだそこまでしかできていない。木工用であってもよく注油すればアルミ合金も削れることが分かった。

構成刃先 アルミ合金は削りかすが刃物について「構成刃先」という状態になり、刃先角が大きくなって削れないということになる。だから大量の切削油を流しながら削った。油が飛び散って大変なことになるので庭の真ん中で削った。もちろん作業者はぼろをまとっての作業である。


 さて、もう少し近くに寄ればより細かい写真も撮れたのだが、遠くからでも実物を観察できたのは幸せであった。扉部分の深さとか窓枠の形状等、図面と写真だけではわからないところがあるからだ。数十枚の写真を望遠レンズで撮った。地面から立つ白い柱は、郵便を引っ掛けて置くメイル・クレインと呼ばれるものである。高速走行中にそのメイルを引っ掛けるメイル・キャッチャ、その狙いを付ける風防ガラスなどがよくわかる。この作業は暴風雨・雪の中でも行われた。引っ掛かったメイルバッグは車体側面に叩きつけられるから、その部分にはスポンジ入りパッドが当ててある。白い長方形部分がそれである。機種によってはそれが外にはみ出しているが、これは外装が平面になるようにしてあるようだ。

 筆者のUPのストリームライナ16輌編成は少しずつ完成に向けて進んでいるが、歩みは鈍い。しかし、このような実物を観察する機会があるとやる気が出る。
 全金属製なので、全部で30 kgほどになる。自宅のレイアウトで走らせる分には問題ないのだが、よそで見せるときはどうやって運ぶかが問題だ。その機関車も3セット用意している。各セット平均8 kgもある。

2011年05月26日

Council Bluffs の鉄道公園

 Omaha はUnion Pacific鉄道の起点である。
 カウンスル・ブラフスまではC&NW シカゴ・ノースウェスタン鉄道が伸びてきた。そこからミシシッピ川の支流のミズーリ川を船で渡して、世界最初の大陸横断鉄道工事が始まったのだ。オマハは渡河地点である。
 第二次世界大戦でノルマンディ上陸作戦が行われた時、最初の橋頭堡を作った地点は暗号名でオマハビーチと呼ばれた。それはこの歴史的な事実と無関係ではない。この話は椙山満氏にお聞きしたので、アメリカで色々な人に聞いてみた。正しいそうだ。

Council Bluffs カウンスル・ブラフスにはUP814(4-8-4)が置いてあった。その場所(Dodge Park内)は、現在は高速道路の新しいインターチェンジになってしまって見ることができない。2002年にそこを訪ねたが、ゴルフ場のはずれの実にさびしい場所であった。

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 Big Boyを移動させると同時に、このUP814も移動させられた。移動先はRock Island鉄道の駅の跡である。もう50年も雨晒しでかなり惨めな状態ではあるが、日本の気候とは違うので錆びは少ない。囲いの中にあり、冬季は中に入れないので外からかなり無理して写真を撮った。

 現役時代の写真はここにある。この機関車はかなり初期にセンティピード・テンダに振り替えられている。このテンダがどこから来たのかということははっきりしていない。

2011年05月24日

続 Omaha の鉄道公園

Big Boy and DDA40x この公園はUPの経営者であったKenefick 氏の功績を讃えて作られた。現在のUPの盤石の基盤は彼によって作られたと言ってよい。



06640662 I-80を見降ろす丘の上にあり、東から見ると2台の巨大機関車がせり出していて、かなりの迫力だ。Google Earthでは古い写真しかないのでその位置を知ることができない。しかしStreet Viewにするとピンボケだが、その様子がわかる。

 行った日は日差しがない、とても寒い日であった。14mmレンズを用いて、引きのない場所でも十分に全体を収めることができた。画角114度の超広角レンズである。

06660677 Big Boy はもともとCheyenneにあったものだ。
 
 のちにオマハの旧Kenefick公園に移動して、10年ほどが経った。その公園は新しいコンヴェンション・センタとなるので新たな移動先を作らねばならなかった。I-80を見降ろす丘が適地ということになり、それを超大型トレーラに載せて、運んできた。よくもこんな足もとの悪い丘の上で吊り上げられたものだと感心する。この機関車は将来走行することがあっても良いように、全般検査を終えてから保存されたので整備状態は良い。タイヤも減っていない。しかしもう二度と走ることはないだろう。
 オイルポンプの駆動チェインが外れているのは残念だ。このチェインは意外に太い。一部の本には自転車用と書いてあるが、それは間違いである。

0704 DDA40Xもクレーンで吊り上げた様子がこのサイトにある。




Big Boy and DDA40X at Omaha Station 上の衛星写真中、”Big Boy and DDA40X”とある部分を拡大すると、このような光景がある。この写真はやや古い写真であり、公園ができるまでここで待機していたことを伺わせる。

2011年05月22日

Omaha の鉄道公園

Fargo NC DM&IRを堪能して北西に向かい、North Dakota州に向かった。どうしてもこの北辺の地を踏みしめてみたかったからだ。大雪で前も見えない状態であったが、除雪車の後を付いて真夜中に着いた。

 朝起きたら気温は−25℃であった。雪だらけで何も写真を撮れなかったが、貨物列車が頻繁に行き来していた。
この小さな町には駅が二つある。NP駅とGN駅である。後者は今でもAmtrakの駅として機能している。

 この町の東にNPとGNが交差するところがある。写真を撮りたいものだと思ったが、寒さと雪で不可能であった。
筆者のNorth Dakotaの体験はそれだけである。シカゴの友達に、「ノースダコタに行ったのだ。あそこに行ったことがなかったから、行って良かった。」と言うと、「アメリカ人でノースダコタに行った奴などほとんどいないよ。」 ということであった。

 そのあと雪晴れのサウスダコタを抜けて、一路ネブラスカ州オマハに向かった。この町には何度も行っているが、新しい鉄道公園が出来たという情報を得て、どうしても行ってみたくなったのだ。そこにはBig Boy と DDA40Xが置いてある。

 近くのモーテルに泊まり、朝一番にその場所を探り当てた。GPSの威力には感服する。新しい場所なので、内蔵の地図には載っていないし、道も表示されない。しかし住所を入れるとその場所が表示される。行ってみると新しい道ができて真っ直ぐ行けることが分かった。

2011年05月20日

閑話休題 新しいカッタ

折るセラS折るセラS2  実物の鉄道の話が続いた。この間ホームセンタに行ったところ見かけない刃物が置いてあった。曰く、一般カッターの50倍も切れ味が持続するというセラミックナイフを売っていたのだ。商品名は「折るセラS」、あるいは”OLCERA S”である。購入価格は980円であった。

 試しに買ってみた。確かに良く切れるがそれが大きな差を生むような場面には遭遇しなかった。筆者は紙工作はしないので窓抜きなどに使ってその差を実感するということもなかった。

 先日アメリカに行った際、スポンジで作られた車体点検用の台を購入した。友人がそれを必要としているのでそれは譲り、自分の分をなんとか調達しなければならなかった。もちろん買えばよいのだが、体積は大きく、しかも重量など無きが如きもので、そんなものを送らせると箱代とその送料がかなり掛かる。行ったときに買えばよいが、どこでもすぐに手に入るとは限らない。作るにしても、ほどほどの硬さのスポンジが手に入るとは限らないので困っていた。

DSC_1485 偶然、見つかったスポンジが手触りも良いのでこれで作ろうということになった。たくさん買い溜めしてあったオルファ・カッタの刃を取り替えて切り込んでみたが、スポンジというものは本当に切りにくいものだ。四苦八苦しているうちに、この「折るセラS」を思い出して使ってみた。
 素晴らしい切れ味である。サクサクと切れてあっという間に出来上がった。

 定性的な感想だが、鋼製の刃は刃先に目に見えないささくれがあるように感じる。微妙にひっかかるのである。
これはカミソリも同じである。ところがこのセラミック刃はひっかかリを感じない。スッ、スッと切れる。
 ゴムも切ってみた。ゴムほど切りにくいものはないが、これはよく切れる。摩擦が少ないからであろう。

 面白くなって、カレンダの紙を切ってみた。この種の艶のある紙は繊維の隙間に Filler という鉱物の粉末が充填(じゅうてん)してある。フィラは紙の繊維よりはるかに硬いので刃が傷みやすい。延べ数十メートル切ってみたが、切れ味は衰えない。素晴らしい!。
 同時に鋼刃物も並べて使ってみたが、約3メートルで切れ味が劣るようになった。今まで折りながら使ってきたのだが、この刃物は折る必要がほとんどなくなったと言える。
 大型の方にはダイヤモンドの研ぎ器が付属しているから、それを使えば半永久的に使えるかもしれない。

 科学技術の進歩はこのようなところにもある。


[後記] 閑話休題の意味であるが、「話を元に戻して」という意味である。 このブログは鉄道模型工作を中心に進めてきた。「最近は実物の話ばかりでつまらない」というお話をよく伺う。たまには工作ネタを入れようということになって、「本筋に戻す」の意味で使ったのである。複数の方からこの使い方はおかしいのではないかという問い合わせがあったが、そのような経緯があったのである。

2011年05月18日

Proctor のM3

DM&IR M3 Duluth方面からProctorに向かう途中、左手に突然この機関車は現れる。近所ではだれでも知っている有名な場所らしい。しかしここにあることを筆者は知らなかった。
 シカゴの友人が「Duluth に行ったら、ちゃんと3台見て来いよ。全部見なければ意味がない。」とアドヴァイスしてくれ、Google Earth で確認していった。「プロクタの機関車が一番写真を撮りやすいから、これを最優先で行け。」とも言ってくれた。
 
 高校の時読んだ徒然草に 、「仁和寺にある法師」という話があった。だから、どんなことでも地元の人の意見は聞いておくべきだ、と思ったのである。今回は彼の意見を100%受け容れて、その通りにした。ただし見た順は逆になった。

0585 ドゥルースの博物館のライヴスティームを見て気になるところがいくつかあったので、写真を撮り、ここで照らし合わせてみた。作者はこの機関車を完璧に縮小したことが分かった。何もかも実物通りになっていた。このような目的には現代のディジタルカメラは役に立つ。LCD画面に映し出して拡大すればよいのだ。この写真の煙室脇に4つ付いた斜めにたくさんの線が入った箱状のものがある。これはコンプレッサから排出された高温の空気を空気溜に送る前に冷やすためのもので、いわゆるアフタ・クーラである。近代機には蛇のようにうねった管ではなく、このようなものが付けられるようになった。これは鋳物製で表面積を大きく作ってある。現物を見るのは初めてだ。例の模型も全く同じ形に作ってあった。
 また、ラニングボードも少々変わったスノコ状になっているが、それもきちんと作られていた。

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 本当に大きな機関車である。動輪径は63インチ(1600 mm )で重量貨物用である。大きな引張力を必要とする低速使用が目的である。Big Boyのように本線上を高速で走ることができる機関車ではない。
 例のアスベスト騒ぎでボイラ・ジャケットが無くなってしまったのは寂しいが配管の様子はよくわかる。

 厳冬期、すべてが凍りつく期間だけ、Denver Rio Grande & Western 鉄道が借り受けていたことがある。3000mの峠越えの機関車としてである。粘着力が大きくその威力を遺憾なく発揮したそうである。 

2011年05月16日

Proctor の扇形庫

Proctor ドゥルースの西、数マイルにProctorという町がある。これはDM&IR鉄道の機関区のあった町である。ここには今でも扇形庫が二つ残っている。一つはかなり小さく、相当前に廃止されたものであるが、もう一つはターンテイブルが現役である。これにYellowstoneクラスが載って回転したのだ。Google Earthの日本語版の地名はよく間違っている。この写真上のプロトコルというのはかなりひどい間違いだ。コンピュータ用語であるから、どういう仕事の人がこの間違いをしたかはすぐわかる。どなたかがこの会社に指摘してくださって直るとありがたい。

P628P630 その扇形庫まで行ってみた。凍てついていて誰もいないと思ったが、煙突から煙が出ているので、誰かが作業しているのだろう。車から降りて写真を撮ると咎められる可能性があったので、低速で車を移動させながら窓から写真を撮った。扇形庫の線路は外してあったが、ここにM3、M4がゴロゴロ居たと思うと感慨深い。さぞかし凄い光景であったろう。転車台はWorking Order(稼働可能状態)である。

 上述のように、プロクタの町は鉄道の町であり、住民の鉄道に対する思い入れは強い。DM&IR鉄道が蒸気機関車を全廃したとき、住民の強い要望で一台の機関車が街道沿いの丘の上に展示されることになった。

2011年05月14日

メサビ鉄山

Mesabi Iron Range メサビという綴りはいくつかある。原住民の言葉を移し替えたので、最初にローマ字で表記した人の母国語が何かということも大きなファクタである。少なくとも、Mesabi, Missabe, Mesabaの三種があり、他にもある。昔、とれいん誌で松本謙一氏がミッサべと書いたが、現地の発音からは程遠い。メビ、セイブ、マバと聞こえる。太字を強く発音する。メサビのメは、口を開いてマの音に近くなる人もいる。

 メサビ鉄山は第二次世界大戦のときに多量の鉄をアメリカに供給したが、その時良質の鉄鉱石は大半運び出された。その後見学に行ったときにはタコナイトに切り替えが始まったところであった。
 タコナイトは磁鉄鉱という鉱物を20%ほどしか含まぬ貧鉱石で、粉砕して磁力選鉱しなければならない。この操作には多少のエネルギは必要だが、割合簡単な工程である。こうして純度を上げた磁鉄鉱は微粉であり、直接高炉(熔鉱炉)に入れるわけにはいかない。高炉の中には通気性が必要で、鉱石はある程度の粗粒でなければならない。その隙間を還元性ガスが通過しなければならないからだ。細かい粉を入れるとそれが詰まってしまい、機能しなくなる。

 したがって、その磁性を持つ粉状鉱物にバインダと呼ばれる接着剤になる物質を入れ、焼結して直径半インチ(12 mm)ほどに形成する。これを五大湖の南岸にある製鉄所に送って冶金(やきん)する。

05990604 この鉱石列車を写した。数は数えきれなかったが、150輌以上あったことは確かだ。望遠レンズで撮ると湯気が見える。鉱石は熱いのだ。一次精錬所から出荷されるときにはかなり熱いものだということははっきりした。

 この貨車の上には囲いが増設されている。タコナイトに切り替えられて、密度が以前より下がったため、同じ許容荷重でもより多くの嵩(かさ)があるためだ。これらの貨車の寿命が尽きて新車になれば、容積が変更された貨車が用意されるであろう。

2011年05月12日

Live Steam の M3

05790578 この鉄道博物館で思わぬものを見ることができた。それは1/8サイズ(1-1/2インチスケール)のM3である。個人が30年以上の時間を投入して作り上げた実物の完璧なスケールモデルである。
 全ての部品が実物を完全に縮小して作られている。気になるいくつかの部品を実物と照らしあわせて見たが、間違いなくできている。

05820583 この機関車を運ぶトレーラが素晴らしいつくりだ。プレキシグラスの防塵ケースである。機関車の質量は1.2トンもあるから、2軸車で運ぶようになっている。カブースも美しい。
 素晴らしくきれいで、走らせた形跡がないように見えたが、タイヤには走らせた痕跡があった。

 発電機も2つ付いて、たくさんの電球を光らせるようになっている。アメリカの近代機は走行中にラニング・ボード下とかキャブ下に点検燈があるが、それらは常時点灯である。

 この機関車の実物は現存している。それについては後述する。 

2011年05月10日

続 Duluth の鉄道博物館

0566 このYellowstone型機関車の動輪は観客がボタンを押すと回転する。レイルとの間を5mmほど空けて支えてあり、電動モータで駆動される。もちろんロッド類は全て連動する。下を覗きこむのは大変であったが、軸箱を支えているようだ。当然、ばねやイコライザは作動してつりあっている。5mm程度なら、イコライザの姿勢に大きな変化はない。メインロッドの厚さをご覧戴きたい。

056105620563 このOre Carは今から100年以上前のものである。50トン積みで180輌編成とある。車長から車輪がはみ出している。この会社は、線路有効長になるべくたくさんの貨車を詰め込むため、このような設計方針を取っている。今でもそうである。
 鉄鉱石は重いのでこのような小さな貨車でも十分に重い。速度を出すことは禁止され、30マイル/時(約50 km/時)程度に制限されていた。

05750574 この博物館にはNorthern Pacific鉄道のラッセル車、ロータリィ雪掻車が置いてあった。どちらも木造で風情があった。ラッセル車は中に入れる。このような木造車で雪の中に突っ込むのはかなり勇気が要ると感じた。

057005710572 内部はこのような具合で、警笛、フランジャ下げ用のヴァルヴがあった。室内にはその大きなシリンダが据え付けられている。下げるときは空気圧で、上昇はバネである。椅子の支えが薄い(1/4インチより薄い)平鉄板で支えてあるのは不思議だ。いくら木の板で横から支えてあるとはいえ、座屈しないか心配である。縦を木で、横を鉄板にすべきであると思った。

2011年05月08日

Duluth の鉄道博物館

05870545 Duluthの旧駅がそのまま鉄道博物館になっている。駐車場の高さから内部をのぞくとNPの客車などがたくさん置いてある。向こうの尖塔のついた屋根が駅本屋(ほんおく)である。


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 ここにはDMIR 2-8-8-4のM-3が在る。屋内でとてもきれいだと聞いて行ってみた。残念ながら何らかの修復工事中で、シートがかぶされていた。機関車をたくさん配置しているので隙間が狭く、あまり良い写真はとれない。14mmレンズを持って行ったのは正解であったが、照明が直接入り込んでしまいフレアが出る。画像が不鮮明であるのはご容赦願いたい。中にはフラッシュが光ったものもあって、余計に反射が入り、良くない。

055905560554 キャブは大きい。どうしてこのように大きなキャブを付けたのかは分からない。どう考えても京間の6畳くらいはある。火室内を覗くと、この時期の巨大機にはつきもののサイフォン管というよりもサイフォン板がぶら下がっている。そこに煉瓦アーチを載せているのだ。火室の面積は七畳半くらいある。ストーカで石炭をばらまくのだが、大変な作業であったと思う。

0558 運転室の窓から前方の展望はこんなものだ。まず何も見えない。走っていたところは草原で人家もないところであるから問題がなかったのだろう。

2011年05月06日

Ore Docks

Two Harbors05290525 このOre Dock なるものの写真はよく見るし構造も理解している。しかし現物を見ると、凄い!の一語に尽きる。長さは1300ftである。それはデッキの部分だけの長さを表す。
とにかく大きい。航空母艦より長さも高さも大きい。貨車は24ft程度の短いものを用いているから50台くらいは載る。長い貨物列車を切り離してその程度の長さにしてドックに移動する。ドックの設置場所は地形を選んであって、仕事量が少なくなるように設計されている。
 貨車の底板を外して鉱石を落とし込む。鉱石を受ける部分はHopper と呼ばれる。それにある程度貯めておいて、船を横付にする。そしてシュートを下げて鉱石を積む。合理的な方法として過去100年以上採用されてきた方法だ。これも昔は木造だったそうだ。
 写真を撮っていたら鹿が居た。近寄ると逃げるが、人を恐れるようでもない。

Duluth Harbor 中学校で習ったメサビ鉄山の話を思い出す。ダルースから船で運ぶとあったが、このあたりには、オアドックがたくさんある。Duluthの他にこのTwo Harborsも大きな積み出し港である。ダルースという音は間違いである。地元で聞いてみるとドゥルースである。
 ドゥルースの郊外にはもう鉄道では押し上げていないオアドックがいくつかある。このごろはベルトコンベアを使っている。

0477 これはその郊外にあるものである。もう使っていないのかもしれない。木造のように見える。



0479 この船はその近くに停泊して内部の修理をしていた。いわゆるLakerである。巨大な船だ。7万トンクラスである。かなり古いが塩水ではないので船は長持ちする。また、大嵐に見舞われることもないので、船自体の強度は小さくてよく、長寿命となる。これは穀物運搬船のようだ。長さは1000ft(300m)である。



2011年05月04日

Two Harbors の DMIR M-4

0483 Minneapolisの次は鉄鉱石の積み出し港Duluthを越えてさらに30kmほど行ったTwo Harborsという町にDMIRの主力機2-8-8-4 M-4 を見に行った。これはGoogle Earthのおかげで場所を割り出せた。港の正面の旧機関庫の延長上にある。昔はここが駅になっていた。駅の建物は残っている。
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 一応屋根が掛けてあるので傷みは少ないが、あまり良い条件ではない。内陸で、海から塩が飛んでこないのでさびは少ない。

05210523 望遠レンズで遠くから撮るとこんな具合だ。大きな機関車である。この機関車が鉱山から160輌もの重い鉱石列車を牽いて港まで来たのだ。

0514 港には巨大なOre Dockが3本ある。この長さは450mほどだ。

2011年05月02日

Minneapolis の鉄道博物館

0618 この博物館の外見はこんな様子である。水タンクは木製で、下のほうが水圧がかかるから締める金具の間隔が狭くなる。3月初旬でも雪は多く、気温は−5℃程度であったが、日が差すと+5℃くらいになった。


06100611 次はJackson Street Roundhouse という交通博物館に向かった。GPSのおかげで最短距離で移動できたのは良いが、閉まっていた。これはGreat Nothern 鉄道の施設を利用したもので、稼働する転車台が売りである。事前の予約が必要なのを知らなかったのは大失敗である。昔懐かしい、Greyhoundの流線形バスが置いてあった。最近は久しく見ない。70年代にこれであちこち旅行したことを思い出す。

0612 その向こうにNPのCabooseがある。これはAmbroidの木製キットにある。内野日出男氏も作られたキットである。NPのノーザンの記事にも小さく写っている。アンドルーズ台車を付けているのが珍しい。もちろん板バネ仕様である。

06500656 ミネアポリスはミシシッピ川でセントポールと隔てられている。冬は凍っていて水面は見えない。とにかく寒いところだ。
 LRTもあり、かなり利用客が多い。正直なところ、ミネアポリスがこんなに大きな街だとは知らなかった。全米で13番目の大都市圏だそうだ。


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