2010年09月

2010年09月29日

続 再度ロストワックス鋳造

 このエンジン・フッドは15ドル以下である。失敗したらまた買えばよいと思っていた。むしろ、ファン・ガードとかラジエータ・グリルが高い。
 
IMG_2274 今回は一本のフラスコ(埋没材を入れる円筒)にこのエンジン・フッドだけを入れた。埋没材が割れ難い様に、外側の肉を厚くする必要があったからだ。
 入念に脱泡して、焼成温度に至るまでの時間を十分長くした。多分大丈夫だと思ったが、埋没材を落としてみると沢山のフィン(ひれ)が出来ていた。フィンは外側だけに生じた。内側は何の傷もない。
 ファンガードが付く丸穴の部分はつないでいるところが細いので、ロウで肉盛りして太くしてある。太くしないと湯流れが悪いからだ。
 見えないところなので、あとで削ってやればよい。

IMG_2346 結論としては、ABSは小物以外は避けるべきである。ポリスチレンであれば、かなり大きなものでも問題ない。
 フィンは意外と薄いものであるから、根元の部分を切れ味の良い刃物で切り落すと痕があまり気にならない。もちろん、ダイヤモンド砥石でその周りを削って、全体を滑面にすることが必要である。
 ファン・ガード一つとラジエータ・グリルの湯流れが悪かった。それは再度製作ということになった。

IMG_2258IMG_2272 これは千手観音のように沢山のパーツを付けたツリィである。フラスコに入れてから、上から覗き、フラスコへの距離を保っているかどうかを確認する。左の写真の右下に付けてあるファン・ガードは湯流れが悪く失敗した。
 湯口からの深さが足らないので、圧力が掛からなかったのだろう。
 

2010年09月27日

再度ロストワックス鋳造

IMG_2249IMG_2248 今回のテキサス行きの目的は、前回やり残したABSプラスティックのボディ・シェルをブラスに置き換えることであった。



 このエンジンフッドは AtlasのSDP35 である。実は何年か前に、CLWのSD35を友人から売り付けられている。それは初期のものでエンジンフッドの出来が良くない。
 UPにはSDP35が何台か居た。写真は撮っていないが見たことがある。それを作ることにした。資料を集めたが、その程度の資料ではエンジン・フッドをすべて自作してもあまりよいものが出来るとは思えなかった。
SDP35 ちょうどうまい具合にATLASが新製品を出し、それを見るチャンスがあった。そこそこの出来であったがブラスではない。機関車は全てブラス製というポリシィから外れるので、パーツとしてボディシェルだけを買った。ところがそれはABS製であった。DennisはABSをうまく焼く自信がないと言って前回はあきらめた。今回、「新しいインヴェストメント(埋没材)を手に入れたのでやって見るか?」という誘いがあったのだ。「出来は保証できないが、やって見よう」ということになった。

 ABSの流動点はポリスチレンより高い。すなわち、加熱しても融けずに熱膨張するだけの状態が続く。その間に埋没材が割れる可能性がある。また、ABSはアクリロニトリルを含むので焼くとススが残り易い。焼成中に十分酸素を供給して燃やしてしまわねばならない。

 埋没材が割れると融けた金属がその隙間に入り込み、Fin(ひれ)状の飛び出しができる。凹んでいるわけではないのだから、修正は可能だが、あまり綺麗には直らないだろう。

 とにかくやって見ようということになり、出掛けて行った。

2010年09月25日

続々 Lorell Joiner 氏のレイアウトを壊す

 Joiner氏のレイアウトの特徴は視点が「模型車輌の高さ」にあることである。要するに、現在のレイルスコープの登場を見越していたことである。
 
 ジョイナ氏は大学では電子工学を専攻し、軍隊では最先端の電子機器の試作をしていたという。信号装置は当時としては考えられる最高のシステムを採用していた。彼はPCの無い時代に信号機用の記憶装置を自作した。信号が順次変化していく様子を見せられて、とても驚いたことを覚えている。

「今のカメラはまだ大きいから…」と小さなカメラの出現を待ち切れない様子であった。
 
 トンネルはもちろん、高架線の裏側(下側)まで本物と同じように作られている。建物の内部の壁も正確に作り、照明は奥の部屋から漏れて来るようにも作られていた。
 ポイントを切り替えると、信号所の内部の表示装置のランプの点灯状態が変わった。もちろんウォーク・アラウンド方式であった。

 枚挙にいとまがないが、全ての面で当時世界中に存在していたいかなるレイアウトよりも、実感的で緻密なレイアウトであった。ある程度は予想していたが、その規模が大きく、どこにも手抜きがないことに驚いた。

 車輌はどれもゆっくり走り、ひっかかリがない。どの機関車も十分な補重がしてあり、レイルの継ぎ目でドスドスと音を立てて走った。ただし、列車の長さは30輌弱であった。筆者が80輌以上牽きたいと言うと、「そうするにはこのレイアウトを4倍以上大きく作る必要がある。」と言った。
 実はそうするつもりがあったらしい。「いずれ、大きなレイアウトを作ったら…」という話が出た。
 
 2005年頃、再訪問の話もあったがタイミングが合わず実現しなかった。

 ジョイナ氏は、金持ちにありがちな傲慢さが全くない紳士であった。誰に対しても親切で、礼儀正しかった。
 彼は、鉄道模型が何たるか、の一つの正しい回答を作った偉人である。

2010年09月23日

続 Lorell Joiner 氏のレイアウトを壊す

 以前にもトンネルの話を書いたが、入口のみならず全長に亘って内部を作った人は稀であろう。
 昔のトンネルは、ほとんどが直線であったから、たとえ内部で脱線してもそれほど問題ではない。むしろ、脱線するような列車を走らせるのが間違いであるということである。

 先日栗生氏の掲示板でFresnoのOゲージレイアウトの車上からの眺めをYou-Tubeにupしてあるのをご紹介戴いた。それを見ると、トンネルの内部は入り口だけが作ってあり、それより内部はがらんどうであるのが分かる。
 それを正直にupしてあるので興冷めである。ここは、編集して真っ暗にしてしまうとか、あるいは片方だけ作っておいてそちらを写すなどの工夫が必要であろう。

IMG_2302IMG_2301 この調子でレイアウトを完全に取り壊した。屈強なデニスも少々バテ気味である。右の人はJakl氏である。遠いカリフォルニアからやって来て、大きなトレーラを借りて帰ったそうである。残骸はこのコンテナに4杯あったそうだ。

IMG_2300IMG_2309 奥方達も手伝いに来ている。ジェイクル氏の奥さんのエリザベスは埃のせいで体調を崩し、デニスの家で奥さんのキャシィの世話になって休んでいた。
 
 それを聞いて、筆者が "Model railroading is fatal.(鉄道模型は致死的である)"と言うと、”It really is!(本当にそうだ。)”と大笑いした。
IMG_2314IMG_2303IMG_2317 壊す前と外した建物群である。この扇形庫は本当に素晴らしい作りだ。内部がこれでもかと言わんばかりに作り込んである。普通の人には、到底到達できないレベルの作品である。
 台枠はご覧の通り、2x6材で組んである。普通は1x4で組むものである。

2010年09月21日

Lorell Joiner 氏のレイアウトを壊す

 ジョイナ氏のレイアウトは、1985年に祖父江氏と訪問した。その時でさえも、その完成度の高さには舌を巻いたが、その後の5年位でストラクチュアの数が倍増し、都市の複雑な形が完成した。
 その後、ジョイナ氏は模型界で最高の栄誉をいくつか受け、全米一のレイアウトの製作者としてその名は轟いた。
 決して人を雇わず、全て自分で製作したのは賞賛に値する。財力がある人は人を雇うことを考える。しかし、彼は完全主義者であって「雇った人間が自分より能力があるとは思えない。」ので、建物もすべて自分で作ったのだ。
 ジョイナ氏は建築家でもあるので、要点は完全に押さえてある。

 その後、年月が経ち、彼は豪邸に一人で住むようになり、生活は荒れた様だ。
糖尿病で入院することになり、財産の処分を始めた。レイアウトを含めて不動産を売ることも考えたが、それは実らなかった。新しい持ち主はレイアウトが要らなかった。……そして、ついにレイアウト最後の日がやってきた。

IMG_2313 テキサスとカリフォルニアの友人にレイアウトを壊すように頼んだ。業者に頼むと、パワーショベルで叩き潰してしまうので、その前に趣味人による運び出しを依頼したのである。



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 ここにある写真はそのプロセスの一部である。レイアウトはプラスタで固めてあり、その量は8トンもあったそうである。
 壊すのに2週間も掛かったという。ほとんどのストラクチュアは基礎部分の2x6材に固着されていてストラクチュアだけを外すわけにはいかなかった。
 この扇形庫は、基礎部分をレシプロ・ソウで切っておいて、タガネでプラスターを割ってとり外したそうだ。この部分だけでも90kgもあったそうだ。
 これらの写真はデニスの許可を得て複写した。


IMG_2560 先日の写真には、未掲載分も含めて、たくさんの御答を戴いた。正解はトンネルである。ジョイナ氏はトンネルの内部も手を抜かなかった。紙管を縦割りにして接着剤で合板を貼り付け、目留めしてから、内部に煉瓦の模様の紙を張ってから、天井部に照明の取り付け穴を付けた。電球は低電圧で点灯し、うす暗かった。実に実感的で驚いた。
 不思議なのは接着剤である。スーツケースに押し込んで帰国したが、割れなかった。時に補強もない接合であって、割れても不思議はなかった。非常に強固な結合である。
 わがレイアウトにジョイナ氏のレイアウトが、ごく一部ではあるが移設されることになる。 

2010年09月19日

続 Dennis のレイアウト

IMG_2240IMG_2238IMG_2239 これらのストラクチュアはデニスの作品ではない。Lorell Joiner氏のレイアウトから貰ってきたものだ。

 ジョイナー氏は死の数か月前、デニス達を呼んで、レイアウトを壊すように頼んだ。それは素晴らしいレイアウトであった。たくさんのストラクチュアが重なり合い、何とも言えない実感を醸し出していた。全ての建物は電灯が点灯し、視点を下げて見ると、そこには本物の世界が再現された。

 しかし家庭の不和、病気がその素晴らしいレイアウトを壊させたのだ。何を持って帰っても良いと言われたそうだが、実際にはほとんどのストラクチュアははがし取るのが困難であったそうだ。ほんの1割程度が完全な形で外された。これらはその一部である。

 よく見ると、一つずつの建物はそれほど精密に作られているわけではない。しかしそれらが重なり合うと、あの素晴らしい景観が出来るのである。
 ジョイナ氏は天才である。これはデニスと意見が一致している。他所でよく見るのは一点豪華主義である。レイアウトはそれでは駄目なのである。ほどほどの細かさのものがたくさんあることが必要である。その匙加減がジョイナ氏の場合、特別に優れている。

 先回の答は次回発表させて戴く。

 

2010年09月17日

Dennis のレイアウト

IMG_2334 二年ぶりの訪問である。いろいろなところが進捗していて見せたくてたまらないのだ。その気持ちは良く分かる。側線部分をほとんど外して敷き替えていた。より楽しい運転が出来るようになっている。



IMG_2231IMG_2232 ターンテイブル周りの線路も全て敷き替えられていた。給炭台、給砂機の位置も変化していた。この辺りの線路は未完成であったが、かなり面白い配置になる予定だ。


IMG_2234 本線上にこのようなティンバ・トレッスルがある。カーヴした線路は、ちゃんと正しく敷かれている。「そんなこと当たり前だろ。」とのことである。



IMG_2237さてこれは何であろう。
  

2010年09月15日

続々 Mike Wilson 氏を訪ねて

 Mikeはこのレイアウトを作るにあたって、どの都市を再現したかは不明である。決めていないと言っている。
 その理由はいくつかある。好きな機関車を走らせるためのレイアウトであるから、特定の場所に決めると無理が生じる。
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 UPの9000(4-12-2)やPennsyのGG-1、N&WのClass Jなどが一堂に会するわけだから仕方ない面もある。

 しかしこのどちらのMikeも熱心である。毎日決まった時間、レイアウト建設に邁進する。休むことなく続けられているので、必ず進む。
 口先だけではなく、目に見える努力を毎日続けるのであるから、大したものである。しかもその手順が理論的で的確である。
 この二人のレイアウトの進度は大体同程度である。だからこそ手を取り合って、競争しながらも助け合っている。

IMG_2224 この写真を見ると、屋根を外して二階を増築した様子がよくわかる。

2010年09月13日

続 Mike Wilson 氏を訪ねて

IMG_2210 Mikeはライオネルのコレクタでもある。この部屋の中央部にはライオネルのレイアウトがあり、楽しく遊ぶことが出来る。  




IMG_2213 スケールモデルを楽しんでいても、ライオネルにはまた別の楽しさがあるのだ。子供のころの楽しさを何時までも忘れないようにスケールのレイアウトの下段に10坪ほどのレイアウトを作った。



IMG_2220IMG_2221 この制御盤の中を見ると想像を絶する量の配線であった。最近はライオネルもDCC化されるようになったので、もしDCC化すればこれらの配線はほとんど要らなくなるはずである。


 筆者はスケールモデルしか楽しんでいないが、余裕があればライオネルも欲しかった。何回かライオネルの購入チャンスはあったのであるが、そのチャンスを逃し続けている。子供の時代に出会っていたらきっと今でも持ち続けているであろう。その点、日本の三線式Oゲージはただ走るだけのもので、材質の点でも合格点が与えられない。逆転機さえ無かったのだ。後で付けたが、作動は不完全であった。
 持っていた車輌、線路等は全て処分したが、今思い出してもあまり面白くないと思える。
 



2010年09月11日

Mike Wilson 氏を訪ねて

IMG_2208 Mike Wilson氏はごく普通の住宅地に住んでいる。平屋だったのを屋根を外して二階を増築したという。その工事は5日で終わったそうだ。
 それは2x4住宅ならではであろう。屋根のトラスをつないでいる金具を切り外してクレーンで吊り上げれば屋根は外れる。それを地面に置いておき、2階を作って載せればよい。日本ではその屋根を置く場所がないから、そんなことはできない。
 しかしこのような増築はアメリカでもまず聞かない話だ。一般的にはその住宅を売却して別のところに建てる方が安くつく。よほどその土地に執着があったのだろう。

 その2階は70坪ほどの柱の無い空間である。とにかく広い。その中心部にライオネルのレイアウトを置き、周りをOスケールが走っている。このレイアウトの設定は都市部の複線区間である。
IMG_2219 高架部の下は有効高さを稼ぐために3/4インチ(19mm)の角パイプを梁にして支えている。とても丈夫で人が歩いても平気だそうだ。全体にバラストを撒いて重列車の走行を想定している。



IMG_2212IMG_2217 本線は一部複々線になっている。この立派な道床には恐れ入る。レイルは丹念にタイプレートを敷きながら一本の枕木に4本のスパイクで留める。

2010年09月09日

続々 Mike Ross 氏を訪ねて

IMG_2198 全ての路盤の支え(Riser と言う)には、穴が開けられていて、電線が通してある。
 この電線をFeederという。日本語では饋電線(きでんせん)という。
Bus Wireという言い方もある。バスワイヤという発音である。バスという言葉の意味は「乗り合い」からきている。いくつもの細かく分かれた区間にまとめて給電しているという意味である。
 ところで、日本の現場では電車の高圧引通し線をブス・ケ−ブルという。おそらくドイツ語から来た音と英語が混じり合ったのであろう。家庭にもある配電盤の中の太い銅の棒状の給電板はブス・バーと言う。横でご婦人が聞いていると、差別用語として訴えられるかもしれない。

 レイルは鉄(鋼)であり、レイル・ジョイナでつないではあるが、電気接続は不完全である。したがって、全てのレイル一本ごとにフィーダを接続してあるのだ。要するに、力学的な接続はジョイナによるが、電気的な接続は期待していないということだ。この饋電線の断面積は2.6平方ミリであった。もっと太くても良い。筆者のレイアウトは、これほど大きくもないが、5.5平方ミリを用いてある。電気工事店のクズをもらってきて使った。買うと高いものであろう。

 この鉄レイルは電気抵抗が大きいという人が多いが、それは間違いである。洋白レイルより、よほど電気抵抗が少ない。また、ニッケル合金は例外なく電気抵抗が大きいので、本来はレイルの材料としては不向きな材質である。使うのならば、饋電線からの給電ポイントを極端に増やす必要がある。
 抵抗値の大まかな数字を挙げると、銀、銅は鉄の1/6、ブラスは鉄の2/3、洋白は鉄の20倍以上でニクロム線より電気抵抗が大きい。こんな材料をいつまで使い続けるのであろうか。
 以前にも述べたが、鉄レイルが錆びやすいというのは条件次第である。窓が無いエアコンの効いた部屋では鉄は錆びない。我が国でも、もっと鉄レイルを使用する人が増えると良いと思う。鉄タイヤとの組み合わせは牽引力の増大にもつながる。
IMG_2201 マイクはまだDCCに踏み切っていない。これについては皆に散々に言われている。「いずれ…」とは言っているが、まだその気配がない。乗り込んで行って、強制的にやるしかないだろうと思っている。
 DC方式では、交差部の配線がややこしい。この裏側の線は気が滅入るほど大変だ。

IMG_2203 このタンク車のウェザリングは素晴らしい。実物の写真をよく見て仕上げたそうである。
 走っているのを流し撮りした。

2010年09月07日

続 Mike Ross 氏を訪ねて

Mike Ross' Layout Mikeは全ての線路をハンドスパイクしている。路盤は計算通りにカントも付いているので、あとは枕木を敷いて、スパイクをしていくだけである。


IMG_2193 とはいえども、このような連続した分岐は作るのが大変である。実に上手に作ってあり、機関車がつんのめったりはしない。




Track Cleaner これはレイル磨き用の専用車である。砂の入ったゴムローラは滑らかではない廻り方で回転する。滑らかに廻ればそれは意味がない。ある程度つんのめりながら廻る方が摩擦が多くて良い。丸棒は磁石で、鉄片を集めることが出来る。


VirginianVerginian 2-6-6-6 機関車はLimaの2-6-6-6 が主体である。何台もあって、C&O とVirginian の両方の塗装がある。貨車は比較的珍しいVirginian のホッパ車である。よくぞこれだけ集めたと思う。生産輌数が少ないものであって、買い集めるには手間が掛かるはずだ。これらの貨車は、初期の韓国製のものであり、車輪の形状がよくない。また、踏面が荒く、走らせると凄まじい音がする。
 だからこそ、筆者のLow-D車輪が必要となる。

Tie Jig これは枕木を整列させるジグである。これにはめ込んで、粘着テープではがし取り、接着剤を塗った路盤に着地させる。筆者も採用した。これはLorrel Joiner氏のアイデアである。



Two Mikes この人はもう一人のMikeである。Mike Wilson氏も医師で10分くらい離れたところに住んでいる。二台のミカドを重連して、彼らの関係を表している記事がしばらく前に雑誌に載った。Mikadoは、Mikeとも言うのである。
「どちらが前補機ですか。」と聞いてみると、「どちらということは決まっていない。日によって違う。」とのことである。
 どちらのマイクも、精力的にレイアウトの建設を進めている。

2010年09月05日

Mike Ross 氏を訪ねて

Mike Ross MikeはいわゆるGated Community に住んでいる。アメリカなどの国では、富裕層はより高い安全性を求めて、高い塀で囲まれた街の中に住む。道は公道ではなく、全て私道となる。どの家も塀を持たず、遠く離れた家と家の間は全て芝生でつながっていて、あたかもゴルフ場の中に住んでいるかのような感じである。実際にゴルフ場、テニスコートも併設されている。不思議なことにプールが見えない。聞けば、どの家もインドア・プールなのだそうだ。
 どの家も大きい。中にはディズニィの動画に出てくるお城のような家もある。床面積は、各戸、最低4000平方フートというから130坪ほどであろうか。
 訪問するときには、事前に警備本部に訪問者の人数と全てのフルネームを申告する必要がある。ゲートでは、車のトランクまで確認する。

 マイクは大きなレイアウトを建設中である。広さは60坪くらいだろうか。設定は1950年の Blue Ridge Mountains である。ブルー・リッジとは米国東部のアパラチアン山脈の一帯を指す。石炭の宝庫であり、Virginian2-6-6-6が長大な石炭列車を牽き山を越える。その時代の再現を狙っている。死ぬまでには完成できないだろうと本人が言うほどであるが、彼は精力的に製作している。
 人を雇うべきなのだろうが、それはしない。友人に助けを求めることはあるようだが、全部人には任せたくないらしい。彼は、筆者のレイアウトの動画、写真は詳細にチェックしていて、進歩の度合を探っている。「飛行機代を払ってやるから、しばらく遊びに来ないか。」ぐらいのことは言うのだが、プロには任せたくないのだ。その理由は、「彼らの作品は、皆同じに見える。」と言うのだ。

 マイクは彼の少年期を過ごしたブルーリッジの山々を頭の中に描いている。全て、それを再現するつもりだ。その、他人には見えない山の中を線路だけが完成しているというのが現在の状態である。
 
曲線の中心を決める。 線路は全て計算通りに敷かれる。適当に路盤を作ってぺたぺたというのとは違い、座標通りに路盤を建設する。カントは全て路盤に付ける。
 床はポリ塩化ビニルのタイルである。それは1フート角であるから、それを碁盤の目として活用する。曲線の中心はこのような道具で位置決めをする。
 1インチごとに目盛を付けてあるから、所定の場所において重りを置く。上から出ているボルトに、長いアームを取り付けて、曲線を描く。

2010年09月03日

Texas への旅

Texas 久しぶりにテキサスに行った。先回やり残したロストワックスの後片付けをしなければならないのと、近在の模型人と交歓したかったからだ。



 今回はDennisにDFW国際空港まで迎えに来てもらった。「隣の町だからすぐだよ。」とはいうものの300kmはある。ダラス・フォートワース空港は巨大な空港で、5つのターミナル・ビルディングと7本の滑走路がある。4機が同時に離着陸するのを見ることが出来る。これが、いずれ、13のターミナルと9本の滑走路になるというのだから恐れ入る。

IMG_2367 二年前には乗らなかったが、今回は Skylink という電車に乗ってターミナル間を移動した。これは速度が高く、乗り心地が良い。10年ほど前乗り換え時に乗ったのは、信じられないほどノロい電車で時速25kmほどであった。さすがに評判が悪く、2005年頃更新したと言っていた。もともとターミナルが3つしかなかった時代に作られたものだ。

Old Dennis Road Dennisの車でAbileneに向かう途中、"Dennis Rd."という表示を見つけて、面白がっていたら、「笑うのはまだ早い。」と言う。しばらく走ると今度は "Old Dennis Rd."というのが出てきて、笑い転げた。「お互い、歳を取ったものだね。」と語りあった。もう20年以上の付き合いである。
 今回はLAX乗り換えで行ったものだから、入国、通関に時間が掛かった。なるべく小さい空港で入国するのが賢明である。そういう点では Portland かSeattle 辺り、あるいは San Jose から入った方が良かったが、切符が手に入らなかった。LAX とはロスアンジェルス国際空港である。

 アビリーンへの途中、この数年仲よくしているMike Rossの家に寄った。彼は1970年前後に横須賀のアメリカ海軍病院に研修に来ていた医師である。当時の日本の蒸気機関車を追って全国を巡り、スティル写真、ムービィともにたくさん撮っている。大変な親日家で、玄関で日本式のお辞儀を上手にしたのには驚いた。
 彼は、Low-D車輪を評価してくれ、大量に購入した。その使用状況を確認に行ったのである。「音が静かなのには驚いた。」ということであった。摩擦が少ないのは、牽く輌数が少ないのでまだ感じていないという。

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