2010年03月

2010年03月31日

続 Kalmbach社の過去のレイアウト

bird's eye view この角度から見ると、どんなゲージなのかが分からない。もちろんフログ部分を見ればある程度の見当はつく。
 MRのこの記事を読んでいたころはそれほど興味を覚えなかったが、実際に見てみると巧妙な設計である。
 このレイアウトは 4X8 合板1枚分の大きさである。しかしそれ以上の大きさがあるように感じる。


 先回の写真をご覧になると、高さの効果も大きいことに気が付かれるだろう。視点に近い高さの物を見ると、見下ろす感覚が薄められて、奥行きを感じる。カメラは単眼なのでより広さが感じられる。
 アメリカ人はしゃがむという動作を極端にいやがるので、高さを上げた。さらに歩きながら見るという楽しみを得ることができる。

 先ごろ日本のモヂュールレイアウトの集合体を見学する機会があったが、高さがこれと比べるとかなり低い。見学者は皆しゃがんでいた。それは公共施設での展示なので設備の問題もあったかもしれないが、筆者には違和感が残った。

 家庭でも路盤面を高くすると、その下に収納スペースができてよいのではないかと思う。

 
 
 

2010年03月29日

Kalmbach社の過去のレイアウト

N gauge LayoutN gauge Layout 裏側Andy と Layout 





 社内にはいくつかのセクションがあり、鉄道模型部門は約1/4を占めている。編集中の雑誌の、ページレイアウトを決める作業の部屋を見せてもらった。
編集室 いかにコンピュータ編集といえども、最終的な作業は紙に印刷したものを壁に貼り、それを眺めながら切り貼りしていた。ちょうど6月号を編集中であったが、何があったかは書けない。

 社内で作った過去のいくつかのレイアウトは可動状態で保存してあった。これはNゲージレイアウトの試作である。
 裏表で全く異なる情景を持つという意表を衝いた構成になっている。これは当時としては先進的なアイデアであった。

 アンディの身長が185cm程度であるから、高さも見当がつくだろう。また色調にも御留意願いたい。彩度を極端に抑えている。このあたりのことは、過去にも書いたが、まだまだ日本では事例が少ない。

2010年03月27日

Kalmbach社 社内ツア

 以前に比べ大きな場所に移ったので、社内のいろいろなセクションが大きなスぺイスを与えられている。

塗装ブース 最初に行ったのは工作室で、主として木工関係の作業をする換気の良い部屋であった。レイアウトの台枠を作るのであろう。その隅に塗装室があった。6畳くらいあって大きな塗装ブースがある。この環境での作業は快適であろう。筆者は日中の屋外でやっていると言うと、「いつも屋外で出来ればそれがベストであろうが…」ということであった。全天候型ということになるとこのようなブースが必要であるのは当然だ。

撮影中照明背景用シート





 次は写真室である。これまた広大な部屋でいくつかのセットを組んで撮影中である。照明の反射傘が大きく、距離をとれるので照度が均一化され影が少なくなる。
 背景用のロールが各色揃っていた。鮮やかな赤があって驚いたが、他の雑誌用に使うもののようだ。
 写真は全てデジタル化されていることは言うまでもない。隣の部屋は写真の編集室で、大きな画面でチェックしていた。

2010年03月25日

Kalmbach社を訪ねる

Kalmbach Publishing Co. カルムバック社を訪ねるのは25年ぶりである。前回は、ミルウォーキィのダウンタウンの古いビルであった。そのビルは取り壊されてすでにないはずである。ミルウォーキィの旧市街にはたくさんの跳ね上げ橋があり、今でも作動する。
 1988年頃、郊外に引っ越して新築の自社ビルを建てた。2階建ての広大な建物である。昨年一部を増築したのでかなり大きな床面積を持つようになった。従業員数も増えて300人ほどだそうだ。

 カルムバック社は7つの雑誌を出している。模型に全く関係ない分野の雑誌もある。
 Model Railroader誌は発行部数は20万部を超えるベストセラー雑誌であるが、そのページ数が年々減ってきているという統計があることを話題に出した。

「広告が減ってきたのです。」とおっしゃるので、「そのうちWeb雑誌になるのでしょうか?」と過激な質問をしてみた。

 答は意外にも明快であった。「そのつもりです。」「少なくとも私はそうしたい。けれども抵抗する人たちが居ます。でもいつかはそうなる。」とのことであった。栗生氏の予想は当たっていた。日本の模型雑誌は、どの程度これを理解しているのだろうか。

foreign magazines 1foreign magazines 2 会見ののち、社内ツアをしてくれた。例によって書庫を見せてもらった。書棚には最近の日本の雑誌やヨーロッパの雑誌があった。
「古いのはどこかにあるだろう。処分したかもしれない。」という話であった。以前見た子供の科学、模型とラジオはちらりと見た限りでは、もう見当たらなかった。 

2010年03月23日

続々 Chicago O Scale Meet

Clinic 4時少し前になると、館内放送で「午前中に行われた低抵抗車輪のクリニックは、過去のクリニックの中で最高の講演であったという評判です。再度の講演を行いますので聞きにいらしてください。」と伝えてくれた。
 これには少々驚いた。主催者が、クリニックの内容を主観的な表現を交えて伝達しているのである。

 二回目の講演では、より深く興味のある人たちが来ていて、自由闊達な意見交換が行われた。非常に良い雰囲気であった。他のクリニックをのぞいてみると、車体の外見上の改良とか、DCCの可能性というような、すでに何度も扱われている内容であった。鉄道模型の本質を突いたクリニックはこれが初めてだという評価を得た。

「雑誌に発表すべきだ。」と主催者側が言う。出版社を紹介するから会えと勧められた。実はModel Railroaderの副編集長のAndy Sperandeo氏には以前から連絡してあったので、会う日取りを決めているところであった。滞在中に連絡があり、シカゴを離れる前日にミルウォーキィで会った。
 クリニックでの講演をPower Pointを使って再現したところ、「大変面白い。すぐに原稿をまとめてくれ。」ということであった。
 25年前に祖父江欣平氏と訪ねたことをよく覚えていて、最近亡くなったことを伝えた。彼の功績の一部を話し、祖父江氏がいなければMax Grayが日本に来ることがなかったかもしれないこと、3条ウォームのギヤボックスの量産により、その後1000輌以上の機関車が "Free to Roll”になったことを話した。

 それも原稿にまとめてくれということになり、近日中には原稿を完成させることになった。

2010年03月21日

続 Chicago O Scale Meet

Melissa Melissa は、引退した店主の息子の奥さんである。Low-D車輪の概要を送り、ビデオのリンクを送ったところ、店主のMike Hill氏が大変驚いて、「是非講演して貰え。」と言ってきた。
常識では考えられない映像であり、多くのO scalerにインパクトを与えるClinicになるだろう。」と言うのである。

 参加費を払わねばならないが、少額を送金するのも面倒で、「Oスケール・ウェストでは外国からの申し込みは、送金料の節約のため窓口で払っても良いという例外規定がある。」と、その案内書の写しを送った。すると、「よい考えだ。採用したい。」というわけで、送金費用は節約できた。

 現場に到着すると、メリッサさんが待ち構えて居て、現金での納付を済ませた。「すごく期待しています。義父が興味があると言っているわ。」と握手した。

 講演は英語では"Clinic"と言う。土曜日の朝11時に開かれたクリニックには、それほど多くの人が来たわけではなかったが、閉会後、何人かが来て、「先ほどの講演会をこのまま終わらせるのは、もったいない。友人にぜひ聞かせたいので、もう一度やってくれないか。」と言うのである。

 一時間の講演は、正直なところ結構疲れるので断りたかったが、何度も来て頼むのでその気になった。「事務局が許せばやっても良い。」と答えた。

 メリッサさんが、「本当にやって貰えるか?」と確認に来た。「考えてみれば、二度もやってくれと言われるのは、とても光栄なことだ。やりましょう。」と答えると、「一回目に聞いた人が、『過去のクリニックの中で最高の内容だ。』と絶賛しているわ。聴衆が再演を望むのは珍しい。」と言う。
 午後4時から再演することになった。

2010年03月19日

Chicago O Scale Meet

Westin Lombard 昨日帰国したので、その報告を始めたい。

 3月12,13,14日に行われたChicago O Scale Meet で、
Low-D車輪についての発表の機会を与えられたので、一時間の講演を行った。


 
Chicago O Scale Meet Chicagoの集会は全米で最大のOスケールの催しである。O scale Westよりかなり規模が大きい。この種の集会は、毎年、東部はコネティカット周辺、あるいはワシントンDCで、南部はアトランタ周辺で、中西部はシカゴ、西海岸はサンホゼ、そしてたまにテキサス、デンヴァ辺りでも行われる。  

 シカゴは筆者にはあまり縁のない都市で、飛行機の乗り継ぎではよく通るが、降りたことは比較的少ない。車で行ったことは何度かあるが、ひとの車に乗せてもらっていたので地理は良く判らなかった。今回シカゴに1週間近く居て、500キロ以上自分の車で市内を走ったので、様子が随分と良く判った。歴史のある、資本の集積した大都市である。
 O'Hare空港は、市内にあった狭いMidway空港の代替として整備された。世界で一番にぎわっている空港である。70年代に着陸した時、二機同時に並行して着陸したので、とても驚いた覚えがある。当時はまだ周辺はのどかな牧場で、牛がたくさん居たのを目撃した。その後30年以上経つとすでにシカゴの市内にあると言ってもよい状態になった。電車も整備されて市内まで安く行けるようになった。

 そのオヘア空港の西のLombard市で、Westinホテルの一部を借り切って行われた。通常では320ドルもするホテルを週末3日のみ一泊90ドルという格安で押さえてくれた。
 この催しは、以前は市内のPark Ridgeにあった模型屋の Hill's Train Shop の奥さんが裏方を一手に引き受けてくれた居たのだが、店主の引退と店の売却で、息子の嫁さんの Melissa がその大任を引き受けてくれた。

2010年03月06日

イコライザの設計 その15

 D62 equalizing 国鉄の近代型蒸気機関車の従台車は外台枠で、主台枠は内台枠である。イコライザは斜めに入り、従台車旋回時に移動する量の少ないところに力点を持って来てある。
 それは第4動輪の後ろのクロス・イコライザからぶら下がっている。このクロス・イコライザは苦肉の策であろう。支点が中央にはないので、左右は多少の干渉はあるが独立である。お分かりにならない方は、左右に開いた図を作ると決して傾かないことが理解できるだろう。 

モビール 「イコライジングはモビールのようなもの」とコメントでAC9様はおっしゃっている。その通りなのである。ここにアトランティックのイコライジング・モビールを示す。この絵の発案者は吉岡精一氏である。筆者はそれを翻案しただけである。
 黒い棒は本来はつながっているのだが、前群、後群を分けた概念上の構造体である。また、オウヴァハングはカウキャッチャの先端、キャブの後端を指している。すなわち、線路の不整によって上下している最先端を意味しているのだ。


 この話はいつまで続くのかと心配されている方も多いだろうが、ひとまずここで区切りとしたい。
 今、筆者はいくつかの用事をからめてシカゴ方面に来ている。もっとも大きな目的はシカゴで開かれるOゲージのコンベンションで講演することである。Low-D車輪について話せというリクエストが来ているし、MRも興味を示している。
 今年の春の O scale West は開催時期がずれて、 6月にNational Convention としてカリフォルニアで開かれる予定である。6月は筆者の都合がつかないことが判明したので、その代りに久しぶりに友達に誘われているシカゴ大会に参加することにした。

 しばらく休載する。また、コメントを戴いても、掲載がかなり遅れる見込みであることも御承知願いたい。 

2010年03月04日

イコライザの設計 その14

傾く台車枠 複式イコライザの台車枠は自由に転んでしまうと書いたが、それについてよく分からぬというお便りを複数戴いている。模型を作ってみれば一目瞭然なのだが、それを図示するとこのようになる。
 車輪の数がいくつあっても自由に傾くが、どんな場合でも軸重は一定になる。BB型電気機関車の台車はこのような構造であるが、転ばないようにいくつかの工夫がある。そうしないとブレーキもかけられない。たとえば、前後の台車が水平面の中だけで回転するように結んでいるものがあるようだ。
 台車ごとに二点支持であるから、全体では4点になるが、車体の剛性が少ないのとバネが効いていることによって、線路への追随性 compliance は保たれる。 

 コンプライアンスというのは脱線を防ぐ最も大切なことであり、イコライジングすることにより格段の性能向上が見込める。車輪の跳躍があっても重力加速度以上の加速度を与えて圧着させるので、フランジが外れにくくなるのだ。模型においては集電が良くなる。「 落下速度が…」というコメントがあったが、それは完全な間違いだ。重力加速度は変わらない。

 クロス・イコライザがあると左右の群が一点で支えられると書いたのだが、これも良く判らぬというご意見を戴いている。先回のアトランティックの後動輪と従輪はこのクロス・イコライザで結ばれているわけで、前部が 1/2 持ち上がって、多少後ろに傾くわけだ。軸重は正しく保たれるのだが、やや複雑で分かりにくい。それでは最大限に単純化してみよう。
四輪三点支持 クロス・イコライザの最も簡単な例を示すとこのようになる。手前の青いイコライザに注目して、その左右につながっている二輪を展開すると右下のような状態になる。
 これは上記の「傾く台車枠」と同じであって、一点で支えられていることになる。すなわち、自由にひねることができる。Bタンク機関車の懸架装置は、こうなっているものが多い。

 先回のアトランティックの先台車廻りの構造は、多少ややこしいが、ほぐして考えるとこの図のように考えることができるはずだ。先台車と第一軸と片方が持ち上がって車軸が傾いても、実質的に1点で支えられているから機関車フレイムはねじられず、ただ段差の半分だけ前方支持点が持ち上がるというわけである。

 クロス・イコライザの意味が分かって、等価図が描ければ、イコライジングの設計は容易である。

2010年03月02日

イコライザの設計 その13

Cross Equalizer 先台車あるいはそれを含めた前群は一点支持である。動輪を含めた場合はどのようにして一つの支点を構成しているのであろうか。




Cross Equalizer 2 先台車付近の線路が捩じれて、左右のレイルに高さの差ができたとする。第一動輪まで持ち上がっていると仮定した時の様子を考える。車軸で縦割りにして左右に開くと、このような図になる。初めてご覧になると少々戸惑う図だが、前の方から見て左右に開いた様子を考えて戴きたい。

 先台車を支えるテコも切り開いている。第一動軸の前半に掛かるクロス・イコライザ cross equalizer は左右またいでいるのでそれを引き伸ばす。機関車のフレイムはまだ左右には傾いていない。微妙に後ろには傾いているだろうが、それはここでは考えないことにする。片足持ち上げているが、フレイムは後群で支えられているから傾かない。フレイムは左右の高低差の半分持ち上がっている。

 左右のイコライザ系の中でどこかでつながって、その中点に支点があると、このように左右の群が一点で支えられると考えることができる。時間のある方は、先台車から第一動輪まで左右独立したイコライザでつなぎ、第一動輪の後ろで左右を結んでそこに支点を設けた場合を作図されるとよいだろう。同じ結果になることを確認することができる。

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