2009年10月

2009年10月30日

US Hobbies Challenger その7

PSC 4-6-6-4 piping 蒸気機関車のディテールを少し増して、細密化したいと思うことが多い。一番大切なことは実物の観察である。図面を良く見て、補機類がどこに付いているかを調べ、その配管の役割を調べる。

 曲がり具合は流れる流体の種類によって異なる。蒸気管も、シリンダに向かう配管は重い気体が通るので曲がりが緩やかである。蒸気の圧力が高く、密度が大きいのでなるべく緩やかに曲がるようにしている。それに比べると、還りはごく適当に設計してある。
 発電機などの小出力の補機類への配管は、曲がりの半径も小さくて構わない。
 高圧給水関係の配管の曲がりは緩やかである。ウォータ・ハンマが起こる可能性もあるので、弱くなる継ぎ手の数を減らしている。ボイラ・チェック・ヴァルヴはボイラ・ラッギングの分だけ飛び出しているから、それらしくせねばならない。市販の模型でこのチェック・ヴァルヴの奥行が正しいものにはなかなか遭遇しない。

PSC 4-6-6-4 fireman's side 要するに、本物の構造と機能を知っていないと、正しい配管ができない。細い配管の曲がり具合も、パイプ・ベンダで曲げる時の半径が決まっているのでそれらしく曲げる必要がある。

 この写真は友人の所蔵品のPSC-KTMのChallengerである。パイピングは一級品である。実によくできている。

2009年10月29日

続々 祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 2007年撮影 祖父江氏は実物のことを実によく知っていた。それもそのはず、もともと機関車や艦船の部品を作る工場(東京機器工業、のちのトキコ)に仕上げ工として勤務していことがあるのだ。
 祖父江氏の工房には国鉄の蒸気機関車についていた速度計がある。時計仕掛けになっていて、カチンカチンとある速度で針の示度が下がる。下から軸を回すとそれが針の示度を上げる方向に働く。二つが釣り合えば速度を指示することになる。
「これも俺が組み立てたんだよ。何回かばらして、組み直してあるよ。部品も作り替えたしね。中身は新品さ。」

 先日訪ねた時、「最近働けねえんだよ。朝飯を食うと眠くて寝てしまう。起きると11時だから、1時間しか仕事が出来ねえ。昼飯を食うとまた眠くて寝ると4時だろ。また1時間働いたらもう夕飯だ。この間までは1日8時間仕事をしてたのにね。」と、おっしゃっていた。
 85歳を過ぎても現役であった。かくありたいものだ。

 まだ、あれも作らなきゃならない、これをしなければならないとおっしゃっていた。
「最後にNYCのナイアガラの完全な模型を作る。これは誰にも売らない。棺桶に入れるんだ。」とおっしゃっていたが、図面と一部の部品だけで終わってしまった。


 古今東西の模型を分析し展開する能力は、単なる模型屋とはまったく異なる。工学的な素養があるからこその仕事なのである。
 長年のお付き合いの間に、筆者のアイデアもいくつか製品に組み込まれた。筆者の夢を叶えてくれる"神の手”を持った方であった。

 祖父江氏がいなければ、日本の模型界いや世界の模型界はかなり異なるものになっていたであろうことは想像に難くない。

2009年10月28日

続 祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 1997年7月27日 祖父江氏がKTMで働いていた時、Max Grayが日本にやってきた。

 1952年ころ、あるアメリカ人が、シェイの写真を持ってきたそうである。1枚だけでエンジン側だけであったそうだ。それを見せて、これを作れと言ったのである。反対側の写真もないのに、祖父江氏は作った。そのメカニズムがMax Gray を驚かせ、彼は日本に乗り込んできたのだ。
 そうして1956年より、怒涛のような輸出が始まった。アメリカにあったいくつかの模型メーカはたちまちつぶれてしまった。

 その件は以前にも書いた。祖父江氏は「俺がつぶしたんだ。悪いことをしたとは思っているよ。でも順番なんだよ。次は韓国、中国って決まってんだから。俺も飯の食い上げだよ。」

 祖父江氏は、事実上の日本の鉄道模型隆盛の基礎を作ったまさにその人なのである。しかし、このことは意外と誰も知らない。ほとんどの模型人はHOのことしか知らないので、その前のOゲージが中心だった時代のことは意識の外にあるように感じる。
 日本型は粗悪であったが、輸出用の機関車はすべて軸箱可動であった。そのほとんどが祖父江氏の設計、製作であった
 KTMの中に祖父江工房を持ち、すさまじい速度で製作していた。
 
「図面を持ってくる奴なんていねえんだよ。写真を数枚持ってきて雑誌から切り抜いた仕様書だけで作るんだ。いいものが出来るわけねえよな。」とはおっしゃったが、当時の製品は今でも通用する出来である。
「図面を持ってきたのはMax Grayが初めてだよ。」

「作ったのを取りに来て、KTMの社長と話をしているんだけどね、社長は俺のことを紹介しねえんだよ。作った本人が横にいるのにさ。」その悔しさはよくわかった。だから、アメリカを案内した時は、「この人こそ、KTMの大半の機関車を作った本人である。」と紹介した。祖父江氏は嬉しそうであった。

 その後、アメリカからの客が2人あった。直接工房に案内すると、驚く。
「こんな場所で作っていたのか。従業員は何人だったのか。」と聞く。35年前はパートのおばさんが5人くらい居たように思う。ジグを作ってそれに合わせて部品を取り付けて、ハンダ付けする。奥様も手伝っていた。

 テキサスの富豪は丸抱えで雇ってやるから引っ越して来いと言ったが、その話に乗っていれば、世界の模型界地図は大きく変わっていただろう。筆者もその世界に居たかも知れない。

2009年10月27日

祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 本日午前2時、祖父江欣平氏が亡くなった。87歳であった。35年以上のお付き合いを戴いた。(写真は本年9月撮影)

 KTMの下請けをされていたころ、酒井喜房氏の紹介でお会いした。あの出会いが筆者に鉄道模型人生の方向付けを与えた。それまでいくつか模型を作ってみたが、どうしようか迷っていたのだ。

 祖父江氏の手の切れるような仕上がりの模型を拝見し、進む方向は自ら定まった。何度か泊まりがけで指導を受けた。ヤスリ掛け、糸のこ、ハンダ付けのテクニックはいくつか伝授願えたが、とても足元にも寄れない。

 ハンダゴテを渡されて、「ほれ、付けてみろ。」と言われた。
「ハイ。」とやってみた瞬間、ブラスの角棒で手首をバチンと叩かれた。
「握り方が違うよ。そんな握り方でハンダが付くと思っているのか。こうやんだよ。ほらこうだよ。」ハンダゴテはすりこぎのように持たねばならない。それができるようになっただけでも、感謝せねばならない。

 いささか厳しいご指導ではあったが、おかげさまで、その後上達してなんでもつけられるようにはなった。ありがたいことである。

 3条ウォーム、ボール・ベアリング装備の件では、手法が確立され売上に貢献できたのはうれしい。一時は廃業も考えていらしたが、その後20年以上も営業できた。

 1985年には、アメリカにご案内した。多くの模型人を紹介し、クラブにもいくつか行った。その時撮った写真でBig Boyを作った。 一部の方とは、商売が成立し、アメリカに Sofue Brand が定着した。

Tom Harvey and Mr. Sofue in 1985 Big Boy の機関士だったTom Harveyの自宅に泊めてもらい、詳しく話を聞かせてもらった。その時の写真が出てきたのでお見せしたい。

2009年10月26日

US Hobbies Challenger その6

PSC Challenger UPの機関車は数が少ない。Max Gray NYC が好きであった。Pennsylvania鉄道は客の数が多いのでたくさん作った。
 UPでは、売れ筋のBig Boyはたくさん作ったがChallengerはかなり少ない。実物の台数はChallengerの方がはるかに多いが、保存機が走るようになるまで人気がなかった。(この写真は1990年ころのPSCがインポータであった時のKTM製品。細かくできているが残念ながら砂箱が丸い。)

 Max Gray時代に発注があれば、祖父江氏が引き受けてもう少し良いものができたと思うが、この機関車は、あちこちに素人の工作という部分がある。
 
centering slot その最たるものが、連接部分のつなぎ方だ。前部台車に荷重を掛けるところがローラー式なのは良いが、センタリング装置が無い。これではボイラが横を向いて、斜めになって走ってしまうこともある。復元装置を付けるか、何かの工夫が必要だ。
 祖父江氏の方法は単純だ。直線を走るときにローラーが、溝にはまるようになっている。変な話だがこれで十分である。要するに直線上での見栄えを優先するのである。全体を斜面で構成すると、復元力が弱くなるし、中心での落ち着きが少なくなる。今回は「溝式 + バネ」による復元を考えている。Challengerは旅客にも使うので、高速での落ち着いた走りを期待したいからだ。
 また持ち上げた時に、前部台車が落ちないように支えが必要だ。その支えを薄い板で作ってあるので、曲がってしまう。少し工夫して箱型に作ればよかったのであるがそれもない。

2009年10月24日

US Hobbies Challenger その5

走行装置裏側 Max Gray は、動軸を可動させた最初のインポータである。それまで日本から輸出された製品はすべて固定軸であった。軸は1/4インチ(6.35mm)で、それはアメリカの標準であった。軸箱は砲金である。このあたりの配慮は良い。不思議なのはバネによる可動を採用しなかったことだ。1mmのネオプレンゴム板を切ってはさんだ。大きくは動かないが、格段に静かになる。ゴムの内部損失が大きいことを利用している。

Max Gray coupling このChallengerはUS Hobbies の初期の製品であるので、かなりMax Grayの手法を踏襲している。ゴム板支持方式である。モータとの連結部も、不思議な形のカプラで結んでいる。ネオプレンゴム板を介した回転伝達で、損失が大きそうだ。この方法である必要性は感じない。普通のユニヴァーサル・ジョイントで十分だ。この写真は別機種の分解時に撮っておいたものである。

 のちに、六角軸を使ったルース・カプリングを使うようになった。これはKTMの高橋淑氏が採用した。簡単にして確実、安価な方法である。これは、もともとはイギリスのアイデアだそうだ。
 
 軸は6mmとして、専用の含油合金軸受を長らく使っていたが、1985年頃から5mmにした。今までの段付きシャフトをやめてストレート軸を採用したたからだ。すると在庫の6mm用の穴が開いた含油合金の軸箱は無駄になる。当然捨てるべきだったが、それに内径5mm、外形6mmのパイプを差し込んだ。
 WSM以降の模型はこのタイプになっている。すなわち潤滑が悪い。場合によっては焼きつく。それまでは焼結して作った多孔質の含油合金製であったのに、単なるブラスパイプが摺動するようになったわけだ。この判断が誰によってなされたのか、興味深い。

 筆者はすべてボールベアリングを入れているので、このあたりのことは改造時に気が付いているが、ほとんどどなたも気が付いていないのではないかと思う。

2009年10月22日

US Hobbies Challenger その4

積もった埃 そもそも、落札者に落札辞退を申し入れるのは、重大なルール違反である。もし筆者が辞退しないという姿勢であるのに、売らなかったときは、最悪の評価を送らなければならないし、e-bayに申し入れて除名その他の処分をするよう求めるつもりであった。

 ところが、筆者の手紙を読んで、すぐに来た返事には、 「あなたが   serious collector であることはよく理解した。この機関車を長年探し求めてきたということはコレクションの写真を見ればよくわかる。あなたのような方に買っていただけるのなら、伯父も本望であろう。弟には、あなたのお勧めの物を買うように言っておいた。」 と妙に素直に書いてきた。

 そこで、「$10払うから、ばらしてモータとウェイトを捨てて欲しい。これらが付いていると、輸送中の事故が起こりうる。13本のねじを外すだけでよいからお願いしたい。組み立てはしなくてよい。緩衝材にくるんで箱に入れて送ってくれ。多少壊れても修理できるから構わぬ。」と書いた。

 返事は、「どうしてねじの本数がわかるのだ。本当に13本だった。」とあった。頭の中で数えて、適当に書いたのだが、それが当たっていて彼は驚いたのだ。
すぐに発送してくれたが、送料は当初の見積もりより、$10以上安くなった。すると、「あなたは本当によくわかっている。素晴らしい買い手だ。」と手紙をもらった。

 到着後、箱の中を改めると、分解時に無理をしたらしく、ハンダははがれ、こじた痕があったが、簡単に修理できた。

 この模型は長年棚の上にあったらしく、埃の堆積が見られた。ロッドの上にも積もっている。めっきも変色して悲惨なものだが、簡単に修復できた。
 超音波洗浄機が必要なほど汚れた模型には久しぶりに遭遇したが、安くてよい買い物であった。
 いずれ、下回りは押して動くギヤで二個モータに改装する。

2009年10月20日

US Hobbies Challenger その3

前方より この模型はe-bayで買ったのだが、落札後、すぐに奇妙なメイルが来た。

「あなたは正当な落札者であり、この機関車の模型を購入する権利があることは重々承知しているが、折り入ってお願いがある。これは伯父の遺品であるが、その甥すなわち私の弟はそれがオークションにかけられることを知らなかった。私の弟がこれをどうしても欲しいと言っている。
 あなたが正当な権利者であることは当然であるので、このような申し出をするのは心苦しいが、私は弟を喜ばせてやりたい。実はBig Boyもあるので、そちらを選んでくれれば、価格はこれと同じでよいし、さらに送料も請求しない。
 あなたがこの機関車を欲しいということはよく理解している。しかし、ご配慮をお願いしたい。」
というものであった。 

 どちらかと言うと、この手のメイルは、詐欺の疑いがある。というのはオークション以外の物のやり取りは、事故の場合、e-bayの保護の対象外になる。うかつに乗ると大変なことになるかもしれない。
 
 しかし、それよりも、筆者はこの機関車がどうしても欲しかった。丁寧な断り状を書き、筆者のコレクションとレイアウトの動画をいくつか送ってやった。
「私は、まさにこの機関車を探し求めてきた蒐集者であり、これを逃すと同じ型のものは手に入るかどうかわからない。
 話を聞けばあなたの弟はChallengerであればよいと言っているので、韓国製のものをお勧めする。価格もこれより多少は安いし、第一、出来が数等よい。販売店を紹介するから聞いてみてくれ。
 私はこの機関車の出来がそれほど良くないことを知っている。歴史的に、ある過渡期の製品であって、他との比較のためにそれを確認したいから購入するのである。どれでもよいというわけではないのだ。私は長年これを探し求めていた"serious collector"であり、ようやく落札に成功したことを理解してほしい。」と書いてやった。

2009年10月18日

US Hobbies Challenger その2

USH UP4-6-6-4 fireman's sideUSH UP4-6-6-4 engineer's side US Hobbies の時代は、Max Grayと何が違うのか。

 この機種はその過渡期にあるので、興味深い。祖父江欣平氏によると、その違いは車軸の太さであるという。MGは 1/4 inchでUSHは 6 mm軸であるという。フランジの高さはあまり違いがあるとは言えないそうだ。この軸は6 个任△辰拭また、ダイキャスト製ギヤボックスが取り付けられていた。 
 すなわち、Kemalyan氏の意向で、量産体制に転換したことがわかる最初の模型である。 

 さて、このChallengerの板は薄い。ボイラーも0.6 mm厚しかない。ハンダ付けは楽なはずだが、あまり上等ではない。100%流れていない。

 安全弁の数が多い。本物は5本だが、左右対称だと思って6本にしたのだろう。これはインポータが確認すべきことでKTMの責任ではないだろう。

 保護塗装がしてないので、表面はこれ以上錆びない位、錆びていた。酸で洗うと新品ではないかと思うくらいきれいになった。

USH UP4-6-6-4 front パイロットのステップが折れている。作って直さねばならない。下回りは油脂が固まっていたので、ギヤボックスをばらして溶剤で洗い、走り装置はマジックリンに漬けて超音波洗浄機で洗った。泥がスプーン二杯くらい落ちた。

2009年10月16日

US Hobbies Challenger その1

USH 4-6-6-4 最近、UP Challengere-bay で落札した。すでにコレクションは終わっていると宣言しながらも、購入したのには理由がある。

 1964年、インポータの先駆者Max Grayの死去により、製造元のKTMは輸出先を失った。そのあとを継いだのが、Max Grayにロストワックス・パーツを卸していたKemalyan氏であった。Kemtronの社長である。
 MG時代に沢山売れたBig Boyを短くしてChallengerができないかという発想は、それほど間違っていない。しかし、それをごく適当にやってしまったのはまずかった。実物では、Challengerを大きくして Big Boy を作ったのであり、Big Boy を縮めて Challenger にしたのではないからだ。 

 その問題点を実際に確認し、徹底的に改装して直すとどうなるかという確認をしたかったのだ。もうすでに、4-8-4、4-6-6-4、4-8-8-4は、扇型庫に入りきらない位あるのだが、どうしても現物がほしかったので購入してしまった。安値であったことと、急激な円高で買い易かったこともある。

 Big Boyは、祖父江氏の設計製造で、間違いが少ない。ChallengerはKTMの内部でごく適当に設計をしたという。その結果多くの間違いが生じた。外形は全長が多少長いという点を除けば問題がないが、砂箱の形、火室の形はよろしくない。

Front Sand BoxRear Sand Box Challengerの砂箱は角型である。八角形であって丸みが少ない。Big Boyは丸い砂箱である。KTMでは、間違ってBig Boyの砂箱を流用してしまった。しかもinjectorのcheck valve coverの位置があらぬところにある。構造を知らない人が設計したのは、明白である。祖父江氏は当初から気が付き、直すように言ったらしいが、結局KTMは最終生産品まで直さずに生産した。
<手で持っているのは、購入してあったLobaughの砂箱>

2009年10月14日

Oscar & Piker

Piker & Oscar OscarPiker





Oscar & Piker 「この2台は空想上の産物であって、現存しない。」とわざわざ但し書きが付いていた。
 3軸のイコライザ付き台車一つに載っているので、本物なら、前か後ろにカタンと倒れてしまうだろう。これも等角逆捻り機構のお世話になるべきなのだろうが、走らせるものではないので、可動ではない台車に載せる。見るからにおかしな風情だ。
 pikeの意味については先日書いた。TMSには訂正が載る気配はない。

 Pikerは日常会話にはまず出てこない言葉で、ギャンブル用語である。「ケチな野郎」という意味であって、短いからそういうのかもしれないし、pikeに置いてあるから、そう言うのかもしれない。誰に聞いても確たる答は返ってこない。

 Oscarというのも不思議な言葉だ。アルファベットの"o"を表す言葉で、電話で綴りを言わなければならない時に、使ったことがある。"b”はBravo、"r”はRobertなどというものである。"O"の次は"P"だからということなのだろうか。
 
 これも35年以上放置状態である。先日倉庫で見つけたが、それほどひどく傷んでいるわけでも無い。メッキはしっかりついていて、はがれる様子はなく、洗って塗装すれば十分に使える。木部はサーフェサが塗ってあったので、やすりを掛ければそのまま塗れる。どんな色にすべきか悩むところだ。以前見たのは、ネイヴィ・ブルゥのPikerとクリムゾン(カーマイン)のOscarである。ピカピカに塗ってあって魅力的であった。

2009年10月12日

Executive Car

President's car Walthersの客車群の中でやや短い車輌がある。これがその社長専用車である。発売が終了してもう25年以上経つので、あまり見なくなった。

 昔はどのレイアウトにも1台はあって、それぞれ意匠を凝らした造りになっていた。社長の人形もレイアウト保有者の体型を模して造られ、奥方も乗っているというものを多く見た。

 このキットを購入して35年も経つ。アメリカ製のブリキはメッキがはがれて来ないのは大したものである。完成させようとは思いつつ、他のことに気を取られて時が過ぎた。例によって壁や家具を仮に並べてみた。

 プルマンの一編成と合わせて完成させることにした。以前は細密化しようと思っていたが、台数が多くなった今となっては、そんなことをしても仕方がないような気分である。
 UP塗装にするか、それとも全く別の塗り色にするか悩んでいる。この模型のオリジナル車輌はCanadian Pacificのものらしい。名前は"British Colombia"であった。
 70ftというのはプルマンには珍しい長さであり、プルマン色にするのはやや憚られる。黄色も変なもので、two-tone gray で落ち着きそうだ。  

 このキットは壁などの材料(と言っても厚紙だが)も入っている。完成したときのスケッチもあるので、それを見てご自由にというものである。現在のキットとは全く趣向が異なる。

  


2009年10月10日

Pullman interior

Walthers' interior Walthersの客車の室内を、仮に並べてみた。部屋の壁はまだ取り付けていないし、洗面台は壁に付くものなのに、床に置いてあるのはご容赦願いたい。

 客車作りの名人に聞くコツは、「室内はなるべく鮮やかに」である。ウェザリングしてある車両でも中の彩度を高くせよということである。また、照明を均一にせよということである。
 これは現在の車両ではLEDがたくさん使えるので容易なことであろう。昔は電球であったので、個数が限られ、照度のむらがあった。

「カーペットは明るい色を使え」と言うのも面白い。暗いと、光を吸収して汚く見えるそうである。壁の色も同様で、「実物のように暗い色を使うのなら、人を座らせて窓際にランプを置け。」と言うのである。

 要するに、走っているとき、内部が作られているのがよくわかるようにしなければ、何の意味もないということである。

 その昔、TMSの2桁の号に、伊藤剛氏が「室内は外部である」と言う名言を残されている。本当にその通りで、外から見える部分は作っておくべきなのである。
 トイレの中を作るのは単なる自己満足であろう。

 製作中のプルマン列車は、外から見えるところ以外は作らないという方針である。そうすると、トイレットの中は作らないので便器がかなり余る。この車両では3個余ることになる。Compartmentの便器も、実際にはその上に座席になるカヴァを置くのでほとんど見えない。

2009年10月08日

続 Pullman の冷房装置

 発電用の動力採取はベルトに依った。エアコンは数馬力から10馬力程度の入力が必要なので、べベルギヤとユニバーサル・ジョイントによってシャフトを回転させ、その軸にいくつかのプーリをつけてコンプレッサの駆動をした。確か、その末端に補助発電機を設置していたように思う。これは高速走行時に発電して、停車時に備えるためである。
 当時は交流発電機ではないので、回転数の増加により端子電圧が増大したので電圧調整器が必要であった。

 エヴァポレータ(蒸発器)は車端近くの天井に設けられ、そこで作られた冷風はダクトに押し込まれ、天井から各室に分配される。

Pullman's air-cond. 各部屋の天井はダブルルーフであるから段付きになっている。その垂直面から冷風が噴き出るのである。当然、出口にはレジスタ(通風制御器)があって、冷房の効き具合を個別に調整できる。

 部屋から排出される空気は、廊下に面したガラリを通って戻る。すなわち廊下はあまり涼しくはない。

 エヴァポレータが吸い込む空気は、ヴェスティビュール(乗降口)の天井から吸い込まれる外気と廊下からの内気の混合気である。

 洗面所の排気はファンによる強制排気である。エアコンにより、臭気が各部屋に廻ってしまうのを防ぐためである。
 

2009年10月06日

Pullman の冷房装置

 このEjectorによる冷水製造は、蒸気の供給源に近くなければ効率が悪い。展望車は最後尾なので、そこまで蒸気が届く間に温度が下がってしまいそうだ。
 しかし、目的の場所は展望車なので、そのあたりの工夫はどうしたのだろうか。
 冷水タンクが大きいので熱容量が大きく温度変化が少なかったであろう。

 しばらくするとRefrigeration(冷凍装置)による冷房が始まる。当初はアンモニアのような蒸発潜熱が大きなものを用いていたが、漏れると有毒なので、他の蒸発しやすい液体(塩化メチルなど)を使い始めた。もちろん塩化メチルも有毒である。
 動力源が車輪の回転なので、停車中は効かない。高速走行中は効き過ぎて寒いということが起こったらしい。ある程度の自動制御もあったが、乗務員は細かく冷房装置を調節する必要があった。
 
 1928年にはフロン(フレオン)が発明され、これは無毒なので冷房装置の設計が楽になった。補助発電機を併設して、走行時は車輪から駆動し、停車時は蓄電池から電気モータによる駆動も始まったが、蓄電池の容量が足らないので長時間停車中の運転は短時間に限られた。出発時、停車中の駆動は外部からの動力提供を受けた。
 
 冷風はMonitor Roof(ダブル・ルーフ)の部分で外側のダクトから送り込まれる。吸気は連結部付近から外気を取り、室内の空気と混合している。

 

 



2009年10月04日

Steam Ejector Chiller

Steam Ejector Chiller 飽和蒸気圧という言葉は高等学校の化学の時間に出てくる。液体がその気体とのみ接するときに気体の示す圧力で、温度のみの関数である。
 要するに、温度を決めれば圧力が決まり、圧力を決めると温度が決まるというわけである。蒸気を噴射して容器内の空気を外に放り出すと、圧力はかなり低下して真空に近くなる。27℃での飽和蒸気圧は1/30気圧位であるから、この程度の真空度では話にならない。5℃くらいでは1/100気圧位であるからこの程度の真空度が得られれば、水は激しく蒸発して、その気化熱で5℃くらいの水が得られるであろう。それを循環させて冷気を作り出すべく、熱交換器に通すというわけである。戻った水は減圧タンクの中に撒き散らされる。表面積を大きくし、蒸発を助けるためである。
 硬水の場合は、時々内部の水を捨てないとスケール(カルシウム塩が析出すること)がたまるであろう。水位を保つのは結構面倒な作業である。人が付きっきりでないと確実な作動は難しい。蒸気の使用量も多かったであろう。 

 このような目的の高性能なエジェクタが当時の知識で容易に作られたとは思えないが、それらしいものは可能であったのかもしれない。あるいは、もう少し真空度が低くて15度くらいの水で我慢していたのかもしれない。温度が低くないと、除湿効果が低いので快適さは少ない。

 最近、日本の役所が提唱する28℃を保つ運動は、そこのところがおかしい。低湿度に保てば、28℃でも快適なのだが、ただ温度を保つことしか考えていないので湿度が高く、不快である。一部のエアコンを低温で作動させつつ、良く空気を攪拌して、全体として28℃を保てば、湿度は確実に低下する。近くの役所にそれを提言したのだが、担当者が全く理解できないようなので諦めた。
 この国の科学教育の底の浅さが露呈している。

2009年10月02日

続 エアコンダクト

Walthers' catalogWalthers' air-conditioner









 Walthersの屋根は木製である。Bass Woodをルータで削ったもので、反りもなく高品質である。モニタールーフに合わせて削り出した部品があって、それを貼り付けることによってダクトを増設したように作ることができる。継ぎ目は多少の加工が必要であるが、なかなかうまくできる。

air-conditioner's duct これはその断面である。荒い鋸で切ったものらしく、ささくれているがどんなものかはお分かり戴けるであろう。向こう側は、サーフェサを塗ってある。すなわち必要分を切った残りを反対側から撮ったものである。




 1920年代前半には、アメリカの最先端の優等客車にはエアコンが付いていたそうである。手元に資料がないので、記憶に残っているものを再現する。Refrigerator(冷凍装置)ではない冷水循環法で、Steam Ejector Chiller(蒸気噴射による減圧冷水製造装置)と言ったと思う。
 断熱した冷水タンクの上方に蒸気の噴射による擬似真空を作り、水を蒸発させてその潜熱で5℃くらいの冷水を作る方法である。冷水はポンプで循環させて室内の熱交換器で冷風を作るという凝った物であった。

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