2009年05月

2009年05月31日

Cajon Pass

No superelevationremoving tunnel for 4-track 今年のO Scale Westに行く時、いつもとはコースを変えて  Los Angelesから入国した。いくつかの拠点を巡ってシリコンヴァリィに到着した。

 カホン峠は、過去に何度も行っているが、今回は特別に大きな変化があった。去年工事をしていた四線化工事が完了し、トンネルを撤去して新線を敷いたのだ。この線区ではカントを全く付けていないのは興味深い。

 勾配区間では速度制限が厳しいから不要であることと、機関車の引張力で内側に引き倒す可能性を避けるためである。
 25パーミルもある区間で125輌も牽くのは異常である。しかしそれを毎日こなしている。機関士に言わせると、登りは気が楽だそうだ。現代の機関車は間違いなく牽き出す能力を持っている。連結器も切れにくくなった。

 下りは怖い。速度制限は25マイル/時で、それを超えると命がない。ダイナミック・ブレーキが良く効くので、速度超過の可能性はかなり低くなった。怖いのはブレーキの効き過ぎで、ジャックナイフのように列車が折れ曲がることだ。あっという間に何十輌も脱線転覆する。だから機関車を最後尾にたくさん付けて、ブレーキを効かせる。その時、連結器はぴんと張る。下手をするとショックで連結器が切れるといけないから、徐々に掛ける。
 この線区では、過去に何度もRun Away すなわち列車暴走が起きている。手順を間違えると悲劇を引き起こす。  

2009年05月29日

続々々々 タミヤのオープン・ハウス

 読者の方々からいろいろな御意見を頂戴している。
 そのほとんどが、「懐かしい」、「あの頃こんな模型もあった」、「これが欲しかった」である。筆者と同時代を共有した仲間である。

 凸型電気機関車の素性を教えてくださった方がある。匿名希望とあるので御名前を書くことはできないが、これは関西電力の黒部第四発電所工事のときに作られた機関車で、東芝製30トン型だそうである。1台のみ製造という。
 現在は、富山市内の車庫で保管されているという。

 田宮模型がなぜこの機関車に興味を持ったのかが興味深い。デザイン的には斬新であったことは間違いない。おそらく、当時の「模型とラジオ」誌のグラビアページに載ったのだろうと推測する。極めて薄い記憶であるが、東芝という言葉でその記事を思い出す。1960年前後の同誌は実家の倉庫にまだ保管されているはずなので、時間があれば調べに行こうと思う。

 当時は黒四ダム関連のニュースは大きく採り上げられていた。とにかく大きなダムで堰堤の高さも日本一であった。学校でも黒四関係の教材を良く使用していたように記憶する。当然模型雑誌にも紹介があったのであろう。

 ともかく、この機関車は黒四建設用であることが判明した。

2009年05月27日

続々々 タミヤのオープンハウス

Tamiya Collection 8Tamiya Collection 6





 
 左の写真の住宅は友人が買って作った。あまり良いデザインだとは思わなかった。それをもとにボール紙でもっと工夫した間取りの家を作って遊んだ。一番左の高層ビル風のものは見たことがない。このころから星二つのTamiyaマークが付いている。おそらく1962年頃以降であろう。これ以降はプラスティックモデル全盛で木製キットは淘汰されていった。
 
 右の写真のブルーバードという高速モータボートは筆者の好きなデザインで、2回購入している。垂直尾翼を薄く削って軽くした。単2電池一本でよく走り、近くの池でよく走らせた。ラッカ・サーフェサを塗っては磨き、ピカピカにした。二回目はさらに工夫して、水面下の部分を削りこんで抵抗が減るようにしたつもりだったが、性能はほとんど変わらなかった。子供の知恵の限界であった。

 右後ろのキャッチャ・ボートは欲しかったが、買えなかった。仕方なく、木片を削ってそれらしいものを作ったが、重心が高く横転した。船底におもりをつけたが、多少の量では安定せず、結局廃船となった。

 飛行機、船、汽車、自動車などありとあらゆる乗りものを作っていた。今思えば、よき少年時代であった。両親がこのようなことに寛容であったことに感謝している。こづかいは決して多くなかったが、ある程度の工具を自由に使えたので、助かった。 それと近所の大人たちの指導があった。いろいろな職業の職人たちが手助けをしてくれたのだ。その時得たテクニックは今でも十分役に立っている。 

 教えてくれるだけでなく、褒めてくれたことも大きな助けであった。それは自分の能力がその方向にあるということを示唆してくれていたわけで、将来の進路の指針となるものであった。残念ながらそちらの方向には進まなかったが、趣味として生涯を通じて楽しめるものになったのは、嬉しい。

2009年05月25日

続々タミヤのオープンハウス

Tamiya Collection 9 木で作るのは接着剤で組むわけであるから決して丈夫ではない。父はそれを見て、「ブラスで作らないとだめだ。」と言った。「砲塔は鋳物で作るといい。」とか「軸受は油がたまるようにしてギヤは厚い物を使わないとすぐに減ってしまう。」と本格的なアドヴァイスをしてくれた。しかし、それほど長時間動かしたわけではなく、棚の上でほこりまみれになった。ゴムのキャタピラが切れるまでに、そう時間はかからなかった。

 田宮製の模型より、日模の木製キットをたくさん作ったように思う。20円のトロッコのキットがあり、それを5台位つないで三線式のガラレイル上を走らせた。

 何かの資料でサイドダンプ式のトロッコを見た。それを作りたくなった。クランクを回すと荷台がひっくり返るようにした。しかし木製の悲しさで軽すぎて、全体がひっくり返った。そのアイデアだけは何人かの大人に褒めてもらったが、手で押さえていないと作動させられないというのは悲しかった。車体台枠を金属で作れば、重心が低くなり、うまくいくはずであった。それならばと、釣りのおもりの鉛を溶かして詰めたが、重すぎて摩擦が大きく、牽けなかった。木の枠に竹ひごの車軸を通してあるのだから、うまくいくわけはなかった。

 写真のクレーン車は箱絵とは全然違っていて落胆した。このようなことはよくあった。仕方がないので上廻りを作り替えた。ビームはトラス構造にしようと思ったが木製では無理であった。ブラス製にしようと思ったが、それを実現する前に下廻りが壊れて廃棄した。

2009年05月23日

続 タミヤのオープンハウス

Tamiya Collection 3 その青年は、ヒノキ棒を組み合わせた線路をキットから作ったが、線路幅が32个任△襪里呂かしいと、23.5mmゲージにした。当時、金属製の線路は高級品であった。車輪も木製であった。
 彼は、「どうしてOゲージは32个覆里。近鉄なら正しいが国鉄は狭いのに。」と言った。当時は、伊勢湾台風直後で、近鉄名古屋線が標準軌化されたばかりのときであった。

 三重県に入ってすぐの駅、桑名には標準軌、国鉄、三重交通北勢線の3種のゲージが並んでいて壮観であった。ものさしを持って行って測った。挙動不審だったらしく、補導されそうになった。

 1/45で計算すると確かに標準軌は32个砲覆襪、国鉄は23.5mm、北勢線は17mmになる。その青年はこれらの3種のゲージを揃えた模型を作ろうと言っていたが、父君が亡くなったそうで、故郷の福島に帰ってしまい、その後の消息は知らない。

 高校生の時、北勢線の模型は作ったが、16.5mmゲージにした。すべての寸法を、巻尺で計って図面を起こして作った。まだ大事に保管してある。 

 写真の蒸気機関車は欲しくてたまらなかったが、頼んで箱の中を見せてもらってがっくりきた。ロッドも何もないおもちゃであった。
 
 田宮の木製B凸電は好ましいスタイルだ。プロトタイプはどこの会社だろう。ほだか号と書いてある。
 これは近くの洋品屋の主人が買って、精密に作った。下回りを捨てて、台車はブラス製のD21だったかを付けた。動力を入れ、走るようにしてあった。色が良く本物みたいだと思った。ずいぶん長くその洋品店のショウ・ウィンドウに飾ってあったが、いつの間にか、夜逃げしてしまった。

 下の段に写っているスターリン戦車を作った。ナイフと紙ヤスリで整形して箱絵そっくりにした。キットのままでは、全く違う形にしかならなかったからだ。初めてラッカ・サーフェサを塗って研いだ。表面がつるつるになって美しかった。デカールはないので手で書いた。

2009年05月21日

タミヤのオープンハウス

Tamiya Collecion1Tamiya Collecion5Tamiya Collection4





 静岡グランシップで行われたトレインフェスタに参加した。所属するJORCが参加しているからだ。天候はいま一つで、日曜日は大雨となったが、かなりの人出があった。

 この週末は静岡市内ではホビィ・ショウがあり、タミヤの本社が公開され、社内見学ツアなどがある。以前何回か行ったことがあるが、何度行っても面白い。
 2階に博物館があり、昔の木製キットの時代のコレクションがある。子供のころ、近所の工場に勤める青年が田宮の戦艦大和を作っているのを見てあこがれた。それを見た近所の木型職人がもっとすごいのを作ってしまい、その青年はいやになってその大和を筆者にくれた。

 その時代には、木製の鉄道模型キットがいくつかあった。一番欲しかったのは「こだま号」のキットだった。これも、その近所の青年が一生懸命作っていた。たしか3両位作って見せてくれた。運転台がソリッドのブロックで、窓は黒く塗ってごまかすのだ。
 客室の窓は抜けているのに、どうして運転台も本当の窓にしないのだろうと不思議であった。今考えれば、金属製にしなければ窓枠が持たないことはすぐわかるが、当時は理解できなかった。当初Oゲージのみであったが、HOも発売された。近鉄の旧ビスタカーもあったのだ。

 台車は木製で、極めて粗雑であった。動力セットもあったのだろうが、塗って飾っただけでおしまいであった。塗装は刷毛塗りであまり良くなかった。このキットは当時180円位であったと記憶する。先頭車は250円位であった。当時の子供の小遣いでは買えない値段であった。いつか買いたいと思っているうちに、木製模型は消滅した。

 これが今でもYahooオークションに時々出るが、価格は1万円以上もする。誰も買わなくなった。最初のうちの数台は田宮が買ったのではないかと推測する。以前は無かったが、今年は何台か並んでいたからそう思ったのである。 

2009年05月19日

続 最適化

Dual Gauge in Shizuoka 前回、「正しい遊び方は、贅沢をすること」と書いてしまったので、誤解を恐れずにさらに書こう。

 アメリカで著名な模型人と仲良くなると、彼らが本当に余裕のある人たちであることに気が付く。もちろん全員がというわけではないが。
 家に招待されると、鉄道模型が彼らの道楽のうちの、ほんの一部であることがわかる。

 彼らが言うことは、皆ほとんど同じだ。

「人生は短いのだから楽しまねばならない。道楽というものは金を使うことだ。金は持って死ぬことはできない。」

「生活に余裕がない人が考えた遊び方は、すぐに行き詰る。発展性がないからな。世の中には、信じられないほどの金持ちがいるのだから、その人たちが面白いと思うものをやるべきだよ。最初はほとんどの人が無理と思っても、すぐ一般化されるさ。」

「趣味で金を稼ごうと思っては駄目だ。道楽だと思ってやる。つぎ込んだ金は戻らなくて当たり前。少しでも稼げたら、それに加えて、またつぎ込むのさ。」

「有名なインポータ達(Max Gray, US Hobbiesなど)が、金のために仕事をしたと思うのは間違いだ。彼らは儲けてはいない。トータルで考えればマイナスだ。彼らの能力を本業の方に向けていればもっと儲かっただろうね。」
 
 筆者は金があるわけではないが、考え方は彼らの思考に沿っている。趣味は消費なのである。投資ではない。リターンを考えるべきではないのだ。

 また、夢を形にするのであるから、上限を抑えるという方針ではいずれ破たんする。1965年ころ、新幹線のHO模型が発売された時、新規巻き直しをすべきであった。あの時蒸気機関車(1/80)と新幹線(1/87)が同じ線路を走るのを見て、若かった筆者でさえも、めまいを感じた。スケールも軌間も異なるものが同じ線路を走る。いずれ、これが大問題になるだろうということはすぐ分った。
 もっと多数の人たちが、最初の設定条件を捨て去るべきことに気が付くべきであった。いや、そういう人たちは居たのだろうが、それが顕在化しなかったのはなぜだろうか。

<写真は東静岡駅付近の新幹線保守用デュアルゲージ>

2009年05月17日

最適化

 Oゲージ(31.75mm)は世界中で採用されているゲージである。縮尺は3種あるが、どれもそれなりに発展している。
 Qゲージ(29.90mm)はアメリカにしかなかった。一時は淘汰されたが、Proto48として再起しようとしている。前途は多難だ。新しい規格で、線路、輪軸とも作り出すのは困難が伴う。

 約100年の時間をかけて最適化された結果、Oゲージがある。実物に比べて急な曲線を走行可能にし、適度なスケール感があるからだ。筆者の好む長大編成を走らせることができるのもOゲージだからこそである。Proto48では直線上でしかできないであろう。

 日本の16番は、登場以来60年以上経つが、最適化されているとは思えない。そもそもの条件として、「日本は貧しい国であった」というのがある。輸出品の線路・車輪を利用しようというのがそのきっかけであると、山崎喜陽氏は繰り返し書いていた。
 趣味の世界は遊びであるから、貧しいということを条件に入れるのは正しいことではなかったと思う。夢を形にすべきであった。誤解を恐れずに言えば、正しい遊び方は、贅沢をすることであろう。経済的に余裕のある人が考えた方法を採用すべきであった。

 もうかなり前に亡くなったが、進駐軍の将校であったS少佐は、
「日本人は変なことを始めた。やめておけと言ったのに1/80,16.5mmを始めた。当然1/48、22mm(Sゲージ)を始めるべきであった。」と筆者に話しかけたのだ。
「それよりも小さいゲージをやりたければ、1/64,16.5mmという手もあった。国鉄はナローゲージだということが、彼らには判らないのだ。」と筆者にぶつぶつと文句を言った。
 「1/87ならTTゲージ(12mm)を使わねばならないが、そこまで小さくなるとモータが手に入らないからな。」とかなり細かく考えていてくれたようだ。
 このS少佐とは、70年代にシカゴのNMRAのショウで知り合った。体格の良い陸軍軍人であった。

 古いTMS(一桁号あたり)には、多分この人のことであろうと思われる記述がある。

2009年05月15日

続々 Oスケール

 大型機のproto48は見たことがない。現実に走らせるところがないからであろう。
以前、e-bayのオークションでDRGWのL131(2-8-8-2)用の動輪及び先従輪セットをproto48に作り替えたものが出品された。そこそこの高値で落札されたので、どうなるかとひとごとながら心配していた。
 約1年後、その買い手がまた同じものを売りに出していた。「わずかしか走らせていない。」と書いてあった。

 せっかく動輪セットを落札して、手持ちの機関車を作り直したものの、走らないことがわかったのだろう。外して売り、それをまた誰かが落札した。そのうち同じことが繰り返されるだろうと予測する。

 模型は実物とは違う環境を走るように作られている。「何でも完全に縮小すれば素晴らしいことだ。」と考えるのは間違いであろう。以前にも書いたが、フランジに挽目が見える車輪とか、塗料のついた車輪に無頓着ではうまく行くはずがない。

 それと、ヤング率が変わらないということに気が付いていない人が多い。ヤング率とは、外力に対してどの程度の弾性変形をするかという値であり、それは素材に固有の値である。縮小すると硬いものは、相対的に、より硬くなる。レイルは硬く、バネも硬い。フレームも硬く、ねじれない。線路の不整に対する追随性を上げようと思うと、かなりの工夫が必要だが、それを考慮した模型を見たことがない。

 模型は小さい。小さい模型を走らせるためには知恵が要る。これは吉岡精一氏がよく言われることであるが、最近の模型雑誌を見ても、その知恵を感じることがほとんどなくなった。外見重視である。その外見までも間違っていれば、一体何をかいわんや、である。

 栗生氏のブログの曲がった橋の写真を見れば、理屈がいかに大切かがわかる。その理屈がよく理解された上で作られた模型は美しい。

2009年05月13日

続 Oスケール

 当時は完全なスケールモデルはまれであり、現在と比べるとかなり粗雑な模型を楽しんでいた。すると2mm程度の軌間の違いなどどうでもよいという意見が強くなり、"アメリカ国粋主義"の29.9mmゲージは、急速にその地位を失ったのだ。そして、シカゴの博物館の巨大レイアウトも、32丱押璽犬防澆替えられた。

 その後しばらくは、「Oゲージ = 32丱押璽検1/48」ということに、誰も疑いをはさまなかった。1980年代後半、細密模型を作る人たちは、この2mmの違いが許せなかった。たとえば蒸気機関車でのロッドの納まりが不完全であること、フランジが高いと動輪間隔が実物通りには作れない、ということがあった。

 彼らはProto48というグループを作り、「実物の鉄道を完全に1/48で作る」ということを標榜して活動を開始した。現在のところ、極めて少数派ではあるが、存続している。

 クロンカイトのQゲージとプロト48とは何が違うのであろうか。軌間は同じでスケールも同じである。

 それは車輪の規格である。Qゲージはそれまでの模型の常識であった厚い車輪、高いフランジを踏襲していた。したがって、実物通りの狭いゲージであっても、ロッドの納まりは良くなかった。当然のことながら、プロト48なら完璧に納まる。

 しかし問題は実物通りの線路を敷ける環境があるかどうかだ。アメリカと言えども半径10mの線路は敷けない。せいぜい半径3mである。すると、工場の引き込み線程度の半径であり、小型機しか走らせられない。
 いくつかのレイアウトを訪ねたが、蒸気機関車ならせいぜいコンソリデーション2-8-0、ディーゼル機関車はB-Bタイプしか走っていなかった。それが限界であった。
  

2009年05月11日

Oスケール

「Oゲージがスケール通りのゲージでないことは、意外でした。」というメイルを、何人かから戴いている。

 アメリカのOスケールは1/48サイズである。本物の1フート(304.8mm)を1/4インチにしているので、Quarter Inch Scale とも言う。

 1920年代初頭 、ヨーロッパから新大陸に伝えられたOゲージは、当初17/64インチスケール(1/45.3サイズ)で作られた。これはスケール通りのゲージであった。
 この17/64インチスケールというのは、生活に全く結び付かないスケールであった。一方、1/4インチスケールは、住宅の図面に用いられる代表的なスケールであった。
 したがって、その目的に合うスケール(定規)は市販されていた。(いわゆる三角スケールにもこの目盛がある。)図面にその定規を当てれば、実物の寸法が出る。

 しばらくの間、17/64インチスケールと1/4インチスケールは並立していた。しかし1/4スケールが優勢になった。これはModel Railroader誌の図面が1/4インチスケールを採用したことが大きなきっかけであるという説をアメリカ人から聞いた。また、ドールハウスの主要なサイズでもあったことも大きな要因であった。

 すると軌間1-1/4インチ(31.75mm)は実物の5ftゲージとなり、リンカーンが採用しようとした軌間になる。Erie鉄道は、もともと5ftゲージであったので、その時期の模型を作れば完全にスケール通りとなるが、それは見たことがない。
 
 当初5ftゲージを採用していたErie鉄道の車両限界は大きく、東部から中西部に発電機、変圧器などの大きな貨物を運ぶ時は必ずErie鉄道を利用した。

 1/48が主導権を握ったのは1930年ころである。Minton Cronkhite という人が提唱者であり、製造者であった。市場の大半を握っていたという。
 彼らは、スケール通りの1-3/16インチゲージ(29.9mmゲージを)広めようとした。しかもそのゲージをOではなく似た文字Q(quarter の頭文字でもある)を使ってQゲージとした。現実に、シカゴの科学工業博物館の巨大なレイアウトはそのゲージで敷設された。しかし、国際規格である1-1/4インチゲージから外れたことにはかなりの批判があった。

2009年05月09日

続 欠線部

gap この図は欠線部を車輪が通過していくときの様子を示す。フランジウェイが1.25mmで踏面幅が3mmと仮定するとフログ角24度まで落ち込みはない。すなわち、ポイントではすべて大丈夫で、クロッシングでもこの角度以上でなければ、全く落ち込まないということである。

 ところが軌間32mmで、フランジウェイが2mm、左右に自由に1mmのユルミがあるとすると10番ポイントでも落ち込むことになる。踏面幅が4mmあればよいが太すぎる。
 やはり非対称ポイントは必要なのである。

 理屈は分かっていても、非対称なのはいやだと仰る人は多い。これはポイントを上から見るからで、レイアウト上では全く気にならない。観客の目はフログの方に惹き付けられる。ガード・レイルには目が行かない。フログが狭くて実感的であると感じるはずだ。

 直角クロッシングで落ち込むのは避けられないが、通過頻度の高い本線上のポイントが傷まないから助かるのだ。

 機関車の動輪のフランジは、Low-Dである必要は全くない。RP25であっても問題ない。カーヴではフランジが当たって、牽引力が増えるかもしれない。
 


 

2009年05月07日

欠線部

 日本のOゲージの最大の団体であるJORCが20年ほど前に発足した。それまでのOゲージ愛好家は全くの孤立無援か、完全にアメリカとのみ交信していた人たちである。昭和20年代からの日本のOゲージは輪軸の規格などあってないようなもので、車輪厚も6ミリ程度あった。フランジは帽子のつば状のものが多く、ポイントでの割り出しが多かった。

 アメリカの規格を受け入れていた人たちは、ある程度、規格の重要性を認識していた。明らかにRP25車輪は脱線しにくかったからだ。

 JORC発足後、規格委員会というものが設けられ、吉岡精一氏や植松宏嘉氏、旧国鉄出身のH氏など錚々たるメンバーを揃え、筆者も末席に座った。

 そこでの議論は、全くかみ合わず、実物の経験者は実物の機能ばかり振りかざし、模型での実用性を考えなかった。3年ほどもめていたが何も得られたものはなく、筆者が機材の調達役をある程度果たしていたので、全体としてはRP25方面に傾いていった。

 その席上、H氏が、フログ欠線部での落ち込みが全くないような規格を作るとおっしゃったが、結局何も出てこなかった。吉岡氏と筆者は密に連絡を取っていたので、フランジ厚をやや小さくしてゲージを縮めれば可能という結論に到達した。それが唯一にして絶対の解決法であった。しかし、H氏にとってはゲージを狭めることは、彼の想定の範囲になかったので、全く取り合ってもらえなかった。

 実物と模型の違いは何か。「それはフランジが厚いこと」だけである。

2009年05月05日

Railhead

railhead contour 厳密にはレイルヘッドは丸くなければならない。ほとんどの模型線路のレイルヘッドは丸くない。線路磨きに用いる大きな消しゴム状の研磨材でこするので、たいてい平坦である。この図はレイルヘッドの丸みをやや誇張して描いてある。

 さて、Low-D車輪が、狭くしたフランジウェイを通過するときのことを考えよう。左右のP点間の距離は31个任△襪ら、ちょうどこの図のような位置にある。その時、レイルヘッドが角ばっているとどうなるだろう。車輪はかなり持ちあがるはずだ。

 少し丸みが付いていると、かなり助かる。狭めた線路はよくすりへるので自然に丸くなりやすいが、細かいサンドペーパで内側を磨くと、通過時の車体の挙動が良くなる。また、フランジウェイ欠線部を通過するときの挙動も格段に良くなる。

 32丱押璽孤分を走っているときの接触状況は、図中の二つの状態を行ったり来たりしているはずだ。
 32丱押璽犬鯤櫃辰討い詼楡では、特に何もしなくても、レイルヘッドの形は自然に良好な形に保たれるし、たとえ平坦であっても問題は起きない。しかし、高速で通過する本線上の分岐は、ある程度の配慮が必要である。

 Oゲージ以上の鉄道模型は、このあたりがそれ以下の大きさの模型と大きく違う。質量の大きなものが、高速で通過するとimpact(衝撃力)が大きく、フログは徐々に壊れていく。洋銀レイルのフログはたちまちつぶれる。鋼製フログが望ましい。できれば焼入れしてあるとよい。いずれ作ってみたい。  

2009年05月03日

車輪の直径の測定位置

 鉄道の専門家から、車輪の直径の測り方について注意を受けた。

>車輪の外径は、フランジフィレットの始りで測るのではありません。
>フランジの高さとは、狭軌1067mm軌間ならば、車輪一対の中心線より560mmの位置を基本としてフランジの高さ、外面距離、車輪直径を測定するように決められています。車輪内側から65mmの位置になります。ちなみに、車輪厚さは日本では125mmがほとんどです。
>標準軌1435mmではどうかというと、新幹線を参考にバック・トゥ・バックは1360mmwで65x2をプラスすると1490mmで、その1/2=745mmで測定位置でしょうか。
>模型の車輪は厚いので車輪厚さの1/2で考えることになると思います。



 以前、この方から教えて戴いていたので、表記には多少迷うところがあったが、実質的にレイルに触れる部分としてフィレットの始まりで考えた。

 同じ方からのメイルの続きである。



>TMSの写真を見ていると、この人知っているのかなと思うような車輪を削って、得意になって記事にしている人もいます。本当にきちんとした走りをするのか疑問が湧きます。「いい加減な車輪つくりはやめて」と言いたいですね。
>まだフランジでカーブを曲がるんだと思っている人が多すぎますね。

>実物のレイルを知らないメーカーが作った模型のレイルは頭が平らで、使う者もヤスリでごしごし削ってしまうほどですから、本当に走行に適したレイルとは言い難いです。

>全部のメーカーがLow-D車輪で作って頂きたいですね。このLow-D車輪を見ているとほれぼれします。



 多少なりとも、おほめを戴いたので安心した。

2009年05月01日

続々々 Track Gauge

 もう一つのメイルを紹介させて戴く。

>blogは核心部に入っていますね。
>私も走らせていない部類なので、大きなことは言えないのですが、識者の皆さんからもっとコメントがあるものだと思っていましたので、意外でした。
>走らせていない人が多いというのと、走らせてはいるけれど、とりあえず問題なく走るので、走ると言うことに対して深く考えていない人が多い、という両方なのでしょうか。


 まさにその通りなのである。走りをより良くするということに、興味が向かないのだろう。これは日本の模型界の最大の問題だ。走らせてみると、問題点はすぐに見つかる。ポイントを一度も通したことのない車両が多いのではないだろうか。

 広いゲージを狭くし、フランジ・ウェイを狭くして外観を向上させつつ、車輪の落ち込みを減らすのはLow-Dだからできることなのである。
 すべての軌間を31mmにするのではない。ポイントの直線部と、クロスだけをを31mmにするのである。高速で走る本線は狭めるべきではない。側線は、直線である限り、31mmでも問題はない。観客がじっくり見る部分は狭くしておくと実感が増して良い。

 Low-Dの開発時に、吉岡精一氏とは多量の手紙のやり取りがあった。その時のことを思い出す。「前例に捉われるな。新しいことを始めると何ができるか。すべての可能性を洗い出せ。」と言われて、随分と頭を絞った。

 今回、思わぬことで車輪を増産できたので、すべての車両の輪軸更新が完了した。その結果、フログも更新することができた。
 重量列車が走る本線のフログは、たちまち傷む。するとフランジ・ウェイの底をフランジで走るようになる。動力車のフランジ高さは完全に一定ではないので、挙動がおかしくなる。狭いフランジ・ウェイこそがすべての問題を解決するのだ。

 実は、コメントが殺到して、以前のイコライジングの時のようになると思っていたが、拍子抜けした。この手の話は、走らせていない人にはピンと来ないのではないかと思う。イコライジングも走らせていない人には、ご理解戴けないところがあったように感じた。

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