2008年08月

2008年08月30日

続 Jim のライオネルレイアウト

馬を積み込む この写真は、振動により馬を動かす装置である。スイッチを入れるとかなりやかましいが、馬が動き始める。

 ジジジジジジという振動はブザの振動を用いている。極めて簡単な構造であるが 、馬は一定方向に動く。残念ながら動画を撮るのに失敗している。

 これは戦前のものだそうだ。その復刻版も出ている。Jimはその両方を持っている。価格を聞いてみると、オークションでの標準的な価格は、どちらも150ドル近辺だそうだ。

Figures made by Jim これはJimの特技の木彫りである。高さ20cmくらいの人形で、機関士以外にいろいろな物を作っている。たまたま部屋にあったものがこの二つで、あとは写真を撮れなかった。

2008年08月28日

Jimのライオネルレイアウト

Jim's layout Jimは空軍を退役して人生を楽しんでいる。Dennisと教会で知り合うまで、互いに、空軍にいた事も鉄道趣味のことも知らなかったという。
 Dennisの家から車で5分のところに住んでいる。木彫りが大変上手で、面白い表情の人形をたくさん作っている。

 遊びに行くと、庭の8坪ほどの小屋を見せてくれた。入り口はカブースのデッキを模した作りで、中を見るとライオネルのコレクションが一杯であった。
 どれも良く走り、楽しい。特にギミックつきの車輌を集めている。


冷蔵車に氷を積み込む。

ミルク缶を冷蔵車から降ろす。
 
製材所で板を積み込む。
 
フォークリフトでドラム缶を積み込む。

 他に、牛が貨車に入ったり出たりする。階段を登って照明塔の修理をするなどどれもとても楽しい動きだ。

 Dennisに「スケールモデルの世界に入れ。」と永年誘われているが、腰が重い。

2008年08月26日

続々々々 Charlieのレイアウト

Easy DCC CharlieのDCCである。Easy DCCという機種で、初めて見た。この会社は、もともとはGゲージなどの屋外用大型レイアウトの運転を無線を使って行なう装置を出していた会社である。DCCへの参入はやや遅いが、無線技術を生かした構成になっている。
 使用した感想はNCEとそう変わらなかった。もっとも同じDCCで大きく変わると大変なことではあるが。無線でのレスポンスは非常に速い。最近はNCEも改良品を出している。競争することはとても良いことである。
Charlie and Jim この写真の手前が同行したJimである。彼も空軍出身で、ライオネルのコレクターである。向こうがCharlieである。彼にはO Scale Westで何度か会っていたが、まさかTexasに住んでいるとは思わなかった。向こうも、筆者が日本に住んでいるとは思わなかったと言っていた。

An old layout covered by a magazine 過去に発表したレイアウトの記事を見せてもらった。このレイアウトはすでに壊してしまったそうだ。
 現在建設中のものが彼のマスターピースとなるであろう。



Steam Tractor 最後に見せてもらったのがこれである。彼の父君が作ったライヴスティームのトラクタである。全長1.2mほどである。彼の緻密な頭脳と工作力は、親譲りである。それにしてもこれだけのものを戦前に作れるとは、余裕のある生活がすでにそこにあったということである。

2008年08月24日

続々々 Charlieのレイアウト

a turntable on a peninsula これがその半島上にあるターンテイブルである。右半分がDCC, 左がDCの領域になっている。右の奥がヤードである。黒いパネルはDCC.
 あまり大きくなくて、パシフィックや、コンソリが載る程度である。


SP Consolidation コンソリを載せるとこの程度になる。この機関車はUS Hobbiesの時代のものである。いわゆるHarrimanタイプの2-8-0である。テンダは自作で、SP風にしてある。塗装に少し気を遣っている。インジェクタを赤く塗っているところがいかにもSP風である。

Dockside これはDocksideである。この機関車は実物は2台程度しかなかったそうだが、模型はたくさん売れた。HOで売れた数を足せば数十万台作られたのではないだろうか。
 これもUS Hobbiesである。それ以前のものに比べて動輪が小さく、正しい大きさになっている。旧製品は動輪が妙に大きかった。筆者にとってDockside が走るのを見るのはこれが初めてである。2軸の割によく走った。重いのとスプリングがよく効いているからである。当然DCCで良い音がした。

2008年08月22日

続々 Charlieのレイアウト

Charlie's Layout 2 この部分は、高さ48インチで倉庫などを作るつもりのようだ。
 この裏側にも線路がある半島になっており、機関車のみはターンテーブルを介して行き来できるようになっている。ちょとしたアイデアである。今の所ここはDCのみの領域で、訪問時には走らせることはしなかった。

Cantilever Signal  Tower Charlieの信号機に傾ける情熱は、今まで会った人の中で最高である。このcantilever(片持ち型)の信号機はUP, SPでよく見かける。もちろん他の鉄道にもある。彼はSPの蒸気時代を模型化することにしているからこの信号機が正しい。cantileverの信号機はMax Grayの時代のものであるそうだ。

Timber Trestle このティンバ・トレッスルは、このレイアウト中で一番の見せ場であると言う。トンネルから出てすぐのところにある。

2008年08月20日

続 Charlieのレイアウト

Tortoise Switch Machine Charlieのレイアウトで一番驚いたのは、たくさんあるTortoiseのポイントマシンが、レイアウトの手前に並び、その動きをリンクでポイントに伝えていることである。
 その理由は、Oゲージでは大きなストロークが必要であることと、ポイント真下にもぐりこんで取り付け、調整をすることをわずらわしく思うからである。

Tortoise with linkLink under Switch 簡単なリンクで結び、ポイントの横にはブラスの二重チューブがある。彼の言うとおり、「簡単な方法である」というのは間違いない。配線は、レイアウト手前にあるShelf(棚)の中に全て入っているので、あとで変更、修理するのに便利である。彼はこれを"Traceable"という言葉を使って表現した。トレイサブルというのはよい言葉である。これからは使わせて戴く。

 Charlieは信号機の製作記事をいくつか発表している。その記事と現物を見せていただいた。踏み切りのWigwagが動くところは面白い。小さいながらも、周期は実物並みで、重力加速度をそこだけ小さくしたような動きである。しかも列車が通過すると真下にぶら下がる。

 閉塞信号はDCC電流を検知して切り替わる。動力車のみを検知するから貨物列車の場合は苦しい。カブースにライトをつけても、それ位では検知できないようだ。
 筆者の場合は、長い貨物列車なので光学的検出方法を考えていると言うと、「それしかないだろうな」ということになった。「どれくらい長いのだ。」と聞くので、「動画を持ってきたから」と言って、USBメモリをつながせてもらった。

 なんと、見た途端に、「Youtubeで見た。」と言うではないか。この動画はアメリカのO Scale界では有名であると言うのだ。詳しく説明せよと言うので、持って行ったサンプルとO Scale Westで行った講演のPOWER POINTを見せた。彼は興奮して、「これが究極の鉄道模型だ!」と叫んだ。 「誰がやっているのか判らなかったが、ついに判った。」と興奮していた。

2008年08月18日

Charlieのレイアウト

Charlie's Layout Charlieは、Abileneの北50マイルくらいの町に住んでいる。想像を絶する田舎で、牛の数の100分の1も人間がいないだろう。道路が舗装してないのにも驚いた。赤い土埃を立てながら、車が走った。
 T&Pの支線が通っていたらしいが、30年位前に廃止されたらしい。チャーリィの奥さんの出身地にヒューストンから引っ越してきて、家を建てたのだそうだ。この土地としては珍しい地下室のある家である。退職後は田舎暮らしをしたかったのだそうだ。
 
 もともとは石油掘削機器を作る会社に居た。特許を7つ持っていて、壁にその特許証を額に入れて飾ってある。非常に緻密な思考をする聡明な技術者である。

 地下のレイアウトは 8 m × 12 mくらいで、アメリカのレイアウトとしては小さい。当然DCCであるが、半数の機関車がDCなので部分的に切り替えられるようになっている。レイアウトの制御はDCCである。
 ポイントが40台ほどあるが、「配線が少なくなって楽だった」としみじみと言う。もしこれがDCCでなかったら配線の量は10倍であっただろうと言う。

 レイアウトの高さは48インチと36インチであり、その間を勾配線がつないでいる。ヤードは有効長が5 mほどで、あまり長い編成は組めない。15輌くらいの貨物列車をコンソリデーションやミカドが牽く。勾配がきつく、長い列車を牽くのは無理であった。「重連をやりましょう。」と提案すると、「そうだ、それはまだやったことがないね。」と乗り気になった。35輌の貨物列車を筆者が組み立ててつないだ。

 Consistという重連の仕方ではなく、二人で二台の機関車を運転し、掛け声をかけながら発車した。ディーゼル電気機関車の重連はコンシストが自然であるが、蒸機の場合はキャブ2台の方が、ずっと楽しい。登り坂では両方が頑張らねばならない。 峠を通過するときは「閉める!」と叫ぶ。lead engineの機関士に決定権がある。重連時の汽笛の鳴らし方はマニュアルを探さなければ分からないと言うので、声による意思疎通であった。久しぶりに楽しい運転であった。 

2008年08月16日

騎兵隊フリーク

Fort Chadbourne Garlandは砦を持っている。騎兵隊の時代の本物の砦である。500m四方くらいの広さで、城壁と将校用の住宅、兵舎、厩などが残っている。長い間放置されていたので、完全に崩れ落ちたのを修復したのだ。

 土地を碁盤の目に仕切り、機械で土を丁寧に掘り、それを篩(ふるい)にかける。すると当時のボタンとか襟章、銃弾、薬莢などが出てくる。それらを丁寧に分け、座標別に展示してある。

 建物はある程度までは現状を保存し、壊れたところは崩れた石を使って修復している。建物内部も当時の工法を用いて再現しているが、部分的に、断熱してエアコンを入れている。

 Gunと刀のコレクションは秀逸で、各種のものが集められている。実際に撃つことが出来る。銃剣をつけるとかなり重い。

 騎兵用の刀の使い方などを実際に教えてもらった。切るのではなく、突くためのものであることが分かった。彼は日本刀にも興味がある。

 この砦はすでにインディアンとの攻防が終わったあとのものらしく、籠城戦の備えはなかった。約20マイルおきに置かれて、伝令が走るための基地として用いられたようだ。

 軍の伝令のみならず、Pony Expressに類するものも走っていたようだ。これは初期の郵便システムであり、馬を全速で走らせて手紙を配達するために、後には駅間をやや縮めている。騎手は極めて危険な仕事であり、独身の若者が採用されたとある。体重制限もあったようだ。給料はかなり高く、当時の花形の職業であったが、電信の開通により廃止された。

2008年08月14日

バッファロを育てる

バッファロがやってきた Dennisの友人Garlandはバッファロを飼っている。

 バッファロ(アメリカバイソン)は、北米大陸に何千万頭もいたのだろうが、白人がインディアン対策としてそれを大量に殺し、事実上絶滅した。インディアンがバッファロを追って、やってくるのを防ぐには、バッファロがいなくなればよいと思ったからだ。

 その後僅かに生き残った群れが発見され、Yellow Stone National Parkで保護されてきた。そのうちの数頭を借りてきて繁殖させたのが彼である。これを見せたくて呼んでくれた。牧場の中に入ってもそのような群れはいなかった。持って行った餌をあたりにばら撒き、自動車の警笛を鳴らすと、どこからとも無く大群がやってきて、車の周りを埋め尽くした。ぶつかってくるので、車が左右に揺れる。

バッファロの群れ 「出るなよ。」と言われた。もちろん、怖くて窓を閉め切っていた。餌を食べてからは落ち着いたので外に出た。とても大きい。体重は2000ポンド(900kg)あるそうだから、何かあると命にかかわる。一週間に1回くらいは、このような餌付けをしているのだそうだ。意外とおとなしく、触っても動かなかった。生まれたときから人間と接触しているので、飼いならされているのだ。

 西部開拓時代にはバッファロの大群が暴走し、町が消えてしまった話を聞いた。線路上を数マイルに亘って埋め尽くして、汽車が走らなかったことも多々あったらしい。

 牧場を出て、彼の倉庫を見せてもらった。彼は南北戦争時代の骨董品を集めている。それをレストアして実際に走らせている。また、当時の大砲も持っていて、本当にぶっ放すのだ。

Stage Coach その最新作のレストア品はStage Coach (駅馬車)である。金属のばねと革で出来サスペンションは、かなりよい乗り心地を作り出す。このConcord CoachはOx-Bow Routeを通るの駅馬車会社Butterfield Stage Coachの車輌である。

2008年08月12日

続 Carlsbad の鍾乳洞

Bat Feight 世界遺産に指定された頃から、遊歩道が整備されて歩けるところが増えた。例のコウモリの穴から下って地下200mまで行けるようになったのには驚いた。この地図の青い線がその通路を示している。コウモリはその通路上を飛び出していくのだ。実際のコウモリの飛ぶ様子はこの図の100倍位である。本物は真っ黒の雲である。


ranger's talk in front of cave この写真はコウモリが飛び出す直前の様子。レインジャが説明のあと、背後の黒い穴から飛び出すのだ。

 この入り口から入ることにした。かなりの急勾配ではあるが、完全に舗装されている。下りはひざにこたえるが、1時間半ほど歩くと地底の大空間に到着する。

 その広さはサッカー場8個分と言われ、天井高は120mもある。秋吉台の秋芳洞などの比ではない。規模が2桁以上違う。

 以前はところどころに金網で出来たケイジ Cage があり、1時間ごとに子供たちをそこに押し込んで5分間全体の電気を消し、暗闇の世界を体験させていたが、それはもうやっていなかった。オリの中に入れられたのは12歳以下の子供で、安全確保のためである。"Jail"と言う人も居て、子供たちには人気の場所であったから、無くなったのは残念であった。

 レインジャの人にどうしてなくなったのかと問うても、皆若い人たちばかりで誰もその当時のことを知らなかった。逆に、「そのオリのアイデアは面白い。」会議で提案するから、詳しく教えてくれとせがまれたのには参った。

すれ違いで写したUP貨物列車 Abileneへの復路は往きと異なる道を通った。意外にもUPの線路の近くであった。すれ違いざまに片手で撮ったのがこの写真。



2008年08月10日

Carlsbad の鍾乳洞

側線上のUP Abileneから近い(と言っても300マイル以上)ところにCarlsbad Caverns がある。これは世界最大と思われる鍾乳洞で、洞窟好きの筆者にとっては行かざるを得ない場所である。20年前にも行ったことがあるが、その後かなりの進歩を遂げて、歩ける範囲がかなり伸びていると聞いたからだ。ニューメキシコ州に入ったすぐのところである。

車で5時間半掛かる。TP(T&P) と平行して走ると、貨物列車と抜きつ抜かれつの状態になった。少し先回りして待っていたが、ちっとも来ない。戻ってみると退避線に入っていた。

 筆者の興味は夕方7時30分のBat Flightにあった。そもそもこの洞窟が見つかったのは、夕方コウモリの大群が飛び出す穴があったことによる。大群といってもあまり実感は湧かなかった。

 そのコウモリの穴の周りには観客席が設けられ数百人を収容できる。レインジャ(Ranger)と呼ばれるガイド兼監視人の説明の後、コウモリが飛び出した。

 その数や数百万から2千万と言われる。黒い旋風が直径50mくらいの真っ黒の竜巻になり、30分以上もかかって出る。夕暮れの空に黒い雲が出来る。1秒当たり数千から1万くらいの割合であるから、向こうが透けて見えなくなる程の量である。

 正直なところ非常に驚いた。これほどまでに大規模とは思わなかった。コウモリの飛ぶ音が超低周波で腹に響き、独特の臭いがあたりを埋め尽くす。観客は、最初の一瞬は歓声を上げるが、そのあとは圧倒されて声も出ない。残念ながら、撮影禁止になっている。フラッシュを焚かなければよいはずなのだが、完全に禁止されている。

 コウモリは飛び出す時に直径100mくらいの垂直の穴を50mくらい昇らねばならないので、そこで反時計周りの螺旋を描く。整然とした動きで魅了される。その様子は、しばらく前の映画の"Green Mile”に出てくる死刑囚の口から出る黒い虫の大群を思い出した。その日は興奮のあまり、寝付けなかった。

2008年08月08日

続々 Texasの旅

Abilene T&P StationDowntown AbileneこれがT&P駅である。きれいにレストアされている。さすがに旅客駅であった当時の繁栄を彷彿とさせる。駅前にはホテルや新聞社、映画館が立ち並び、昔の栄光の日々を偲ばせてくれる。それらの建物は全て空き家になり、町並み保存会が管理している。映画館だけは、一月に3回くらいなつかしい映画を上映するそうである。


Abilene Burlington StationBurlington Station West SideこれがCB&Q駅である。薄汚い倉庫街の中にあり、うっかりすると通り過ぎそうである。この写真を撮っていたら、「買うつもりなのか。やめておけよ。こんな物騒なところなんか。」と声を掛けられた。「いや、鉄道ファンで写真を撮るだけだ。」と言うと、「えっ、これが駅なのか?!」と逆に驚かれる始末であった。

Corner Stones 建物の角は石がはめ込まれ、格調高いつくりではあるが、放置されて薄汚い。しかし、いまだに"Burlington Route"の文字が見える。ワークスK様あたりはきっとご興味がおありだろう。

2008年08月06日

続 Texasの旅

T&P Texas and Pacific鉄道は1976年にMissouri Pacific鉄道に併合され、その2年後にさらにUnion Pacific鉄道に併合された。しかし町の人は今でもT&P鉄道という名前に愛着を持ち、いまだに「TP Stationの方に行く」と言う。



UP Train Passing AbileneTo Trains 駅はかなり豪華なつくりで、当時の繁栄をしのばせる。現在は博物館になっている。荒れ地の中に突然出来た駅であろうから、周りの土地とは同一平面である。後に駅の辺りだけは地下の人道を作るために少し持ち上げてはいるが、それでも交差する道路は下を掘ってかなり深くもぐっている。駅から500mほど離れると一部の道路とは平面交差していて、列車が接近すると猛烈なホーンを鳴らす。その音が町中に響き渡り、列車が通過していくのが分かる。そういう意味では、鉄道に対するノスタルジィをいつまでも市民に感じさせ続ける町である。駅の近くの橋は大半がいまだに木製であるが、全く傷んでいない。乾燥した地域だからだろうが、たいしたものである。

Connecting lines Abilene Burlington Station T&P駅から数ブロック離れたところにCB&Qの駅がある。これはかなり見劣りがする。しかし、Chicago,Burlington and Quincy Railroad と書いてあり、Colorado Southern Railroadとも乗り入れしているとも書いてあった。
 現在は完全な廃屋であるが、当時はシカゴに直結する重要路線の一部であったのだ。

 その周りは倉庫街で、引込み線が網の目のように張り巡らされている。しかし、現在では半分埋もれてしまっている。以前はT&Pに対して立体交差で直交する線路があったが廃止されている。


2008年08月04日

Texasの旅

Old Abilene Texasの友人、Dennisとは長い付合いである。彼とは歳が近い。奥さんのKathyも気さくな人で、かねてより遊びに来ないかという誘いがあったのだ。
 この夏に2週間の休暇が取れることが分かったので、思い切って行ってみたという次第である。 

 Texasは過去二度行ったことがある。しかし2週間も同じところに居たのは初めてで、様子がよく分かった。Texasは広く、場所によって気候が全く違う。
 
 DFW(ダラス・フォートワース空港)からレンタカーに乗ってひたすら西に向かい、時差ぼけで眠りそうになるのをこらえながら3時間でAbileneに着いた。アバリーンと発音する(太字を強く発音する)。昔は南部から追い上げてきた牛の群れをここで貨車に載せ、シカゴに向けて送り出したのだ。全てがその目的の町で、家畜業者以外、誰も住んでいなかったという。
 1881年のTexas and Pacific鉄道の開通以前は、カウボーイたちがカンザス・シティまでさらに1000キロ近く牛の群れを追っていたのである。
 
 ここはWest Texasと呼ばれる高地で乾いた地域ではある。しかし、多少の降水があるらしく潅木に覆われた地域である。水道は池の水を使っているから、季節により多少臭いことがあると言う。飲用水は特殊なフィルタで漉して使うようにしていた。  
 
 現在は人口12万位の小都市である。郊外には広大な空軍基地があり、デニスはそこでB-1に乗務していた将校である。壁には"Captain”と大書された現役時代の写真が貼ってある。健康上の理由で退役したのだそうだ。小型飛行機も持っていたがそれも売却し、今は2002年型マスタング・コブラだけに乗っている。 いつも車庫に入れているので、新車のようにぴかぴかである。

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