2008年02月

2008年02月29日

Kadee Twin Spiker

Kadee twin spikerKadee twin spiker bottom コード125レイルを購入し、KadeeTwin Spikerも注文した。結構な金額で驚いた。確かに、#100用を#125にはめるのだから無理があった。細い砥石で念入りに溝を広げて、試射してみると、レイルヘッドに傷がほとんど付かないように打つことが出来ることがわかった。

 コルク道床に枕木を貼り、レイルを打ちつけた。レイルの位置はジグでそろえておき、錘で押さえて置けばよい。うまくやれば90cmの線路を3分くらいで打ち終えることが出来る。これを休みの日に猛烈な勢いでやった。

10 MILES OF TRACK, LAID IN ONE DAY わがレイアウトには、"10 METERS OF TRACK, LAID IN ONE DAY" という札が立っているところがある。(左の写真はサクラメントゥの鉄道博物館にあるセントラル・パシフィック鉄道の建設途上の展示より。)
 このTwin Spiker はよく出来ているのだが、打ち込む瞬間に、レイルヘッドの幅の分だけが切り飛ばされてしまう。その部分がどこに行くのかは知ったことではないという設計だ。室内ではそれは迷惑な話である。仕方がないので大きな磁石をぶら下げて、飛び出した切れ端をSpikerの直前で受け止めるようにした。

先ほど気が付いたことであるが、#700-39というパーツ番号を見ると、そこにchip magnet and shield と書いてある。どうやらその必要性があって開発していたようだ。

 しばらく使っていると不具合が生じてきた。本体,硫実Δ紡腓なヒビが入ってきた。要するに毎回打ち付けられるカッタ兼ハンマの衝撃によりダイキャストが割れたのだ。Kadeeの社長に会ったときに、それを言うと、無償で取り替えるとは言っていたが不機嫌そうであった。設計が悪かったことを指摘したからだ。その後、販売は中止されている。日本に何台くらいあるのか、知りたいものだと思っている。
E-bayでもこれが出品されているのは、ついぞ見たことがない。

 そのうち取り換えようと思っていたが、引越しで肝心のスパイカが行方不明になってしまった。スパイクはたくさん残っているのだが。
 そのうち見つかるだろうと思っているが、かれこれ15年も経ってしまった。

2008年02月27日

Lorell Joiner氏のこと その4

O Scale Railroading p.23,'78 #4issue Joiner氏の技法は筆者のレイアウトにも、多大な影響を及ぼしている。彼のレイアウトは、すべてhand laid である。枕木を並べ、レイルを置いて、しかもすべての枕木に4本ずつの犬釘が打ってある。

 Flexible Track ではないのだ。理由は実感的な線路を作るにはそれしかないということである。しかし多大な労力が必要である。




 Joiner氏はそれを極めてうまい工夫で克服した。
)輒擇鬟献阿貌れて3ftずつ整列させる。
△修譴鬟泪好ング・テープで吊り上げる。間隔のそろった枕木を路盤上に移し替え、接着剤が固まるのを待つ。
A澗里縫汽鵐鼻Ε撻ぅ僂魍櫃院▲譽ぅ襪寮椰する面を平滑にする。ステインを塗って着色する。
ぅ譽ぅ襪鬟献阿鮖箸辰橡輒攵紊肪屬、KadeeのTwin Spiker で打ち付ける。

Kadee Twin Spiker exploded view この方法は、コード125レイルの採用で可能になった。本来Kadeeのスパイカはコード100用ともっと細いレイル用の3種しかない。Joiner氏は、そのヘッドを砥石で微妙に広げ、#125レイル・ヘッドにはまるようにしたのだ。

 筆者も直ちにそれを購入し、#125用に改造した。筆者のレイアウトでは、枕木6000本とスパイク24000本を消費したが、彼のそれは枕木60000本以上だそうだ。
 彼のポリシィは「枕木間隔を狭くする」であった。そうすると長手方向から見ると、「レイルの長さがずっと長く見える」ということであった。確かにそう見える。彼ほどの大レイアウトでも、線路を長く見せるということは大事なことなのであった。この点には随分と感銘を受けた。

2008年02月25日

Lorell Joiner氏のこと その3

 この悲報は、全米の模型人に瞬く間に伝わった。しかし、自殺という言葉はウェブ上では全く出てこない。あまりにも悲しい出来事だったからだ。
 有り余る能力、資力、それと鉄道模型に対する凄まじい執念とが、あのレイアウトを作り出したのだ。この三つがそろっている人はまれである。二つがそろっている人は、たまにいるが。

 筆者はそれまでにアメリカの主要なレイアウトはある程度見ていたので、その差にはいささか驚いた。すべてにわたって細密で、理屈が通り、物語のあるレイアウトであった。

 車両はすべて、専門の職人に徹底的に改良させ、低速でもつまづかない優秀なメカニズムになっていた。オペレーションの方法もすばらしかった。信号装置も当時としては世界最先端であった。

 筆者の押して動くメカニズムは、「すばらしいが、より低速で動くようにせよ。」と注文が付いた。すでに低速で動くのだが、12Vで時速40マイル程度でよいと言うのだ。ギヤを一段噛ませるだけのことだが、こだわりのある人だと感じた。すでに持っている数百輌の車両と使い勝手が異なるとまずいと思ったのだろうと推測する。

 先回の写真のメカニズムをご覧になるとよく分かるが、フライ・ホイールと遊星ギヤを使用し、軸にはヘリカル・ギヤというのが標準である。

Chicago Union Station レイアウトは解体されたそうだが、いくつかのストラクチュアは取り外されて、移転された。この駅もそのひとつである。これはシカゴのユニオン・ステーションを元に作られている。

 この駅は現在はカリフォルニアのLou Crossのレイアウトにある。彼の解説によると、この駅には大きなボイラー室があり、作られた蒸気は列車に供給されると言う。
停車中の列車の暖房は必要なサーヴィスであったそうだ。

2008年02月23日

Lorell Joiner氏のこと その2

 自宅敷地内に90坪の別棟を建て、レイアウトはその中にあった。工作室、資料室があり、真夏なのに寒いほどの空調であった。さらに別棟に倉庫があり、古今東西のすべてのブラス・モデルが山と積んであった。

 Joiner氏は電気技術者でもあったが、建築業界では有名人であった。また、不動産事業でも成功した方であった。アメリカの競馬界で5本の指に入る、という名馬も所有していた。彼の姉はかなり有名なピアニストで、カワイのピアノは最高だと言っていた。その方のお宅にもお邪魔したが、自家用ジェット機もヘリコプタもお持ちであった。テキサスの典型的な豪邸であった。食堂には銀器がずらりと並んでいて、それを磨く人を雇っていた。各部屋には名画もたくさんあった。昔は牧場を経営していたのだろうが、今は石油が出るらしい。映画ジャイアンツを地で行くような話であった。

 Joiner氏は祖父江欣平氏がMax Gray,US Hobbiesの大半の製品を製造して、それがKTMブランドで輸出されていたことに驚き、「アメリカに引っ越して来い。工場を建ててやる。」と言った。
 祖父江氏が、工具を全部持ってこなければ仕事が出来ないし、食事の問題もある。無理です。」と答えると、「全部もって来い。日本食のコックを雇おう。」とまで言ってくれたが、結局のところ、この話は流れた。もし実現していたら、アメリカの模型界はどうなったであろうか、興味深い。

Great Southern GP-7 Cockham Drive installed その後、e-bayで、Joiner氏のコレクションが売りに出されるようになった。氏のコレクションはすべてGreat Southernというロゴが入っていて、すぐ分かる。Oゲージの雑誌に、Joiner氏の広告が載ったのはそのしばらくあとである。

 「私はGreat Southernの所有者であるが、健康上の問題があり、すべてを処分したい。レイアウト、車両すべてを一括して売却する。個別の売却には応じられない。」というものであった。彼は重度の糖尿病であったそうだ。

 それから一年、悲劇的な最後であった。彼は失明し、頭を銃で撃ち抜いて自殺したのだ。


2008年02月21日

Lorell Joiner氏のこと その1

Lorell Joiner's O scale Empire Lorell Joiner氏のことをご存知ではないだろうか。'93年のMRGreat Model railroadシリーズの中にも収録されている。MRの1980年6月号の表紙にも写真がある。彼は2ヶ月前に亡くなった、と友人から知らされた。

 テキサス州San Antonioの方で、すばらしいレイアウトを所有されていた。その規模、シーナリの精密さ、車両のコレクション、走行性能の改良、信号装置、制御装置すべての面で当時世界最高レベルであったことは、間違いない。

 MRの記事を見て、MR編集部経由で見学希望の手紙を出した。すると丁寧な招待状が届いた。祖父江欣平氏を伴って見学に行った。

 サン・アントニオ(発音はサナントーニオで、太字のところを強く発音する)の空港まですばらしい自動車で迎えに来てくれた。高級ホテルに泊めてくれ、「テキサス流に歓待するぞ。」と言った。

 立派なステーキハウスに連れて行ってくれ、とんでもなく巨大なステーキをご馳走になった。今でもその前菜を思い出す。「メキシコ湾で取れる生牡蠣を食べなさい。」と言う。出て来たものはなんとどんぶりに、中程度の大きさのものが12個も入っていた。それを唐辛子ソースをつけて食べるのだが、おいしかった!それだけで満腹になってしまうほどだった。

 そのあと出てきたステーキは32オンス(900グラム)で、火が通るように半分に切れ目を入れて焼き、それを二階建てにしたものであった。煉瓦くらいの大きさである。
 おいしかったが、あまりにも大きかったので途中であきらめようと思った。しかし、若かったので、死に物狂いで食べた。祖父江氏は小さいのを注文して正解であった。

 食べ終わったとき、Joiner氏は「よく食べたな。たいしたものだ。友人として扱う。」と言った。どうも資格試験のようなものであったらしい。

2008年02月19日

O Scale West 2008

 久しぶりのアメリカ行きであった。今回は、人の命について考えることがいくつかあった。

 古くからの友人がぽつりぽつりと亡くなり、そのレイアウトの見学が出来なくなったことを知って落胆した。

 Alfは、わざわざ筆者のブースまで尋ねてきてくれて、「俺に万一のことがあったら、あのH-1はお前のものだ。妻にそう言ってある。よろしく頼むぞ。」と言うのである。 最近調子がよくなさそうである。「あのH-1が完成したのはお前のおかげだ。もしあの部品を作ってくれなかったら、今でも完成していなかっただろう。」と、英語の文法教科書にある、仮定法の定型文のとおりの言い回しで言った。
 「いや、そんなことは考えないでくれ。長生きして欲しい。」と伝えたが、彼はしばらく私の手を離さなかった。

 この3年くらい、彼の手が震えるのには気が付いていた。その震えが来る前に、渾身の作を完成させた喜びを何度も伝えてくれてはいたが、こんなことをわざわざ言いに来るとは思いもしなかった。
 「人生は短い。でも俺はやった。思い残すことはない。」と言う彼の眼は潤んでいた。

 スクラッチビルドとは何かということは、以前に書いた。
 「趣味」を完成させようとすると、それは時間との戦いである。利用できるものはすべて利用して、完成させねばならない。優先順位を決めておかねば、単なるゴミの山になってしまう可能性が高い。


2008年02月17日

続 OJの世界

セッテの杉浦氏とともに 川島氏と杉浦氏に並んで戴いて写真を撮った。

 杉浦氏は「趣味で模型を作っていたが、いつの間にか本業になってしまった。」とおっしゃる。非常に細かいところまで神経の行き届いた模型を作られる方である。製造工場をお持ちで、外注に出しているのではないところが強みであるそうだ。
 川島氏のところには今までのすべての車両があるので、それを拝見するとセッテの進歩の様子がよく分かる。



____________________________________________________________





 このブログは自動で送り出されている。実は現在アメリカからの帰途についている頃だ。無事であれば18日には帰国しているはずだ。

 今回の訪米はO Scale Westに参加することと、友人を訪ねてレイアウト見学をするのが主目的である。他に、車の部品や工具を持って帰ることも必要なことであった。

 最近、船便が廃止され、航空郵便しかないので、重いものを運ぶのは高くつく。100坩未里發里鮗茲蟯鵑擦襪函▲▲瓮螢まで取りに行った方が安い位になる。運賃の安い冬場は特にそうである。今回は保有している米車のサスペンション部品を主に購入した。昨年は独車の部品をしこたま買った。
インターネットのおかげで、非常に経済的に調達できる。32kgのスーツケース3本を持って来られる条件なので、助かる。模型は手に持って帰る。

 19日はその報告から始めたい。

 実のところ、「車の保守、修理のブログ」を開きたいところなのだが、泥沼にはまりそうでやめている。


2008年02月15日

OJの世界

OJの新車 ちょうどセッテの杉浦氏がいらして、新しい客車を納品するところを撮らせて戴いた。OJで常設のレイアウトは少ないので、非常によい試運転場でもある。

 セッテの車両はどれも非常に細かく作られているばかりでなく、滑らかに走る。その理由はこんなところにあるのではないか。

 筆者は、1975年以降の日本型車両の知識はほとんどない。それ以前のものなら懐かしく思い出される。このレイアウト上にあるものはその時代のものが多いので、どれも親しみが湧く。

OJのレイアウト OJレイアウトルームの全景である。床は天井から平鋼で吊り下げられている。線路は比較的こじんまりと作られ、その周りを車両陳列ケースが埋めている。また中央部にはHOの試運転場があった。

 先の大鉄道博のために貸し出されていた車両が戻っていたが、まだもとの場所には戻っていない状態だった。多くの箱が積み上げられていた。戻す作業だけでも大変な労力である。

2008年02月13日

続々々 川島氏のコレクション拝見

Denver, Rio Grande & Western 4-6-6-4各種 この機関車はDenver, Rio Grand & WesternのL105 4-6-6-4である。何台かある。

 このチャレンジャ・タイプは筆者も持っている。いくつか改装すべきところがあり、まだ塗っていない。これも緑のボイラーのものがある。
 筆者の好みは黒で、先頭に海軍旗風の警戒色を塗ったものである。ロゴも斜めになって、ひげの生えたものが好きである。

 この機関車の先輪は興味深い。輪心が回転しないようである。ローラ・ベアリングが車輪内部にある。詳しい図面をお持ちの方は、お見せ願えるとありがたい。その部分を正確に模型化したいと思っている。ロコサイクロの図面は粗くてよく分からない。この機関車は走らせるとすばらしく立派である。UPのチャレンジャより大きくて、テンダも長いところがよい。

 余談であるが、UPは本質的にテンダを短くする方針の会社である。本線沿線に炭田、水源を持ち、給炭、給水に困らなかったからだ。重くて長いテンダは無駄の塊と言う考えであった。

 Big Boyが廃車になるとき、LA-SL路線に振替えることも検討されたが、沿線に水源が不足しているため、長大なテンダを建造しなければならないことと、それに合わせて、大きなターンテイブルの建造も必要となるので見送られたという経緯がある。テンダは6軸で1.3倍くらいの長さのものを考えていたらしい。また、沿線に炭田がないので、石炭を運ばなければならないことも問題であった。
 

2008年02月11日

続々 川島氏のコレクション拝見

Erie 4-6-2 K5a と T&P2-10-4 ClassI 真ん中の黄色い菱形のエンブレムを付けたのが、ErieのHeavy Pacific K-5aである。

 つやのある塗りで、Boxpok動輪である。筆者もこれを持っている。一番最初に手に入れたブラスの機関車である。事故車を安く手に入れ、大改修した。。動輪はスポークである。
 それが珍しいらしく、いろんな人が譲ってくれと接触してきた。壊れた動輪を振替えただけなのに……。
 このK-5aは大きな機関車である。ボイラーが大きく、力強さを感じさせる設計である。Light Pacificは数多くあるが、Heavy Pacificと呼ばれるのはこれひとつしかない。 

 その上の段はTexas & Pacificの2-10-4である。これまた、筆者も持っている。この機関車の台枠は特殊な構造をしていて、いわゆる関節型機関車の中に入れられる。従台車は主台枠の一部である。火室下で左右に動くが、それは水平面上の動きである。上下動はイコライザにより、台枠内でのみ可能である。筆者はこの仕組みに興味があって、買い求めた。これも大改造したので原型を留めていない。

 緑色のボイラも素敵である。この機関車は筆者の対象としているUPとは全く無縁の機関車であるが、興味のある機関車である。


2008年02月09日

続 川島氏のコレクション拝見

Bill MelisのDDA40XBill MelisのDDA40X その2 まさかここで、この機関車にお目にかかるとは思わなかった。このDDA40XBill Melisの作品である。日本でこれを持っているのは、筆者だけだろうと思っていたが、とんでもない思い違いであった。

 このブログを始めた当初の目的は、このBill Melisの作品を紹介するのがかなり大きな比重を占めていた。日本でお目にかかるとは思わなかった。筆者はこれを4台と、DD35A+B+Bを持っている。他にタービンも何台かあるがいずれもかなりの大改造を施しているので、オリジナルの形を保存しているのはこれだけであろう。

 川島氏は、これ以外にKTM製のもいくつかお持ちであった。また機会を改めてじっくり拝見したものだ。動力がどのような方式になっているのかも知りたい。
 すべて塗装済みであり、すばらしいコレクションである。
 
 Bill Melisの作品は、時々e-Bayに出る。筆者も応札するが、なかなか落とすのは難しい。面白いことに、応札して出てくる面々がいつも同じなのである。アメリカには、Bill Melisの作品をコレクションしている人間が10人ほど居る。その中の1人はよく知っている。なんと10台以上のDDA40Xを持っていると言っている。しかし組んであるのは少ないらしい。たまに会うと、「組んでくれないか」という話を持ちかけてくる。 自分のを組むのに忙しいのでお断りしているが、そのうち引き受けさせられそうである。

2008年02月07日

川島氏のコレクション拝見

魚田氏のUP5000 魚田氏のUP5000その2 この機関車は,故魚田真一郎氏のコレクションであった。神戸の震災で亡くなって、その膨大なコレクションはいろいろなところに分散した。
 
 筆者はこの機関車に特別の思い入れがある。元はこの機関車は筆者の所有物であった。彼がどうしても欲しいというので、それを渡し、アメリカに住んでいたときにもう1台苦労して探し出した。資料も送れと言うので、これまた大変な苦労をして写真を集めて送った。

 その後帰国してから、この機関車を所有する二人の間で競作が始まったのである。筆者の渡した写真の中から、彼は大きなスノウ・プラウをつけたものを選んだ。遊びに来てくれと言うので出かけると、「フ、フ、フ」と言いながらこれを見せた。やられてしまった。筆者もそれを作るべく準備をしていたが、一足先にやられてしまった。そのときの彼の得意そうな顔が忘れられない。

 当然のことながら、筆者もこれとほとんど同型のものを持っている。テンダは4軸のズングリムックリした12000ガロンのをかさ上げした、増槽つきのものである。いずれお見せすることがあるだろう。

 写真の機関車は被災してテンダは無くなった。そこで川島氏はSA57のテンダを振り替えることにされたのだ。
 SA57の説明はこのサイトにある。
 SA57というC&Oの2-8-8-2は速度が出ずUPではすぐに廃車になった。本物と同様に残ったテンダを活用したのだ。これには参った。すばらしく立派な機関車だ。実物の歴史をよくご存知であり、感銘を受けた。


2008年02月05日

続々川島氏のレイアウト訪問

川島氏のレイアウト1川島氏のレイアウト2 ヤードとその反対側からの眺望である。二階があるのに天井のスパンが大きく、不思議な感じがした。梁がこの太さではもたないはずだが、それにはうまい工夫があった。後日説明する。

 長大な旅客列車の編成をたくさん並べておけるのはうらやましい。筆者のレイアウトでは、16両編成を押し込む隠しヤードを設けるのに苦労したのだから。

 注目すべきは壁沿いのベンチである。来客が多いときには不可欠である。普通のレイアウトにはないものである。

 レイルはまっすぐ敷かれて美しい。上下のうねりもなく完璧である。路盤を支える支柱は、角材で作られた「馬」である。それを必要に応じて配置し、その上に合板を敷いてある。微少な高さの違いも調整がしてあるので、このような状態を保てる。下手に頑丈な枠組みを作るより、「馬」を大量に作ってかませたほうがよい。
 非常によく分かる実例であった。この方法は雑誌に載せて紹介するべき良いアイデアであると思った。


 


2008年02月03日

続 非可動軸とレイルの汚れ

 鉄道模型に限らず、建築業界、自動車産業その他日本の産業界に通じて言えることは、自然科学の軽視である。

 筆者の体験は、上記の3つの分野くらいしかないが、それを強く感じる。自然科学を深く理解しているとは思えない人が、その応用を考える場合が多いことである。しかも、わずかばかりの自分の体験の中で見聞きしたことがすべてであるという、妙な自信家が多い。

 世の中は複雑である。しかし根本原理は単純である。その根本原理を確実に理解している人を探し出して、演繹的に思考を積み上げれば、それはベストの方法であるが、その努力をしているとはとても思えない。

 その努力がちっとも見えてこないのである。我が家の建築のときにもそれを感じた。筆者は、どう考えてもこれ以上の性能は出せないというところまで考えて作った。ノウハウはすべて公開して、日本の住宅性能が向上するように努力した。業界も役人も見には来たが、理解して実行できる人が来たようには思えない。雑誌にも載せたが、あまり効果はなかった。材料・工法も吟味すれば、日本製のものも使えることも示した。しかし、「そんなことしたってたいしたことないだろう」と言う人が多過ぎる。いろいろな効果は「積」の形で表される部分が大半だ。すべてを底上げしなければ、よい結果が出ないという事が分からないのである。しかも、そうやって作った住宅に自ら住んだことのある人などいないのである。
 学生時代アメリカに居たとき、世話になっていた銀行家がこんなことを言った。「車を売りに来たセールスマンの車検証を見せてもらえ。売る車を自分で買ったセールスマンの車なら買ってもよい。」

 「理屈などどうでもよい」と言う人が多すぎる。「理屈どおりには行きませんよ」という人にも多く会う。学校で何を習ったのだろう。
 これもプラグマティズムの欠如である。この点についてだけは、筆者はアメリカの偉大さには敬服している。自然科学に対する畏敬の念を持つ国民である。日本にはない点である。
 数年前の調査で、アメリカは約50%の人が自然科学は人類の役に立つと答えている。日本は先進国の中で最低で10%台であった。これは模型を楽しんでいても、よく感じることである。 

2008年02月01日

非可動軸とレイルの汚れ

 軸が非可動の場合は、レイルと車輪が断続的に接触する。有鉄心モータは大きなリアクトルだから、電流が遮断された瞬間に高電圧を発生する。そして微小な隙間で放電し、金属を昇華させる。
 生じた金属蒸気は酸素と化合し、レイルの表面に酸化物を堆積させるという理屈なのである。

 これを防ぐには全軸集電にして各車輪には集電ブラシをつけることである。しかし、軸にバネが付いていない車輌は古いものが多く、このような集電上の工夫がないものがほとんどである。しかもそのような車輌は、大電流を喰うモータをつけているから始末が悪い。

 軸にバネが付いている(sprung) ならば接触がよく、集電が確実であるからこのようなことは起こらない。普段走らせることが少ない模型人は、外見ばかりに興味が行き、集電のことに考えが廻らないのである。

 川島氏はレイアウトの保守をしていてこのことに気づかれたそうである。鋭い分析であり、感服した。

 筆者のところの動力車はすべてコアレス・モータでDCCになっている。電流値が極端に少ないのと、DCCの交流のおかげか、レイルの汚れはかなり少ない。もちろん、プラスティック車輪を完全に排除したのも大きなファクタである。

 直流運転では、相対的にレイルの表面が汚れやすいことは事実である。空気中に漂っている微細な粒子は正または負の電荷を帯びている。その結果、埃の粒子同士は同じ電荷同士が反発して結びつかない。すなわち、いつまでも空中をさまよっている。レイルに直流が印加されると、空気中の埃は徐々に集められる。量は微少であるが、その効果はゼロではないから、堆積する。

 DCCは矩形波交流を印加しているので、その効果は完全にキャンセルされる。この話をすると鼻で笑う人も居るが、物理を理解しようとしない人である。

Recent Comments
Archives
Recent TrackBacks
Categories
  • ライブドアブログ